旭区(相州道)の石仏地図                             目次に戻る
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旭区(相州道)の石仏

この付近は山の中だが、保土ヶ谷区桜ケ丘−新桜ケ丘−市沢町−三反田−二俣川の相州道(保土ヶ谷道、弘明寺道)、市沢町−坂本−和田−神奈川の相州道(神奈川道)、今井村経由の鎌倉道/大山道などが交差する交通の要地であり、また保土ヶ谷宿へ助郷の人々が通う道であった。道しるべや石仏が多数残っており、交通路の研究に欠かせない地区である。

見所
★このコースでは「延宝8年」の立派な庚申塔が5−6基見られる。
★熊野神社の青面金剛の面構えは一見の価値がある。

<交通>
コースの起点:環状2号線 市沢交差点、あるいは市沢上町バス停 長見寺

★相鉄線 和田町駅から「新桜ケ丘」行き相鉄バスで市沢上町(または市沢団地入口)下車が便利。(1時間に3本)

@市沢稲荷(環状2号線工事で移設)に文政13年の小さな文字庚申塔があり、側面に「左 八王子・厚木道」「右 大山道」の道しるべ。何かの都合で「左り」と「右」の文字を入れ換えた形跡がある。

「大山道」道しるべは、東海道「追分」→和田橋「大山道」道しるべ(現在杉山神社)につながる大山道のルートを示すもの。
この東海道の追分から分かれる大山道のルートはまだ確定しておらず、古道の研究上きわめて重要な道しるべ。

この道しるべによると、「大山道」は「八王子・厚木道」(二俣川方面)とは別な方向であることを示しており、今井村経由で山越えで東戸塚に抜ける大山道を指しているものと思われる。
A「長見寺入口」の案内から長見寺。境内に馬頭観音、地蔵、青面金剛などが見られる。
B長見寺の前に出、谷の向こうに見える熊野神社へ直行する。
熊野神社の社殿左に、もと市沢団地入り口の分れ道に並んでいた庚申群が移されている。

左の3体(青面金剛2体、阿弥陀座像)は延宝八年の庚申塔。右隣の元文元年の青面金剛(ポパイ)ととも素晴らしい面構えをしており、これなら恐ろしい病魔とも十分太刀打ち出来そうである。
C社殿の右から神社裏手に抜けると、市沢小学校裏門に、立派な笠付き庚申塔が地元の手で保存されている。これも分かれ道にあったもので、「かまくら道」「ぐみょうじ道」の道しるべがある。

◆「ぐみょうじ道」は、新桜ケ丘−桜ケ丘経由で保土ヶ谷宿の金沢横町に出る道で「保土ヶ谷道」と同じ。
       (武蔵国風土記稿下星川村の項によると、地元で「相州道」と呼ばれていた。)
◆「かまくら道」は今井村経由の道で、地元では東戸塚に出る枝道を示すとされているが、武蔵国風土記稿では、「二俣川〜入り、今井村を通過して境木で東海道につながる道」が鎌倉古道と記述されている。
Dバス道に戻ると、市沢町交番前の一画に、庚申塔、馬頭観音、猿田彦大明神、二十六夜塔がある。
庚申塔には「ほどがや道」「かながわ道」の道しるべが、馬頭観音には「ぐみょうじ道」の道しるべがある。馬頭観音の「馬持中」とは、江戸時代にあった「持ち馬制度」の仲間のこと(貸与された馬を飼育、普段は農耕用に使い、忙しいときだけ宿場に応援に行く)。

交番前交差点を左折して進む。(直進すると鶴ヶ峰へ出てしまう。)

E右側の路傍に小稲荷があり、延宝八年の立派な阿弥陀庚申がある。
F更に進むと、三反田に入る。大きな三反田稲荷の境内には「保土ヶ谷道」「神奈川道」の道しるべがある地神塔などがある。
G路傍の大樹の下に、立派な地蔵像
この付近は、江戸時代に大勢の助郷人夫が保土ヶ谷宿に「通勤」した「助郷の道」。幕末には繭をつんだ馬が神奈川港に通ったことで「絹の道」とも呼ばれる。

新幹線の線路を越えてしばらく進むと、小川を渡り相鉄線に突き当たる。
左に少し行って路地に入り、相鉄の踏切を渡って交通量の多い厚木街道に出る。

H広い車道の向かい側が本村神明社。敷地の左側を回ると裏口に石仏群がある。
ここにも延宝八年の阿弥陀庚申、双体道祖神、「大山道」「二俣川観音」などの道しるべ。
厚木街道に平行した脇道を二俣川駅の方向に向かう。
I途中、静かな雰囲気の三佛寺に立ち寄る。
16号線バイパスの下をくぐると間もなく二俣川駅に到着。
◎二股川駅を少し通り越した先の日枝神社境内にも、石仏群が見られる。
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