辻堂(藤沢市)の石仏      目次にもどる  
宝珠寺 寛文6 三猿
日枝神社 北町双体道祖神
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コース案内
辻堂駅南口:
駅から最初の西町まではバス停を頼りに進むのがよいであろう。
西町バス停の信号を左に入ると、複雑な三叉路があり「三叉路の説明板」がある。左手に八幡神社がある。
@ 宝泉寺
三叉路を右に150m進むと、右手奥に宝泉寺と諏訪神社がある。諏訪神社は神仏混交時代の名残りで寺と同じ敷地内にある。
宝泉寺は大山帰りに必ず参拝することになっていたという説明板。
境内には本堂前と本堂左脇の二カ所に多数の各種石仏が集められており、石仏博物館の感があるとされる。
横浜では見られない珍しいものも多く、ここだけでも訪問する価値がある。

珍しいものだけ拾うと
本堂前:
六地蔵石幢(せきどう)4角柱の3面に六地蔵を2体づつ彫ったもの。
 「幢」は本来は上から下げる長い旗のことであり、これを石に彫ったのが石幢である。

木食観正(もくじきかんしょう)の名号碑
「木食」とは、米を食べずに木の実だけを食べて命をつなぐこと。
 「木食上人」とは、木食で修行した上人のこと。
  木食観正は木食観正の一人で、もと淡路のひと。淡路でも高名だったが、相模に移って関東全体に広く布教し、各地に木食観正の碑がある。
碑に彫られた梵字は大日如来を表す「ア」、布教に当たってこの文字を書いて配ることが多く、碑のやや大きすぎる梵字は観正の直筆をそのまま碑に彫って記念にしたものである。
青面金剛(元禄7)はヘビと正面ショケラを持つ変形六手像。

本堂脇:
厚い石に地蔵と聖観音の二体を彫った双体像が三基。他では見たことがない石仏で何と呼ぶのか分からない。
念仏講の記念碑らしい。

2鬼を踏んだ青面金剛−(青面金剛の儀軌には「2鬼を踏む」ことになっているが、普通は1鬼しか踏んでいない。)

A日枝神社
宝泉寺への入口角まで引き返し、反対側の小道へ入ると、やや広い道にぶつかったところで日枝神社がある。拝殿の前にきれいな「北町双体道祖神」があり、説明板がある。
B宝珠寺
二番目の角を右折して進むと、線路近くに宝珠寺がある。山門前に古道文化財ハイキングの説明板。
境内の四国八十八カ所めぐりで、簡単に八十八カ所の遍路をすますことが出来る。

寛文6年の三猿庚申塔が貴重品で説明板付き。とぼけた顔の猿がユーモラスで楽しい。
他に庚申塔や千手観音など数体の立派な石仏がある。

寺を出て、駅の方角に戻る。

辻堂駅北口
地下道で線路を越えて、駅北口の広い車道(または商店街)に出る。
C大山不動堂と大山道
車道を北に進むと国道一号線(旧東海道)との交差点。右に20m進んだところに大山道(田村大山道)の分岐点があり、不動堂、道しるべ、天狗面のついた大鳥居がある。大山登山の帰りに江ノ島で一泊して遊ぶ習慣があったが、そのための帰路によく使われた大山道である。
鳥居をくぐって進むともとの車道の大庭トンネル近くに出る。大山道は車道を越えて続いており、地蔵堂が見える。
(この大山道は新湘南バイパスに平行する形で相模川田村の渡しまで続き、最近神奈川県古道50選に選ばれた。)
 
<大庭トンネルを越えた先の泉秋寺では、六地蔵灯籠が見られる。(トンネル入口から泉秋寺までは1kmを往復)
D日枝神社
トンネル入口手前左手を廻るように登ると、トンネル入口の上に日枝神社がある。神社前の石垣の窪みに数体の石仏がある。
元禄6の青面金剛、宝永6年の片手サル庚申塔・・・など

国道一号に戻り、旧東海道を西に進む。車道より一段高い歩道には松並木があり、旧東海道の雰囲気が残っている。
すぐに一里塚旧跡▼がある。
E二つ谷公民館
二つ谷公民館入口に諏訪神社があり、数体の石仏その他が安置されている。
寛文10の三猿庚申に説明板がある。ほかに保存状態のよい双体道祖神など。
F二つ谷バス停の先、茅ヶ崎市との境界の手前に「大山街道入口」と書かれた信号のある横断歩道があり、路傍に道しるべがあるので見落とさないこと。

西国/坂東/秩父 巡礼供養塔 (側面に和歌 大山道へ入る目印の意味)

   「あふり山わけい累道に志をり置 津由のことのは志類遍登もなれ」
    (雨降山 分け入る道にしおり置き 露の言の葉 しるべともなれ)

常光明真言塔 (宝泉寺への道しるべ、大山帰途に宝泉寺へ詣る慣例)・←見当たらなかった?
地元では何故か「二つ谷道祖神」と呼んでいる。


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横断歩道を渡り、道なりに進むと辻堂駅北口に戻る。
駅北口は大規模開発中で様子がかなり変わっているが、どの道を通っても駅に戻れる。(2010/1/31記)。

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