戸塚の石仏(その1) 目次に戻る
蔵田寺 
横浜最古の庚申
大阪下 とぐろを巻く大蛇を持つ
子の神社 寛文の庚申
大阪下 片手サル
子の神社 道祖神
   
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戸塚(その1)コース案内
旧東海道の戸塚宿のあった国道1号線とその周辺には多数の石仏が残されている。
@子の神社(子の八幡)
JR戸塚駅の東口に出て柏尾川を渡り、右折して大船方面へのバス道を300メートル進むと左手の奥まった山裾に子の神社がある。
(入り口が分かりにくいので注意。「表」のバス停より100メートル手前に斜めに住宅街に入るバイパス状の道があり、その奥に神社がある。)
庚申塔の一つに大正時代に鉄道が付設された際、移設したといういきさつが裏面に彫られているが、移設の際に厳選されたらしく、貴重なもの、出来のよい石仏石碑が揃っている。
双神道祖神、堅牢地神塔、地蔵型や阿弥陀型庚申、初期および標準型青面金剛塔、自然石庚申塔など代表的な石仏がまとめて見られ、「石仏博物館」の感がある。
寛文7年の阿弥陀庚申と寛文10年の地蔵庚申は見事な出来。寛文期は石工の技術が優れていた時期とされ、さすがは寛文の石仏という感じである。
貞亨5の変形青面金剛は三眼で左中手は「索」、右中手には何も持っていないように見えるが、よく見ると小さい蛇が手首に巻き付いている。
A蔵田寺
バス道に戻って大船方面へ500メートル行くと、左手に蔵田寺がある。
境内の地蔵庚申(明暦2)は地蔵庚申として横浜最古であるが、庚申塔としても横浜最古らしく最近まで地元の郷土史グループの建てた次のような説明板があったが古くなったため撤去された。
「明暦2年(1656)1月の建立で市内では最古の碑とされている。
 主尊は地蔵菩薩の立像で、その頭上に2匹の猿が刻まれている。基部の蓮弁にはこの地の村人と推定される名が刻まれている。           みんなで歩こう郷土の歴史 実行委員会」
地蔵菩薩の頭の上に2匹の合掌した猿が彫られており珍しい様式である。
▲蔵田寺の100メートル先の上倉田バス停前には「湯殿山 かまくら道」碑がある。
 江戸時代、この道は戸塚宿から分かれて鎌倉に出る観光道路であった。
Bかまくらみち道しるべ(日立製作所正門)
引き返してJRの線路を跨線橋または地下道で越える。柏尾川を越えると日立製作所正門脇に「か満くら道」道しるべがある。
「庚申講中」の文字があり、庚申記念の塔である。本来は東海道沿いの鎌倉道分岐点にあったもの。
広重東海道五十三次「戸塚」吉田大橋に描かれた「かまくらみち」道しるべと字体や筆勢が似ており、そのモデルと推定している。
保土ヶ谷金沢横町の「かなざわかまくらみち」と同じ筆跡で、同じ書家の字である。
いたずら防止のためか鉄柱で囲み厳重に保護されているが、写真を撮るのが一苦労。
C富塚八幡
まっすぐ国道1号に出て藤沢方面に100メートル進むと、戸塚宿の鎮守である富塚八幡神社がある。階段を登った拝殿左の稲荷神社に10基ほどの庚申があり、とくに左手の大型庚申群が貴重である。
寛文11年の青面金剛は不動明王と同じ剣と索を持った稚拙な変形4手像。多分戸塚区では最古の青面金剛で(横浜市では3番目に古い?)、青面金剛像成立過程を示す古い形式である。他に寛文12年の阿弥陀座像を彫った古い庚申がある。
富塚八幡前から南に入る小道を入る。
1)親縁寺
 山門前階段下に寛文12年の阿弥陀像と地蔵像がある。庚申塔ではないが、立派な作品である。
 元禄の青面金剛は合掌標準型で、「片手サル」庚申塔。
(これとまったく同じポーズの猿を持った青面金剛像が横浜各地にあり、同じ石工の作である。東戸塚、野庭、和泉中央、藤沢市)
 寺の境内はきれいに整備され、新しい「筆塚」、「花塚」、「愛犬愛猫の墓」 などがあり、東屋なども設けられている。
2)和田村?(戸塚町730)
この道をさらに数百メートル進むと、柏尾川に出る直前(郷和団地への入り口)に庚申群がある。うち一つに「和田村」と明記してあるので「和田村庚申群」と読んでおく。延宝6年聖観音庚申塔、元禄の片手サル青面金剛など。
3)途中、日立病院の手前から裏山へ登る道があり、道なりに800m進むと路傍に庚申群がある。
早い時期(元禄3年)の剣人型青面金剛2基など。
D大坂下庚申群
富塚八幡から国道を更に150メートル進むと「戸塚宿上方見付」を経て「大坂下」バス停。次の「大坂台」バス停都の中間点の国道沿いに「大坂下の庚申群」があり、延宝5年6年の大きな庚申塔と元禄を中心とした数基の青面金剛が並んでいる。

元禄4年の6手青面金剛は、勧進帳の弁慶のような円を連ねた飾りを付けており、山伏スタイルのように見える。額にも同じ円を付けているところを見るとこれは青面金剛の儀軌にある「ドクロの珱珞」(ヨウラク・・・首から掛ける飾り)である。
儀軌どおりドクロの首飾りを付けた青面金剛像はありそうで他に類例がない。
またこの像は剣のほかにサッカーボールのような大きな球を抱えている。球の正体は簡単には分からないと思うが、実は腕にドグロを巻いた大蛇である。(同じ石工の作品が、戸塚五霊神社と藤沢庚申堂にある。)

宮谷庚申群
大坂下バス停の手前、富塚郵便局脇の道を入る。
横浜バイパスの下を斜めにくぐり、300mほど進むと、代田邸の前に庚申群がある。
F五霊神社
大坂を上り、大坂上の三叉路で右折する。戸塚警察署わきで横浜バイパスを横切って更に進むと700mほどで五霊神社で、ここにも付近の開発で出てきた石仏が多数集められている。
大きな堅牢地神2基がまづ目を引く。元禄7の青面金剛の持ち物やポーズ、鶏の描写などは、先ほどのDの大坂下の元禄4年像とそっくりであり、同じ石工の三年後の作品である。太めの蛇も分かりやすくなっており、先ほどのボールが蛇であったことがこの像との比較でも確認できる。
※宮谷庚申群→五霊神社
国道1号まで戻ると回り道になる。「ホテルBP(バイパス)」の建物を目標に進むと、戸塚警察署−五霊神社の中間点に出ることが出来、要領よく巡回できる。
東海道を戸塚駅に向かって引き返す。途中に神社や寺が多い。
G本陣跡石碑と羽黒神社(「消防署前」バス停。)消防署隣の奥まったところに羽黒神社があり、境内に二基の古い庚申を見る事が出来る。
H大踏切近くの清源院は徳川家康の愛妾「お万の方」ゆかりの寺。境内と墓地に石碑石仏の面白いものがいろいろある。
  心中碑 「井に浮かぶ 番(つがい)の果てや 秋の蝶」
2009/12現在 戸塚駅周辺は大規模再開発中。バスセンターの位置は変わらないが、商店街はかなり様子が変わっているので注意。

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○五霊神社から立場行きバス路線沿い700メートル先(中村三差路バス停)には「まさ かりが淵」市民の森があり、弁当を広げるには最適の場所。
 組み合わせてピクニックを兼ねた石仏めぐりも計画出来る。

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