磯子区の石仏                  目次に戻る
  森が丘の謎の道しるべ
篁修寺
願行寺 三猿庚申塔
妙法寺 買明句碑
梅林小 聖観音庚申塔

 
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「磯子の史話」は区内の史跡や石仏を地図入りで精力的にまとめており、大変内容が豊富である。金石誌の表は付いていないが、記事から拾い上げると磯子区では次のような石仏が古い部類に属するようである。
   寛文5年 3猿庚申塔 願行寺(屏風ケ浦)
   寛文12年 観音型庚申 梅林小学校(杉田)

寛文の庚申2つと杉田の梅林跡を中心に訪ねてみた。

@ 清水坂の道路記念碑
京浜急行 屏風ケ浦下車。駅前の広い通りを左に進み、京急のガードをくぐったらすぐ右の道に入る。この坂が旧清水坂で、道なりに10分ほどで坂を上り詰めたところに嘉永6年三月の道路工事記念碑がある。@
「北ほどがや道」「南かまくら道」「東□□□」の道しるべと道路工事の「セワ人」名、寄進した村々の名前が彫られている。
いろいろ問題や謎の多い石碑である。   

この像は「磯子の史話」には「2手の青面金剛座像で下部に三猿がある」とされているが、青面金剛ではなく明らかに馬頭観音である。写真を見ると確かに三猿らしいものがあるが、道路工事記念碑に庚申塔を立てる理由がない。
港南台の四つ切り墓地(コース21)にある馬頭観音は同じく寛文6の座像で姿がよく似ており、同じ石工の作とも思われる。比較して見ると本尊と蓮華の間に不動明王座像によく見られる火炎が彫られている。三猿と疑われる部分は多分「火炎の模様」だろうと思われる。(→「港南台の石仏」写真参照)

栗橋氏の「道標とともに」によると、この像は昭和50年当時、野毛の横浜市中央図書館の敷地にあったように記載されている。事情は分からないが、いつ頃からか野毛に預けられていたことがあるらしい。きちんとした記録にもとづいて現在位置に戻されたのだろうか。

嘉永6年の道路工事)保土ヶ谷区桜ケ丘に同じ嘉永六年の新道供養塔があり、二俣川方面への道を大改築した記念碑である。保土ヶ谷宿への助郷の道の近道を作った工事と考えられている。屏風ヶ浦付近の森村は保土ヶ谷宿への助郷の一つであり、同じ年に行われた2つの道路工事は同じ目的−すなわち保土ヶ谷宿への道の整備−と推定される。

追記:「東□□□」について「芋明神道」という説もあったが、鮮明な写真で見ると、「東 森村」と書いてあるだけである。森村が新たに保土ヶ谷宿の助郷に指定されたために、保土ヶ谷宿への「通勤」に便利な新道を作った。その新道記念碑/道しるべである。

A 篁修寺
屏風ヶ浦駅に戻り、線路沿いの道を杉田方面に進むと、2番目のガードが白旗商店街である。ガードをくぐって道なりに10分進んだ山沿いに篁修寺がある。
門前の三角地と階段下の二カ所に数基のの石仏があり、階段下の延宝の青面金剛が立派である。
B願行寺
白旗商店街に引き返し、ガードから2番目または3番目の道に入る。道はほぼ線路沿いに進み、途中道祖神と石祠がある。やがて16号線から入ってくるバス通りに合流し「願行寺前」バス停に出る。
寺の墓地入口に寛文5年の三猿碑文庚申があり、碑面全面に碑文が彫られている。すぐ隣の三猿庚申も古そうだが、残念ながら年号がない。
近くに元文2の青面金剛や珍しい「野見宿弥命」碑がある。

バス道に沿って進むと杉田小学校前を経て杉田駅前に達する。左折して駅前商店街
を進む。商店街を2/3ほど進んだところで左の路地へ入ると東漸寺前に出る。
石仏はないが重文の釈迦堂と横浜最古の鐘のある鐘楼、小庭園が立派。
C 杉田八幡
東漸寺から16号線に出て右折、前方に見えるJR線の高架を目指す。
高架をくぐった直後、右に杉田八幡の鳥居が見える。
力石や元禄の灯篭など石造物に見るべきものが多いが、ヘンな姿の駒犬(元禄)が珍しい。中国の犬の姿をそのまま写実的に駒犬にしたものらしい。以前の「横浜ウオーキング」の記事には「蛙の駒犬」と書いてあったが確かに蛙の顔に似ている。
隣の杉田幼稚園には間宮山妙観寺跡の碑。
D 妙法寺
16号線まで戻らずに鳥居前の道を16号線と平行に進むと妙法寺の門前に出る。
門前の古木、境内の梅、立派な梅の歌碑や昭憲高太后の記念碑、牛頭天王などと見所が多い。この寺は江戸時代の観光地「杉田梅林」の跡とされ、梅の季節にぜひ一度訪ねたい場所である。
     買明発句塚:木枯らしの謎今解けつ梅の花   句碑:簾ごしに居る心地して梅の花

磯子の史話によると、江戸時代、杉田一帯は梅の産地で、村全体のいたるところに梅林があり、雲のように広がる梅の花を小高い所から鑑賞したということで現在とはずいぶん違う雰囲気だったのであろう。

E 梅林小学校の観音庚申
山門から20mのところが昔の門前で小墓地の隣に南無妙法蓮華経の石碑がある。このすぐ先の三叉路を右に取り、青戸坂を登る。涼しい木陰の気分がいい坂である。坂の上の突き当たりが梅林小学校。道を隔てた前の空き地に寛文12年の観音型庚申がある。金網で厳重に保護されていて写真に撮りにくいが、優しい童女の表情の観音である。
(帰路)
そのまま進んで丘の反対側に出ると、展望が開け、眼下にJR線と京浜急行線が交差して鉄道模型のように走っているのが見える。線路の交差点付近を目指して道なりに下り、京急線に沿って進むと京急杉田駅に戻る。
連絡地図の説明 次のルートで「金沢道(金沢古道、笹下釜利谷道路)の石仏地図」に連絡。
1)京急杉田駅脇の踏切を通る道が杉田新道(大正の新道)で、金沢道の栗田付近に出る。
2)梅林小学校から線路に向かって下り、もう一度上り直すと、金沢道の上中里付近に出る。

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