日本橋のまとめ 1 2 3 4 5 まとめ 目次へ | |
★江漢図と広重再刻版の人物はそっくりである。→→広重再刻版は江漢画帖の謎を解くカギである。 | |
広重(初版)は人っ子一人通らない早朝の日本橋を描いた。(日本橋には江戸一の魚河岸があり、早起きの魚屋しかいない風景) 江漢図には魚屋がいない。広重は北斎五十三次 (下右図)の魚屋を参考にしたらしい。 しかし日本橋は江戸一の繁華街で、橋から人があふれるような雑踏を描くのが常識。 版元の指示で、再刻版(B2)では、初版(B1)に江漢図(A)の人物を加えることで人数を増やした。B2=B1+A |
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広重東海道五十三次以前に北斎五十三次が 8シリーズ刊行されている。 広重初版の魚屋モデル? |
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江漢図と広重再刻版の人物は、同じように見えるが、よく見ると2ヶ所に違いがあり、謎解きのヒントになる。 | |
●赤い傘の集団 江漢図は、赤い頭巾に赤い腰巻のインドネシア人 (ジャワ人)を描く。 オランダ使節の従者として日本橋に来たという想定。 (日本橋には、オランダ使節の定宿があった。) 江漢は長崎の旅で、インドネシア人を写生、それを生涯自慢にしていた。 ◆ただし、実際にはインドネシア人は日本橋には来ていない。 オランダ使節の従者は全部日本人だった。 広重再刻版には神社の御幣があり、住吉踊り (大道芸)のグループに 改変された。 |
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●広重再刻版は覆面武士。 江漢図は和服に南蛮襟をつけた一本刀の武士。 信長時代の西洋かぶれの衣装で、ポルトガル人を真似たもの。 広重は、「それ以前の北斎五十三次とまったく違う真景の五十三次」と いう売り文句の手前、江戸時代には実在しない風俗を描くわけに 行かず、無難な覆面武士に変えた。 |