藤沢のまとめ         まとめ    目次へ
藤沢遊行寺は、1830年の大火でほぼ全焼し、広重が藤沢を訪れた1832-1833はまだ再建されていなかった。広重は藤沢を通過しているが、遊行寺を見ることが出来なかったはずである。
広重図には様々な矛盾や不合理な点が多い。下図の部分は藤沢宿の方角から見たアングルになっている。
別に入手した遊行寺境内図と江漢図とを合成したものらしい。
 
 
江漢図には、遊行寺の山門(冠木門)が小さく描かれており、位置も正確(橋を渡った先)。
広重図には門はない。以上から「江漢図は広重図の単純コピーではない」ことが証明されている。
   「江漢図は広重図の単純コピー」というのがニセモノ説の大前提であり、ニセモノ説は根拠を失った。
 
遊行寺の山門は、すでに12年前のTVで取り上げられており、「江漢図は広重図のコピーではない」ことの、最初の客観的な証明である。
 
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