箱根のまとめ          まとめ    目次へ
広重図の写生場所は謎とされ、何十年もの間、探しあぐねた末、広重の空想の中の風景という結論になるのが常であった。
江漢図は広重と同じ構図。
しかし江漢図の写生場所は、箱根を見慣れた人なら一目瞭然で、恩賜箱根公園(塔ヶ島)展望台からの風景の正確な写生である。・・・左 富士    右 駒ケ岳

「広重図をコピーしても江漢図は描けない」のは言うまでもない。

★中央の岩峰
   東海道分間絵図(元禄の東海道地図)の塔ヶ島のイラストを重ねて合成したもの。
★塔ヶ島について  
恩賜箱根公園の資料室や箱根町史を見ても江戸時代の塔が島についての記述がまったくない。調べても不明だったものと思われる。

   江戸時代は箱根関所の付属施設である勅使接待所。(後藤新平伝記で発見。)
   明治17年〜昭和20年は、皇室の所有地
いずれも一般人の立入り禁止場所であったことに注意。立入り禁止地区で写生できるような人物は江漢くらいしかいないであろう。

 

江戸時代の塔ヶ島

恩賜箱根公園の資料室:明治17年以前の塔ヶ島の記述がない。
後藤新平伝」明治16年の項に、当時検疫所の若い医者だった後藤新平が、会議の後、「雲の上の人」と思っていた右大臣岩倉具視から呼び止められ、直接次のような相談を受けて感激する場面がある。

「陛下が脚気の気味でお困り遊ばされている。で、余は離宮を箱根に建てたいと思うが、適当な場所があるか調査して来てくれ。余の考えでは旧幕時代勅使の休憩所であった箱根御殿山が善いと思うが、他になお良き土地があればそれにしたい。・・・

 江戸時代の塔ヶ島に関する唯一の資料?
inserted by FC2 system