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広重図の矛盾(1)
広重図の副題は「黄昏図」(夕方)。満月は日没と同時に東から昇る。夕方の満月が西にあるのはおかしい。
広重図の矛盾(2)

広重図の前方に黄瀬川橋が描かれる。すなわち広重の写生場所はA地点ということになる。

しかしA地点付近は東海道と狩野川が大きく離れており、東海道は、広重図のような川沿い道ではない。
広重図の矛盾(3) 黄瀬川説
先輩たちの現地調査
昭和35年広重研究者近藤市太郎氏の現地調査。
昭和37年版画家徳力富三郎氏の現地調査。

広重の風景は、狩野川ではなく、支流の黄瀬川の風景である。すなわち地図B点
江漢図の出現によってこれまでの謎が全部解けてしまった。
(1)江漢図には橋がない。地点Bの風景と矛盾しない。
(2)母娘は、柄杓を持たず、巡礼ではない。
(3)天狗男は白装束の行者ではない
   荷物担ぎの若者で、母娘の同行者(お供)である。
地点Bは東海道ではなく足柄道で、足柄峠を越えて関本に
出る。関本には天狗寺で名高い道了尊がある。

一行は道了尊に天狗の絵馬を奉納する裕福な家の母と娘。
月光を利用して早朝早立ちする風景である。
江漢図は、黄瀬川橋のたもとから黄瀬川上流方向を写した現地写真(2010/7撮影)と正確に一致する。

江漢図は、地点Bの現地写生である。
広重は、足柄道を東海道に引き戻すために、黄瀬川橋、白装束の金比羅詣り、ひしゃくを持った西国巡礼などの中途半端な改変の一つである。小細工を行った。副題「黄昏図」も広重の小細工である。
この旅の江漢は、東海道沿いの名所を取材しながら歩いており、東海道五十三次の宿場にはこだわっていない。
一方、広重は五十三次でないと困るので、いろいろ工夫して改変している。
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