蒲原のまとめ 1 2 3 まとめ 目次へ |
蒲原宿があるのはJR新蒲原駅。 蒲原宿には、広重の写生場所を示す立派な「夜の雪」記念碑があるが、実際の風景とまるで違うことで有名。 蒲原は御殿山の山裾に沿った宿場で、空が見えないほど御殿山が大きい。広重図は、左の方に山が小さく描かれ空が広い。 地元では、記念碑から少し離れた別な地点(下右図)を写生場所として推薦しているが、やはり納得出来ず、まるで違うという印象を持つ人が多い。 |
カシミールで探した結果、蒲原宿から5kmも離れた蒲原駅付近の海岸寄りに、江漢図とそっくりな風景を発見した。 @平方根記号のような丘 A双頭の山 B頂上が沢山ある山 ・・・など風景の要素が全部揃っており、議論の余地がない。 |
江漢図/広重図の「どちらが原図でどちらがコピーか」の論争に終止符を打つ重要な発見である。 |
蒲原の雪景色について |
★暖かい気候の蒲原に雪が降ることがあるのかという論争が数十年来続いているが無益な空論議であった。 雪景色は明らかに江漢のフィクションと考えてよい。蒲原宿は、サッタ峠からわずか徒歩2時間ほどの場所。サッタ峠で雲一つない富士を正確に写生し、蒲原で雪景色に変わるはずがない。 江漢の1813年書簡では、「府中を出てから終始快晴が続いた」と明記している。初冬(新暦1月頃)であれば、快晴が数日続くことは珍しくない。 |
「雪景色を想像で描くのは非常に困難」というのがこの議論の根元にあるが、雪のない風景を雪景色に変えて描くことはいとも簡単である。 例えば次の広重図について、広重が保土ヶ谷の雪景色を描くためにわざわざ現地まで再度出かけたとは思えない。 |
★もう一つの発見 以下誤解しないようにしっかり読んで欲しい。 実景と全然違うと言われていた広重「蒲原」図であるが、山の形が意外に正確であることを発見した。 |
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城山 御殿山(3つの山塊) 蒲原宿の通り(東海道)から見ると、カシミール3Dの視野に入りきれないほど山が大きい。 御殿山は三つの塊から出来ており、左から城山が覗いている。 広重図の山と同じ構成である。 |
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広重の山の形はかなり正確なのだが、大きさが小さすぎた。 中央図くらいの大きさ(山だけ3倍に拡大)に描いてあれば、現地風景とまるで違うというクレームは出なかったと思われる。 ★広重は山の形は正確に知っていたにもかかわらず、山の大きさを知らなかった。 すなわち広重は現地をまったく知らず、江漢の写真鏡スケッチだけを見て描いたのでこうなったのである。 |
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さらに補足説明すれば−−−江漢の写真鏡スケッチ原図には、A(5km離れた蒲原駅付近)、B(蒲原宿付近)の二つがあり、広重は両方とも入手していた。 江漢図にはAが採られていたが、広重は五十三次の宿場を重視したいため、Bの山に置き換えた−−−ということが判明したのである。 |