17由井 6.江漢の冨士論            6  まとめ    目次へ
日本の伝統的な富士画と江漢の写実的な富士
江漢は西洋画論/富士論で、伝統的な富士の描き方を批判し、実際の富士を写生すべきと主張している。
ところが、これまで知られた江漢作品には写実的な富士が見当たらず、江漢は「言行不一致」「ほら吹き」という人物評価を受けていた。
新たに発見された江漢画帖「由井」の富士は、江漢の持論通りの写実的な富士である。
★持論通りの写実的な富士が現れた以上、これまでの江漢研究での江漢の人物評価を改める必要がある。
江漢は法螺吹きではなかった
★これまでの江漢研究では次のように言われていた。「江漢は法螺吹きである。故に江漢の自筆資料であってもそのまま信用出来ず、取捨選択する必要がある。これが江漢研究の特徴であり、難しいところである・・・」 →「自筆資料を軽視」が江漢研究の基本姿勢であった。
江漢「春波楼筆記」  富士山論  1811
○吾国にて奇妙なるは、富士山なり。これは冷際の中、少しく入りて四時、雪,嶺に絶えずして、夏は雪頂きにのみ残りて、眺め薄し、初冬始めて雪の降りたる景、まことに奇観とす、・・それ故、予もこの山を模写し、その数多し。蘭法蝋油の具を以て、彩色する故に、彷彿として山の谷々、雪の消え残る処、あるいは雲を吐き、日輪雪を照らし、銀の如く少しく似たり。
吾国画家あり。土佐家、狩野家、近来唐画家(南画)あり。この冨士を写すことを知らず。探幽(狩野探幽)冨士の絵多し、少しも冨士に似ず、ただ筆意勢を以てするのみ。また唐画とて、日本の名山勝景を図すること能わず、名もなき山を描きて山水と称す。・・何という景色、何という名山と云うにもあらず、筆にまかせておもしろき様に、山と水を描き足るものなり。これは夢を描きたると同じことなり。是は見る人も描く人も一向理の分からぬと言う者ならずや。
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