27掛川 3.金草鞋      3   まとめ   目次へ
  
僧侶連れは、十返舎一九のもう一つのシリーズ「金草鞋」の主人公 ちくら坊と鼻毛延高 と思われる。
一九は1831年没。広重が東海道五十三次を描いた1833年には遺稿「金草鞋−相模路」が刊行された。 →年表参照
広重は一九「追悼」の気持ちを込めて、金草鞋の主人公を登場させた。当時の人には説明抜きでもすぐ誰だか分かったであろう。
 
広重と金草鞋  
広重五十三次は、膝栗毛の人気に便乗した企画というのが定説だが、上の年表を見ればきわめて疑わしい。
膝栗毛が終了して13年も経ってから、それに便乗した出版を企画することがあるだろうか。

北斎の五十三次は多分膝栗毛の便乗であろうが、広重はすでに金草鞋の時代の人間である。
この東海道五十三次についても、広重は膝栗毛口絵の人物モデル(一九画)など様々な面で十返舎一九のお世話になっている。
十返舎一九の金草鞋
膝栗毛
は完結まで19年掛かった大作だが、金草鞋も17年続いている。二人の狂歌師が狂歌を詠みながら各地を旅するところは膝栗毛と同じだが、膝栗毛との違いは @旅先の失敗談よりも観光案内に重点 A順に旅するのではなく、全国各地に自由に出没。 
各地から次は当地に来てほしい/取材に協力する という招致が絶えず、作者として膝栗毛より書きやすかったと思われる。

 

広重と十返舎一九の関係 事例
広重の「東海道細見図会」の大山詣り大太刀の人物は、明らかに「金草鞋−相模路」のコピーである。

   十返舎一九「金草鞋−相模路」1833刊行より                    広重「東海道細見図会」
  
江漢「藤沢」(1813)の橋には誰も居ないが、広重「藤沢」(1833)の橋には様々な人物が追加されている。二人の芸者は膝栗毛口絵(一九画)。
大山詣りの大太刀は金草鞋−相模路(1833)コピーの可能性がある。鉢巻きをした人物の横顔が良く似ている。
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