34二川 3.江漢図         3  まとめ   目次へ

   カシミール3D: 猿ヶ馬場付近
江漢図の出現で、広重「二川」の謎は全部解けてしまった。
江漢図は、純粋に「猿ヶ馬場」の風景だった。この付近は国境の山越えなので、街道は高い場所を通過し付近を見下ろす地形。
広重は、東海道五十三次の宿場に合わせたいために、背景の山だけを二川の尾根に差し換えた。
  ★広重図の空の部分まで小松が描かれている理由も江漢図を見れば分かる。
二川の尾根は江漢画帖にはないが、江漢の写真鏡スケッチ原図を広重が入手し、この作品に利用したもの。
江漢が作品にしなかった写真鏡スケッチを広重が採用した例が、蒲原、府中、二川、石部・・に見られる。
広重は江漢画帖だけでなく、画帖作成に使った原材料一式−(写真鏡スケッチ原図、続膝栗毛口絵の人物モデル、未完成の失敗作品・・・)をすべて一括入手し、活用している。
→G論
これまでの議論 
美術界でも広重非上洛説が有力になってきているが、二川の尾根が正確なことの説明できないことがネックになり、議論がうやむやに終わっている。
江漢画帖の存在を認めれば、非上洛説の矛盾はすべて消える。
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