二川のまとめ          まとめ   目次へ             
     広重の謎

広重「二川」の副題は、「猿ヶ馬場」である。

地図(左図)で分かるように
二川と猿ヶ馬場は県境をはさんだ別な場所である。

広重図には「かしわ餅」茶屋の看板が描いてあるが
かしわ餅は二川ではなく、猿ヶ馬場の名物

二川の背景の山は、東海道線二川駅付近に実在する。
新幹線からもよく見える二川の尾根を正確に写生した
ものである。

以上のように、広重図は二川と猿ヶ馬場のチャンポン
であることが、以前からの謎であった。

  
江漢図は、猿ヶ馬場の風景。県境の山越えなので、
やや高いところから周囲の山を見下ろしている

広重図は、江漢の猿ヶ馬場と二川の尾根とを合成したもの。
五十三次の宿場に合わせたかったので、猿ヶ馬場風景を二川に
持ち込んだ。
 
二川の地形
旧東海道/従来線/新幹線が並行して走る平地で、
周囲の山を見上げるような地形。
広重図で、空の部分にまで「小松」が描いてあるのは変だが、
江漢図猿ヶ馬場の高所から見下ろす地形に引きずられて
描いてしまったのである。
広重は、山の形を正確に知っていたが、付近の地形を知らなかった江漢の写真鏡スケッチだけを頼りにこの図を描いたことを示している。
「広重東海道を旅せず」説は有力になっているが、東海道を歩いていない広重が何故二川の尾根を正確に描けたのかが説明出来ず、議論のネックになっている。もちろん江漢の写真鏡スケッチ(二川)をコピーしたから描けたのである。

<広重は、江漢画帖だけでなく、江漢が使わなかった写真鏡スケッチなどの原資料も一括入手して活用したと思われる。→G論>
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