石部のまとめ           まとめ   目次へ                
広重石部が東海道名所図会のコピーであることが昭和35年に発見され、広重研究者の間では常識※となっている。
  (※ただし、一般向けにはあまり知らされていない。)

江漢図も同じ図柄。江漢図/広重図とも人物、建物、立木、茶屋の看板まで全部、東海道名所図会のコピーである。 
  
和中散から見た日向山


和中散の少し手前から見た日向山
驚いたことに広重図の背景の山は、現地の日向山(にっこうやま)の正確なコピーであることが分かった。
 ★日向山は、全国的には有名ではないが、「茶屋本陣(和中散)庭園の借景」として、地元ではローカルな観光資源とされている。 
広重が京都に行っていないことはほぼ公認の事実である。その広重が、京都まであとわずか半日の石部まで行って、京都に行かずに引き返したことなど考えられない。

石部の山が広重図に正確に描かれているのは何故か。(江漢画帳を認めない限り)永遠の謎として残るであろう。
 
江漢図の背景は、同じ日向山であるが、山のアングルが異なるため山の形が違う
すなわち、広重が江漢図をコピーしたというだけでは説明出来ず、新たな第2の謎である。

江漢は、日向山を何枚か写真鏡で取材し、その1枚を使用して画帳に仕上げた
広重は江漢の原画を一式入手
し、江漢の使わなかった別な写真鏡スケッチを選んで石部の背景とした。 →G論
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