54大津 5.東海道名所図会 1 2 3 4 5 6 まとめ 目次へ | |
江漢/広重両図の原図は、東海道名所図会「走井」 この風景が坂の途中であることは分かるが、荷運び人足 の足を見ただけでは、どちらが坂上だかよく分からない。 走井は下り坂の左側にあったことが分かっているので、 「左が坂上」が正しく、実は両図とも間違いである。 |
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江漢の茶屋は無人だが、広重の茶屋には東海道名所図会の茶屋の人物が全部描き込まれている。 「このことだけで、広重図が江漢図のモデルであることが完全に証明されている。」というホームページの意見があったが、この論理は間違いである。 「広重が手元に東海道名所図会を持っており、江漢図と東海道名所図会の両方を参照して作成した」というだけであり、広重図モデルの証明にはなっていない。 (草津や石部の茶屋の人物についても同じ。) |
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