広重はどこまで東海道を旅したのか                  目次へ
江漢画帖を認めないと、下表 欄のように「現地そっくり」の風景がトビトビに現われ、広重の旅では何一つ説明出来なくなっている。
    A.これまでの定説 B.最近の美術界(江漢画帖を認めない) C.大畠説(江漢画帖を認める)
@ 4.神奈川    ↓ ↓ 岡野新田工事を目撃/描き込む
A 5.保土ヶ谷    ↓ ↓ 二八そばの看板
B 6.戸塚    ↓ ↓ 再刻版は大正の現地風景写真とそっくり
  7.藤沢    ↓   大火の焼け跡
C 8.平塚    ↓  高麗山が正確 ↓ 似顔絵漫画風に描かれた高麗山
D 10.小田原    ↓   × 箱根と大山を間違えて描く
E 11.箱根    ↓   ×写生場所不明 空想の産物 × 空想の山々 
     ↓   ×現地写生した形跡なし  
  16.蒲原    ↓   ×現地風景とまるで違うことで評判  
F 17.由井    ↓  「現地風景そっくり」として評判 × 実は江漢図の方がずっと正確
     ↓   ×現地写生した形跡なし  
     ↓   ×現地写生した形跡なし  
G 34.二川    ↓ ★山の形が正確? 何故? 山の形が正確? 江漢原図のコピー
     ↓   ×現地写生した形跡なし  
H 52.石部    ↓ ★山の形が正確? 何故? 山の形が正確? 江漢原図のコピー
  55.京都    ↓   ×橋桁が違う。京都に行っていない。 ×橋桁/山/人物とも現地を見ていない
  結論 京都まで旅して、道中
の見聞をもとに作成
京都には行っていないが有力。 
 中間の駿河辺りまで旅したのか?
江戸近く(平塚まで)だけを旅して
江漢図が正しいことを確認
  コメント お馬行列に参加
旅の見聞をもとに描いた。
団体行動だから現地で写生する時間がなかった。
二川/石部の山が正確・・・説明できない
20年間の変化を江戸近郊だけ確認
江漢画帖をもとに作成
 
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