江漢本人の証明6.本人しか知らない情報         6       目次へ
江漢画帖の作者(A)海上から写真鏡写生したサッタ山の形が、江漢(B)西遊日記(1815頃)の挿し絵に描き込まれている。
Aしか知らないはずの情報Bが知っていたということで、AとBが同一人物であるという強力な証拠である。
「日本平からの富士」は江漢の得意の題材で、1789年の旅の取材以来、同じ絵を何枚も描いている。
その最後の1枚にだけ、サッタ山と隣の西倉沢山が描き込まれている。
江漢「江尻」が海上から見たアングルという特殊な事情も勘案すると、「江漢画帖の作者=江漢本人」であることは100%間違いない。
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