初摺り 山のないのが初摺り・・・その根拠      C  目次へ            
大津」「池鯉鮒」について、定説では「山のあるのが初刷り。後摺りでは、手数を省いて山を省略した」とされているが誤りである。
山のないのが初刷り。後で江漢図に合わせるために山を入れようとしたが、うまく行かず結局あきらめた。」が正解。
以下、その根拠を列挙する。
1.徳力富吉郎氏東海道昔と今」(保育社)の初刷りシリーズ
版画家徳力富吉郎氏が、地方まで探し歩いて選んだ初摺りシリーズの「大津」「池鯉鮒」にも山がない。

この本には、初刷りを選んだときの苦労話や版画家の立場から見た初刷りと後刷りの違い/見分け方などがたっぷり書かれている。
「山があるのが初刷り」という知識で選んだものではなく、版画家の目で「摺りの状態」から選んだ初刻シリーズなので、初刷り論争の最重要な資料となる。
神奈川−姥島がある珍品 大津−逢坂山がない。 池鯉鮒−クジラ山がない。
徳力シリーズが初刷りであることを示す重要な手がかりが他にもある。(上左図)
神奈川に「姥島」らしい白い岩が描かれている。この岩は発売後すぐに削除されたらしく、「姥島」入りの神奈川は他で見たことがない。
2.内田実「広重」の検証  「背景の山が後刷りで省略された事例が多い」というのは本当か?
内田実「広重」より抜粋  
・・・板木の故障や刷りの手抜きのため後版は著しく手抜きになっている。例えば「石薬師」には裏山の一つがなくなっている。
大津」の後版でも裏山が除かれている。大津の初版では、空が藍潰しになっている。
池鯉鮒」の初版には・・・クジラの背を見るような黒い丘・・後版にはそれがない。
保土ヶ谷」の図は・・・後版と初版とでは墨版が違っている。
上記のように内田氏は、浮世絵版画では背景の山が手抜きで削られる事例が多く、「大津」「池鯉鮒」もその事例と即断している。
その後の研究者はそのまま無批判に継承しているが、内山氏の記述が事実かどうか検証して見た。
<後版の識別: 四隅の形、東海道の内四十五など通し番号入り
 
石薬師 内田氏の記述にもかかわらず、後版の裏山の数は変わっていない?
 
保土ヶ谷 内田氏は指摘していないが、遠景の水色の山が省略されている。
保永堂版五十三次で、「後版の山が省略されている」のはこの保土ヶ谷だけである。ただし大津や池鯉鮒のように、背景の山をそっくり削除しているわけではなく、近景の山と遠景の山が重なっていたのを遠景の山だけ除いたもの。
保土ヶ谷は海岸に近い風景で、山が幾重にも重なるような地形ではないから、後版の方が実景に近い。単純に手抜きとは言えない。
二種類の保土ヶ谷?(版元 「保永堂/「僊鶴堂」 すなわちどちらも初版)

保土ヶ谷: 内田氏は「墨版の違い」と言っている。かなり違って見えるが、「濃灰色の版」の摺り濃度の違いと思われる。

大津:没後百年「広重の世界」展(1997)に初版として出品され全国を巡業したもの。内田氏のいう「藍潰し」はこのことであろう。
この図は、後で山を追加したとき、ぼかしの位置を決めるために行った「試し摺り」である。藍のぼかし位置を示すノミ跡が見える。
作品ですらない
試し刷りが、「初摺り」として堂々と展示され、全国を巡業したみっともない事例である。
 
以上から、内田氏の論法「浮世絵版画の後版で、背景の山が手抜きされる事例は多い。したがって大津、池鯉鮒も、山がある方が初刷り、山のない方が後刷りである。・・・」には何も根拠がない。
3.東海道富士見双六(神奈川県立博物館) 広重画 和泉堂
広重自身による東海道五十三次双六が、保永堂版発売直後に他の版元から出されている。
※文庫本がほかの出版社から出版されたようなもので、今から考えると不思議な気がするが、子供向きの双六という別なジャンルなのでそれが可能だったのであろうか。
浮世絵版画は、版元−絵師−彫り師−摺り師の共同作品/共同芸術で、映画とよく似ている。映画の公開に先立って、監督、脚本家、俳優、カメラマン、大道具、小道具・・・の関係者全員を招待して試写会が行われる。それと同じように、版画が完成して本屋に出荷される直前に、必ず関係者に初刷りが届けられたはずである。

絵師広重に届けられた「最初の初摺り」が、55枚揃いで広重の手元に保存されており、広重はそれをそのまま深く考ええずに双六に描き写したものであろう。この双六には、原則として初摺りの図柄が写されており、初刷り論争の有力な手がかりの一つと考えている。
 川崎: 船頭など初刻の図柄である。  品川: 行列 初刻の図柄である。 戸塚:板壁(再刻版)−馬からおりる(初刻
 小田原: 初刻の険しい山。  池鯉鮒: クジラ山の代わりに江漢の森?  大津: 逢坂山がない。
 
双六についての知見
(1)原則としてすべて、初刷り、初刻の図柄である。
(2)大津と池鯉鮒には山がない。すなわち「山がないのが初刷り」という大畠説を裏付けている。
  とくに池鯉鮒では、クジラ山の位置に山ではなく森が描かれており、江漢図とよく似ている。
(3)戸塚だけが初刻と再刻版の中間。「馬から飛び下りる」のは初刻の図柄だが、茶屋の板壁と格子窓が描き加えられている。
  広重が戸塚の現地を訪問しながら茶屋の板塀を見落としたことが問題とされ、広重の印象に強く残っていたのであろう。
 
4.大津/池鯉鮒とも山が不自然 
   

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