広重定説の成立と崩壊 2.定説の崩壊        目次へ
広重東海道五十三次の定説 内田実「広重」昭和5年(岩波)
内田実「広重」原文より

出世作考

歌川列伝の記事は全部をそのまま呑み込むことはできないが、天保の初年に八朔の御馬献上の一行に加わって京都に上り東海道を旅したことだけはこれによって分かる。東海道五十三次がこの旅行から帰って描いたものであることはいうまでもあるまい。

八朔の御馬献上とは、毎年八月朔日に禁裏において駒牽という儀式があって、江戸の将軍家より御馬を献上することが慣例になっていた。保永堂版の「藤川」には背中に御幣を立てた二頭の馬を曳いて、その前後を先箱と槍の行列が固めて行くところがある。幾年かの後に発行した中版の五十三次(佐野喜版)の池鯉鮒にも同じところが描きだしてあり、一行の道中の有様を見せたものであることは無論である。・・

種本
広重がたまには種本を用いたであろうことを最初から想像していたので、種々な名所図会の類をかなり漁って調べてみた。
ところが保永堂版「東海道五十三次」「木曾街道六十九次」のような大物を始め、その他の傑作と目すべきものには、まったく種本の影を見出し得ない。少なくとも現在では、自分は、広重の傑作には、操作や仮作はない−−と信じて疑わないつもりである。
30年後、新発見が相次ぎ、次々に定説が崩れていく。→美術界は全く対応できないでいる。
昭和36年 世界名画全集 別冊 広重東海道五十三次 近藤市太郎 「月報」  ○東海道名所図会 種本 ○沼津 喜瀬川
 
 
代表的な東海道名所図会コピー 広重「石部
当初は、「東海道名所図会から数ヶ所コピー」と言われたが、現在では十数ヶ所。さらに伊勢参宮名所図会からも数ヶ所コピー。
昭和40年頃 鈴木重三氏 三条大橋石橋の指摘−−広重は京都に行っていない。「広重非上洛説」
 
非上洛説」は認めざるを得ない状況だが、いまだに美術界はウヤムヤ。
広重五十三次には現地を見ないと描けない正確な風景が数枚含まれており、「非上洛説」ではそれが説明出来ないからである。
   
現地そっくりとされる広重「由比」のサッタ峠           広重「二川」の尾根は実在。 新幹線からもよく見える長尾根。
 
以上で、定説の二本の柱 「お馬行列に参加して京都へ旅」 「広重のオリジナルで種本はない」 はすでに崩壊していた。
しかしそれに変わる定説がないため、何十年も「広重の謎」のままでお茶を濁していた。

江漢五十三次画帖の出現で定説が崩れたのではない。内田定説に変わるべき定説として江漢画帖は救世主なのである。
 
1995年 對中如雲氏による江漢五十三次画帖の発見 五十三次の55枚中50枚が広重と同じ図柄である。
伊豆高原美術館で三年間常設展示。「広重東海道五十三次の秘密」など単行本出版。
 
1995-1997芸術倶楽部誌上での討論。    1997 TV放映「天才広重は何を見た」など、賛否両論で、一時期騒然とした。
 
美術界の対応: 江漢や広重の研究者は発見当初は発言していたが、その後は沈黙。TVや雑誌の議論にも参加しなくなった。
この時期に開かれた広重展と江漢展のカタログ。いずれも江漢画帖の発見については黙殺(広重展の文献一覧には記載)
   
2001年「安藤広重のナゾ中右瑛  これまで、研究者だけが知っており一般には知らされていなかった広重五十三次の謎がまとめて公開された。ただし、この本は江漢画帖発見以前の謎のみで、江漢画帖は「後日検討」扱い。
 
2004/1/23 朝日新聞夕刊トップ記事 「石の橋桁」と「広重東海道を旅せず」は20年も前から分かっていたいたことで、今更、大新聞の一面トップを飾るようなニュースではない。翌日発売の岩波「広重東海道五十三次」の提灯記事である。
江漢画帖については、朝日新聞記事、岩波本とも一切触れていない。
 
この本は三人の共著になっているが、中心は鈴木重三氏の「広重人物モデルの発見」。三条大橋に続く鈴木氏の大発見である。

続膝栗毛口絵(初版本の付録) 十返舎一九画「道中ゆきかい振り」・・・広重東海道五十三次の人物モデル  

 

大畠洋一の研究: 1996年のTV放映前後から、様々な研究テクニックを駆使して精力的に研究。順次インターネットに掲載
2004年頃までに、広重五十三次の謎はすべて江漢画帖で解明出来、江漢画帖/広重五十三次の成立事情も判明した。
大畠インターネットの目次
 
現地調査カシミール3Dによる江漢/広重風景の研究
  現地写真 吉田(豊橋)石巻山
  カシミール:高麗山に隠れる白富士
再刻版と異摺りの謎の解明  二枚の比較では何も出てこない。第三の江漢図と見較べると答えが自然に出て来る。

これまでどうしても解けなかった再刻版や異摺りの謎は、すべて江漢画帖が絡んでいることが分かり、解明できた。
北斎人物モデルの発見  定説では北斎は広重の最大のライバルであり、広重が北斎をコピーすることなど有り得ないことになっていたのだが・・・
  
 北斎五十三次留女の横顔/髪型/ポーズ       北斎漫画 曲馬図   後向きに飛び下りるのは普通の人には不可能
TV局が大畠インターネット情報から、美術界の裏事情を知り、番組制作を決定。(美術界ではタブー。協力は一切得られなかったらしい。)
2008年11月 BSジャパンTV放映 「東海道五十三次は盗作だった?」  2009年1月再放送 BSジャパン、テレビ東京
 
 

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