A論   モデル/コピー論 (どちらがモデルでどちらがコピーか)              目次へ

基本的な論理
江漢五十三次()と広重五十三次は()、55枚中50枚が同じ図柄である。
偶然の一致ではないから、どちらかがモデルで、どちらかがコピー
B→Aでないことが証明されれば、A→Bであることが証明されたことになる。
藤沢:遊行寺(黒門) 10年前のTV(1997年放映)で、すでに紹介した。
江漢図:小さな鳥居のようなものが描かれている。遊行寺の黒門(惣門−冠木門)である。
遊行寺橋を渡ったその先にあり、位置も正確である。

広重図にはこの黒門がない。
広重図(1833)当時、遊行寺は1831の大火で全焼し、まだ復興が始まっていなかった。−広重は藤沢に来ても遊行寺を見ることが出来なかった。

広重図は、@緩いスロープのいろは坂が急な階段として描かれている。A鳥居と橋は江漢図と同じアングルだが、建物、崖、東海道(遊行寺坂)などは、視覚が90度回転している。B遠近法が不統一で、鳥居が歪んで見えるなど、不正確な点が多く、広重が現地を見ていないことは確実である。

 
現地の山の形
現地の山と比較して、「江漢の山は、広重図より正確」という事例が10数ヶ所見つかっている。「不正確な山」の図をモデルにして、見たことのない「正確な山」が描けることは絶対有り得ない。「正確な山」の方がモデルである。

これまで「広重の写生場所が不明」とされていた場所が多いが、地形図をもとに現地風景を描くカシミール3D」というパソコンソフトの助けを借りて、多くの江漢の写生場所が特定できた。

吉田:石巻山 

江漢図は、東海道から4−5km外れた場所から見た石巻山である。
江漢が道草を食いながら取材していることが分かる。

広重図は東海道名所図会のコピー。
(図 省略)

岡部: 山と山の間の隘路を街道と水路が貫通する特殊な地形。

江漢の山は、シルエットだけでなく山襞まで正確に写されている。

広重の山は完全に形が崩れている。
蒲原: 蒲原宿(新蒲原駅)の現地には、広重写生場所記念碑が建っているが、現地風景とまるで違うこと多くの研究者から指摘されていた。

江漢図は、一見広重図と似ているが、山の構成がまるで違う。

カシミールで探したところ、記念碑から5kmも離れた別な場所(蒲原駅付近)で、江漢図そっくりの地形が発見された。
箱根: 多くの研究者/新聞記者/カメラマンの探索にもかかわらず、広重「箱根」の写生場所は不明とされていた。
「広重の心の中の風景であり、現地を探すことは徒労」とまで言われていた。

広重図と同じ構図であるにもかかわらず、江漢図の写生場所は簡単に発見できる。
箱根関所の手前(江戸側)にある恩賜箱根公園(塔ヶ島)の展望台からの風景である。
(左が富士、右は駒ヶ岳。)

中央の岩峰は、塔ヶ島自身で、東海道分間絵図(元禄版)の塔ヶ島の図を合成したもの。
由井:サッタ峠
「広重図とそっくりの風景が見られる」というのが由井町観光の宣伝文句になっている。
しかし江漢図を加えて、比較すると、江漢図の方がはるかに現地風景にそっくりである。

写真との比較で、山裾を通る「下の道」や「海岸線−波打ち際」の位置やカーブが正確であることに注意。

富士山だけ取っても、広重の富士は「逆さ扇」で現地を見なくても誰でも描ける富士だが、江漢の冨士は積雪状況や雪渓の模様、光と陰まで正確で、初冬の富士の現地写生である。
 
★江漢「由比サッタ峠の富士」については、江漢の旅、書簡、江漢の風景画論、富士論、江漢の写真鏡等に関連があり、別項D論)でも詳しく取り上げる。
 
江漢図の京都御所は、正確に描かれた現地の写生である。
(小塀、通用門、唐門の曲線が正確に描かれている。)

江漢は1812年、京都に6ヶ月以上滞在。
写生する時間はたっぷりあった。

江漢図の山は、この方角に見える「大文字山」と思われる。(カシミール3D)

○広重の京都
東海道名所図会「三条大橋」のコピー。(図 省略)
以上から、モデル/コピー論(どちらがモデルでどちらがコピーか)についての答えは明らかである。
江漢図は広重図のコピーではなく、現地の正確な写生。
したがって「江漢図は広重図のモデルである。」ことが証明された。
江漢図は広重図のモデルであるから、広重図(1833)以前に描かれたもの。

すなわち、ニセモノ説のうち、「明治の洋画」説は消滅し、江漢本人の描いたホンモノ または江漢没年1818から広重図1833の間に描かれたニセモノに絞られた。
ニセモノ説論者の言い逃れ
1997年TV当時は、江漢図モデルの証拠は「藤沢遊行寺」だけしかなかった。
当時、ある広重研究者から、「ニセ江漢が広重図を手にして現地を訪れ、広重図と現地風景の両方を見比べて黒門を描き込んだ」という
可能性がないとは言えないから、ホンモノ説の最終的な決め手にはならない」という意見が出たようだが、無理な詭弁である。また「少なくとも単純なコピーではない」ことを認めたことになり。ニセモノ説共通の根拠が消える。

カシミール3Dによって、最近
始めて現地場所が特定出来た山も多い。この場合(藤沢遊行寺とは違って)ニセ江漢が訪問しようにも場所が分からず訪問しようがないではないか。
このA論では、「江漢図は広重のモデル」を証明しただけで、「江漢のホンモノ」までは検証していない。(→D論でホンモノかどうかを論じる。)

いかし「広重のモデル」というだけで、広重研究者にとっては、「広重図のモデルであることまでは確か」であり、これまでの広重研究がすべて覆る重大な発見のはずであり、「江漢研究者がホンモノというまでは動きようがない」とか「出所がはっきりしない物件は、取り上げない」などとして放っておける事態ではない。

「真実を追求する」ことは、すべての研究の目的のはずであり、10年以上の放置/怠慢は、
広重研究者の良心が疑われる問題である。

<説明者への注意>
現地風景との比較では、「江漢図は正確で広重図は不正確」という説明になり勝ちだが、注意が必要。
ここで証明しようとしているのは、あくまでも「広重図をモデルにしたのでは、江漢図は描けない」ことだけである。

以前のある講演で「遊行寺境内の大イチョウが描かれてない(から江漢図はニセモノ)」と指摘されたことがある由。
これに対する反論は「写真ではなく絵であるから、すべてが正確に描かれる保証はないし、その必要もない。
したがって不正確な箇所をを数え上げても意味がない」ということになる。


議論の目的はあくまでも「江漢図には現地を見ないと描けない正確な風景が含まれている」ことの証明であるから、「現地と較べて正確」な風景を探すことの意味があるが、「不正確」を探しても論理上あまり意味がない。

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