原文資料: 江漢の持論(西洋画論、風景画論、富士論)         
江漢は以前から、西洋画は「写真=真を写す」が目的であること、そのための道具として西洋には「写真鏡」があることを繰り返し論じている。
江漢「和蘭通舶」 西洋画論 1805

・・・画法は支那日本の方と異にして、容易に作ることあたわず、故知ごとくその真を模し、筆法筆勢にかかわらず、濃淡をもって凸凹遠近をなしものなり。絵を作るの器あり、名を写真鏡という.和蘭これをドンケルカーモルと呼ぶ。・・彼の国の書籍は絵をもって説くもの多し。支那日本のごとく、酒辺の一興をなし、戯技翫弄のものにあらず、実用の技にして治術の具なり・・・
江漢「春波楼筆記」  富士山論、風景画論  1811

○吾国にて奇妙なるは、富士山なり。これは冷際の中、少しく入りて四時、雪,嶺に絶えずして、夏は雪頂きにのみ残りて、眺め薄し、初冬始めて雪の降りたる景、まことに奇観とす、・・それ故、予もこの山を模写し、その数多し。
蘭法蝋油の具を以て、彩色する故に、彷彿として山の谷々、雪の消え残る処、あるいは雲を吐き、日輪雪を照らし、銀の如く少しく似たり。

○吾国画家あり。土佐家、狩野家、近来唐画家(南画)あり。この冨士を写すことを知らず。探幽(狩野探幽)冨士の絵多し、少しも冨士に似ず、ただ筆意勢を以てするのみ。
また唐画とて、日本の名山勝景を図すること能わず、名もなき山を描きて山水と称す。・・何という景色、何という名山と云うにもあらず、筆にまかせておもしろき様に、山と水を描き足るものなり。これは夢を描きたると同じことなり。是は見る人も描く人も一向理の分からぬと言う者ならずや。

○画の妙とする処は、見ざるものを直に見る事にて、画はそのものを真に写さざれば,画の妙用とする処なし。
富士山は他国になき山なり。これを見んとするに画にあらざれば、見る事能わず。・・ただ筆意筆法のみにて冨士に似ざれば、画の妙とする事なし。
之を写真するの法は蘭画なり。蘭画というは、吾日本唐画の如く、筆法、筆意、筆勢という事なし。ただそのものを真に写し、山水はその地を踏むが如くする法にて・・写真鏡という器有り、之をもって万物を写す、故にかって不見物を描く法なし。唐画の如く。無名の山水を写す事なし。

江漢の富士論/西洋画論を体現化したのが、写真鏡を使った江漢画帖「由井」の富士である。
江漢が非難する伝統的な富士図  実際の富士を見て描いた写実的な富士図はなかった。
江漢画帖が発見される以前の江漢の西洋画の富士も写実とは言えなかった。
上記の江漢の西洋画論/富士論は口先だけということになり、江漢は言行不一致の「ほら吹き」と評価され、さらに
は「江漢の自筆資料も信用する必要がない」という常識では考えられない江漢研究の基本方針にまでつながった。

 写実的とは言えない江漢の油絵の富士
引退後の五十三次画帖で、江漢は日頃の持論だった「写実の富士」をはじめて描いた。
江漢は「言行不一致」でも「ほら吹き」でもなかったのである。

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