鑑定への反論                               目次へ
TV番組全体としては、江漢ホンモノという流れであるが、番組後半の「顔料鑑定」「筆跡鑑定」では、「ニセモノの可能性が高い」という流れになり、全体の結論があやふやになっている。
  
TV取材では、それぞれの「鑑定」について大畠から批判しておいたが、実際の番組では、全部カットされていたので、鑑定への反論をまとめておく。
(1)顔料鑑定について
「絵画鑑識事典」の「クロム黄」の項を見ると、確かに「上限年代が1820年」とされており、これでは、1818没の江漢が使えるはずがないということになる。

★ところが同じ本の別なページには、次のグラフが掲載されている。14−19世紀の美術品を多数、実際に分析して、どんな顔料が使われているかを調べ、結果を分かりやすいようにグラフにまとめた研究である。(ミュンヘン・デルナー研究所1942 「絵画鑑識事典」より)
クロム黄は、(1800年以前にはまったく使われていないが、)1800-1820の美術品からは、かなりの量が検出されていることが分かる。すなわちその後の研究によるアリバイ崩れである。

江漢で問題になるのは、の辺り(1810-1815頃)。 江漢図に使われていても少しもおかしくはない。

★この本で、クロム黄の上限年代を1820年としているが、多分ミスである。<上右図>
他の顔料では、「発明」の年が上限年代とされているのに、クロム黄だけが「市場(大量生産開始)」年を上限年代とされている。「それ以前には絶対存在しない」というのが「上限年代」であり、「発明年」を上限年代とするのが正しい。
新しい顔料で、一番心配なのは、経時変色である。
最初はきれいな黄色だったのに10年経つとと汚い茶色に変わると言うようなことが起きると、絵の具会社にも画家にも大問題になり、高額な美術品では賠償も大変である。
工場を建てて本格生産に入る前に、少なくとも、10−15年の「試験的に使ってもらう期間」が必要であり、この間にかなりの量のサンプルが流通する。
   
TV番組の鑑定では、基本図書として1942年発行の「Painting Materials」を鑑定の根拠に使っているが、この本では、もっとも肝心の部分で、次のようにいくつもの間違いを犯している。
1972の研究(上記グラフ)の結果との矛盾。−−その後の新しい研究に基づく訂正がされていない。

★上限年代は「発明年」で考えるべきなのに、クロム黄だけは「大量生産開始年」で考えている。不統一というより、ミスであろう。

★この本では「1809年発明」とされているようだが、多分記事の読み間違いである。

別な本(「絵画鑑識事典」)では、この部分が「1809年ヴォークランによって始めて記述された」と記載されている。
1809年になって文献に始めて出てくる」という記事を誤読して、「1809年発明」と書いてしまったもので、よくあるタイプの誤読である。

(追記)ある専門家の文献調査では、この部分の本来の記述は「1809年に研究所の製造設備で生産したクロム黄を一時的に市場に出した」であると報告されている。ビーカー実験によるサンプル作りでは間に合わなくなり、研究所に仮設の製造設備を作って、ある程度まとまった量のサンプルを供給したという意味と思われる。

<誤読の裏付け
クロム元素の発見は、1797年
1797年にフランスのヴォークランによってシベリア産の紅鉛鉱(クロム酸鉛、PbCrO4)から発見され、酸化状態によってさまざまな色を呈することからギリシャ語の(色)にちなんでクロムと命名された。ヴォークランはこの翌年(1798年)ルビーが赤いこと、エメラルドが緑色であることについて、クロムが不純物として入っているためであることを発見した。
ここまで分かっていて、クロム黄(PbCrO4)の発明まで10年以上もかかった(1798→1809)とは思えない。
製造方法を含めた実質上の発明は1797〜1800頃と考えるべきであろう。

特許のない時代新発明は企業秘密企業化の準備が完全に整うまでは、文献や雑誌に公表しないのが普通であろう。すなわち「文献収載年=発明年」とするのは誤りである。

「科学鑑定の公正性」  文科系の人は、「科学」を過信する傾向が強い。
化学分析は誰がやっても同じ値が出るので、依怙贔屓がないという意味では公平である。
しかしその値をもとに鑑定する段階では、どうしても個人差や考え方の違いが出る。上記のように判定基準の信用性の問題もあり、公平だからと言って公正かどうかは分からない。「科学」の過信は禁物である。
(2)署名鑑定について
油絵の具の文字
水墨画や書簡のサインはすべて毛筆なのに、問題の江漢画帖のサインは「粘度の高い油絵の具」を使って書いた文字である。
例えば「サンズイのハネ」は、油絵の具ではうまく書けないので、直線や釣り針状になっている。
「馬の字体が違う」のは、油絵の具に適した字体に変えただけと思われるが、鑑定者がそれに気がついたかどうか。
油絵の具で描かれた小さい文字」の真筆があれば、それと比較すればよいが、中期の江漢の洋画(油絵)は神社の絵馬のような大作が多く、署名文字もポスター文字のようなもので、筆跡比較の対象にならない。

江漢画帖が油絵の具で書かれた文字であることをあらかじめ鑑定者に知らせるべきと提案したが、結局TV局は「鑑定人に予見を与えない」という理由で知らせなかった。鑑定に絶対必要と思われる情報を鑑定者に知らせないことが公正なのかどうか議論の分かれるところである。

しかし江漢画帖55枚の中には、白文字で書かれた署名が何枚も含まれており、鑑定者は毛筆の署名でないことに自分で気が付くべきであった。


江漢作品の署名に出てくる様々な「馬」の字体。どうして江漢画帖の「馬」だけがニセモノなのか
馬の縦棒
鑑定者は、江漢真筆では、「馬」の縦棒が突き出して4つの点の一部を構成していることを、ニセモノ鑑定の根拠として説明した。
しかし江漢の代表作「駿州柏原富士図」1812(下図)など、江漢真作の中にも縦棒が突き出していない署名がいくらでもある。(鑑定者の論法だと、この江漢代表作をニセモノと鑑定してしまったことになり、きわめて軽率な鑑定である。)
素朴な疑問
ニセモノ作者であれば、江漢真筆の字体に似せて書こうと努力するはずである。字体を真似ることは別に難しいことではない。何故江漢が一度も使ったたことのない字体の「馬」をわざわざ使うことでニセモノの疑惑を招くようなことをしたのか、まったく説明できない。
一方、江漢本人であれば、以前の字体通りに書くことにはこだわらず、その時の気分にあった字体や書きやすい字体で署名するであろう。
→→ほかの文字はそっくりで「馬」の字体だけが違うことは、むしろ江漢本人であることを示しているのではないか。
本件の筆跡
鑑定者は、筆跡鑑定の基本を勘違いしているのではないか。
 

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