筆跡鑑定批判                           論考目次へ
2008TV番組で、折角江漢画帖という貴重なテーマを取り上げながら、後半に筆跡鑑定、顔料鑑定を挿入したため、番組全体として「証拠不十分」という印象を視聴者に与えてしまったことが残念であった。

「鑑定によって、明らかにニセモノ」という判定はありうるが、「鑑定でホンモノが証明された」という事例はなく、せいぜい「ホンモノであっても矛盾はない」という補助的な情報が得られるだけである。TV番組で中途半端に鑑定を取り上げたこと自体が間違いである。
ここでは、TV番組の筆跡鑑定の結論・・・「馬の字体が違うのでニセモノ」・・・について批判する。
上図のように、江漢画帖は江漢真物の筆跡とよく似ていることが、筆跡鑑定で言い忘れてはならない最も重要な結論である。
TV番組では、「よく似ている」の部分がカットされ、「〜よく似ている。しかし・・・」のしかし以降だけが放映された。一寸とした編集で全く別な印象を与えることが可能なのである。
字体のわずかな違いについて、どう考えたらいいのだろうか。

(1)「江」「漢」のサンズイの撥ねがシャープでない、あるいは撥ねてないのは、この文字が毛筆ではなく油絵具で描いてあるためである。粘りのある油絵具でも書きやすい字体を選んだのである。
「馬」も、油絵具で書きやすいように画数の少ない字体を選んだのかも知れない。

 ★画帖には白文字で描いた署名(上図)もあり、毛筆でないことは鑑定者に分かるはずである。
(2)鑑定では、「馬」の縦棒が下まで突き出て居るのが江漢の特徴とし鑑定の根拠にしているが、例外も多い。
江漢画帖の前年1812年に書いた「柏原の富士」の署名(例B)も下へ突き出ていない。
また例Cの「馬」の字体は、画帖の「馬」と大差ない。
 江漢の署名には決まった書体はなく、その時の気分や状況で適当な書体を使っている。
 
一般的に考えて
(1)筆跡がまるで違う場合→ それだけでニセモノと判定できる。
(2)筆跡がよく似ている場合/あるいはよく似ているがわずかな違いがある場合→
  2A ホンモノかも知れない。
  2B しかし、ニセモノ作りはまづ筆跡を徹底的に真似る練習をしてから制作にかかることが多いことからニセモノ     かも知れない。
すなわち、筆跡だけでは、2A/2Bの区別が出来ない。すなわちホンモノの証明は筆跡鑑定では出来ない。
今回の筆跡鑑定では、字体のわずかな違いを理由に2Bと判定した。しかし何故2Aでなく2Bなのか、判定の理由が何も示されていない。鑑定者のカンというのであれば、科学的鑑定とは言えず、占い師のやり方と大差ない。
常に2A/2Bの二通りの答えを用意し、依頼主の意向にしたがって好きな方を出すだけという気がする。
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★「字体が違う」というのがニセモノとしてはかえって怪しいと思う。折角ホンモノの筆跡を真似る猛練習をしながら、わざわざ字体を変えることで、疑われる種を作ったことになる。
★一方、江漢本人であれば、まさか正真正銘の自作/自署名がニセモノと疑われることなど予想もしないから、その時の気分で、気軽に字体を変えることも起きるのである。
「署名がよく似ているから2A/2B」と言う議論になれば、「字体が少し違うのは2Aの証拠」になるのではないか。
 
筆跡だけではホンモノの証明は出来ない」というのが筆跡鑑定の公正な評価である。
江漢画帖の場合は、もちろん筆跡だけで証明しようとしているのではなく、ホンモノの証拠は他に無数にある。
「ホンモノの署名とよく似ているから、ホンモノであっても矛盾はない」かどうかまでが筆跡鑑定の限界で、それ以上を判定する役割も機能もないはずである。
もともとTV番組で、限られた貴重な時間を割いて筆跡鑑定を取り上げる価値はなかったのである。
 
 
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