東海道名所図会と伊勢参宮名所図会                    論考目次へ
東海道名所図会(秋里籬山編)は寛政9年(1797)に京都で刊行された日本最初の図会。
京都発から江戸に向かう東海道観光案内。地元の画家約30人を起用して分担させたためだろうか、山の形や地形が驚くほど正確に描かれているのに驚くことがある。

東海道名所図会「吉田」

豊橋駅(新幹線車窓)から石巻山/本坂岳を遠望

東海道名所図会「サッタ峠付近−西倉沢の茶屋」

  カシミール図 左図と同じ場所 中空から撮った映像
左図を写生出来るような足場はない。想像だけで正確に描いているのがすごい。
 
伊勢参宮名所図会(蔀関月編・画)も東海道名所図会と同じ寛政9年に京都の同じ出版元から刊行された。
京都発で伊勢神宮に向かう観光案内なので、京都−関の間は東海道名所図会とコースが重複するが、編者も画家も異なるため絵や内容は別であり、共用されていない。
関月は、独自の東海道名所図会も企画しており、その広告も残っているが果たせなかった。

東海道名所絵図「草津」姥ヶ茶屋

伊勢参宮名所絵図「草津」乳母ヶ茶屋
「保永堂版広重東海道五十三次」(2004岩波)では、伊勢参宮名所図会から「桑名」と「土山」の2ヶ所が転用とされているが、大畠の検討では「土山」はモデルではなく、「京都」「関」「桑名」の3ヶ所が伊勢参宮名所図会からの転用である。

 京都:広重「京都」の三条大橋は東海道名所図会だが、橋の上の人物と背景の山は伊勢参宮名所図会
 :江漢広重とも「関」本陣の全体構図が伊勢参宮名所図会「坂の下」本陣の転用
 桑名:江漢広重とも伊勢参宮名所図会「桑名」から桑名城と帆を半分下ろした帆かけ舟を転用
×土山:江漢広重ともの風景。伊勢参宮名所図会もの風景だが、人物風景その他に共通点がない。
      どちらも「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」の俗謡を絵にしただけで、モデル−コピーではない。

伊勢参宮名所図会「三条大橋」

     広重「京都」部分

伊勢参宮名所図会「坂の下」部分

広重「関」本陣 二本槍 門 定紋入り幔幕 幕の下の宿札・・ 

広重「桑名」 桑名城と帆掛け船の帆の形

×伊勢参宮名所図会「土山」 大名行列ではない普通の旅人の列

    広重「土山」 大名行列  以外の共通点はない。
    伊勢参宮名所図会「土山」は広重図のモデルではない
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