再刻版の謎と江漢の謎 論考目次へ |
広重東海道五十三次には昔から再刻版の謎がある。 「日本橋」「品川」「川崎」「神奈川」「戸塚」「小田原」の6枚について、初版刊行の2−3ヶ月後、まだ十分使える版木を廃棄して、図柄の異なる改訂版に切り替えた。 版木が摩耗して同じ図柄で作り直した場合も「再刻」と呼ぶことがあり、図柄が違う場合は「異版」の方がよいと思うが、こういう例はほかの浮世絵にはないため、再刻版という名称が正しいかどうかも分からない。 最初に読んだ本がたまたま再刻版という用語を使っていたので、私のシリーズでは「再刻版」で通している。 |
TV番組の再刻版 かなり早い時期から、再刻版と江漢図の図柄の間に何か関係があることに気が付いていた。 1997年TV取材の時、記者に話したところ大変興味を持ち、番組の中心に持って行きたいような雰囲気だったのだが、6ヶ月後ビデオ撮りに入ると何故が再刻版の話が一向に出ない。問いつめると、申し訳なさそうな顔をして、実は「ある美術関係者」から「再刻版の謎と江漢図の謎を重ねると収拾がつかなくなるから、再刻版には触れない方がよい」というアドバイスがあり、今回の番組では取り上げないことが決まったという話であった。 その後の研究の経過から見ると、「関連がある」どころではなく、再刻版と江漢画帖を重ねることですべての謎が解ける−すなわち再刻版が謎解きの鍵になっていたことが分かる。 |
再刻版の例 小田原の再刻版 初版では山を間違えていたので、再刻版では箱根山らしく描き直した |
江漢図と再刻版の謎との関係 次のように、いずれも江漢図が直接謎解きに関係しており、謎解きの鍵になっている。 1)日本橋、品川 再刻版で、人数を増やすために江漢図の人物を転用 2)川崎、神奈川 広重が江漢図のデザインを少し変えて描いたところ、版元の気に入らず江漢図通りに描き直しさせられた。 3)戸塚、小田原 広重が最初江漢図通りに描いたところ現地の様子と違っていたため現地風景通りに描き直しさせられた。 当然ながら、「江漢図が先で、広重図の方がコピー」であることを示す証拠にもなっている。 |
再刻版入手の苦労話 再刻版の謎について書いた本は多いが、再刻版の画像を紹介した本がほとんどないため苦労した。 一般の「広重東海道五十三次」画集には載っていない。素人の悲しさで初期の研究では、再刻版のカラー写真を拾い集めるだけで次のように大変時間が掛かった。 品川の再刻版 品川区郷土史の口絵で発見 神奈川の再刻版 高橋コレクション(コレクションに初版が欠落しており、再刻版で代用していた)。 戸塚の再刻版 「海外の至宝」シリーズ ボストン美術館収蔵品 小田原の再刻版 江戸時代図譜「東海道」(平凡社)の小田原がたまたま再刻版を掲載 日本橋の再刻版 カラー版がどうしても入手できず、美術雑誌出版社に依頼 川崎の再刻版 カラー版が入手出来ず、3年後、平木美術館のカタログでやっと入手 初版や初刷りが美術的/骨董的な価値が高いとされるため、再刻版が美術本や展覧会カタログに載ることがほとんどない。謎解きのための基本資料が一般にはほとんど公開されていなかったのである。 現在の再刻版の入手方法 平木美術館カタログ 鈴木重三ほか「保永堂版広重東海道五十三次」(2004岩波) |
確定版 初刻版→再刻版→確定版 再刻版のあと、版木が摩滅して使えなくなる度に、同じ図柄の版木が何度も作り直された。 最終的に確定した図柄を「確定版」と呼んでおく。楢崎宗重著「広重の世界−巨匠の歩み」に白黒版で55枚掲載されている図を「確定版」とした。 四隅の形状が異なり、「東海道五拾三次の内 四十五」のように通し番号が入っていることで簡単に識別できる。 |
上図は「後版になると遠景の山が省略されることが多い・・・」という美術界の常識が正しいかどうか検証したもの。 「保土ヶ谷」(上): 左手二つ重なった山並みの一つが省略。保土ヶ谷は海岸に近く、山々が重なる場所ではない。、後の方が実景に近い。 「石薬師」(下): 後版で山が省略された例として「石薬師」がよく引用されるが、実は何も省略されていない。 誤った記述を、誰も実物を検証せず、何十年もそのまま引用していただけである。 |
新発見 確定版は原則的には再刻版の図柄を継承しているが、日本橋だけは初版の図柄に戻っている。 広重の工夫した「人っ子一人居ない早朝の日本橋風景」が五十三次双六の振り出しにふさわしいことが認められたのである。これも何十年間誰一人気が付いていない。 |