広重双六  東海道富士見双六(神奈川県立博物館) 広重画    論考目次へ
広重自身による東海道五十三次双六が、保永堂版発売直後に、他の版元(和泉屋)から出版されている。
単行本とは別の出版社から文庫本が発行されたようなもので奇妙に感じるが、子供のオモチャは別なジャンルということで、それでいいのかも知れない。

これまで広重研究の材料として使われたことはあまりないようだが、大津/池鯉鮒の初刷り論争や戸塚の再刻版の謎解きの手がかりの一つとして利用した。

 此度新板五十三次続き絵をそのまま細画に・・・
双六の図柄について、次のように想像した。
木版浮世絵は、版元−絵師−彫り師−摺り師の共同作業による総合芸術である。脚本−監督−俳優−カメラマン−大道具/小道具・・・の総合芸術である映画とよく似ている。映画が完成すれば公開に先立って関係者全員を集めた試写会が必ず行われる。
版画の場合も、少なくとも、商品が出荷される直前に、完成した初刷りの一枚を絵師や彫り師に配布して確認/承認を求めるという手続きが行われたはずである。

広重は、手元に届けられた「最初の初刷り」55枚を綴じて大切に保存し、その後の東海道シリーズにも利用した。
この双六は、この55枚綴じを深く考えずに描き写したものであり、初刷りの図柄をそのまま示していると思われる。
個々に確認すると、双六は予想通り、原則として初刷りの図柄になっている。
ただし以下のように2−3の例外があり、それが広重五十三次の謎解きの新たなヒントになっている。
双六の図柄 例を示す  とくに戸塚、池鯉鮒、大津に着目
 川崎: 弓なり船頭 初刻の図柄。  品川: 尻切れトンボの行列 初刻の図柄。 戸塚:馬から下りるは初刻−板壁は再刻
 小田原: 初刻の山の形。  池鯉鮒: クジラ山がなく、森がある。  大津: 逢坂山がない。

(参考)江漢図は山でなく森

(参考)クジラ山入り 後刷り

(参考)逢坂山入り 後刷り
双六の図柄から、得られた知見。
(1)原則として初刷り第1号の図柄。
(2)戸塚だけが初刻と再刻版の中間の図柄
   現地訪問しながら茶屋の板壁を見落としたのは広重のミスであり、広重もミスを自覚していたため手本にない板壁を描き込んだ。
(3)大津と池鯉鮒は、山がないのが初刷りというのが一貫して大畠の主張であるが、双六もその通りになっている。
   とくに池鯉鮒ではクジラ山の位置に江漢図と同じ森が描いてあるのは、(江漢図が広重のモデルであることをを示す)重要なヒントである。
 
追記: 大津/池鯉鮒について「山のない」方が初刷りという大畠の主張の根拠は他にもいくつもある。
徳力富吉郎著「東海道昔と今」(保育社 カラーブックス文庫)
版画家である徳力富吉郎氏が、地方まで探し歩いて選んだ初摺りシリーズが掲載されているが、大津/池鯉鮒に山がない。(下図)
山があるとかないとかの「知識の受け売り」で選んだものではなく、徳力氏が版画家の目「摺りの状態」から選んだ初摺りである。
  (この本には、初刷りを探し歩いた苦労話、初刷りと後刷りの見分け方、初刷りの価値が高い理由などについて詳しく述べられている。)
神奈川−姥島がある珍品 大津−逢坂山がない 池鯉鮒−クジラ山がない

姥島があるのはこのシリーズだけ。
徳力氏の初刷り判定が正しい。
このシリーズの「神奈川」には、他では見られない姥島らしい白い島影が描かれており、初摺りであることを裏付けている。
横浜野毛山付近は当時海だった。その海中に、姥島という岩があり、江戸名所図会に記載、横浜地図類にも必ず明記されている。広重は気をきかして初版にそれを描き込んだが、島といっても岩であり、神奈川台からはとても見えず江漢図にも描いてないので、初摺りのあとすぐ削除したらしい。


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