3−2.追分けからの枝道−大山道                        目次へ
東海道からの大山道は、@柏尾から分かれる柏尾大山道 A辻堂付近の四ッ谷から分かれる田村大山道の二つだが、
追分からも大山道が分かれていたらしい※。  
この「追分け大山道」のルートは、これまでほとんど研究されていない。
和田杉山神社の大山道みちしるべがある。
※橘樹神社の神田不動は宮田町にあった大山不動だと言われている。
※「金川砂子」の追分図と東海道分間延絵図を比較すると、追分けの角に不動堂があったことが分かる。
※広重の東海道風景図会に次の記述がある。「台の西に仙元の人穴見ゆ。大山道の追分も西の方にあり。

東戸塚 熊野神社
大山道
●磯貝長吉氏は遺稿「土に探す」の中で、二俣川付近の大山道道しるべにつながる?としている。

磯貝氏は、保土ヶ谷区と旭区の石仏調査をもとに考察しているが、この時点では市沢稲荷の道しるべが未発見であり、また戸塚区の石仏(道しるべ)も未調査だった。

●その後発見された市沢稲荷の道しるべは、大山道は二俣川とは正反対の方向(今井方向への道)にあることを示している。

●大畠説
今井のゴルフ場を越えて東戸塚西口−川上団地熊野神社へ (→岡津で柏尾大山道に合流)

このルートは、横浜新道/環状2号の工事で破壊されたが、ゴルフ練習場−東戸塚の間は今でもたどることが出来る。
車がやっと通れる程度の坂道である。
(東戸塚熊野神社の氏子は、半数以上が「大山」姓である?)
柏尾大山道 不動堂と道しるべ 田村大山道 不動堂と道しるべ 鳥居 追分 不動堂(確認) 道しるべも?
追分けの角にある小さな建物は「不動堂」であることを確認した(東海道分間延絵図)。
橘樹神社の神田不動は、宮田町にあった大山不動を移設したものといわれている。追分にあった大山不動かも知れない。

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