古道資料1                                 目次へ
 
古い地形図
●迅速2万分 明治13年測量 (拙速)  保土ヶ谷図書館に関東全域揃い 2万5千分に縮尺−現在地図と対比出来る
●正式2万分 明治38年測量 (巧遅) 
大正11年 保土ヶ谷 関東大震災直前 桜ケ丘の開発
昭和6年  保土ヶ谷 桜ケ丘
藤橋幹之氏:「道標とともに(金石誌)」 S57よこれき双書   保土ヶ谷図書館ほか/大畠CD資料(Excel一覧表、アルバム)
道標のある金石誌 
明治の道路名称  保土ヶ谷町地誌(明治25/11刊行) 岡野欣之助著 学童用副読本
東海道  八王子往還  金沢往還  横浜往還  古町往還
その他−−二俣川への道  宮川村(下星川)への道  城郷村(片倉・神大寺)への道
権太坂開削記事(保土ヶ谷区郷土史p1754)  権太坂は昔からあったのではなく、新町より後で行われた工事
境木地蔵堂の堂守りであった喜撰法師藤田喜三郎翁(嘉永四年六月二十三日生まれ、昭和十年没八十五歳)の談によると、権太坂ではなくして権左坂であるという。というのは喜三郎氏の曾祖父の名が権左衛門であり、代官藤原の指図によって二番坂から下を開いたものであり、出来た坂道をその名にもとづき権左坂と名付けたのであると。この坂を開拓して鍬入れの日は万治二年八月十五日であったとの事である。
 
 

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