京都 広重は京都に行っていない。新聞記事の内容説明                             目次へ

広重:京都三条大橋
広重は木の橋として描いているが、豊臣秀吉が作った日本最初の石橋である。広重の重大ミス−行っていない証拠。
  現在の橋は昭和30年代の復原だが、出来るだけ当時の形を残すよう努めている。

  公家の女性
  伊勢参宮名所図会

  日傘を差す武士
   伊勢参宮名所図会
人物や背景の山もすべて名所図会のコピーで、広重自身の取材したものがない。広重は京都に行っていない。

 

由井 「広重図そっくりの風景」が売り物の町だが・・・  インターネット現地カメラあり (由比町ホームページ)
広重図はあまり似ていない。
●富士の右側に水平線はないはず。

●東名と国道1号の作る三角形を、広重図の三角岩に見立てるのはおかしい。

●広重の旅は1832夏とされるが、夏には富士はほとんど見えない。
江漢図は、実景通りである。
江漢の旅は初冬で、積雪状態もそっくり。
  江漢図の方が、ずっと実際の風景に近い。

富士がよく見え、写生したという書簡も残っている。

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