新幹線から見る広重東海道五十三次 2006/2/21記                   浮世絵で見る目次へ
2006/2/13(快晴)伊勢詣りツアーに参加
こだまグリーン車で新横浜から豊橋まで乗車(こだま8号 新横浜7:45−豊橋9:44)
快晴に恵まれて、三島、新富士では見事な富士を観察。
その他下記のように、広重東海道五十三次に関連する風景を車窓から写真撮影できた。
東海道を途中下車しなくても、新幹線からこの程度の風景は簡単に観察できるという意味で紹介しておきたい。
 
府中(静岡)
新幹線/従来線とも、静岡を出て安部川鉄橋を渡るときに、この徳願寺山がよく見える。
この鉄橋には邪魔な構造物がないので、撮影は楽である。
シルエットになることが多いが、この日は光の角度がかなりよく、良い写真が撮れた。

この山の特長は、中腹にあるL字方の地形。この平地部分に徳願寺が建てられており、「徳願寺のある山」「徳願寺山」と呼ばれる。
この山が、広重(府中)の背景の山であるが、これまでの広重研究/東海道研究では、「賤機山」とされていることが多い。
昔からの伝統的な間違いであるが、広重や東海道の「研究者」がほとんど現地を見ていないことの証拠でもある。
さすがに地元の郷土史では、「広重の背景の山は徳願寺山」と明記してある(角川書店「静岡の地名」)。
安部川の渡しの背景は、距離/方角ともこの山以外に考えられない。
広重「府中」には川面にかかる朝霧が描かれている。山容が少し違うのは、山の一部が霧に隠れているためと思われ、カシミール図の一部を朝霧で隠して見ると、広重図そっくりになる。
江漢図の山は実物によく似ているが、全体的に高すぎ、下駄を履かせたように見える。これも朝霧で麓が見えなかったとすると説明できる。(頂上付近を補正した形跡があり、ここだけ少し形が違っている。)

江漢の書簡には、京都からの帰り、「駿府を出てより(富士山が一点の曇りもなく)終始見え申候、是を写し申候。」とある。
逆読みすれば、駿府(府中)にいる間は、朝霧が残って晴れ切れなかったということであろう。
 
舞阪(浜松)
広重「舞阪」には江漢図にはない白い富士が描き加えられていることから、浜名湖から富士が見えるのかどうか研究したことがある。
カシミール3Dで、「低い山々の後ろから富士の頂上付近が覗く」ことが分かっている。
東海道名所図会には「荒井の渡りに富士山を見て」の紀行文がああり、金草鞋ではわざわざ「この(舞阪−荒井間の)海上より富士の山見ゆる」という記事がある。
なお「東海道 今と昔」(徳力富吉郎)には出所不明だが、「舞阪で恥ずかしそうに富士覗き」の古川柳が引用されている。

白富士を描き加えた広重図「舞阪」
2月の旅行で、浜名湖付近の新幹線車窓から、この富士を2−3度目撃出来た。残念ながら写真は間に合わなかった。
頂上だけなので、白富士でなければ富士とは気づかずに見過ごしてしまいそうな形である。
新幹線を降りたあと、たまたま地元のバスガイドから「浜名湖からの富士」の話題の提供があり、山の間から富士の頭だけが覗くという説明があった。「浜名湖から富士が見えるかどうか」は、昔から地元や旅人の関心事であったらしい。

浜名湖から先の東海道では、富士がほとんど見えなくなる。
白須賀の汐見坂に、「富士見の松」の話があり、また「御油が富士の見える西限」という記事もあるが、確認されているのかどうか不明である。
 
二川
豊橋の手前で新幹線は従来線と並行して走る。二川駅の後ろの長い尾根が、広重「二川」の背景の山である。
遠くからもよく見える尾根で、新幹線からでも2−3枚シャッターが切れる。写真の左の建物が二川駅。
「大正の写真集」にも同じ尾根がはっきり写されている。
「広重は東海道を旅していない」ことはすでに研究者の常識だが、その広重が、何故「二川」の山を正確に描くことが出来たのか。
広重東海道五十三次の最大の謎である。
「江漢図のコピー」を認めない限り、永遠に謎は解けず、「広重上洛説」の議論もウヤムヤのまま推移するであろう。
実は、江漢図にも二川の尾根が描かれておらず、江漢図をコピーした」というだけでは、広重の謎は解ききれない。
すなわち新たな謎である。

広重図には多数の「小松」が描かれている。
広重図の小松は、東海道名所図会の「この付近に小松多し」という記述を絵にしただけだが、写真と較べると分かるように「空の部分にまで小松が描いてあるのは何故か」が謎解きのヒントである。
江漢図は二川(三河)ではなく、県境を越えた「猿が馬場」(遠江)の風景が描かれている。
広重図の柏餅は、二川ではなく、猿ヶ馬場の名物であることが以前から知られていた。二川付近の東海道は平地を通っているが、猿が馬場付近では小高い場所を通過している。小高い場所から見下ろした場合、広重図のように「空の部分に小松が描かれる」構図も納得できる。

広重は江漢のスケッチによって二川の尾根の形を正確に知っていたが、二川の地形を知らなかった。江漢図の猿ヶ馬場の風景を、無理に二川の風景に改訂したことから、様々な矛盾が生じたのである。
   
吉田(豊橋)
豊橋駅到着直前に特徴のある形の石巻山が見える。ビルの間からうまく撮影できた。
当時のガイドブックや旅行記に、「この辺りから石巻山が見える」という記事が多い。それほど大きいわけではなく、山々の中の一つなので、案内人に説明して貰わないとなかなか分からないだろう。
東海道名所図会の図は、非常によくリアルに描けていることが分かる。
ただし山並み全体が左上がりになっているのは、「視点を上げて俯瞰すると、左上がりになるはず」という画家の思いこみで補正されたものである。


広重図は東海道名所図会の単純なコピーで山の形は崩れており、どの山を描いたのかよく分からない。
江漢図のような石巻山を見るのは、東海道から外れて数キロ入る必要がある。
東名高速より大山 2006/1/23撮影
厚木ICをかなり過ぎた地点より観光バスの車窓から撮影。やや上流だが江漢図の「田村の渡の大山」とほぼ同じアングルである。
積雪の後だったので、立体感のある大山を撮影できた。
両図: 左肩の稜線が二重になっている部分に注意。この間が登山口で、大山のケーブルカーが通っている。
東海道五十三次「小田原」では、広重は江漢図の「大山」を誤って箱根山として描き、あとで気がついて再刻版で訂正した。

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