「飯盛り」「おじゃれ」「留女」                  まとめ目次へ
十返舎一九の道中ゆきかいぶり(続膝栗毛口絵は、旅で目にする人物群を描いたもの(1813)

続膝栗毛口絵では飯盛りとおじゃれが同じ場所に描いてあるが、説明の位置が中途半端で、「前垂れをした女」と「あか抜けた芸者姿」のどちらが飯盛りで、どちらがおじゃれだが分かりにくい。(左図)

どちらが飯盛りだと思いますか?


飯盛りという言葉の印象とこれまでのイメージから、前垂れをした野暮ったい方が「飯盛り」だと思ったのだが、調べてみると、芸者姿の方が「飯盛り」らしい。

●一九の「飯盛り」が広重「藤沢」橋の上の芸者に転用されている。
広重道中風俗にも「おじゃれ」「飯盛り」「留め女」が登場する。
広重の道中風俗(東海道風景図会)は、一九の続膝栗毛口絵を種本にしている。(1851)

広重図では、飯盛は、田舎っぽい女郎として描かれている。
おじゃれは、「手招きする女」で、本来は私娼/街娼で、非公認の売春婦。

宿場で、飯盛りが公認され、「おじゃれ」の実体がなくなったあとは、「売春」「買春」の意味に使われるようになった。
 「飯盛りを呼んでおじゃれをする。」のような表現

留め女(出女=客引きの女性)も同じようなポーズなので、「おじゃれ=出女」とされることもあるが、これは間違い。
●広重五十三次「赤坂」は副題が「旅舎招婦の図

旅籠の別室で三人の女郎が化粧に専念している風景である。
「招婦=おじゃれ」であるが、場面としては客に呼ばれた女たちが張り切って化粧をしている図であり、ここでは「招く女」ではなく「招かれた女」のようである。

右側で化粧に精出している「飯盛り=おじゃれ=招婦」は、左手で配膳している女中とは別な女性軍で、炊事や給仕などやりそうもないあか抜けた姿である。

飯盛り」は言葉だけで、お給仕は女中(下女)の仕事である。
文献資料から

日本風俗史事典(日本風俗史学会)S55

飯盛り」の項目に
別名「宿場女郎、飯盛り女、おじゃれ、おしゃらく」 すなわち一応「おじゃれ=飯盛り」とするが・・
公用語は「食売女」 「ただし用語については各地方別の研究が必要」とある。
●宮武外骨:猥褻風俗辞典(河出文庫)

飯盛り」:宿場女郎を言う。飯盛女の略なり。「くぐつ、出女おじゃれ、・・」などの普遍名称も多い。
おじゃれ」:宿屋の女−旅人その家に泊まって「伽におじゃれ」といえば寝に来る故、おじゃれという。

出女は出迎え女の略にて客引き女の意味。
出女を「おじゃれ」と読むのは言葉の意義上適当でない。

●「おじゃれ」は「こちらへおいで」という意味なので、「招き女」などと当て字する。

(一方、「吉田通れば二階から招く しかも鹿子の振り袖で」の俗謡からの連想で、招く女を「客引き」の意味に使うこともあるが、二階から招いたくらいではお客は泊まってくれないので、「二階から招くはウソでしがみつき」(古川柳)という強引な留め女になる。)
●林美一「艶本東海道五十三次」:「おじゃれ」の説明はないが、引用文献のあちこちに「おじゃれ」が出てくる。

1)東海道名所図会「関」
「関に泊まっておじゃれ(招嬬)を買う」という狂歌が紹介されている。安女郎のことらしい。

2)東街道五十三次 (淫水亭開好)「水口」
「明日ははや京都入り、道中のおじゃれも今夜限りと、めしもり二人呼びて、大洒落にしゃれ・・」この文脈では、「女郎を呼ぶ」行為/買春行為のように思われる。

3)「旅枕五十三次」岡崎に「昔より遊女の名高く、ここもおじゃれ(妓女)のよそおひ一風あるて心にくし。」とある。岡崎は岡崎女郎衆で有名でレベルの高い女郎だったらしい。おじゃれは芸者の意味。

4)石部:(石部宿には飯盛りが置いてなかった。)
昔は「赤前垂れのおじゃれ」が出たという老人の思い出話。おじゃれは私娼の意味で、赤前垂れに意味がある。
○太田南畝「改元紀行」・・石部の宿に着く。・・この宿の辺りよりして、赤前垂れしたる女多し、男もまま見しこと多し。・・(赤前垂れは売春婦のシンボル衣装であるが、ボロ隠しの意味もあるらしい。)

○前垂れの裏付け:三田村鳶魚「江戸の女」−
「水茶屋の女」の章:前垂れは炊事や給仕のためや着物を汚さないためのものではなく、貧しい着物を隠して華やかに見せるためのもの。
それが高じて着物以上に金を掛けたり趣向を凝らしたりするようになり、それが一般女性まで流行した。
○東海道の宿場では、飯盛りだけが公認で、遊郭は許可されなかった。品川だけが東海道の起点なので何かと費用がかかるため例外として許可されていた。

城下町は幕府の道中奉行の管轄外であり、大名の方針次第であった。府中(静岡市)の二丁町はとくに有名で、旅人も利用した。吉田(豊橋)、岡崎も城下町で、岡崎女郎の名は有名である。
 
<まとめ>
「用語に混乱があるが、以上の諸資料から、とりあえず次のように理解しておく。

1)本来の「おじゃれ」は、道ばたで男を招く私娼、街娼−−非公認の売春婦の呼び名だった。

2)宿場の規則が整備されて、売春が「飯盛り」が公認されたため、私娼の実体がなくなり、「おじゃれ=飯盛り=売春」の意味になった。
本来は「手招きする女=招く女」の意味だったのが、泊まり客から「招かれる女」の意味にすり替わった。

3)城下町以外でも、歓楽的な雰囲気の強い宿場があり、遊郭はなくても芸者は必要であり実際に居たはずである。(江ノ島を控えた藤沢、三嶋女郎衆で有名な三島、御油、赤阪・・「御油、赤阪と吉田がなけりゃ何のよしみで江戸通い」東海道旅の楽しみの一つだった。)

本来、芸者は飯盛りと明らかに違うはずである。
飯盛りは文字上は「給仕の女中」であり、芸者は三味線を弾いたり歌ったり踊ったりするのが商売である。
しかし建前上は飯盛り以外許可されなかったため、宿場の芸者は「飯盛り女郎」というのが正式名称だった。


本来飯盛りは各旅籠に二人しか置けない事になっているが、広重「赤阪」図は3人ですでに違犯している。
観光地の芸者は、「旅籠毎に二人」の規則では間に合わないはず。宿場全体で数が合えばよいなど、何かの便法があり、置屋のような場所から客の注文に応じて宿に派遣していたに違いない。

4)神奈川の茶屋: 林美一「艶本東海道五十三次」によると、神奈川台に並ぶ茶屋は旅籠ではなく高級レストランで、芸者を呼ぶことが出来た。売春目的ではなく、歌や踊りのサービスなら禁令には触れなかったらしい。

江戸時代の旅行案内の神奈川の項では「通いの芸者は自由にならないが、宴会が終わった後、意気投合しての自由恋愛は本人次第・・」というニュアンスになっている。自由恋愛という便法を使えばいろいろ融通が効いたのであろう。

5)風俗辞典では、留め女(出女)など客引きの女性を「おじゃれ」としているが間違い。多分江戸当時からの間違いであろう。
「おじゃれ(招き女)」と「吉田通れば二階から招く」のイメージから「手招きで客を呼び込む女性=おじゃれ=留め女」と考えた人もいるのであろうが、おじゃれと留め女ではイメージが違いすぎる。
(追記) 一九の図に、おじゃれ=「逆旅女」とあるが、逆旅は「旅籠=はたご」と読むらしい。
 

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