マハーカーラの謎5  青面金剛のオリジン                       マハーカーラ小目次へ
青面金剛は庚申塔や庚申の掛軸に描かれる神様だが、謎だらけで、庚申の神様ということ以外何も分かっていない。
青面金剛とヒンズー教のシヴァ神には共通点が多い。 髪に隠れたヘビ、額の「第3の目」、三叉戟・・・
  
  
ヘビの巻きついた棒

金輪院のお札 ヘビの巻き付いた棒
青面金剛(儀軌)の最も特徴のある持ち物である「ヘビの巻きついた棒」は、シヴァのリンガから来たもので、下図のようにヘビが巻き付いている。

リンガは男根信仰、巻き付いたヘビは子宮を表す。
シヴァの寺院では、信者から寄進された無数のリンガがずらりと並ぶ風景が見られる。

インドのシヴァ像(部分) シヴァリンガ
ただし、共通点が多いからと言って「青面金剛の起源はシヴァ」と考えるのは早計である。
仏教では、ヒンズー教のシヴァに対抗するために、シヴァの姿をそっくり真似て、マハーカーラという神(仏教の大将軍)を創った。
そのマハーカーラが、様々な経過を経て青面金剛となった。すなわちシヴァ→マハーカーラ→青面金剛 であり、青面金剛の原型はマハーカーラなのである。
★マハーカーラは、中国/日本では明王(不動明王など)に進化した。
かって「不動明王はシヴァである」という説が唱えられ、学会でも真剣に議論されたことがあるが、「不動明王=シヴァ」説は基本的に間違いである。
ヒンズー教のシヴァの姿を真似て、シヴァの対抗馬である仏教の大将軍マハーカーラが創られ、そのマハーカーラが不動明王に進化した。
姿が似ているのは当然だが、シヴァのデザインを借りただけであり、それだけで判断してはならない。
★マハーカーラは、インド/チベット/蒙古ではそのまま残り、後期密教では様々な姿のマハーカーラに展開した。
儀軌の青面金剛として知られている姿は、チベット/蒙古のマハーカーラ(最もポピュラーな6手マハーカーラ)と酷似している。

4肢に絡む四匹の赤大蛇

 チベット寺院の6手マハーカーラ
象の生皮を剥いで背中に着る
マハーカーラと青面金剛には経典や教義上のつながりは全くない。マハーカーラの図像が一人歩きして中国に伝わり、ヘビやドクロで飾られた怪奇な姿から、病を流行らせる悪鬼/病魔の姿として誤伝されたものと思われる。
    青面金剛は病を流行らせる悪鬼だったが、後に改心して病を駆逐する善神に変わったとされる。(渓嵐拾葉集)
大正時代に蒙古のラマ僧が訪日した際、護国寺境内で青面金剛を見て「これはマハーカーラである」と言い張って譲らなかったというエピソードがあり、喜田貞吉氏はこれをもとに青面金剛=マハーカーラ説を唱えたことが、三輪善之助氏の著作に紹介されている。
マハーカーラ説は大正時代からあったのだが、蒙古のマハーカーラとはどんな姿なのか追跡調査しようとした研究者は一人もおらず、100年間そのままになっていた。
  ★元の時代にチベットの仏教(ラマ教)が蒙古に伝えられた。蒙古のラマ教はチベットとほとんど同じで、上図が蒙古でも最もポピュラーなマハーカーラである。
青面金剛進化論   その後の青面金剛(詳細は別項
儀軌の四手青面金剛は、青面金剛のモデルの一つである。
江戸中期以降の関東地方では、四手を避けて六手像を作ることが多く、「四手像は病を流行らせる悪鬼時代の姿」として嫌ったのであろう。ただし関西の大津絵は一貫して四手像であり、初期の石仏や地方の石仏(例えば九州国東半島)でも四手像も多数作られていることから、悪鬼として四手像を避けるのは関東地方の石工仲間の伝承と思われる。
                儀軌青面金剛以外の青面金剛モデル
    
  金剛夜叉明王       (正面)金剛夜叉明王(東大寺)    左図の改良(四天王寺絵図)  金輪院掛け軸 夜叉の下げるショケラ

これらのモデルの組み合わせから様々な青面金剛像が工夫され、次第に六手剣人型と六手合掌型の二つに定形化された。
   
  大津絵(四手)         庚申のお札              六手剣人型            六手合掌型
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