神奈川の道祖神(3) 僧形合掌型のデザイン 双体道祖神の起源       TOPへ道祖神トップにもどる   
単純な図柄の地蔵立像を二体同じ画面に並べる。
六地蔵石憧や六地蔵を三枚の板に分けて彫るような場合によく出てあるケースである。

二体が少し離れていれば何の変哲もない(1図)
ところが二体の地蔵をぴったり近づけると(2図)→→不思議な図案が浮かび上がる。

六地蔵石憧

六地蔵(3枚組)
1図
2図
3図
袖の部分が女陰の形になる。

4図
二つの丸い頭を含めた線が男根の形になる

すなわち女陰と男根の組み合わせで、陰陽石と同じ図柄になるのである。

3図
4図

寛文の神奈川道祖神
以上の仮説により、これまで謎だった性神としてのA→B→C→Dの連続性が簡単に説明出来たことになる。
       
双体道祖神は、陰陽石の形を巧みにデザインしたものだったのである。
以上のうち、双体道祖神の袖の形が女陰を表すという見方は以前からあったらしい。
「山村の浮世絵(道祖神)」(1991KKベストセラーズ発行)中に加藤孝雄氏(日本石仏協会)の「山梨県の道祖神」について
女陰袖:・・互いの片袖が垂れて女陰をかたち作るので、ことさらに彫り込んだ例もあるが、気づく人は少ない」という短い文章が見られる。
(神奈川と違って、山梨県には男女像しかないので、男根の図柄までは気が付かなかったらしい。)
(参考)
大黒天の研究書によると、「俵に乗った大黒様」の図柄は男根を図案化したものだそうである。
大黒天が俵に乗るのは室町時代以降であり、江戸初期にはこのことが知られていた。
初期双体道祖神についての上記の私の説は、この大黒天の見立てが重要なヒントになっている。

笹間良彦著「大黒天信仰と俗信」より

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