江漢/広重東海道五十三次の研究 目次 ホームページ用  2004年/09月版     
 江漢五十三次概論                   「広重、東海道を旅せず」の検証
 まえがき  カシミール の説明                   
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議論のまとめ(小目次へ)
    広重五十三次の謎の解明 
   
モデル/コピー論
   
   
江漢真筆との共通点
   
江漢真筆の直接証明
              
結論   江漢五十三次の成立
      
広重五十三次の成立
           
広重五十三次の新たな謎
原文資料  江漢の引退事情
           江漢の冨士論、写真論     
〒240-0011 横浜市保土ヶ谷区桜ケ丘1-10-13   大畠洋一     
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追記  広重53次双六   国定美人画53次  江漢図のフィクション  原作(原画)問題の考え方   初期の議論   
東海道五十三次 「蒲原
広重図と江漢図は全く同じ図柄、どちらかがモデルでどちらかがコピーであることは確かである。
ところが、現地風景や地形図は江漢図とそっくり。 どちらがモデルか一目瞭然である。

カシミール3D(3D地図ソフト)による現地地形図
江漢図
広重東海道五十三次と司馬江漢五十三次画集 まえがきより               
世界的な名作と言われ、郷土の歴史や東海道ロマンのシンボルとして、多くの人に親しまれている広重東海道五十三次に、最近モデル(原画)とされる司馬江漢の東海道五十三次画集が発見された。

55枚のうち50枚が全く同じ図柄であるから、偶然の一致ではなく、どちらかがモデルで他方がコピーである。
司馬江漢(〜1818没)は広重五十三次(1833刊行)より前の時代の人物だから、江漢の署名が本物なら、江漢図は広重東海道五十三次の原画ということになり、これまでの広重研究は根底から見直す必要があるという美術界の大事件である。

一見、江漢図は広重図を単純に模写しただけのように見える。発見当初は後年(明治20年頃)、誰かが面白半分に広重図を単純模写したニセモノと思われていた。
ところが絵の内容を細かく見ていくと、江漢図は現地風景の正確な写生であり、あるいは時代考証上正確であって、広重図の単純コピーではないことが次第にはっきりしてきた。
  (1)江漢図/広重図のどちらがモデルでどちらがコピーか
  (2)江漢図の出現で、従来から指摘されていた多くの「広重東海道五十三次の謎」が解けるか
  (3)広重は本当に東海道を歩いたのか。
  (4)江漢五十三次は何時どのようにして作られたか。
  (5)江漢図がニセモノだった場合、ニセモノ作りの動機目的は何なのか。
謎解きは、江漢図、広重図、参考図を見比べ、微妙な相違点と共通点を見付ける事から始まる。
  
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