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★江漢の真贋と、広重五十三次のモデルとは別々な問題であり、分けて議論する必要がある。
  仮に江漢のニセモノであっても、広重以前の作品であれば、広重五十三次のモデルになりうるからである。
1.江漢図が広重五十三次のモデルであることの証明
1−1 広重五十三次の謎の解明 江漢図をモデルと仮定することで、長年解けなかった「広重東海道五十三次の謎」が次々に解ける。
(再刻版、異刷りの謎 、写生場所の謎etc)
1−2 モデル/コピー論 常識的には、現地風景や現地情報に近い方がモデルである。
江漢図は広重の単純コピーではなく、カシミールによる現地風景にそっくりである。
2.江漢の真作であることの証明
江漢図が広重五十三次のモデルであることの証明は簡単であるが、江漢図の作者が江漢本人であることの直接証明はなかなか難しい。次のように段階的に攻めていくことになる。
2−1 江漢作品との共通点 「共通点がない」ことがニセモノ説の根拠の一つになっている。
よく探せば同一人である以上、共通点が見つかる。
2−2 江漢の冨士論 江漢は日本の伝統的な冨士の描き方を批判し、写実的な冨士を推奨した。
江漢画集の冨士は、明らかに江漢持論の写実的な冨士である。
2−3 江漢真作の直接証明 江尻の海上からサッタ山の姿が、西遊日誌挿し絵のサッタ山と一致。
「本人しか知らない情報」なので、江漢真作の貴重な直接証拠である。
2−4 ニセモノ説の批判 1)ニセモノ説の矛盾−−動機が分からないetc。
2)「ニセモノ説の裏付け(画題、画法、画材)」の間違い。
3.五十三次画集の成立事情
3−1 江漢五十三次の成立 1812年京都からの帰路、「写真鏡」を使って取り込んだ風景をもとに、翌1813年
の隠退後、仕上げたもの。実験的な手法なので画風が違うのが当然である。
3−2 広重五十三次の成立 「真景」を売り文句にした商品。原則として江漢図を写したが、江漢図を手にして東海道の一部を調査
し、現地情報と違っている場合は修正した。
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