江漢の真贋  西遊日記のさった山              議論小目次へ     総目次へ  江尻にもどる
◎重要 一見地味な資料だが、江漢真物の直接証明である。

西遊旅潭と西遊日記は同じ長崎への旅をまとめたもの。2枚の挿し絵は同じ場面で説明文も全く同じだが、「さった山+西倉沢尾根」の形が違っている。この二枚の絵の間に、「さった山」の形が江漢の頭にインプットされたのである。「江尻」のサッタ山の形は「本人しか知らない情報」であり、「江漢図(1812京都からの帰路のスケッチ)」と「西遊日記(1815頃整理)」は同じ人物が描いたという直接の証明である。
江漢「久能山からの冨士展望図」作品集 年代順   現地取材は1788と1799の2回?
1788長崎の旅 1789年正月博多にて
     1788長崎の旅 1789年3月京都にて
1788長崎の旅 西遊旅譚挿し絵 1794刊行
参考 カシミール図 サッタ山は山々の下に埋もれている。
1799高野山の旅の取材 スケッチ(第2回取材)
同上スケッチをもとにした作品 1799京都にて
同上スケッチを元にした眼鏡絵(鏡像をパソコンで反転)
1812京都からの帰路 海上より写生したサッタ山 稜線に突き出る。
1815頃江漢が清書した西遊日記挿し絵 上図と同じ構図だが
左図のサッタ山が導入された。 
サッタ山へのこだわり  江漢図は興津駅東南東の海上2kmからの写生。陸上からだと薩垂山のピークが稜線上にうまく出てこない。
「薩垂峠の冨士」はとくに江漢の得意な画題。江漢は薩垂山にこだわり、薩垂山が目立つ地点を船をチャーターして探し歩いた形跡がある。  

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