箱根                                目次へ
広重箱根図の写生場所については明治以来謎とされており、とくに中央の岩山について、結局広重の空想の産物というのが定説になっている。
一方、江漢図の構図は広重と全く同じであるが、箱根を見慣れた人には写生場所は一目瞭然、
恩賜箱根公園
(塔ヶ島)の展望台(箱根関所隣りの大駐車場から直接階段で上れる)からの眺望である。
背景の山は駒ヶ岳。この位置にある岩山は塔ヶ島(下図)である。
カシミール画像:塔ヶ島の展望台から芦ノ湖と駒ヶ岳
塔ヶ島展望台
写真と江漢図の比較
左寄りに入り江が見えることに注意。実際に入り江があるわけではなく、このアングルから見ると入り江のように見えるだけであり、江漢の写生場所がここであったことの証拠の一つ。


塔ヶ島は撮影者の足下にあるわけで、当然写真には写らない。
江漢は、当時の旅人に愛用された携帯用の地図「東海道分間絵図」(右図)の塔ヶ島のイラストを重ねて合成した。
(この江漢五十三次画集には現地写生をベースにしたモンタージュが各所に見られる。)

江漢が富士山の位置を右にずらしたことは分かっていたが、それほど大きく動かしたわけでもないことがカシミールから分かる。

  東海道分間絵図(元禄3)の塔ヶ島
広重は江漢図をもとにに大胆なデザイン化を行ったため、箱根のどの場所を写生したのか後世の誰にも分からなくなった。
とくに岩山について,二子山や駒ヶ岳のイメージだとか、現地にこんな岩山はないとかいろいろ議論されたが、江漢図を見れば関所のすぐ近くにある塔ヶ島(恩賜箱根公園)であること、岩山を除いた風景が塔ヶ島の展望台からの展望であることは一目瞭然である。
★「ニセ江漢が、広重図を手にして現地に出掛け、正確に写生した」という反論(ニセ江漢再訪説)は、ここでは成り立たない。
広重図から現地にたどりつけないことは、明治大正以来の実績で証明済みである。
したがって、「現地風景に近い方が原画」という単純明快な結論しか考えられない。
池田満州夫氏はTV番組の中で、広重の箱根について「自分の経験から考え、実際の風景から一足飛びにこんな大胆な絵が作れるはずがない」とし、中間の原画の存在を暗示した。池田氏の画家としての直感が証明されたことになる。
広重の箱根についてのこれまでの評論

★「箱根のいずこの地点からこの図を描いたか・・・しかしあえてこの地点を探すことは広重の作図精神を知るものにとっては徒労に等しい。広重化された印象画にすぎないからである。」(近藤市太郎「広重東海道五十三次」S35)

★「芦ノ湖岸、峰巒重畳森立すといえども、この図に見るが如く峰頭突コツ峭壁削立するものなし。おそらくは駒ヶ岳の山容を描くに広重殊更奇警飄逸の筆を弄びしにあらざるか」(大正の写真集解説)

★「この角度に湖と富士が見え、このような山がそびえているところはない。いくつかの実景印象を取り集めたにしろ、箱根を越えたときの実感がこめられている。」(集英社:「広重東海道五十三次」)

いずれも広重の空想の産物であることが強調されており、それがこれまでの定説であった。

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