カシミールで見る平塚−高麗山と冨士      目次へ        
平塚宿から見た冨士山と高麗山。
最初は、下図のように別な方角に見えているが・・・

宿を出たところで東海道が高麗山の裾を回るようになるために、
急速に接近し、古花水橋(広重図の土橋)で高麗山に隠れる。
広重図は冨士が高麗山に隠れる瞬間を描いたもの。
広重図「平塚」は「消え冨士」を描いたもの
場所を特定するために古花水橋の土橋が描き加えられている。
更に少し進むと、高麗山は二つの峯に分かれて馬の背状になる。
もちろん冨士は見えない。江漢図はこの場所を描いたもの。
            (高麗神社付近)
江漢図「平塚」 右の道は高麗山の裾をまわる「秦野道」
以上から、江漢、広重とも背景の山は現地で写生したことがよく分かる。ただし前景は同じであるから、独立の絵ではない。
「広重は東海道を歩いたのか/江漢図をコピーしただけか」という議論があるが、平塚で見る限り無意味である。
       結論:広重は(江漢図を手にして)東海道の一部を歩いている。

   古花水橋交差点からの高麗山と冨士

    馬の背の高麗山
 
「高麗山と消え冨士」の連続写真
現在、この程度の風景を写真に撮ろうとしても、町の家並みに邪魔されて冨士の見える撮影場所がほとんどない。
また富士山が見えるのは冬期に限られ、冨士がきれいに撮れる日は1年に数日しかない。上の白冨士の写真1枚を撮るために平塚に3日も通った。・・・居ながらにして「連続写真」が撮れてしまうのは、まさにカシミールの威力である。
カシミール技法の位置づけ

モデル−コピーを議論する場合、江漢図Aと広重Bを見較べるだけではほとんど何も分からない。(ABどちらが上手かなど無意味な水掛け論になるだけである。)
例えば「藤沢」について、広重図にはない山門や参道が江漢図に正しく描かれており、「Aの方が現地風景Cに近い」、「BをコピーしただけではAは描けない。→現地Cを見なければ描けない」とか議論されていた。こうした形で論じるのが直接的であり、誰にも分かりやすい議論になる。
しかし実際には、現地風景Cが入手困難なケースがほとんどである。カシミール以前には議論に使える現地材料がきわめて乏しかった。
現地風景が入手しにくい理由
 1)開発による変貌が激しい。
 2)家並みなど人工物が立ち並んで写真が撮れない。
 3)富士山など冬季の快晴の日しか撮影できない。(季節/天候の制約)
 4)写生場所の特定が困難。(時間の限られた現地訪問では地元の説明に頼るしかない。)

カシミールでは、以上の制約一切なしに、居ながらにして写生場所の探索、特定、撮影が可能であり、入手困難だった多数の現地資料Cが得られた。 カシミールは東海道五十三次研究のための究極のツールである。

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