各論一覧 カシミールによる現地資料の大量追加 目次へ |
1997年のTV放映時点では、今から考えると、賛否両陣営とも決め手になる証拠をほとんど持っておらず、議論が水掛け論に終わったのは当然であった。番組の中で今でも生きている議論は「藤沢」と「戸塚」くらいであり、それ以外は一旦頭から消してもらった方が分かりやすい。 以下は、これまでの議論の蒸し返しではなく、すべて新しい資料による議論である。 ◎江漢図の一部は広重初刻よりも再刻版によく似ている。江漢図の議論には再刻版との比較が欠くかせないはずだが、TVでは再刻版の議論ががそっくり脱落していた。江漢モデル説を取れば再刻版etc広重五十三次のの謎は簡単に解けてしまうことが分かった。 ◎TV以降もの1−2年の間に、時代考証や江漢の引退事情など江漢モデルの有力な証拠が相当数追加され、理論固めが進んでいた。 ◎2002年7月、新たなツールとして「3D地形図閲覧ソフト−カシミール」が導入され、これまで入手困難だった現地風景と写生場所を示す資料が一挙に大量に入手できた。ほとんど決め手と言ってもよい。(カシミールによる資料 下記一覧表の●と▲の項目)。 どちらがモデルかという議論にとどまらず、江漢図の成立事情、広重図の成立事情まで、すべての謎がこれで解き明かされたように思われる。 |
これまでの議論との関係 | |
本稿は、對中本やTV番組からの意見の転用を含んでおらず、すべて筆者のオリジナルな資料と見解に基づく主張である。 對中本の議論及びそれを継承したTV番組の議論を聞き慣れた人のために、「江漢画集の真贋問題はずっと以前にけりがついている」などとと思われないよう補足説明しておく。 |
對中本の議論及びそれを継承したTV番組の議論では @江漢は科学者であり旅の画家であるから写実かつ正確。 A広重はこれを書斎でコピーしただけだから不正確。 と言う前提で資料を集め、議論を展開している。 「江漢は正確」を強調し過ぎたため、その反動として「江漢図も正確でない」事例が反論としてインターネットなどで列記されることになった。 混乱しないために、過去の議論は一旦忘れて頂いた方がよいと思う。 |
その後の検討で次のようなことが明らかになっている。 @江漢の隠退後/最晩年の作品。すでに健康を害して長旅は不可能だったため、一部東海道名所図会などの資料に頼っている。全盛期の江漢の話を持ち出してもほとんど意味がない。 A江漢には「正確に描かねばならない」という事情も意志もない。むしろ、実際上あり得ないフィクションを承知の上で描き込んでいる箇所がいくつもある。(風景は正確でも人物や点景に故意のウソが目立つ。) 多分人生最後の作品として、生涯の思い出や思い入れを描き込みたかったのであろう。 B広重側には「真景」を売り物にした商品というはっきりした目的があった。 現地風景の確認ほか様々な手段で資料を収集し、江漢のウソや江漢以後の変化を訂正しようとしている。 そのために広重は江漢図を手にして東海道の一部を歩いていることも確かである。 以上から「どちらが正確か」というだけの単純な議論は意味がなくなった。 |
江漢図も広重図も写真ではなく絵であり、常に正確という保証はないから、「どちらが正確か」の議論は意味がない。 議論の第1ポイントは「江漢図は広重の単純コピーではない」「江漢図には、広重図のコピーだけでは描けない正確な現地情報が含まれている」ことの証明である。 第2のポイントは「江漢モデル説によって、長年の広重五十三次の謎(再刻版の謎など)が次々に解ける」ことである。 −−對中本やTVでは広重再刻版をまったく取り上げなかったため、第2ポイントの議論がそっくり抜けている。 ★一方、広重は「真景」の立場から、江漢図の誤りや時間経過を修正する努力をしており、広重図には「江漢図のコピーだけでは描けない正確な現地情報」も当然含まれている。 |
對中本は、まだ議論が未熟な時期の出版物で、今から振り返ると無理な主張が多い。 以下のような主張はすべて誤りである。(インターネットの指摘に同意。筆者も早い時期から間違いを指摘していた。) 「広重は発禁の恐れがあったため京都と宮で朝廷を扱うことを避けた。」 「早朝日本橋を出て、品川で夜明けはおかしい」 「田植えと凧揚げが同時に描かれているのはおかしい」 「江漢は旅の画家であり科学者なので正確・・云々」etc TVでは両陣営が喧々がくがくの議論をしているように見えるが、今となってみると、ほとんどが無意味な議論である。 ◎ただし對中氏の基本的な疑問「ニセモノ説ではニセモノ作りの動機の説明できない」「本物にまるで似ていないニセモノはありえない。」は今でも重要で、ニセモノ説への基本的な反論である。 |
論理的に考えれば分かることだが、(1)江漢の真贋問題と、(2)広重図のモデル問題とは、直接関係がない。 例えば江漢の弟子が江漢の印形を手に入れて師匠のニセモノを作った場合、それが広重以前であれば、十分広重モデルになりうるのである。これまでの議論では、この二つを同時に議論しようとしていたため、議論に混乱が見られた。 「もし江漢の真筆であればこれまでの広重研究を根底からくつがえす重大事件である。」は正しいが、逆は真ならずで→「江漢研究者が本物と認定しない以上、広重研究で取り上げる訳には行かない。」はあやまりである。 本稿では二つの議論をきっちり区別して進めているつもりである。 |