保土ヶ谷宿の成立と交通路の変遷       CD総目次へ
東海道成立以前の保土ヶ谷交通路および保土ヶ谷宿について総合的にまとめた。
これまでの保土ヶ谷郷土史ではこの部分の研究がすっぽり脱落している。
何故、保土ヶ谷の地に宿が成立し発展したかという基本的な理由についても謎のままであった。
これまでの定説や常識との違いを示すキーワード
(1)古町橋は通れなかった。
(2)権太坂はなかった。
(3)今の元町は元町ではない。
目次 
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学説の変遷(これまでの学説)

交通路と宿場の変遷 
  図解1
  図解2
  総合まとめ

文献資料

海抜2mの関連資料

保土ヶ谷の古道

鎌倉古道について
石名坂

追分け
相州道
大山道
今井の鎌倉道

太田道潅時代の交通路
ぐみゃうじ道を探る

保土ヶ谷史の間違い
まづ下の図をクリックしてみてください。

インターネットのホームページと同じHTLMファイルで「電子本」としてまとめた。電子本ではカラーの画像がふんだんに使えるのが嬉しい。

これまで80ページ程度の小冊子でまとめていたが、コピーや製本にかなり手間がかかるので電子本として見た。少し無理をしてフロッピーディスク(FD)に入る大きさに編集してある。FDのコピーはきわめて簡単なので、再コピーして出来るだけ多くの人に配布していただくことを期待している。(再コピーも自由です。)
著者紹介 大畠洋一 1935年生まれ  
〒240−0011 横浜市保土ヶ谷区桜ケ丘1-10-13
           tel 045−332−1922
早稲田大学応用化学科卒 1995年日産化学工業退職

東海道研究 郷土研究 石仏研究
日本石仏協会 保土ヶ谷宿400倶楽部

「江漢/広重東海道五十三次の研究」
「青面金剛進化論」「横浜周辺石仏地図」
「桜ヶ丘の歴史」「保土ヶ谷の交通と宿場」

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