青面金剛進化論                石仏Lbr目次へ

本著は「日本の石仏」誌に掲載された青面金剛とショケラに関する筆者の報文をまとめ、関連図面と資料と若干の解説を補足したものである。
これまで80ページ程度の小冊子の形でまとめてあったが、コピーと配布を簡単にするため、インターネットのホームページと同じHTMLファイルとし「電子本」として読めるようにした。電子本だとカラー写真がふんだんに使えるのが嬉しい。
冊子と電子本を読み較べた読者から、電子本の方がずっと分かりやすいとおほめを頂いたので、今後は電子本を中心に整理し、配布するつもりでいる。


左:六手剣人型 右:六手合掌型
目次 クリックしてください。

第1報  青面金剛のオリジンを探る
第2報  同 補足 ショケラについて

第3報  神奈川南部の石工の系譜(片手サルほか)    
第4報  江戸青面金剛の起源−ショケラを持つ薬叉
第5報  リビュー「青面金剛進化論」
      (日本の石仏100号記念特集号掲載)

マハーカーラ論
剣人型の成立
日月奉持型青面金剛
三猿庚申塔
庚申資料  窪徳忠氏抜粋 金輪院庚申縁起 ほか       

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  戸塚の鎌倉道道しるべ 「日本の石仏」89号(99春)掲載記事
大津絵青面金剛
天神の牛
 ショケラ(金輪院掛け軸より) 青面金剛の謎                           
日本の石仏石碑で圧倒的に多いのが庚申塔であり、全国津々浦々に多数存在する。
庚申塔は様々な形で作られるが、もっとも多いのが青面金剛(しょうめんこんごう)像であり、庚申の主尊とされている。
ところが日本でもっともポピュラーな石仏であるこの青面金剛は多くの人が関心を持って熱心に研究しているにもかかわらず、その正体が未だにはっきりせず、謎だらけの神様である。
これまで青面金剛の謎とされてきたものを挙げておく。

(1)儀軌の四手青面金剛像がほとんど作られなかったのは何故か
(陀羅尼集経九 大青面金剛呪法に文章で詳しく示された青面金剛の姿)

(2)日本で多数作られた六手青面金剛は何をモデルにしたのか

(3)儀軌四手青面金剛の姿はどこから来たのか

(4)流行病駆逐の神様だった青面金剛が、庚申の主尊になったのは何故か。

(5)ショケラ(髪の毛を吊り下げられた半裸の女性)は最大の謎。
「ショケラの意味や語源についての定説はないというのが定説」という言い方で尽くされており、ほとんど何も分かっていなかった。
これまでの青面金剛研究

明治時代、若き日の民俗学者柳田国男はその最初の研究である「石神問答」の中で、青面金剛について 「両部(神仏混淆派)としては青面金剛を以て庚申に配し、まんまとお寺の境内に引き入れ申し候えども本来は道家の神なること疑いもなく候。」
「唯六十の干支中何故この一支のみ取り出して・・・・猿田彦の人望ようやく大となりてのち、・・・これに付託してその利を得んとしたるいわゆる諸国のハカセどもの努力なるべく候。」などと述べている。

柳田の仏教嫌いは有名で「本来猿田彦だったのを仏教の坊さんが金儲けのために真似してデッチ上げた」というのは、今から見ると随分ひどい言い方であるが、それを差し引いてもピントはずれな説である。しかしこの日本の神道と仏教に中国の道教まで加わって出来上がったという柳田の混淆説が今でも青面金剛の定説のようになっている。
「天台、真言の坊様たちが古神道、儒教および仏道からツクネ合わせてこしらえあげた仏様とも神様ともつかぬお方である。」(「仏様の戸籍調べ」)

それから五十年たった戦後、民俗学の大御所となった柳田国男の著書「年中行事覚書」には、「我々の祖先が庚申の晩に祭っていた神様は結局はもう不明になっているという他はない。」「庚申さんが青面金剛などというような妙な外来の神でなかったとすると・・」などとあり、「石神問答」以来一生を費やしての研究にも関わらず一向に青面金剛の本質に迫っていないことが分かる。
この記述は見方によっては、柳田の青面金剛研究のギブアップ宣言である。民間信仰や民俗学からのアプローチでは青面金剛の謎は遂に解けなかったのである。

庚申講の起源や方法を解説した「庚申縁起」が全国各地に多数残存し庚申信仰研究の重要な資料になっている。しかし庚申縁起には青面金剛の姿や持ち物の説明はほとんど書かれておらず、この線からも青面金剛の正体に迫ることが出来なかった。

青面金剛やショケラについての謎が90%以上解けたと感じている。諸兄の活発な議論をお待ちしたい。

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