マハーカーラ論                                目次に戻る

(1)大正時代に蒙古のラマ僧が訪日した際、護国寺境内で青面金剛を見て「これはマハーカーラである」と言い張って譲らなかったというエピソードがあり、喜田貞吉氏はこれをもとに青面金剛=マハーカーラ説を唱えたことが、三輪善之助氏の著作に紹介されている。マハーカーラ説はずっと以前からあったのである。
ただし私の説とは内容が違うことを注意してほしい。
ラマ僧が見たのは護国寺境内の六手の青面金剛石像であるから、マハーカーラと持ち物は同じでない。全体の雰囲気がよく似ていたということなのであろう。
第一報での私の主張は「儀軌の四手青面金剛とマハーカーラが持ち物や装飾品の詳細までそっくりであり、偶然の一致ではない」ということである。

喜田氏のマハーカーラ説はラマ僧の話だけが根拠で、その後も庚申関係の著作に度々引用されているが、蒙古のマハーカーラとはどんな姿なのかを追跡調査した研究者は一人もなさそうである。
元の時代にチベットの密教(ラマ教)が、蒙古に伝えられた。チベットのマハーカーラは七十五種あると言われるくらい種類が多いが、蒙古のマハーカーラは種類が少ないらしく、私が最初に注目したチベットの「象神(ガネーシャ)を踏む六手像」とまったく同じものがほとんどであった。蒙古寺院では刺繍で作られた壁掛けにこの像が多数描かれている。

シヴァを征伐するマハーカーラ

ガネーシャを踏むマハーカーラ
(2)マハーカーラは「偉大なる暗黒の王」という意味だそうで、それから「大黒天」と訳される。
しかし97年に全国を巡回したチベット美術展のカタログで各種マハーカーラについて「マハーカーラ」を使わずすべて「大黒天」と訳してあったのはどう考えても行き過ぎである。
七十五種あるという様々な姿のマハーカーラが同じ名前で呼ばれるとしたらそれは固有名詞ではなく「明王」「菩薩」といったグループ名である。その図像の一つが誤って中国で大黒天と訳されたに過ぎない。

マハーカーラはやがて不動明王などの明王に発展していく。チベットには明王はなかったというが、それは訳語だけの問題であり、明治時代にチベットに潜入して現地で宗教活動した河口慧海は最初からマハーカーラについて「金剛明王」の用語を使っている。「大黒天」と呼ぶくらいなら「明王」と訳した方がよほどすっきりする。
シヴァ夫妻を踏む京都醍醐寺の降三世明王図(円心様式)とガネーシャを踏むチベットのマハーカーラを下に並べて示す。
ヒンズーの神を踏む共通点のほか、火炎の背景、四肢のポーズや衣装、持ち物がそっくりで、まったく同じ系統の図像であることは明らかである。マハーカーラを「明王」と呼ぶのが正しいことが納得して頂けると思う。

(チベットの壁画を見て、「日本の仏像とまるで違う、ところ変われば品変わる。」と考えることが多いが、実は密教系仏像についての認識不足なのである。)

日本の明王像(京都醍醐寺 円心様)

   チベット寺院のマハーカーラ
(3)仏教語辞典などではかならず「マハーカーラはシヴァの化身の一つ」としているが、「シヴァに対抗するために作られ」「シヴァ夫妻を征伐する姿の」マハーカーラがシヴァの化身ということは納得がいかない。

「天」はヒンズー教の神を仏教側から呼ぶ名称である。ヒンズー教に対抗するために仏教が作った神を「天」と呼ぶのは基本的な意味で間違いである。マハーカーラは「大黒天」と誤訳されたために仏教の神でありながら、曼荼羅では最外枠に追いやられ不遇をかこっている。
「不動明王はシヴァか」という長い議論と混乱がある。マハーカーラの議論もこれと同じで、「征伐するものと征伐されるもの」は明確に区別しないと混乱する。(注)

(4)第二報で示したようにマハーカーラが髪を持って吊るしている「餓鬼」が実は戦いに敗れたシヴァ神である事に誰も気がつかなかったこと、言いかえれば白牛の意味に気がつかず山羊と思い込んだことが、そもそもの間違いの元である。
しかしこの間違いが起きたのは、空海が密教を日本に持ち帰るよりずっと以前である。空海の帰日直後に唐で刊行された慧琳音義(仏教語大辞典)の大黒天の項では、「羊」「餓鬼」と記され、マハーカーラの本当の意味がすでに分からなくなっている。
「餓鬼」がシヴァ神であることが分からなかったため「コソ泥クラスの小鬼―茶吉尼天−−夜の墓場に出没して死人の肉をあさる」−−を退治している図などと誤解され、大黒天の地位を著しく下げている。(墓場荒しを見張るガードマン仏敵ヒンズー教の最強神シヴァを倒す仏教の大将軍とでは大変な違いである。

空海以前の古い間違いとなると、どこまで遡ればいいのかという問題になり、単純に間違いを訂正するということでは済まされなくなる。日本の仏像研究で「原点に立ち戻る」と言うのは「空海まで戻る」ことを意味するだけである。だからといってマハーカーラを「大黒天」と訳している限り、マハーカーラの本当の意味は理解出来ないのである。
マハーカーラと大黒天の謎
大黒信仰については喜田貞吉の古典的研究以来多くの研究があるが、恐ろしい戦いの神シヴァが何故「福の神」に変わったかという肝心の謎がまったく解明されておらず、「ダイコクが大国主命と結びついて・・」程度しか書いてない。大国主命とつながったのは当然日本に入ったあとであるが、それ以前のインドや中国でもマハーカーラはすでに福神として寺の台所や蔵の入口に祭られていたから大国主命は「マハーカーラ→福神」の説明にはならない。

マハーカーラがシヴァ夫妻などヒンズーの神を踏む理由について次のような説がある。
@ 強さを強調するため(最強神シヴァよりも強い)。
A 仏教の神であることを明示するため (けじめをはっきりさせるため)。

ガネーシャを踏むマハーカーラがあることを考えると、Aが正しいと思われる。ガネーシャは願い事をかなえてくれる福の神であるが、ユーモラスで慌てん坊な愛嬌者であり、インドで誰からも愛されるマスコットである。例えて言えば日本の漫画の「ドラエモン」に近い。ドラエモンを踏み倒して見たところで強い神とは誰も思ってくれない。

実はシヴァやガネーシャを踏むもう一つの重要な目的がある。ほとんどの大黒信仰研究者やチベット仏像研究者はそのことを知らずに議論しており、私が目にした十数冊の本の中でそのことに触れているのは次の1冊だけである。

(仏教の受容と変容3 チベットネパール編(平3) 166頁参照)
「憤怒尊は仏教内部の尊格が特定のヒンズー教神を調伏するために憤怒形を示現したもの。この場合、憤怒尊はヒンズー教神の敵であるが,調伏した尊格は調伏した神の属性を引き継ぐということを忘れてはならない。」

B仏教で作られた憤怒尊は、ヒンズー教の特定の神を打倒すだけでなく、その神の持つ機能を引継いで取って代わる

例えば冥土の神ヤマを倒したヤマーンタカは,冥土の神の役目を継承し、福運の神ガネーシャを踏むマハーカーラは仏教における福運の神の役目を継承している。
ヒンズー教から仏教に転向した信者にとって、ヒンズー教の機能と同じものが仏教にも一式揃っていてもらわないと困るのである。「読売新聞から朝日新聞に切り替えたら,TV欄と天気予報欄がないので困った」というのと同じレベルの話である。仏教側では次の素朴な質問に対する答えを用意しておく必要があった。「私は今まで福の神ガネーシャを信仰し日夜拝んでご利益を得ていた。仏教に転向したあとガネーシャの代わりに何を拝めばいいのか。」

マハーカーラはヒンズーの神を踏む仏教の憤怒像の総称であり、何を踏むかでその像の性格が分かる。
最初のマハーカーラはシヴァの姿を借りて作られ、シヴァを踏むことで「仏教の最強神(大将軍)」であることを表現した。シヴァのもっとも恐ろしい姿である「暗黒大王」の姿と名前を継承したのである。
続いて同じ姿で「ヒンズー教の福神ガネーシャ」を踏む「仏教の福神」が作られた。姿が同じなので同様にマハーカーラと呼ばれたが、すでに「暗黒大王」の意味ではなく、こういう姿の憤怒尊の一般名称であり、必要に応じて「シヴァを踏むもの」「ガネーシャを踏むもの(ヴィグナーンタカ)」と呼び分けて区別した。他にもチベット土着の神と混交したマハーカーラなどが作られ、「シヴァを踏むマハーカーラ」も時代とともにさらに強そうな姿に次々モデルチェンジされた結果、七十五種類ものマハーカーラが作られた。
一方、福神のマハーカーラは、ほとんどモデルチェンジされず最初の姿がそのまま残って、チベット/蒙古に広く普及した。

密教の初期の時代からほぼ同じ姿の「シヴァを踏むマハーカーラ」と「ガネーシャを踏むマハーカーラ」があったことは確実な事実である。
「恐ろしいシヴァの化身マハーカーラ」が「福の神大黒天」に変わったのではなく、マハーカーラには最初から「シヴァを踏む大将軍」と「ガネーシャを踏む福神」があったのである。同じ名前で同じ姿をしていたため、中国日本では同じ一つの神と考えられ混乱の原因になった。

これまでの仏教研究では、「シヴァ神」と「ヒンズー教のシヴァ神を倒して取って代わった仏教のマハーカーラ」の区別さえあいまいで、仏教大辞典レベルでも「マハーカーラ=シヴァの化身の一つ」などとしている。ましてマハーカーラに最初から「大将軍」「福神」の二種類があったなど思いも至らず、長い間大黒天の謎とされていた。
●初期マハーカーラは、青面金剛として中国に誤伝された一方、分化して様々な明王に発展した。私が青面金剛のモデルとして引用した初期マハーカーラの性格はは、沢山の蛇に囲まれた姿、象神ガネーシャを倒す性格など現在の「軍茶利明王」に多く引き継がれているように思われる。軍茶利明王の儀軌には「毘那耶迦(びなやきゃ)を調伏する。」とあり、毘那耶迦とは聖天(歓喜天)のことである。

歓喜天(ガネーシャ)信仰は霊験あらたかな反面、副作用に注意が必要で、そのためには軍茶利明王を合わせて祭るとよいという信仰が日本に残っている。

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