石川博司著    流山の庚申塔を歩く      発行 庚申資料刊行会
目次  ◎ 流山を歩く    ◎ 「流山庚申塔探訪」展     ◎ 流山市立中央図書館   
      ◎ 流山市内を廻る        あとがき
流山を歩く  多摩石仏の会8月例会

 平成9年8月17日(日曜日)は、多摩石仏の会8月例会である。午前9時30分にJR武蔵野線南流山駅に集合、鈴木俊夫さんの案内で流山市内をまわる。集まったのは、林国蔵さん・中山正義さん・関口渉さん・犬飼康祐さん・萩原清高さん・多田治昭さんの総勢8人である。
 流山へ行くのは武蔵野線を利用していったことがなかったので、余裕をみて家を早めにでる。青梅駅を午前7時1分発の東京行きにのり、西国分寺駅で武蔵野線の東京行きに乗換え、予想していたより早く8時30分に南流山駅につく。集合まで1時間あるので、駅から近くにある鰭ケ崎・東福寺を訪ねる。寺の入口には、右から順に
  1 年不明 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    131×56
   2 享保16 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       120×54
   3 元文1 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       115×53
   4 文政12 柱状型 日月「ウーン 庚申塔」3猿(台石)   82×33×26
  5 安永3 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   89×33×23
   6 寛政7 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   78×35×22
   7 延享4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       106×41の7基の庚申塔が寛文1年の地蔵と並んでいる。
 1は、合掌6手像(像高58cm)で、下部の3猿(像高12cm)の下に「同行之人数」の続けて「加藤吉十良」など17人の施主銘が刻まれている。2は、剣人6手像(像高61cm)で像の右に「奉造立庚申講為二世安楽也」、左に年銘と「下総國小金領鰭ケ崎村」、3猿(像高14cm)の下には「高□三良」など20人の施主銘がみられる。
 3は、合掌6手(像高53cm)で、像の右に「奉供養青面金剛」、右に年銘、3猿(像高13cm)の下には「高□三良」など20人の施主銘を彫る。
 1〜3が刻像塔なら4〜6は文字塔である。4は、3猿台石の下にある台石に「講中」の横書きがある。5は、右側面に「講中 廾五人」、猿の像高は10cmである。6は、主銘の両横に年銘、右側面に「下総國葛飾郡鰭ケ嵜邑」、左側面に「講中廾9人」、台石に3猿(像高11cm)を浮彫りする。
 7は、文字塔が3基並んだ左にある。剣人6手(像高61cm)で、右側面に年銘と「奉造立青面大金剛」、左側面に「供養庚申」とあって「山崎善次郎」など14人の氏名を4段に記し、最後に「同行14人」とある。下部に3猿(像高11cm)がある。
 7の左にある地蔵の立像は、寛文元年の造立で、像の左に「奉造立念佛興拾八人」の銘が刻まれている。「念佛興」は「念佛講」のことで、「興」と「講」は同音である。
 9時15分になったので南流山の駅に戻ると、すでに7人の顔がそろっている。案内の鈴木さんからは、本日のコース地図と各地区の分布図付の石佛1覧表をいただく。中山さんから『関東地方寛文の青面金剛像』(私家版 平成9年刊)と栃木県の寛文と延宝の庚申塔仮年表、犬飼さんから8月218日〜9月9日に行われる『多摩石仏写真展目録』を受け取る。
 最初の見学地である木の観音寺では、先ず境内にある寛文8年の地蔵をみる。これには「奉造立念佛供養二世成就之所」を刻む。次いで墓地にある金胎両界の大日座像を浮彫りする墓石の写真を撮る。その他にも大日や聖観音などを浮彫りする墓石に彫りのよいものがみられる。
 次に観音寺の近くにある香取神社を訪ねる。石段下には
   8 天保10 駒 型 日月「庚申塔」3猿(台石)        79×33×25
   9 文久1 柱状型 「庚申塔」                65×25×20の2基がある。8の3猿台石の下の台石には、正面に「小林助五郎」、左側面に「山口左右門」など8人の施主銘がみられる。9の左側面には「中講中」とある。参道には
  10 享保7 柱状型 日月「ウーン 奉造立庚申講為二世安楽也」 97×37×36
  11 寛文7 光背型 「サ」聖観音              134×49
   12 天明2 駒 型 「ウーン 青面金剛」3猿         87×28×16
  13 享保4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿     98×47
   14 文化8 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」         66×27×19
  15 文政2 柱状型 「ウーン 青面金剛」3猿(台石)     63×25×16
  16 天保10 柱状型 日月「庚 申」              63×28×21が並んでいる。10は、右側面に「木村仲介」など8人、左側面にも8人の施主銘が刻まれている。
 11は、今回の目玉の1つである。上部に「サ」の種子、中央には左手に蓮華をとり、右手が与願印の聖観音立像(像高102cm)、像の右に年銘と「奉造立庚申供養二世安穏処 敬白」、左に「逆修道善 道福寺 覚□ 観音寺」とあり、続けて「柏兵衛」などの施主銘が6段に刻まれている。
 12は、右側面に年銘、ほそに「願主 木□□左□」とある。13は、合掌6手像(像高58cm)で、年銘の他に「結衆敬白」の銘がある。14は左側面に「木村 舩戸 中」、16は左側面に「舩戸講中」の銘がみられる。
 神社の境内には、いろいろな石造物がみられる。文政10年の「キャ 待度大権現」石祠(66×25×18)は、台石に「女人講中」と横書きし、縦に「3拾4人」とある。天明4年の「大六天」の石祠もある。
 香取神社から江戸川に沿って北上して流山の市街地にはいる。流山7丁目の流山寺の境内には、丸彫りの大黒天と並んで
   17 年不明 丸 彫 猿田彦・3猿               67×42がみられる。台石には3猿(像高10cm)が浮彫りされている。別の所には、「青面金剛」の柱状型塔を中心に「庚申」と刻む板石型塔がおよそ80基近くある。狭い場所に重ねられて置かれているので、正確な数がわからない。
 次いで6丁目の赤城神社を訪ね、境内の石段脇にある
   18 天保  板石型 「青面金剛」               51×35
   19 年不明 板石型 「庚申塔」                85×64をみる。18の主銘は、篆書体で書かれている。19の台石には、「奉納赤城山 大明神石百枚 庚申講中」とあり、「秋元平八」などの13人の施主銘が刻まれているが、秋元以外は「境屋伊兵エ 伊勢屋五平 松阪屋孫兵ヱ」など屋号をつけている。
 石段の途中には、上が欠けた年不明の自然石「三夜塔」(47×46)がある。台石正面に「二十四人講中」の横書きの銘がある。石段を登った社殿前の水舎には、前面に篆書体の「奉納」とある寛政1年の手洗い鉢(58× 119×56)がある。左側面に「庚申講中 日掛講中」と刻まれている。裏面には「野口長兵衛」など31人ほどの施主銘がある。
 赤城神社の隣には光明寺があって、墓地には
 20 寛文6 丸 彫 金剛界大日              157×35が立っている。背面に「アーンク 奉造立庚申供養并念佛供養為二世成就所」と年銘が刻されている。寺の入口には、弘化4年の自然石「二十三夜」塔(164×82)と並んで
   21 宝暦11 駒 型 日月「ウーン 青面金剛供養塔」2鶏・3猿   91×39×35
   22 寛政8 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          63×27×19
   23 年不明 板駒型 青面金剛・1鬼・3猿           73×38の3基がある。21は、文字塔としては古い部類に属する。文字塔に珍しい2鶏が刻まれ、その下に3猿(像高11cm)がある。22の台石の3猿は、像高が8cmである。23は上欠で、第3手が弓と矢を持つ合掌6手像(像高30cm)らしい。鬼は前面を向くもので、下に3猿(像高9cm)がみられる。反対側には
   24 文政13 柱状型 日月「庚 申」              86×43×43
   25 宝暦5 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    117×55があり、台石に「講中」と横書きされている。25の主尊は、剣人6手像(像高68cm)で下部に3猿(像高13cm)がある。
 流山6丁目の長流寺には、馬首を刻む石祠があって、右側面に「精誉起立焉」、左側面に「慶長十二丁未天」の銘がある。みた感じからいうと、とても慶長の石祠とは思われない。この寺の境内の無縁塔の中に閻魔と司命と思われる丸彫り像がある。
 同5丁目の路傍にある木祠の中には、次の塔が安置されている。
   26 年不明 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    117×57合掌6手(像高67cm)で、右側の上部の年銘の部分が欠けていて下部の3猿(像高11cm)は祠の木の下にある。祠の入口には「庚申塔の由来」の掲示がみられる。
   庚申塔の由来
    慶長十二年 開祖 宝泉山 長流寺十四世真譽誠実和尚の時 風火の災厄にて焼失し その
   後 再建された
    流山裏街道で 当時は 商店が並んだ 繁華な町で 町の守り神として 庚申塔を建立し祭
   られて来たが 風雨に晒され 腐朽も甚だしく 賽銭箱も盗難にあうなど 見かねた人たちが
   世話役を 寄附金を募り 大正十五年改築された
    その後 毎月十四日を供養日と定め 参詣する人も多く 今日に至る。
    此の庚申塔は文化財として保護しています。
           昭和五十六年辛酉四月十四日  文化財顧問 永井仁三郎 之建 七十八才
 同3丁目の路傍にも、次の2基の庚申塔がある。
   27 文化15 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          86×35×31
   28 元文5 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・3猿        65×25×28
 27は、正面に「圓南小田功□拝書」、右側面に年銘、左側面に「下総國葛飾郡 流山村根郷」の銘がある。台石の3猿は、像高15cmである。
 28は、銅板葺きの屋根の木祠に安置されている。頭上に「バン」の種子、中央には剣人6手像(像高24cm)、鬼の下に3猿(像高6cm)、その下に6人の施主銘がある。右側面に「奉供養青面金剛悉地成就所」、左側面に年銘を刻む。
 2丁目の閻魔堂で竿石に三尊佛を陽刻する燈籠をみてから、1丁目の浅間神社で昼食にする。食後は境内入口にある
   29 享保7 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    120×53
   30 享保1 丸 彫 青面金剛・1鬼              67×41の2基を調べる。29は合掌6手(像高65cm)で、像の右に「奉供養庚申待二世成就所」、左に年銘、下部に3猿(像高18cm)がある。
 30は、今回みた青面金剛では唯1の丸彫りの座像である。合掌6手で鬼の上に座る。台石(86×43×34)の正面には「バン 奉供養青面金剛二世成就所」、下部に「須藤半助 同姓喜平次」など12人の施主銘、右側面に「庚申講中」、左側面に年銘を刻む。
 社殿の裏側に富士塚が築かれているが、その中に
   31 年不明 自然石 「猿田彦大神」              98×83があり、塚の前に立つ燈籠1対は安永2年の造立で、竿石の前面に「御寳前」、右側面に年銘、左側面に「庚講中」(反対側の燈籠は銘文が左右逆である)である。
 流山電鉄の流山駅南の跨線橋を渡って平和台にはいる。5丁目の大宮神社境内には
   31 文化14 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   62×29×22
  32 文化3 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」         72×31×23
  33 寛政11 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」         72×30×23
  34 天保2 板石型 「庚申塔」                91×52
  35 寛政6 柱状型 日月「バン 青面金剛」3猿(台石)    81×35×33
   36 文化11 柱状型 日月「庚申塔」3猿(台石)        73×35×34
   37 元禄6 板駒型 日月・青面金剛・2鶏・3猿       108×67
   38 寛文7 光背型 地蔵                  127×52
   39 寛延4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿        91×43
   40 正徳4 板駒型 日月「南無妙法蓮華経」3猿       106×46の10基の庚申塔がみられる。31の台石正面には3猿(像高12cm)があり、右側面に「加村 善照院」に続けて「染谷治兵エ」など6人、左側面に5人の施主銘があって、最後に「願主 三上七郎」と刻まれている。
 32の台石右側面にも「善照院」の他に11人、左側面に12人の施主銘がある。33の台石にも「當村 善照院」の銘がみられる。34の台石正面には「講中」と横書きし、「秋谷佐五兵衛」など14人の講中に続き、「世話人」の中に「三上七左右門」など2人の前に「善照院」とある。
 35の台石正面に3猿(像高15cm)が浮彫りされ、右側面に「秋谷佐兵衛」など9人、左側面に「野崎平吉」など8人と「世話人 小野田庄七」など2名の氏名がある。36は、左側面に「下総國葛飾郡加村」、台石の3猿の像高は13cmである。
 31〜36の6基は文字塔であるが、37〜40の4基は刻像塔である。37は合掌6手像(像高64cm)で、像の右に「奉供養庚申講結衆拾8人 信心願主」、左に年銘と「敬白」、下部に3猿(像高15cm)がある。
 38は、40と共に今回のコースの目玉の一つである。中央には錫杖と宝珠をとる地蔵の立像(像高80cm)、像の右に「奉造立庚申二世安楽所」と「本願心譽上人」、左に年銘と「信心施主敬白」、その下に「又兵衛」など2名の名前がみられる。
 39は合掌6手(像高55cm)で、左側面に「寛延四辛未十月庚申日建之 加村講中」、下部に3猿(像高10cm)がある。
 40は今回唯一の題目塔で、中央に「南無妙法蓮華経」のヒゲ題目、右に「下総國葛飾郡加村」の地銘、左に「正徳四甲午年九月二十一日」の年銘を刻む。3猿(像高15cm)の下には「三上甚太郎」など16人の施主銘を彫る。
 平和台4丁目の大原神社の境内にも、次の11基の庚申塔がみられる。
  41 文化3 柱状型 「青面金剛」               60×31×17
  42 弘化4 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          74×30×29
   43 天保13 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          70×30×29
   44 文政9 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          77×33×22
   45 慶応1 柱状型 日月「庚申塔」3猿(台石)        76×36×29
   46 文化4 柱状型 日月「青面金剛」             62×27×17
   47 宝暦4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    121×49
   48 安永5 駒 型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   94×36×24
   49 天保6 柱状型 日月「ウーン 庚申塔」3猿(台石)    75×33×26
   50 文化14 駒 型 「ウーン 青面金剛」           56×26×14
  51 寛政4 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)          65×33×32
 41は、正面を彫り窪めた中に主銘と年銘を刻む。42は、3猿(像高12cm)の台石の下の台石正面に「講中」の横書き、右側面に「吉田武兵衛」など15人の施主銘がある。43は、3猿の台石の下の台石正面に「講中」の横書き、右側面に15人、左側面に「小野貞右エ門」など14人の氏名がある。44は、42や43と同様に3猿の台石の下の台石正面に横書きの「講中」、右側面に9人、左側面に7人と世話人2人の氏名を刻む。45は、下の台石正面に横書きの「講中」、右側面に20人の施主銘がある。
 47は剣人6手(像高73cm)で、下部に3猿(像高11cm)がある。台石正面には「小金両西平井邑」と10人の施主銘がみられる。48の台石には、右側面に8人、左側面に8人の施主銘を刻む。
 49の台石の正面に2猿(像高14cm)、左側面に1猿(塞耳猿)を浮彫りする。その下の台石の右側面に16人、左側面に13人の名前がみられる。50は、右側面に年銘と「世話人 岡本佐兵衛」の名がある。51は、3猿(像高14cm)の台石の下の台石正面に「講中」の横書き、右側面に18人、左側面に11人と世話人3人のの氏名を刻む。
 同じ4丁目の真城院境内には、中山さんがこれ1基だけをみればよいといっていた寛永15年の板碑型塔(94×45)がある。「……月天子本地大勢至……」の偈文を刻む。ここには、この塔の他に延宝5年の板碑型塔(129×49)・元禄10年光背型塔(109×49)・安政4年の柱状型塔(92×36×28)の3基の十9夜塔がみられる。庚申塔も次の
   52 享保16 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿         97×45
   53 元禄8 板碑型 日月「バン 奉開眼供養庚申講結衆現當成就所」108×46
   54 享保13 板駒型 青面金剛・1鬼・3猿           103×30
   55 宝永2 柱状型 日月・青面金剛・2鶏・3猿         64×31×20の4基がある。52は、中央に合掌6手(像高50cm)、像の右に「享保十六年 小金領」、左に「十一月吉日 西平井村」、3猿(像高13cm)の下に18人の施主銘がみられる。
 53は文字塔で、主銘の右に「下総國葛飾郡 元禄八丙子年 供養導者」、左に「名が福寺敬白 今月庚申日 小金領西平井村」、左右合わせて「平右衛門」など8人の施主銘が刻まれている。上部には陰刻の日月、下部には3猿(像高13cm)の浮彫りがある。
 54は、中央に鬼の上に立つ合掌6手像(像高50cm)、下部に3猿(像高10cm)を陽刻する。55は、合掌6手(像高43cm)、3猿の像高7cmと小さい。右側面に年銘と「奉開眼供養青面金剛石造……成就処」とある。
 恩井の熊野神社には、道路沿いに延宝5年の板碑型塔(112×47)と延宝3年の板碑型塔(12×47)の2基の十九夜文字塔がある。庚申塔も境内にあるものを含めて、次のように11基と多い。
   56 元文3 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿        86×36
   57 享保3 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    116×52
   58 正徳4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       104×49
   59 宝永8 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       112×41×21
   60 寛政12 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   73×32×20
   61 寛政12 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)   74×34×23
   62 安政2 柱状型 「ウーン 青面金剛」           90×36×24
   63 文化11 柱状型 日月「ウーン 庚申塔」3猿(台石)    82×32×25
   64 文政8 駒 型 日月「ウーン 庚申塔」3猿(台石)    84×33×24
   65 文化2 駒 型 「ウーン 庚申塔」3猿          (計測忘れ)
   66 天保4 柱状型 日月「庚 申」3猿            63×34×33
   67 弘化3 柱状型 日月「庚申塔」3猿(台石)        (計測忘れ)
 56〜59の4基は、青面金剛の刻像塔である。56は、頂部に「ウーン」の種子、中央に鬼の上に立つ合掌6手(像高42cm)、3猿(像高8cm)の下に9人の施主銘を刻む。像の右には「奉供養青面金剛塔造立也」の銘がある。
 57は頂部に「ウーン」の種子、中央に鬼の上に立つ合掌6手(像高51cm)、鬼の下に17人の施主銘、下部に3猿(像高17cm)がある。像の右に「奉造立青面金剛一結中安穏」、左に「享保三戊戌歳十一月無刀烏 八木恩井村」の銘を刻んでいる。年銘の「無刀烏」が何を意味するのか不明である。
 58の頂部に「ウーン」、中央に合掌6手(像高56cm)、下部に3猿(像高12cm)がある。像の右に「奉造立庚申供養為二世安楽也」、左に年銘の下に「下総國小金領八木恩井村」とある。
 59は、中央に合掌6手(像高17cm)、3猿(像高9cm)の下に「小金領八木恩井村」とあり、続けて12人の施主銘がみられる。像の右には「奉供養庚申甲1結衆中 願主敬白」、右には年銘が刻まれている。
 60〜67の8基は、文字塔である。60の3猿の像高は10cm、61が像高11cm、64が像高9cmである。65
 の左側面には「恩井村講中」と世話人3人の名を記す。66の猿の像高は12cmである。67の台石正面には3猿(計測忘れ)が浮彫りされ、右側面に世話人2人と講中10人、左側面に講中12人の施主銘がみられる。
 朝廻った鰭ケ崎の東福寺の戻って1〜7をみてから、その先にある百庚申をみる。午前中にみた流山寺の百庚申と同型式の板石に「庚申」に2字を刻んだ文字塔で、大きさはいろいろである。多田さんが数えたところ92基あった。石段を登って本堂前にでる、左手の奥に八十八大師があり、その前に3基の庚申塔が並ぶ。
   68 元禄6 板駒型 日月・青面金剛・2鶏・3猿       130×56
   69 貞享3 光背型 日月・青面金剛・2鶏・3猿       127×57
   70 寛保3 光背型 日月・青面金剛・2鶏・3猿        98×42
 68は、中央に合掌6手(像高76cm)、下部に3猿(像高16cm)、像の右に「奉供養庚申講結衆現當成就也」と年銘、左に「下総國小金領鰭ケ崎村願主二十八人」の銘を刻む。
 69は頂部に「ウーン」の種子、中央に合掌6手(像高67cm)、3猿(像高13cm)の下には「鰭ケ崎村」を中央に、その左右に6人ずつの施主銘がある。
 70は、頂部に「ウーン」の種子、中央に合掌6手(像高49cm)、像の右に「奉造立庚申講中為二世安楽也」、左に年銘が刻まれている。この塔の場合は、68と69では3猿の上に2鶏があるのに対して、3猿(像高10cm)の下に2鶏の陽刻がみられる。
 東福寺を最後に見学を終え、朝集合した南流山駅に向かい、帰途につく。
               〔初出〕『平成9年の石仏巡り』(ともしび会 平成9年刊)所収
「流山庚申塔探訪」展

 平成19年7月20日(金曜日)は、企画展「流山庚申塔探訪」は開催されている千葉県流山市加にある流山市立博物館を訪ねる。7月7日(土曜日)に、同館の館長名で多摩石仏の会宛に企画展の案内とチラシが届いたから、この催しを知った。この通知がなければ、知らずに過ごしたと思う。
 博物館に入り、企画展の「流山庚申塔探訪」を後にして常設展示場を廻る。山王二十一社種子の板碑をみて、前にこの館に来たのを思い出した。13年7月22日(日曜日)に庚申懇話会7月例会で流山市立博物館を見学した時の記録「吉川と近郊を廻る」(『平成十三年の石佛巡り』所収 多摩野佛研究会 平成13年刊)には、次のように書いた。
    午後の見学は、千葉県流山市加1丁目にある同市立博物館から始まる。館内では企画展「流
   山と自転車」が催されている。常設展示には、複製であるが見逃せない板碑1基がある。それ
   は、申待供養銘がある天正5年の廾一佛板碑である。
    この板碑は古くから知られたもので、3輪善之助翁の『庚申待と庚申塔』(不二書房 昭和
   10年刊)に載っている。同市鰭ヶ崎・東福寺の庚申板碑を複製したものである。朝みた吉川の
   廾一佛板碑に比べて彫りが鮮明で、種子の一つ一つが読み取れる。
    この板碑以外にも「バク」一尊種子・「カ」一尊種子・「キリーク」一尊種子・「キリーク
    サ サク」三尊種子、それに十三佛板碑が揃っているから見応えがある。「バク」種子の板
   碑も少ないが、中々「カ」種子の板碑はみられない。
 館内の石佛写真展示の中には、市野谷・東円寺の丸彫り薬師十二神将立像を撮ったものがある。7月7日(土曜日)の石仏談話室では、講師の角田尚士さんが延享4年11月造立の「水沢山頂の十二神将」を話された。水沢山頂の神将は、1基1体ずつ光背型塔11基に浮彫りされたもので、「吽陀羅大将」が欠けている。
 常設展示場を一巡してから、特別展示の「流山庚申塔探訪」へ向かう。この企画展の会期は、7月15日(日曜日)から9月17日(祝日)までである。
 チラシの裏面に記すように、1 庚申板碑、2 庚申塔の移り変わり、3 もっと細かく、4 聞き取り調査 庚申講の4コーナーから構成されている。
 入口に「庚申信仰とは」の解説パネルがああり、「1 庚申板碑」には、市内の山王二十一社本地佛種子板碑3基の資料が展示されている。最も古いには弘治3年板碑、上部に天蓋、下に「バク」を首尊にして4列4段に各種子を配す。「タラーク」の下に「奉庚申(待供養)」の銘がある。
 次は天正5年板碑、日月と天蓋の下に「タラーク」を首尊にして4列4段に各種子を配し、下部に三具足を陰刻する。「タラーク」の左右に「申待」と「供養」の銘を刻む。
 他の1基は年代不明板碑、前の2基が拓本展示であるのに対し、この板碑は実物展示である。日月と天蓋の下に「タラーク」を首尊にして4列4段に各種子を配し、残念ながら下部は欠失している。
 「2 庚申塔の移り変わり」では、「庚申塔の定義」が次のように規定されている。
   1 庚申信仰によって建てられたことを銘文に記してあるもの。
   2 青面金剛の像か文字を刻んであるもの。
   3 見ザル・聞ザル・言ザルの3猿があって、ほかの造塔目的が記されていないもの。
   4 猿田彦大神の像か文字が刻んであるもの(他の目的の場合は除く)。
 1は銘文基準、2は青面金剛基準、3は3猿基準、4は猿田彦基準といえよう。これまで庚申塔の定義を明確に示すことは稀である。この基準は『庚申塔の研究』(大日洞 昭和34年刊)に準じたものである。
 このコーナーの陳列ケース内には、4基の庚申塔の実物があって参考になる。実物展示は、大畔の寛文十三年板碑型文字塔、西深井の板駒型合掌6手青面金剛刻像塔、西深井の享保16年柱状型文字塔、大畔の天明9年剣人6手青面金剛刻像塔の4基である。
 「3 もっと細かく」のコーナーは、壁面パネルに青面金剛以外の刻像塔の主尊・青面金剛・猿田彦大神・3猿・2鶏・日月が写真と解説文が掲示されている。中央の囲み展示には、中央に「1番造立者多い庚申塔」や「一番背の高い庚申塔」など4基が「注目の庚申塔」として挙げられている。見下ろせるように少し斜面になったパネルには「紀年銘」や「信仰銘」など銘文に関する事柄が写真と解説で示されている。
 「4 聞き取り調査 庚申講」コーナーは、庚申堂の木祠、「庚申 佐田彦大神」の掛軸、大正9年の「庚申祭芳名録」や「庚申祭買物帳」、無尽の竹製の籤などが展示されている。
 反対側の壁面には、中央に流山市内の庚申塔の分布図を掲げ、市内各地のある庚申塔の写真パネルを左横に9点、右横に6点展示している。
 これらについては、階下にある博物館事務所で販売している流山市立博物館調査研究報告書24『流山庚申塔探訪』(流山市教育委員会 平成19年刊)に詳細に記されている。頒価は消費税込みで1330円である。この本は、企画展に先立ち4月1日から頒布されている。(平成19・7・24記)
   〔初出〕『石佛雑記ノート11』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
流山市立中央図書館

 平成19年7月20日(金曜日)は、企画展「流山庚申塔探訪」を開催している流山市立博物館を訪ねた後、同じ建物にある同市立中央図書館に寄る。
 博物館の常設展示場で十二神将の石佛写真をみつけたので、事務所で所在地を尋ねると同市市野谷・円東寺所蔵のものという。参考用の図書として同博物館調査研究報告書5『流山の石仏』(流山市立博物館 昭和62年刊)をみせていただく。残念ながら残部はないという。もしこの本をみたいならば、市立中央図書館の郷土資料にあるからご覧になったらと勧められる。
 博物館事務所の先に中央図書館があるから、他にも石佛関係の図書が蔵書されていると考えて階上の郷土資料が集まった書棚前の席に座る。『流山庚申塔探訪』320頁に記載されている「引用文献・参考文献」にみられるように、庚申塔を含めて流山の石佛についての文献は、次の通りである。
   1 『流山市金石文記録集 上巻』  流山市教育委員会  昭和46年刊  162頁
   2 『流山市金石文記録集 中巻』  流山市教育委員会  昭和48年刊  259頁
   3 『流山市金石文記録集 中巻』  流山市教育委員会  昭和49年刊  225頁
   4 『流山市金石文記録集 追録』  流山市教育委員会  昭和49年刊  208頁
   5 『稿本 流山市金石文目録』   流山市教育委員会  昭和51年刊  190頁
   6 『流山の石仏』         流山市立博物館   昭和62年刊  192頁
   7 『流山庚申塔探訪』       流山市教委・博物館 平成19年刊  320頁
 庚申塔に関していえば、今年3月に刊行された『流山庚申塔探訪』がこれまでの資料に加えて最新情報が記載される。石佛1般に関しては『流山の石仏』がよく、これまで発行された『流山市金石文記録集』の各巻が集約され、その後の調査が収録されている。
 博物館の常設展示場でみた十二神将は、『流山の石仏』46頁にデータが掲げられている。他にも道祖神・疱瘡神塔・待道塔・三十番神塔など興味ある石佛が載っている。特に157頁から191頁にかけて「流山市石造文化財所在地別一覧」が市内を45区分し、それぞれの地域にある石佛を列記し、所在地図が添えてある。
 1応、図書館で各書をチェックしてから、市内の庚申塔巡りを行う。(平成19・7・25記)
       〔初出〕『石佛雑記ノート11』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
流山市内を廻る

 平成19年7月20日(金曜日)は、流山市立博物館で開催している企画展「流山庚申塔探訪」を訪ねた後、同じ建物にある同市立中央図書館に寄って市内石佛関係の図書をチェックする。一通り本をみてから、市内の石佛巡りを行う。
 今回のコースは、最初の平和台・大宮神社から流山・浅間神社〜光明院〜赤城神社を経て最後に流山寺を廻るように大まかに決め、先ず大宮神社へ向かう。
 博物館や図書館がある加から平和台に入り、途中で寺がみえたので寄ると本行寺である。境内にある丸彫りの浄行菩薩が目を引く程度かと思って墓地に入ると、施無畏印・与願印を結ぶ釈迦如来立像(像高93cm)がある。光背型塔(124×54cm)の浮彫り像で、像の右に「奉造立題目講壹結人数廾四人」、左に「延宝七己未天十月廾二日」の銘を刻む。
 次に大宮神社を訪ねる。先ず境内でみたのは駒型塔(35×19×11cm)の正面を深い掘込みを入れ、「疱瘡神」の主銘を記す。右側面には「明治三十四年一月□日建」の年銘がみられる。
反対側には、駒型塔(30×21×11cm)の正面に「妙法」と横書きし、中央に「弓箭稲荷大善神」の主銘、両横に狐像(像高13cm)の浮彫りがある。右側面に年銘の「昭和八年十二月吉日」、左側面に施主銘の「流山 染谷為二郎/五十四才」を記す。
 この大宮神社は今回が初めてかと思ったら、平成9年8月17日(日)の多摩石仏の会8月例会で鈴木俊夫さんの案内によって流山市内を廻った時に訪ねている。この日はJR武蔵野線南流山駅に集合し、鰭ケ崎・東福寺〜木・観音寺〜木・香取神社〜流山7・流山寺〜流山6・赤城神社〜流山6光明寺(院)〜流山6・長流寺〜流山5・路傍木祠〜流山3・路傍〜流山2・閻魔堂〜流山1・浅間神社〜平和台5・大宮神社〜平和台4・大原神社〜平和台4・真城院〜恩井・熊野神社〜鰭ケ崎・東福寺を歩き、起点の南流山駅から帰途についた。この日の途中に寄った平和台4・大原神社から流山6・長流寺までは、1部の順序に違いがあるが、ほぼ今回コースと逆である。
 境内を出ると参道の左右に石佛が並んでいる。右側に次の3基の文字庚申塔がある
   1 天保2 板石型 「庚申塔」                91×51
   2 寛政6 柱状型 日月「バン 青面金剛」(台石)3猿     81×35×33
   3 文化11 柱状型 日月「庚申塔」(台石)3猿        73×35×33
 1は表面に主銘の「庚申塔」、裏面に年銘の「天保二辛卯年十一月日」を刻む。台石正面に横書きで「講中」とあり、下に縦書きで「秋谷佐5兵エ(等14人の氏名)」、続けて横書きで「世は人」、下に縦書きで「善照院/三上七右エ門/富塚太左エ門」と記す。
 2は正面に「バン 青面金剛」の主銘、右側面に「寛政六年甲寅/閏十一月吉日」年銘を彫る。台石の正面には内向型3猿(像高16cm)の浮彫り、右側面と左側面の両面に施主銘を連記する。
 3は正面に主銘「庚申塔」、右側面に年銘「文化十一年甲戌三月」、左側面に地銘「下総國葛飾郡加村」の銘がある。台石の正面に内向型3猿(像高13cm)を陽刻する。下の台石正面に施主銘を並べ、最後に世話人3人の氏名が誌るされている。
反対側の左側にも文字庚申塔3基が横1列に並ぶ。
  4 文化14 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」(台石)3猿   73×31×24
   5 文化1 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」(台石)3猿   62×29×22
   6 寛政11 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」(台石)3猿   72×32×24
4は正面に「ウーン 青面金剛」、右側面に「文化十四丑年/加村 善照院/染谷治兵エ(等6人の氏名)」、左側面に「十一月吉日/杉谷半右門(等5人の氏名)/願主 三上七一」の銘文を彫る。台石正面には、内向型3猿(像高13cm)の浮彫り像がある。
 5は正面に「ウーン 青面金剛」、右側面に「文化元甲子十一月吉日」、左側面に「加村」銘を刻む。台石正面に正向型3猿(像高13cm)の浮彫り、右側面と左側面の両面に施主銘が並んでいる。
 6は4と5同様の主銘が正面に「ウーン 青面金剛」、右側面に「寛政十一未年」、左側面に「十一月吉日/加村」とある。台石正面に正向型3猿(像高13cm)陽刻、右側面と左側面の両面に施主銘に記す。4の本塔側面や5と6の台石側面に刻む施主銘の中に1にある「善照院」銘がみられる。
 その先にも、庚申塔4基を含む1群の石佛がある。庚申塔は次の通りである。
   7 元禄6 板駒型 日月・青面金剛・2鶏・3猿       106×52
 7は上方手に円盤を執る合掌6手像(像高59cm)、像の右に「奉供養庚申為結衆拾八人安楽也 信心施主」、左に「元禄六癸酉年十月廾五日 敬白」、下部に正向型3猿(像高14cm)を浮彫りする。
   8 寛文7 光背型 地蔵「奉造立庚申・・」         127×48
   9 寛延4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿        91×45
   10 正徳4 板駒型 日月「南無妙法蓮華經」3猿       106×47
 8は錫杖と宝珠を執る地蔵立像(像高91cm)が主尊である。像の右に「本願心誉上人/奉造立庚申二世安全所 六郎(等4人の名)」、左に「寛文七丁/未年十月十五日信心施主敬白 又兵衛(等2人の名)」の銘を刻む。
 8と9の間には、聖観音立像(像高86cm)が浮彫りされた光背型塔(117×45cm)がある。像の右に「奉造立爲念佛供養菩提也 干時延宝三年乙卯年/八月吉日/信心施主敬白」、左に「彦右ヱ門」などの施主銘が3人ずつ4段に誌されている。
 9は典型的な合掌6手像(像高56cm)で鬼上に立ち、下部に正向型3猿(像高10cm)を陽刻する。左側面に「寛延四辛未十月庚申建之/加村/講中」の銘がある。この年の10月庚申日は10月27日に当たる。
 10は正面中央に「南無妙法蓮華經」の題目を刻み、右に「下総國葛飾郡小金領加村」、左に「正徳四甲午年九月二十一日」とある。下部の内向型3猿(像高14cm)の下に「三上甚太郎」など16人の施主銘を列記する。
 前記の平成9年の記録「流山を歩く」(『平成九年の石仏巡り』所収 ともしび会 平成9年刊)には、次のように一括して記している。
    流山電鉄の流山駅南の跨線橋を渡って平和台にはいる。5丁目の大宮神社境内には
     31 文化14 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」3猿(台石)  62×29×22
     32 文化3 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」        72×31×23
     33 寛政11 柱状型 日月「ウーン 青面金剛」        72×30×23
     34 天保2 板石型 「庚申塔」               91×52
     35 寛政6 柱状型 日月「バン 青面金剛」3猿(台石)   81×35×33
     36 文化11 柱状型 日月「庚申塔」3猿(台石)       73×35×34
     37 元禄6 板駒型 日月・青面金剛・2鶏・3猿      108×67
     38 寛文7 光背型 地蔵                 127×52
     39 寛延4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       91×43
     40 正徳4 板駒型 日月「南無妙法蓮華経」3猿      106×46
   の10基の庚申塔がみられる。
 平和台から流山1丁目に入り、先ず常興寺に寄り、境内にある浄行菩薩丸彫立像をみてから、次に近くにある浅間神社を訪ねる。境内へ入って左に道路を背にして次の庚申塔2基がある。
   11 享保7 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    119×52
   12 享保1 丸 彫 青面金剛・1鬼              87×44×34
 11は典型的な合掌6手立像(像高67cm)、像の右に「奉供養庚申待二世成就所」、左に「享保七壬寅天2月吉日」、下部に正向型3猿(像高19cm)を浮彫りする。
 12は上方左手の持物が欠けた合掌6手丸彫坐像(像高67cm)、台石の正面に「バン 奉供養青面金剛現當成就所」と「須藤半助」など12人の施主銘、右側面に「庚申講中」、左側面に「享保元丙申九月吉日」の銘を記す。
 社殿の裏側にある富士塚の登り口には、次の1対の灯籠が立っている。
 参1 安永2 灯 籠 「御寶前」「庚講中」           62×24×24
 参2 安永2 灯 籠 「御寶前」「庚講中」           62×24×24
参1の竿石正面に「御寶前」、右側面に「安永2癸巳9月」、左側面に「庚講中」とある。台石の正面に「谷野□右エ門」など12人、右側面に「金子長八」など6人の施主銘を彫る。
参2の竿石正面に「御寶前」、右側面に「庚講中」、左側面に「安永二癸巳九月」と側面の銘文が逆である。台石の正面に「永添甚八」など6人、右側面に「大塚忠八」など12人の施主銘を記す。
 前記の「流山を歩く」には、次のように記している。
   (流山)1丁目の浅間神社で昼食にする。食後、境内入口にある
     29 享保7 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    120×53
     30 享保1 丸 彫 青面金剛・1鬼             67×41
   の2基を調べる。29は合掌6手(像高65cm)で、像の右に「奉供養庚申待二世成就所」、左に
   年銘、下部に3猿(像高18cm)がある。
    30は、今回みた青面金剛では唯一の丸彫りの座像である。合掌6手で鬼の上に座る。台石(
   86×43×34)の正面に「バン 奉供養青面金剛二世成就所」、下部に「須藤半助 同姓喜平次
   」など12人の施主銘、右側面に「庚申講中」、左側面に年銘を刻む。
    社殿の裏側に富士塚が築かれているが、その中に
     31 年不明 自然石 「猿田彦大神」             98×83
   があり、塚の前に立つ燈籠1対は安永2年の造立で、竿石の前面に「御寳前」、右側面に年銘
   左側面に「庚講中」(反対側の燈籠は銘文が左右逆である)である。
 今回は前回みた年不明の「猿田彦大神」自然石塔を見逃している。
 浅間神社から次に向かったのは光明寺(流山6丁目)、寺の入口に次の塔が立っている。
   13 宝暦5 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    117×50×30
 13は標準的な剣人6手立像(像高69cm)、下部に内向型3猿(像高14cm)の陽刻がある。左側面に「宝暦五亥年五月吉日」の年銘を彫る。
 境内に入ると、次の庚申塔2基と二十三夜塔がある。
  14 宝暦11 駒 型 日月「ウーン 青面金剛供養塔」2鶏・3猿   91×39×23
   15 文政8 駒 型 「庚申塔」(台石)3猿          65×26×19
 廾1 弘化4 板石型 「二十三夜塔」              68×83
 14は正面に「ウーン 青面金剛供養塔」の主銘、下部に内向型3猿(像高の計測なし)を浮彫りする。文字塔に2鶏を陽刻するのは珍しい。右側面に年銘の「宝暦十一辛巳年二月吉日」を記す。
 15は正面は主銘「庚申塔」、右側面に「文政乙酉年」、左側面に「八月吉日」の年銘がみられる。台石の正面に内向型3猿(像高10cm)の浮彫り。
 廾1は表面に「二十三夜塔」、裏面に「弘化四年□冬吉日建之」の銘がある。
 前記の「流山を歩く」には、次のように記している。
   寺の入口には、弘化4年の自然石「二十三夜」塔(164×82)と並んで
     21 宝暦11 駒 型 日月「ウーン 青面金剛供養塔」2鶏・3猿  91×39×35
     22 寛政8 柱状型 「庚申塔」3猿(台石)         63×27×19
     23 年不明 板駒型 青面金剛・1鬼・3猿          73×38
   の3基がある。21は、文字塔としては古い部類に属する。文字塔に珍しい2鶏が刻まれ、その
   下に3猿(像高11cm)がある。22の台石の3猿は、像高が8cmである。23は上欠で、第3手が
   弓と矢を持つ合掌6手像(像高30cm)らしい。鬼は前面を向くもので、下に3猿(像高9cm)
   がみられる。反対側には
     24 文政13 柱状型 日月「庚 申」             86×43×43
     25 宝暦5 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    117×55
   があり、台石に「講中」と横書きされている。25の主尊は、剣人6手像(像高68cm)で下部に
   3猿(像高13cm)がある。
 今回は、文政十三年の「庚申」柱状型塔と年不明の青面金剛刻像板駒型塔の2基を見逃している。
光明寺の墓地を抜けて赤城神社(流山6丁目)へ出る。今回はどうした訳か庚申塔2基と「庚申講中」銘がある手洗鉢を見逃している。前記の「流山を歩く」には、次のように記している。
    次いで6丁目の赤城神社を訪ね、境内の石段脇にある
     18 天保  板石型 「青面金剛」              51×35
     19 年不明 板石型 「庚申塔」               85×64
   をみる。18の主銘は、篆書体で書かれている。19の台石には、「奉納赤城山 大明神石百枚
   庚申講中」とあり、「秋元平八」などの13人の施主銘が刻まれているが、秋元以外は「境屋
   伊兵エ 伊勢屋5平 松阪屋孫兵ヱ」など屋号をつけている。
    石段の途中には、上が欠けた年不明の自然石「三夜塔」(47×46)がある。台石正面に「二
   十四人講中」の横書きの銘がある。石段を登った社殿前の水舎には、前面に篆書体の「奉納」
   とある寛政1年の手洗い鉢(58× 119×56)がある。左側面に「庚申講中 日掛講中」と刻ま
   れている。裏面には「野口長兵衛」など31人ほどの施主銘がある。
 赤城神社で収穫がないまま、次の流山寺(流山7丁目)へ向かう。境内へ入って左に次の丸彫りの猿田彦大神と大黒天が並んでいる。
  16 年不明 丸 彫 猿田彦大神・3猿             85×47×41
 16は杖をつく猿田彦大神丸彫り立像(像高67cm)(像高10cm)
 甲1 天保5 丸 彫 大黒天(台石)「甲子」          64×38
 甲1は俵の上に立つ大黒天丸彫像(像高46cm)、台石の正面に「甲子」、右側面に「天保五甲年」、左側面に「八月日」の銘がある。
 裏手にまわると、次の3基を含む百庚申がある。ざっと数えて66基ある。
  17 天保11 柱状型 日月「青面金剛」            (計測なし)
  18 年不明 板石型 「庚 申」                64×14
  19 年不明 板石型 「庚 申」                44×37
17は正面に「青面金剛」が主銘の文字塔、右側面に「天保十一辰年九月」の銘がある。
 18と19は百庚申の中の2基、共に表面に「庚申」の主銘を刻む。
 前回、確か光明院の墓地で大日如来庚申塔をみた記憶があったので、再び光明院に戻って墓地を探すと、記憶に残っていた大日如来がある。昭和54年11月25日にみた大日如来は、光明院ではなく、土手に立っていた。
   20 寛文6 丸 彫 金剛界大日如来「奉造立庚申供養」    167×41×34
 20は智拳印を結ぶスマートな金剛界大日如来(像高156cm)、背面に「アーンク 奉造立庚申供養并念佛供養爲二世/成就處」、右に「寛文六丙午年」、左に「九月吉日」の銘を刻む。
 前記の「流山を歩く」には、次のように記している。
    赤城神社の隣には光明寺があって、墓地には
     20 寛文6 丸 彫 金剛界大日               157×35
   が立っている。背面に「アーンク 奉造立庚申供養并念佛供養為二世成就所」と年銘が刻され
   ている。
 光明院を最後に流山電鉄の流山駅に向かい、往路と逆に流山電鉄〜JR武蔵野線〜中央線〜青梅線と乗り継いで帰宅する。平成9年の多摩石仏の会8月見学会では、1日歩いて70基の庚申塔を採塔している。10年前は随分元気があったのだと思う。(平成19・7・25記)
   〔初出〕『石佛雑記ノート11』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
あとがき
     
      流山の庚申塔に初めて接したのは、昭和54年11月25日のことである。当時、多摩
     石仏の会の会員だった中上敬一さんの車で多田治昭さんや房園敏子さんと一緒に市内の庚
     申塔を廻っている。次いで翌12月16日に再度訪ねた。
      「流山を歩く」は、平成9年8月17日(日)の多摩石仏の会8月例会で鈴木俊夫さん
     の案内で市内を歩いた。起点と終点はJR武蔵野線南流山駅で、この日は70基の庚申塔
     を調べている。10年前のまだ元気な頃だったから強行軍ができたが、今だったら8月の
     暑い日にとてもこのコースを廻るなんてとても考えられない。
      「流山庚申塔探訪展」は、今年7月20日(金)に市立博物館を訪ね、企画展「流山庚
     申塔探訪」を拝観する。中世の庚申板碑から昭和9年塔まで、年不明塔を含めて332基
     しかもこの他に百庚申が3か所みられる。こうした庚申塔のバックグランドがあるので、
     企画展を生んでいる。
      「流山市立中央図書館」は、企画展をみてから寄った中央図書館で石佛文献を調べてこ
     とを記している。庚申塔に限れば、3月発行の『流山庚申塔探訪』1冊で足りる。
      「流山市内を廻る」は、図書館を出から流山電鉄の流山駅までの間に庚申塔巡りのコー
     スを設定して歩いた。庚申塔巡りは、9年8月の逆コールをなぞっただけで、新しい発見
     はなく、前回みたものを見逃しているという結果に終わった。
      昭和54年は写真が残っているだけで、きちんと記録を残していなかったのが悔やまれ
     る。この時に撮った写真は『日本石仏事典』第2版(雄山閣出版 昭和55年刊)に掲載の
     した「飛天」や『日本の石仏』第23号(日本石仏協会 昭和57年刊)の「稲荷の像容の
     分類」などに利用した。
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                             流山の庚申塔を歩く      
                               発行日 平成19年9月 5日
                               発行日 平成19年9月22日
                               著 者 石  川  博  司
                               発行者 庚申資料刊行会
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