石川博司著      青梅の六地蔵を追う  発行 多摩野佛研究会
目次  ◎ 青梅の六地蔵の一様相  ◎ 青梅市内六地蔵巡り1   ◎ 青梅市内六地蔵巡り2
      ◎ 青梅市内六地蔵巡り3  ◎ 青梅市内六地蔵巡り4   ◎ 青梅市内六地蔵巡り5
      ◎ 青梅市内六地蔵巡り6   ◎ 青梅市内六地蔵巡り7  ◎ 青梅の六地蔵を追って
   あとがき
青梅の六地蔵の一様相

 日本石仏協会主催の第158回の石仏談話室は、平成19年2月4日(土曜日)に池袋の東京芸術劇場6階小会議室で行われた。この時の講師の1人・鳥沢隆憲さんが「六地蔵について」を講演される。これまで余り注意を払うことがなかった六地蔵の諸点に触れられていて参考になった。
 真言系密教(東密)の『覚禅抄』や天台系密教(台密)の『阿婆縛書鈔』は、図像の研究には使われている。しかし、江戸時代の信仰を知る上では『佛像図彙』が一般的であり、多くの石工が利用しているので欠かせない。ただ、『佛像図彙』は簡潔にまとめられているために、各宗派の呼称や出典などが入り交じっており、その点で特に注意を払う必要である。また「十王経」には、中国・朝鮮伝来の『閻羅王授記経』と日本で作られた『地蔵十王経』の2系統がある。
 鳥沢さんのお話で特に参考になったのは、宗派により六地蔵の名称の違いがはっきり示される。また、真言宗や天台宗では片手に持物を執り、片手で印を結ぶが、禅宗系統では両手で持物を採るという。名称や持物、出典などが明になったのは収穫である。
 もっとも宗派による六地蔵の名称が異なるのは、かつて瑞穂町箱根ケ崎・円福寺の住職から教示を受けた。それがあったので『増補改定 青梅市史 下巻』(青梅市 平成7年刊)の執筆には、「六地蔵の形像と名称」の1項目を設け、平成に造立された六地蔵5組の名称を示した(949頁)。
 真言宗の2か寺は同じ名称を用いていたが、1か寺は臨済宗や曹洞宗の禅宗系統の名称を使っていた。その点を寺に聞いたところ、施主が寺に相談をせずに勝手に石材店に注文して奉納した六地蔵である、という。
 六地蔵の名称を種々の文献と『佛像図彙』と対比し、宗派別の系統にグルーピングして示すと、次の表の通りである。
   文献と六地蔵の名称
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   ┃出典      ┃ 六地蔵の名称                ┃注記 ┃
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   ┃『佛像図彙』1 ┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃天台系┃
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   ┃天台宗常用法儀集┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃   ┃
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   ┃六地蔵和讃   ┃金剛願│金剛宝│金剛悲│金剛幡│放光王│預天賀┃   ┃
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   ┃地蔵十王経   ┃預天賀│放光王│金剛幡│金剛悲│金剛宝│金剛願┃注 1┃
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   ┃『佛像図彙』2横┃地 持│陀羅尼│宝 性│鶏 亀│法 性│法 印┃禅宗系┃
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   ┃曹洞宗行持規範 ┃法 性│陀羅尼│宝 陵│宝 印│鶏 兜│地 持┃注 2┃
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   ┃江湖法式梵唄抄 ┃法 性│陀羅尼│宝 陵│宝 印│鶏 兜│地 持┃   ┃
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   ┃『佛像図彙』2縦┃護 讃│辯 尼│破 勝│延 命│不休息│讃 龍┃真言系┃
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   ┃天台常用法儀集 ┃禅 林│無 二│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃一般例┃
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   ┃高野山真言宗系 ┃禅 林│無 二│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃   ┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃伝授録(真言宗)┃禅 味│牟 尼│観 讃│諸 救│伏 勝│不休息┃   ┃
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   (注1) 字数の関係で「佛説地蔵菩薩発心因縁十王経」は「地蔵十王経」の略称で示した。
   (注2) 『曹洞宗行持規範』では「地蔵王菩薩」を省略した名称で示した。
   (注3) 『佛像図彙』1は前の頁を示し、『佛像図彙』2は次頁である。「横」は図上に横
        書きした名称をもの、同「縦」は図像の横に縦書きした名称である。
   (注4) 『佛像図彙』2縦の「延命」は「光味」の別名があり、「真言系」は天台宗の1部
        で用いられている。
   (注5) 『佛像図彙』の各項目では種子や印相などが記されているが省略、名称も「地蔵」
        を略している。
 前記の天台系の『六地蔵和讃』と『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』の出典による六地蔵と持物と印相を比較すると、「金剛旗」と「金剛幡」の違いがみられるが、次に示す通り同じである。
   六地蔵の持物と印相
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   ┃六地蔵和讃           ┃佛説地蔵菩薩発心因縁十王経   ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃六道│尊   名│左 手│右 手┃
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   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃
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   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛旗│施無畏┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃
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 前記の表は天台宗系統の六地蔵の持物と印相であるが、次表は臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』と『佛像図彙』による尊名と持物を表示すると、次の通りである。天台宗や真言宗系統の六地蔵と異なり、片手で印を結ばずに両手で持物を執る。参考までに『江湖法式梵唄抄』に合わせて比較し易いように、下段に記載順序を変えて『佛像図彙』を示す。
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   ┃江湖法式梵唄抄         ┃佛像図彙         ┃
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   ┃尊   名│持  物│六道配当 ┃尊   名│持 物┃備 考┃
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   ┃法性地蔵 │手持香炉│地獄道教主┃法性地蔵 │柄香炉┃   ┃
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   ┃陀羅尼地蔵│手持宝珠│餓鬼道教主┃陀羅尼地蔵│鉄 鉢┃注 記┃
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   ┃宝陵地蔵 │合  掌│畜生道教主┃宝性地蔵 │合 掌┃   ┃
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   ┃宝印地蔵 │手持旌旗│修羅道教主┃法印地蔵 │金剛幡┃   ┃
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   ┃鶏兜地蔵 │手持錫杖│人道道教主┃鶏亀地蔵 │錫 杖┃   ┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃地持地蔵 │手持念珠│天道道教主┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃
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   〔注 記〕 この陀羅尼地蔵に限り、左手に鉄鉢を持ち、右手で施無畏印を結ぶ。他の地蔵は
         両手で持物を執る。
 今月13日(火曜日)には、青梅市二俣尾と梅郷地区の石佛を散歩した。この時の記録は『石佛雑記ノート4』(多摩野佛研究会 平成19年刊)に記載したので、詳しいことは同書に譲る。この日はJR青梅線青梅青梅市二俣尾・長泉院(曹洞宗)、柚木町・即清寺(真言宗)、梅郷・大聖院(真言宗)の3か寺を廻り、寺にある六地蔵を記録したので比較のために一表にまとめる次の通りである。
   ┏━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┓
   ┃長泉院(曹洞宗)  ┃即清寺(真言宗)  ┃大聖院(真言宗)  ┃
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   ┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃
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   ┃鶴亀地蔵 │錫杖宝珠┃護讃地蔵 │数  珠┃放光王地蔵│錫杖宝珠┃
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   ┃陀羅尼地蔵│印/宝珠┃無二地蔵 │棒(幡)┃金剛宝地蔵│印/宝珠┃
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   ┃法性地蔵 │合  掌┃禅林地蔵 │錫杖宝珠┃金剛悲地蔵│印/錫杖┃
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   ┃地持地蔵 │数  珠┃伏息地蔵 │印/宝珠┃地持地蔵 │柄香炉 ┃
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   ┃宝性地蔵 │柄香炉 ┃伏勝地蔵 │柄香炉 ┃法性地蔵 │数  珠┃
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   ┃法印地蔵 │幡  幢┃諸龍地蔵 │合  掌┃宝性地蔵 │合  掌┃
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 先ず六地蔵の名称からみると、長泉院は『佛像図彙』の通りの名称を用いている。「宝陵」が「宝性」に、「宝印」が「法印」になる違いがみられるもの、他は『曹洞宗行持規範』や臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』や禅宗系である『佛像図彙』とほぼ同じ名称を用いている。即清寺は『高野山真言宗系』や『天台常用法儀集』と同じ名称である。
 前の2か寺と著しく異なるのは、大聖院が用いている名称である。「放光王地蔵」「金剛宝地蔵」「金剛悲地蔵」の3地蔵は、天台(密教)系の『天台宗常用法儀集』や『六地蔵和讃』『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』と同じ名称を用いている。他の「地持地蔵」「法性地蔵」「宝性地蔵」の3地蔵は、禅宗系の『曹洞宗行持規範』や『江湖法式梵唄抄』の名称である。つまり天台系の名称と禅宗系の名称とが入り交じっている。
 こうした密教系3体と禅宗系3体の名称を用いたのは、この3体ずつの間にある願王尊(錫杖と宝珠を執る大型の地蔵坐像)の台石に謎解きの手掛かりがある。この台石には、吉野村の由来が刻まれているからである。
 江戸時代の村別に旧吉野村の寺院を挙げると、次の通りである。
   畑中村 地蔵院(臨済宗)  〔廃寺〕普通庵(臨済宗)・大宮寺(本山修験)
   和田村 徳昌寺(臨済宗)
   下 村 大聖院(真言宗)・竹林寺(曹洞宗)・天沢院(曹洞宗) 〔廃寺〕聖寿院(修験)
   柚木村 即清寺(真言宗)・忠堂院(真言宗)
 この寺院分布からみて、旧吉野村は真言宗と禅宗系の臨済宗と曹洞宗から成り立っていたことがわかる。こうした宗派の状況から、折衷の六地蔵が生まれたものと推測される。
 次に六地蔵の持物をみると、長泉院は『江湖法式梵唄抄』『佛像図彙』と比較すると、法性地蔵が柄香炉を執らずにが合掌し、宝性地蔵が合掌せずに柄香炉を執っている。つまり本体と台石が逆に配置されている。
 仮に『天台宗常用法儀集』の名称の順が六道配当や持物が同じとすると、次の表のように推定される。これを即清寺の持物を当てはめてみると、余りに違いありすぎる。即清寺の場合は何を基本として持物を定めたのであろうか。
   ┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   ┃出典      ┃六地蔵の名称                 ┃
   ┣━━━━━━━━╋━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┫
   ┃天台宗常用法儀集┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃
   ┣━━━━━━━━╋━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┫
   ┃天台宗常用法儀集┃禅 林│無 二│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───┨
   ┃高野山真言宗系 ┃禅 林│無 二│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃
   ┠────┬───╂───┼───┼───┼───┼───┼───┨
   ┃推  定│六 道┃天 人│人 間│修 羅│畜 生│餓 鬼│地 獄┃
   ┃    ├───╂───┼───┼───┼───┼───┼───┨
   ┃    │持 物┃如意珠│錫 杖│金剛旗│錫 杖│宝 珠│炎魔幡┃
   ┣━━━━┿━━━╋━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┫
   ┃即清寺 │持 物┃杖/珠│棒  │数 珠│合 掌│柄香炉│印/珠┃
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 大聖院の持物の場合も、何を基準にして像像されたものか不明である。
   ┏━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━┓
   ┃大聖院の六地蔵   ┃出典の六地蔵       ┃     ┃
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   ┃尊   名│持  物┃尊   名│持 物│印 相┃出   典┃
   ┣━━━━━┿━━━━╋━━━━━┿━━━┿━━━╋━━━━━┫
   ┃放光王地蔵│錫杖宝珠┃放光王地蔵│錫 杖│説法印┃六地蔵和讃┃
   ┠─────┼────╂─────┼───┼───┨     ┃
   ┃金剛宝地蔵│印/宝珠┃金剛宝地蔵│宝 珠│与願印┃     ┃
   ┠─────┼────╂─────┼───┼───┨     ┃
   ┃金剛悲地蔵│印/錫杖┃金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃     ┃
   ┣━━━━━┿━━━━╋━━━━━┿━━━┿━━━╋━━━━━┫
   ┃地持地蔵 │柄香炉 ┃地持地蔵 │数 珠│───┃佛像図彙 ┃
   ┠─────┼────╂─────┼───┼───┨     ┃
   ┃法性地蔵 │数  珠┃宝性地蔵 │合 掌│───┃     ┃
   ┠─────┼────╂─────┼───┼───┨     ┃
   ┃宝性地蔵 │合  掌┃法印地蔵 │金剛幡│───┃     ┃
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 ともかく宗派によって尊名の違いがみられ、持物にも異同がみられることは、実地で六地蔵をみて記録すればわかる。しかし、実際と出典との違いが何によって生ずるかは今の所は不明である。これからも事例を集めて調査してみないことには埒があかない。
 今回のように僅か3例を取り上げただでも、単に尊名や持物を列記する分には問題は少ないが、拠り所となる物が何か、となるとくわからないのが実情である。ただ六地蔵がある程度の理解であればよいが、突っ込んでみてみると益々わからなくなる。(平成19・3・16記)
             〔初出〕『石佛雑記ノート5』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り1

 平成19年3月20日(火曜日)は、青梅と千ケ瀬の六地蔵を巡る。
 最初に訪ねたのは、住江町の延命寺(臨済宗)である。山門前の左右に木祠があり、文政3年に造られた丸彫六地蔵(像高76cm)が3体ずつ安置されている。右側は手前から拱手上に宝珠を持つ「陀羅尼地蔵」、宝珠と錫杖を執る「鶏兜地蔵」、幡幢を持つ「寳印地蔵」の順に並ぶ。左側は奥から数珠と片手拝みの「地持地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、柄香炉の「法性地蔵」である。
 次は近くにある千ケ瀬町6丁目の宗建寺(臨済宗)、墓地入口の木祠内に寛政10年の造立の丸彫六地蔵(像高76cm)が一列に並ぶ。右から柄香炉を執る「葆勝地蔵」、龍頭が付く幡幢を持つ「陀羅尼地蔵」、合掌の「瑞陵地蔵」、天蓋を執る「寳印地蔵」、宝珠と錫杖を持つ「鶏兜地蔵」、数珠を執る「地持地蔵」の順である。「葆勝地蔵」や「瑞陵地蔵」は聞き慣れない尊名である。
 3番目は千ケ瀬町3丁目にある聚徳院(臨済宗)、墓地入口にある瓦葺き木祠の中に平成4年造像の丸彫六地蔵(像高61cm)が安置される。右端は柄香炉を執る「法性地蔵」、以下、数珠の「地持地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、幡幢の「宝印地蔵」、数珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」が順に並ぶ。
 次の勝沼町1丁目の乗願寺(時宗)には、かつて一石六地蔵があったが境内に見当たらない。
 4番目に西分町の宗徳寺(臨済宗)を訪ねる。坂を登った墓地の入口にあるブロック祠の中には、昭和55年に造られた六地蔵が一列に並ぶ。右から数珠の「地持地蔵」、柄香炉を逆手で持つ「法性地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、幡幢の「寳印地蔵」、宝珠と錫杖を執る「鶏兜地蔵」である。
 5番目が仲町の梅岸寺(真言宗)、鐘楼の手前にある木祠内に円光背をつけた六地蔵(像高71cm)がみられる。昭和4年の丸彫像である。右から宝珠と錫杖の「禅林地蔵」、幡幢の「無二地蔵」、数珠の「護讃地蔵」、合掌の「諸龍地蔵」、柄香炉の「伏勝地蔵」、天蓋の「伏息地蔵」の順である。台石正面に尊名を刻むのは、これまでに廻ってきた寺と同じであるが、例えば「カ 伏息地蔵」のように尊名の上に種子を記している。これまでが臨済宗の六地蔵を廻ってきたので、真言宗とは種子と尊名の点で違いがある。
 6番目に寄ったのが天ケ瀬町の金剛寺、梅岸寺と同じ真言宗豊山派の寺である。本堂の南側にある木祠の中には、六地蔵(像高61cm)が一列に並ぶ。右から宝珠と錫杖を執る「禅林地蔵」、幡幢を持つ「無二地蔵」、数珠を執る「護讃地蔵」、合掌の「諸龍地蔵」、柄香炉を持つ「伏勝地蔵」、天蓋を執る「伏息地蔵」である。梅岸寺と同様に配列も持物も同じで、尊名の上に種子を刻んでいる。
 7番目が大柳町の清宝院(大柳不動)、真言宗醍醐寺系の当山派修験である。墓地入口前の木祠に六地蔵(像高60cm)が安置されている。石像や蓮華座には造立年代がみられないが、六地蔵堂の寄付者連名の最後に「平成十三年七月吉日」とあるから、同年の造立である。これまでの寺では、台石正面に尊名を記しているが、ここでは木札に例えば「諸龍地蔵尊」と記されて背後に掲げている。これまでの6か寺と異なるのは、左右3体ずつの間に丸彫りの聖観音(像高92cm)を置いていることである。右から幡幢の「諸龍地蔵尊」、宝珠と片手拝みの「辨尼地蔵尊」、数珠の「護讃地蔵尊」で次に聖観音が並ぶ。隣に逆手で柄香炉を持つ「不休息地蔵尊」、合掌の「破勝地蔵尊」、宝珠と錫杖を執る「延命地蔵尊」の順である。これまでとは違った尊名が登場する。
 次いで滝の上町の東光寺(真言宗)、ここは六地蔵ではなく青面金剛木像が目的である。『青梅市仏像調査概報告・』(青梅市教育委員会 平成6年刊)46頁(写真)と73頁(データ)に載っていたので訪ねる。思ったよりも小さなもの、厨子(総高21cm)に入っている。厨子の扉の幅が9cm、奥行きが6cmである。青面金剛は木彫、火炎光背のある彩色6手立像(像高10cm)、上方手は矛と持物なし、中央手は首(鈴かもしれない)を下げてと独鈷を横に持ち、下方手は弓と片腕と持物に欠けている。市内にはもう1か寺、友田町4丁目の花蔵院(臨済宗)の青面金剛木像がみられる。
 最後に訪ねたのが滝の上町の常保寺,千ケ瀬町の宗建寺などと同じ臨済宗建長寺派の寺である。墓地をバックにして入口に木祠があり、中に六地蔵(像高59cm)を安置する。六地蔵の中央に厨子に安置された聖観音木像が置かれている。六地蔵の台石をみると、右端の鶏兜地蔵の台石左側面に「維時明治十七年甲□」とあり、寳勝地蔵の台石右側面に「明治十五年」と年銘が2種みられる。右から数珠と片手拝みの「鶏兜地蔵」、宝珠と錫杖の「寳陵地蔵」、合掌の「寳印地蔵」、間に聖観音厨子があって幡幢の「陀羅尼地蔵」、天蓋の「寳勝地蔵」、柄香炉の「地持地蔵」である。それぞれの地蔵の背後には「鶏兜地蔵 人間」、以下「寳陵地蔵 畜生」、「寳印地蔵 修羅」、「陀羅尼地蔵 餓鬼」、「寳勝地蔵 地獄」、「地持地蔵 天上」の木札が掛かっている。
 これまで記したように、真言宗と臨済宗では六地蔵の尊名に違いがみられるのは明かである。配列については、それぞれの寺でバラバラであるのも分かる。かつて『増補改定 青梅市史 下巻』(青梅市 平成9年刊)で六地蔵を取り上げたが、尊名は尊名だけ、持物は持物だけにわけて記載し、両者の関連には一切ふれていなかった。今回の六地蔵巡りで、その欠は補えたはずである。
 今回は午後1時から約3時間半で10か寺を廻り、8か寺で六地蔵を調べる。歩数は11806である。(平成19・3・20記) 〔初出〕『石佛雑記ノート5』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り2

 平成19年3月21日(水曜日)は春分の日、昨日に続いて青梅市内の六地蔵巡りを行う。今回は調布地区を中心とする。青梅駅前から午後0時32分発の小作駅西口行き多摩バスで「友田南」のバス停まで乗る。
 最初に訪ねたのは、バス停前にある友田町4丁目の花蔵院(真言宗)、お彼岸で墓参の人たちで賑わっている。墓地の入口にある木祠の中には、丸彫六地蔵(像高41cm)が安置されている。右から宝珠と錫杖を持つ「禪林地蔵」、柄香炉を執る「無二地蔵」、数珠を持つ「護讃地蔵」、合掌の「諸竜地蔵」、宝珠を両手で持つ「伏勝地蔵」、幡幢を執る「伏息地蔵」の順に並ぶ。台石の尊名の上には各々の地蔵の種子を刻む。昨日廻った梅岸寺や金剛寺でみた真言宗の六地蔵と同様である。年銘は見当たらない。この寺には青面金剛木像があるが、忙しそうなので見学は遠慮する。
 多摩川橋を渡って羽村市へ入り、途中の羽西3丁目の松本神社に寄る。
 青梅市に入って2番目は河辺町2丁目の東円寺(真言宗)、先ず境内にある光背型庚申塔(102×46cm)を調べる。主尊は合掌6手の青面金剛立像(像高32cm)、像の右に「元禄四辛未暦」、左に「十一月吉日」の年銘がある。中間にある正向型3猿(像高12cm)の下に「武州多摩郡三田領/汝等所行是菩薩行敬白/奉造立爲供養□諸施主二世安樂/漸々修学悉當成佛寒念佛/庚申待河邊村同行三十人」の銘文を刻む。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)156頁に「河辺町東円寺の旧状・と現状・」として撮影年の異なる新旧2枚の写真を掲げたが、今回みるとまた周囲の状況が変わっている。
 この寺の平成9年造立の丸彫六地蔵(像高59cm)は、本堂西側(春日神社寄り)にある木祠の中に一列に並んでいる。先にみた花蔵院と尊名が同じ配列、尊名の上に種子を刻むところも同1である。違いがあるのは地蔵2体の持物、「無二地蔵」が柄香炉でなく宝珠と片手拝み、「伏勝地蔵」が両手で持つ宝珠が柄香炉に代わっている。
 東円寺から西へ進み、左折して南へ向かい、下奥多摩橋を渡って3番目の長渕4丁目の玉泉寺(臨済宗)へ出る。山門脇の木祠内に丸彫六地蔵(像高66cm)が並んでいる。右から「地持」、宝珠と錫杖の「鶏兜」、「宝印」「陀羅尼」「宝陵」「法性」の順である。1体毎にに前掛けが10枚も掛けてあるので、「鶏兜地蔵」の錫杖が僅かにみえる以外は持物や印相が全くわからない。墓参の方々が多いので、前掛けを1枚1枚はずしていては時間が掛かるので外しているわけにはいかない。諦めて参道にある庚申塔をみる。
 この寺には3基の庚申塔がある。層塔の傍らにある板石型の「庚申塔」は、正月5日の七福神詣でみているので、省略した2基をみる。1基は合掌6手の青面金剛立像(像高32cm)、像の右は欠けてわからないが年銘らしい。左は施主銘で上が不明で、下の「下長淵村中」が読める。下部に正向型3猿(像高8cm)を浮彫りする。
 他の1基は自然石の文字塔(88×52cm)で、主銘は「庚申」、離れて右に「元治二丑年」の年銘、左には「下長淵 双木長右ヱ門」の施主銘を彫る。
 玉泉寺から吉野街道を西に向かい、途中で郷土博物館に寄ってから4番目に駒木町3丁目の寿香寺(曹洞宗)を訪ねる。山門の手前にある鉄骨の柱に覆屋根をつけた下には、丸彫六地蔵(像高62cm)が並んでいる。台石は1つになっていて、それぞれの地蔵の前に黒字で記された金属プレートがついている。右から柄香炉の「法性地蔵」、数珠の「地持地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、幡幢の「宝印地蔵」、宝珠の「陀羅尼地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」の順である。六地蔵の脇にある金属プレートには、六地蔵につて記され、それぞれの地蔵の六道の配当が示されている。法性地蔵の「地獄道」から始まり、以下順に餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道、鶏兜地蔵の「天道」となっている。
 この寺の六地蔵は、白御影石を使っているので新しいのがわかる。年銘がどこにも見当たらないので庫裏を訪ね、奥さんに聞くと「平成八年」という。それでも11年が経っていることになる。境内が整備されていない頃を知っているだけに、現在が山門が作られ、墓地の周囲を塀で囲った光景は違和感がある。
 寿香寺からさらに吉野街道を西へ進み、最後の地蔵院(臨済宗)に向かう。山門前の木祠の中に一列に並ぶ昭和51年造立の丸彫六地蔵(像高32cm)がみられる。右から左へ宝珠と錫杖の「法性地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、幡幢の「宝陵地蔵」、合掌の「宝印地蔵」、数珠の「鶏兜地蔵」、柄香炉の「地持地蔵」である。
 地蔵院からさらに日向和田の明白院(曹洞宗)を予定していたが、連日の疲れが出たので地蔵院で打ち止めにする。昨日寄った清宝院や常保寺の前を通り、4時45分に帰宅する。約4時間15分の六地蔵巡り、歩数は18389歩である。(平成19・3・21記)
              〔初出〕『石佛雑記ノート5』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り3

 平成19年3月23日(金曜日)は、3回目の青梅市内六地蔵巡りを行う。今回は小曽木地区に重点を置く。午後0時40分に家を出て、青梅坂トンネルを経由して黒沢に入る。青梅坂を下って右手にある大谷石で囲われた祠の中には、以前あった享保6年の青面金剛光背型塔がない。すでに、今年1月5日の七福神巡りの時に失われているのに気付いていた。
 下栃谷・薬師堂の脇にある自然石「庚申塔」があるのを確認し、六地蔵の最初は黒沢3丁目1578の聞修院(曹洞宗)を訪ねる。寺の入口には、昭和61年造立の露座の丸彫り六地蔵立像(像高61cm)が並ぶ。右から宝珠と錫杖の「地獄 大智悲地蔵菩薩」、合掌の「餓鬼 大清浄地蔵菩薩」、幡幢の「畜生 大光明地蔵菩薩」、柄香炉の「修羅 清浄無垢地蔵菩薩」、数珠の「人道 大清浄地蔵菩薩」、宝珠の「天道 大堅固地蔵菩薩」の順である。
 聞修院の場合は、これまで青梅市内でみた尊名にみられない六地蔵名が記されている。『覚禅鈔』には、次の六道配当、尊名、別称、持物(印相を含む)を挙げている。
   六道 尊名     別称    持物・印相
   地獄 大定智悲地蔵 地蔵菩薩  錫杖・宝珠
   餓鬼 大徳清浄地蔵 宝手菩薩  宝珠・与願印
   畜生 大光明地蔵  宝処菩薩  宝珠・如意
   修羅 清浄無垢地蔵 宝印手菩薩 宝珠・梵筺
   人道 大清浄地蔵  地持菩薩  宝珠・施無畏印
   天道 大堅固地蔵  堅固意菩薩 宝珠・経
 これをみると、聞修院の六地蔵はほほこの『覚禅鈔』に準じているが、印相を示すものはなく、大清浄地蔵が「宝珠・施無畏印」ではなく「数珠」に代わるように、印相はなくて持物にも違いがみられる。左端の地蔵の台石左側面に「六道能化地蔵願王菩薩建/願以此功徳 普及於一切/我等與衆生
 皆共成佛道/維時昭和六十一丙寅年四月吉日/先祖累代精霊供養之處/志主 田中良之助/妻 ヒサ」の銘文を刻む。
 路傍にある2か所の庚申塔、柳井宅西側の庚申塔を確認し、黒沢1丁目519の竜雲寺(曹洞宗)へ寄ってから、次は小曽木3丁目目1866の福昌寺(真言宗)へ行く。境内にも庚申塔がみられるが、今回は調査省略である。
 墓地の入口にある木祠の中には、昭和43年造立の光背型塔に浮彫りされた六地蔵立像(像高54cm)が一列に並ぶ。右から宝珠と錫杖の「禅林地蔵菩薩」、宝珠と片手拝みの「無二地蔵菩薩」、数珠の「護讃地蔵菩薩」、合掌の「諸龍地蔵菩薩」、柄香炉の「伏勝地蔵菩薩」、幡幢の「伏息地蔵菩薩」の順である。尊名の上には種子が刻まれ、尊名は全て横書きである。各地蔵の裏面には「昭和四十三年四月吉日」の年銘と施主が希望した銘文が彫られている。例えば「禅林地蔵菩薩」の裏には、造立年銘の月に「爲万田家先祖菩提/万田松五郎」の銘がある。
 3番目は小曽木4丁目2809の高徳寺(曹洞宗)、参道に露座の頭部に円光背がついている丸彫り六地蔵立像(像高57cm)がみられる。右から数珠の「陀羅尼地蔵尊」、合掌の「法性地蔵尊」、幡幢の「寶積地蔵尊」宝珠と片手拝みの「宝印地蔵尊」、天蓋の「地持地蔵尊」、柄香炉の「鶏兜地蔵尊」の順である。
 地蔵本体にも台石にも年銘がないので庫裏へ行って若住職に尋ねると、台石は明治年間のもので、地蔵が破損したので現在の六地蔵立像は昭和43年に造られたという。明治の丸彫り六地蔵立像1体だけ残っていて墓地にあるというので、案内していただく。地蔵は宝珠と錫杖を執る立像(像高65cm)、その台石とは違う物である。
 高徳寺から石倉院へ向かう途中で文字庚申塔の存在を確認する。4番目は小曽木5丁目岩蔵の石倉寺(曹洞宗)、今月10日(土曜日)に寺の下にある御嶽神社祭礼を訪ね、地口行灯を調べたばかりである。参道を隔てて本堂前に向かい合って木祠があり、中には丸彫り六地蔵立像(像高60cm)が安置されている。ここの地蔵台石には、これまでみた寺の六地蔵と異なり、地蔵の背後に縦41cmで幅が10cmの木札に尊名が記されている。右から柄香炉の「法性地蔵尊」、合掌の「陀羅尼地蔵尊」、数珠の「寶陵地蔵尊」、宝珠と片手拝みの「寶院地蔵尊」、幡幢の「鶏兜地蔵尊」、宝珠と鉄製の錫杖の「地持地蔵尊」が一列に並ぶ。六地蔵の中央に「奉六道能化地蔵願王菩薩」と記す木札(66×10cm)がみられる。
 この寺の六地蔵の造立年代は、地蔵本体にも台石にも刻まれてない。地蔵堂の左側面にある(41×10cm)には「六地蔵小屋建造/平成六年五月二十七日/塩野年一/塩野弘/塩野貞雄」と記されている。六地蔵の造立は、木祠ができた「平成六年五月二十七日」とみてよいと思う。
 小曽木から先の富岡に入り、5番目に訪ねたのが富岡3丁目1107の常福寺(曹洞宗)、無縁塔の手前にある木祠に平成4年秋彼岸に造立された丸彫り六地蔵立像(像高75cm)が安置されている。右から柄香炉の「地持地蔵王菩薩」、数珠の「鶏兜地蔵王菩薩」、合掌の「宝印地蔵王菩薩」、幡幢の「宝陵地蔵王菩薩」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵王菩薩」、宝珠と錫杖の「法性地蔵王菩薩」の順の配列である。
 先に進んで6番目は富岡1丁目132の常秀院(曹洞宗)、駐車場にある木祠に平成8年に造られた丸彫り六地蔵立像(像高76cm)が並ぶ。右から合掌の「法性地蔵尊」、数珠の「陀羅尼地蔵尊」、幡幢の「寶陵地蔵尊」、宝珠と錫杖の「寶印地蔵尊」、宝珠と片手拝みの「鶏兜地蔵尊」、柄香炉の「地持地蔵尊」である。
 常秀院から富岡2丁目の畑の中にある弁天をみてから、日影林通りを抜けて最後の成木1丁目583の安楽寺(真言宗)へ向かう。辺りは段々と暗くなってくる。
 安楽寺の本堂の西側、墓地の入口に丸彫り六地蔵立像(像高91cm)を祀る木祠がある。右から3番目の地蔵の台石に年銘が刻まれ、六地蔵は平成元年8月に造立である。台石には尊名がみられず、木札などの記入もない。右から幡幢の地蔵、柄香炉の地蔵、宝珠と錫杖の地蔵、合掌の地蔵、宝珠と片手拝みの地蔵、数珠の地蔵の順である。これまでみてきた真言宗の寺にある六地蔵は、台石正面に種子と尊名を記している。この安楽寺の場合は施主銘や年銘、僧侶名が台石正面に記されている。
 バスの通過時間まで間があるので安楽寺から「成木二丁目自治会館」のバス停まで歩き、ここから都バスで「青梅駅前」まで乗る。家に着いたのは6時18分、歩数計の数字は22779歩である。(平成19・3・23記)    〔初出〕『石佛雑記ノート5』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り4

 平成19年3月27日(火曜日)は、青梅六地蔵巡りの4回目である。青梅駅前から午前8時13分発の上成木行きのに都バス乗り、「北小曽木」で下車して軍畑方面へ向かう。目的の成木8丁目正沢の正沢寺(曹洞宗)を見逃し、同・白岩の大泉院(曹洞宗)まで行く。
 道路に面した「白岩地蔵尊」の洗い出しのセメント造りの祠には、地蔵3体(内坐像1体)と如意輪観音が安置されている。何も期待はしていなかったが、光背型塔(52×31cm)に浮彫りされた如意輪観音(像高32cm)をみると、像の右に「北小曽木 吉五良/寒念佛行」、右に「寛政9年丁巳正月吉日」の銘がある。上にある寺まで行くと、西端の墓地に彫りのよい聖観音と如意輪観音の墓塔がある。共に延宝6年銘である。
 白岩から佐藤塚まで戻り、左折して松ノ木通りを北上し、松ノ木トンネルを抜けて成木7丁目大指へ出る。山道を松ノ木峠にある猿田彦大神を目指す。松ノ木峠へ登る道は荒れていて、途中で道を間違えて水のない谷川を進む。何か方角が違うようなので、左折して進むと峠に通じる道へ出る。
 峠には馬頭観音が3基と猿田彦大神1基が並んでいる。右端が「馬頭觀世音」安政5年柱状型塔(27×19×12cm)、次が光背型(62×33cm)塔に6手馬頭観音立像(像高39cm)を浮彫りする元禄元年塔、その横が上部に3面6手の馬頭観音坐像(像高17cm)を浮彫りし、像の下に「觀世音」と刻む天保6年柱状型塔(64×26×19cm)、左端が次の猿田彦大神塔である。
   1 天保2 駒 型 猿田彦大神                42×19×12
 1は両手で杖を持つ猿田彦大神の立像(像高32cm)を主尊にし、像の右に「猿田彦大神」の銘、左側面に「天保2卯6月」とあり、続く「吉日」の2字は苔の下である。以前から猿田彦大神の膝の部分から斜めに折れている。
 帰り道は迷わずに下る。途中までは最近も人の行き来があるみえて道もわかりやすが、その先は倒木が残っていたり、草が道を隠すような状態である。後少しという所で安心して気が緩み、滑って尻餅をつく。脚が弱くなったせいである。
 バス通りに出て高水山方面に行き、ついでだから成木7丁目大指の延命寺(真言宗)を訪ねる。現在、山門を改修中でネットが掛かっている。境内へ入り、薬師堂をガラス越しに覗くと厨子の前に奪衣婆坐像を真ん中に置き、左右に5体ずつ十王坐像が並ぶ。右端の置くに人頭幢があり、いずれも彩色されている。
 延命寺から東へ向かい、成木6丁目所久保の慈眼院を訪ねる。以前は本堂の前にあり、3猿台石の置換がみられた。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)の151頁に当時の写真が載っている。現在は観音堂の参道横に移され、庚申塔の下に3猿台石が納まっている。
 次の庚申塔と並んで上部に3面6手の馬頭観音坐像(像高20cm)を陽刻し、下に「觀世音」の文字を彫る文政2年柱状型塔(75×27×29cm)がある。
   2 文政9 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・3猿        71×27×19
 2は剣人6手立像、右側面に「文政九丙戌八月吉日/信心講中」、左側面に「上成木村所久保/願主 木崎次右ヱ門」の銘を記す。台石の正面に枠を造り、中に三不型の猿を浮彫りする。右端の塞目猿は閉じた扇子で目を隠し、中央の塞耳猿は両手で耳を抑えている。左端の塞口猿は拡げた扇子で口を覆っている。千ケ瀬・宗建寺の3猿などと同じ系列の「扇子型3猿」である。
 六地蔵の第1番は、成木5丁目久道の新福寺(曹洞宗)である。参道に沿って木祠があり、中に丸彫り六地蔵立像(像高62cm)が安置されている。右から柄香炉の「法性地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、幡幢の「宝印地蔵」、宝珠と鉄製の錫杖の「鶏兜地蔵」、数珠の「地持地蔵」の順に並ぶ。「法性地蔵」の台石右側面に「昭和五十八年四月建立/新福寺第二十二世・・・」とある。
 次に訪ねたのが六地蔵第2番の新福寺の先にある久道の慈福寺(曹洞宗)、先ず境内のある次の庚申塔をみる。裏面の年銘部分が拓本のためか墨で汚れている。
  3 享和3 自然石 「庚 申」               108×146
 3は表面に「庚申」の主銘、裏面に「享和三癸亥/十一月吉日」の年銘を刻む。
 庚申塔と反対側の本堂の左手に、露座の丸彫り六地蔵立像(像高52cm)が並ぶ。首のないものがあり、破損がみられる。尊名は台石からうかがえず、台石には「念佛講中」や「信心講中」、表面が剥落してしてい台石もある。右端から宝珠の地蔵、宝珠と片手拝みの地蔵、天蓋の地蔵、柄香炉の地蔵、宝珠と錫杖の地蔵(像高66cm 願王尊と思われる)、欠けている宝珠と錫杖の地蔵、欠けて持物不明の地蔵の順である。台石にも年銘が刻まれていないので、地蔵の石質や破損などの状態からみて江戸末期から明治年間頃の造立と思われる。
 3番目に成木4丁目八子谷にある高岩寺(曹洞宗)を訪ね、金網の外に並ぶ石佛群の中には、丸彫り六地蔵立像がある。六地蔵といっても、2体が失われている。右から幡幢を持つ地蔵、柄香炉を持つ地蔵、合掌の地蔵、2手の明治5年馬頭観音、寛政3年の定印阿弥陀坐像、宝珠と錫杖の地蔵である。台石正面に「念佛講中」(2体)、「爲有縁無縁」(2体)の銘があり、何れも「寛政三年」の年銘を刻む。
 これらの石佛群の右端に次の庚申塔がある。
   4 寛政10 柱状型 「庚申塔」                63×27×16
 4は正面に主銘の「庚申塔」、右側面に年銘の「維時寛政十戊午十月吉日」を彫る。
 次いで成木小学校(成木3丁目)前の墓地では、木祠の中に安置された勢至菩薩をみる。合掌の来迎相の丸彫り坐像(像高54cm)である。台石(88×43×24cm)の右側面に「武州多摩郡成木村」、左側面の「天ケ指/念佛講中」の銘がある。年銘が見当たらないので江戸時代の造立と推測できるが、造立年代は不明である。
 この勢至菩薩は地元で「産夜さま」と呼ばれ、赤の前掛けの他に名入りの輪が掛けられている。白布を重ねて縫った幅5cm、長さ100cmほどの白布を輪状にし、表面に氏名、裏面に誕生日を記す。昭和48年に調査した地元の師岡モトさん(明治31年生まれ)の聞書を『青梅市の石仏』97頁に載せた。
 通りに面している木祠の内には石佛が並び、中に馬頭観音3体がみられる。馬頭観音は右から明和7年の3面8手坐像、万延元年の3面6手坐像、享保10年の2手立像の3基である。この中で享保10年像(像高38cm)は両手で蓮華を執るもので、像の右に「奉納馬頭観音」、左に「享保十乙巳五月吉日」の銘文を刻む。この像の頭部の違いによって、馬首の馬頭観音か宝冠の聖観音かにわかれるところである。ハッキリした馬首とは断言しにくいが、かといて宝冠ともいいにくい。「奉納馬頭観音」の銘から馬頭観音の方が相応しい。
 安楽寺通りに入り、4番目の六地蔵がある成木3丁目2本竹の長蔵寺(曹洞宗)に向かう。薬師堂の裏に丸彫り六地蔵立像(像高58cm)を含む石佛群がみられる。右から合掌の「放光王地蔵」、数珠の「預天賀地蔵」、幡幢の「金剛宝地蔵」、天蓋の「金剛悲地蔵」、宝珠と錫杖の「金剛願地蔵」、宝珠と片手拝みの「金剛幢地蔵」である。
 金剛宝地蔵と金剛悲地蔵の間には、宝珠と錫杖を執る丸彫り地蔵立像と来迎印を結ぶ丸彫り阿弥陀如来立像(安永7年)の2体が立つ。この地蔵は六地蔵の願王尊かもしれない。台石正面に「2本木/寛政六甲寅年/有縁無縁三界万霊等/孟秋吉祥日/念佛講中」、右側面に「願主/現長蔵十二世笠雲謹誌」、左側面に「願以此功徳/普及於一切/我等與衆生/皆共成佛道」の偈文を刻む。
 次いで5番目の成木3丁目大蔵野の長全寺(曹洞宗)を訪ねる。この寺の地蔵木祠の中には、享保1年の安産疣取延命地蔵尊(丸彫り立像 像高約170cm)が祀られている。その木祠の手前に六地蔵の木祠がある。
 六地蔵は丸彫り立像(像高55cm)、台石(31×36×46cm)に尊名がみられず、左端の台石に「当山第二十世青龍守正/平成三年六月吉日建立」の2行が刻まれている。右から柄香炉を執る地蔵、宝珠と片手拝みの地蔵、合掌の地蔵、幡幢を地蔵、宝珠と錫杖の地蔵、数珠の地蔵である。
 成木2丁目小中尾の紫雲院に寄り、門前にある釈迦如来と十六羅漢をみてから、五百羅漢がある境内へ入る。以前訪ねた時に比べて五百羅漢の数が増え、自然石をくり抜き中に如意輪観音を浮彫りした像がみられる。
 太多摩霊園の管理棟の下を東へ向かう。成木2丁目の小中尾路傍にある次の塔をみる。
  5 年不明 自然石 「庚 申」                40×35
 5は上部が欠けて「庚申」と彫られているだけで、他の銘文はない。以前あった場所とはほとんど動いていないように思われるが、以前は地上にあった塔が、現在は石垣の中に祀られている。前には奉納されたものか、数多くの小石が置かれている。
最後に成木2丁目小中尾の光照院(成木不動 真言宗醍醐派)の前を通り、境内に石佛がないのを確かめてバス停へ向かう。バスが来るまで時間があるので「坂久橋」のバス停まで歩き、そこから都バスで帰宅する。のんびり歩いたせいか、28924歩の割りには疲れが少ない。もっとも松ノ木峠の山道を登ったのを除けば、下り道が長かったせいかもしれない。(平成19・3・27記)
             〔初出〕『石佛雑記ノート5』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り5

 平成19年3月29日(木曜日)は、青梅市内六地蔵巡りの第5回である。今回は霞地区を重点地域にするが、前回(27日)の時に見逃した成木8丁目正沢の正沢寺(曹洞宗)を含め、天気が良いので成木7丁目松ノ木峠の猿田彦大神の撮影に再挑戦する。
 青梅駅前から北小曽木廻り上成木行きの都バスに乗り、前回の「北小曽木」下車と異なり、終点1つ手前の「大指」で降りる。先ずは多摩石仏の会写真展に出品予定の松ノ木峠にある猿田彦大神の撮影を目指す。
 前回道を間違えてので、今回は気をつけて無事に松ノ木峠に到達し、撮影まではよかった。ところが撮影後に成木8丁目側に出ようとしたのが間違いのもとで、1部の尾根道は歩き易かったが、急斜面の上り下りを行う。30分ほど歩いたけれども、とても簡単には抜けられる見通しがない。これ以上進んでも、もう1つ急斜面のピークを越えなければならない。諦めて松ノ木峠の石佛群まで戻る。70分位の時間ロスである。
 なまじ平成7年11月12日に多摩石仏の会で案内した時に、道を誤って松ノ木トンネルの南側に出た経験があるだけに今回の失敗である。12年前の当時からみれば、体力も気力も衰えている。歳は取りたくないものである。途中で道から1mほど落ちるアクシデントがあったが、ともかく前回とは大指に出て逆に松ノ木トンネルを抜ける。
 六地蔵の第1番は、前回見逃した成木8丁目正沢の正沢寺(曹洞宗)、寺入口の参道沿いに露天の丸彫り立像(像高45cm)が並んでいる。各地蔵の前には、尊名を記す石プレート(8×31×4cm)が並び、線香立て(30×40×15cm)の左側面には「平成六年」の年銘と寄贈した石材店の名前がみられる。
 六地蔵は右から順に宝珠と錫杖の「法性地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、幡幢の「宝陵地蔵」、合掌の「宝印地蔵」、数珠の「鶏兜地蔵」、柄香炉の「地持地蔵」の順である。境内にある木祠には、弥陀一尊種子の板碑が3基みられる。
 正沢寺から蜆沢の蜆沢院(曹洞宗)を経て、成木8丁目の新吹上トンネルの手前にある木祠に安置される次の庚申塔をみる。
   1 文化3 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿     66×28×20
 1は青面金剛立像(像高48cm)、下部に内向型3猿(像高8cm)を浮彫りする。右側面に「文化三丙寅十一月吉日」、左側面に「願主/木崎喜八」の銘がある。以前は交差点付近の路傍にあったが、道路の拡幅工事のため現在地に移された。
 数分の差で都バスに乗り損なったが、坂下のバス停から直ぐに来た遠回りになる小曽木経由で「根ケ布」へ出る。2番目は根ケ布の天寧寺(曹洞宗)、先ず山門の前の六地蔵とは反対側にある次の庚申塔をみる。
   2 慶応2 板石型 「庚申塔」               104×123
 2は表面には隷書体の文字で「庚申塔」の主銘、裏面には「慶應二龍次丙寅/十一月最勝日」の年銘を刻む。
 六地蔵が円光背(光背を含め像高63cm)がある丸彫り立像(像高56cm)、中央に丸彫り薬師如来立像(像高65cm)が木祠内に安置される。台石正面には「乃至法界平等利益」や「爲先祖太々菩提」などの銘文を刻み、尊名は記さない。右から柄香炉の地蔵、合掌の地蔵、宝珠の地蔵、間に薬師如来を置き、天蓋の地蔵、宝珠と錫杖の地蔵、宝珠と片手拝みの地蔵の順に並ぶ。木祠には地蔵の背後には「六地蔵尊改修寄付」の木札がみられ、末尾に「大正十一年五月一日」の年銘を記す。
 3番目に東青梅6丁目の光明寺(曹洞宗)を訪ね、通りに面して立つ庚申塔をみる。
   3 天保5 自然石 「庚 申」                78×41
 3は表面に「庚申」の主銘、裏面に「天保五年歳在/甲午十二月中漸/化主當山珍叟/現住十八世代」の銘を記す。
 六地蔵は墓地入口の露天にみられ、円光背(光背を含め像高さ60cm)を付ける丸彫り立像(像高55cm)である。持物に彩色が施されている。右から宝珠と錫杖を執る「鶏兜地蔵」、幡幢を執る「陀羅尼地蔵」、宝珠を執る「法性地蔵」、拂子を執る「地持地蔵」、柄香炉を執る「寳性地蔵」、天蓋を執る「宝印地蔵」である。左端の宝印地蔵の台石左側面に「昭和四十三年三月建/当所/施主 吉川重蔵/仝正一」の銘文がある。六地蔵の前には花立て台があり、右は正面に「天下泰平」、右側面に「明治百年」、左は「交通安全」、左側面に「昭和四十三年三月建立/吉川重蔵」と刻む。
 続いて4番目は師岡町1丁目の妙光院(曹洞宗)、境内にある木祠の中に丸彫り六地蔵立像(像高47cm)が一列に並ぶ。右から柄香炉の「法性地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、宝珠の「地持地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、幡幢の「陀羅尼地蔵」、天蓋の「寳印地蔵」の順である。左端にある寳印地蔵の左側面に「當院十八世高井達三/昭和二年九月如意日/建」と年銘がみられる。
 5番目の吹上の宗泉寺へ向かう路傍に、石塔(90×60cm)に厚肉彫りされた3面6手の馬頭観音坐像(像高73cm)がみられる。台石正面に「馬頭観世音」、左側面に「平成十年六月建立/施主 野村清一/妻トモ」とある。
 宗泉寺(曹洞宗)の石段脇に木祠があり、中に丸彫り六地蔵立像(像高53cm 円光背を含めると59cm)が安置されている。右から宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、幡幢の「陀羅尼地蔵」、数珠の「寳陵地蔵」、拂子の「地持地蔵」、柄香炉の「法性地蔵」、天蓋の「寳印地蔵」の順に一列に並んでいる。地蔵には年銘がみられないが、「六地蔵尊改修寄付」と刻む板石型塔に「昭和三十三年」の年銘が記されている。
 境内に入るとベニシダレが満開である。墓地の入口にある三界万霊塔の左横に青梅市内で最も古い「青面金剛」銘を刻む次の庚申塔がある。
   4 延宝8 板駒型 日月「青面金剛」3猿           64×30
 4は上部に日月、中央に主銘の「イ 青面金剛」、下部に正向型3猿(像高15cm)を浮彫りする。通常の庚申塔に刻まれた種子は「ウーン」、このような「イ」は珍しい。
 宗泉寺から6番目の塩船の塩船寺(真言宗)へ向かう。山門の前に笠付型「疱瘡神」塔がある。丸彫り六地蔵立像は(像高77cm)は、墓地入口の木祠の中に並ぶ。右から合掌の「禪林地蔵」、宝珠と片手拝みの「無二地蔵」、数珠の「護讃地蔵」、柄香炉の「諸龍地蔵」、幡幢の「伏勝地蔵」、宝珠と金属製錫杖の「伏息地蔵」である。各地蔵の尊名の上に種子が刻まれている。
 塩船から大門に入り、大門1丁目の大門会館を訪ねる。敷地内には次の庚申塔がある。
   5 寛政6 柱状型 「庚申塔」桃木              61×32×31
 5は枠の中に「庚申塔」の主銘、右側面に「精進恭敬降福禧/易止世福菩提可期」とある。左側面には「毘盧神變加持方便/現金剛身稱青面維時寛政六年甲寅之冬十一月吉辰建篶/武州多麻郡大門村/惣講中 敬白」の長文を記す。
 庚申塔と反対側にある木祠の中には、六地蔵単制石幢(61×32×31cm)が安置去れている。塔身の6面に地蔵立像(像高20cm)が浮彫りされる。台石に「享和二年」の年銘を彫る。
 7番目は大門1丁目の大門墓地にある1石六地蔵(113×120×44cm)、円光背付きの浮彫り立像(像高46cm 円光背を含めると51cm)が並び、下に尊名を刻む。右から数珠の「護讃地蔵」、幡幢の「護讃地蔵」、宝珠の「無二地蔵」、合掌の「諸龍地蔵」、柄香炉の「伏勝地蔵」、宝珠と片手拝みの「禪林地蔵」の順である。左側面に「平成十二年三月吉日/大門墓地管理委員会」と記す。
 最後は今寺1丁目の報恩寺(天台宗)、墓地入口にある木祠内に丸彫り六地蔵立像(像高59cm)が並ぶ。右から宝珠と錫杖の「預天賀地蔵尊」、幡幢の「放光王地蔵尊」、蓮華の「金剛幢地蔵尊」、合掌の「金剛悲地蔵尊」、数珠の「金剛宝地蔵尊」、柄香炉の「金剛願地蔵」である。中でも金剛幢地蔵が執る蓮華の持物が珍しいし、放光王地蔵尊が幡幢を前に下げているのも変わっている。
 『青梅市の石仏』では、この六地蔵が年不明になっている(125頁)。年銘が見当たらないので、庫裏を訪ねて奥さんに造立年代ついて尋ねる。住職と連絡を取った結果、昭和35、6年頃ではないかとの答えがある。この地蔵は石屋さんから贈られたともいった。左側にある花立て台(36×14×14cm)の正面に「献華」とあり、左側面に「贈 吉川石材」と刻むから、六地蔵も東青梅の吉川石材が納めたものと思われる。
 この寺には、次の庚申塔が2基みられる。
   6 享保7 笠付型 日月・青面金剛・3猿           56×26×21
 6は合掌6手立像(像高30cm)が主尊、下部に正向型3猿(像高9cm)を陽刻する。右側面に「庚申待供養塔」、左側面に「享保七壬寅十月吉日/今寺村/講中廾二人」の銘文がみられる。
   7 天保3 柱状型 「庚申塔」               125×45×45
 7は正面に隷書体で「庚申塔」、右側面に「天下泰平國土安穏/日月清明五穀豊穣」、左側面に「天保三壬辰歳秋九月建之/武州多摩郡今寺邑/惣講中」の銘を刻む。台石左側面に「新側崖/石工佐藤太平治」の石工銘がみえる。
 報恩寺を最後に1部都バスを利用して帰宅する。今回の歩数は24073歩であるが、中1日で山道の悪戦苦闘が祟る。歩数以上に脚がパンパンになり、段々にペースが落ちる。塩船ではウォーキングの女性2人に抜かれ、最後には超スローペースの歩きになる。(平成19・3・29記)
             〔初出〕『石佛雑記ノート6』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り6

 平成19年4月5日(木曜日)は青梅市内六地蔵巡りの6回目、今回は先月29日(木曜日)に歩けなかった大門地区の残りの寺を廻る。青梅駅前から都バスで「霞町新町」下車、最初に訪ねる新町2丁目の東禅寺はバス停から近い。
 東禅寺(臨済宗建長寺派)の東側の門前には、次の庚申塔がある。
   1 天保15 柱状型 「庚申塔」                86×31×30
 1は「庚申塔」が主銘の文字塔、右側面に「天保十五載集甲辰秋八月如意珠日」の年銘を記す。台石正面に右横書きで「講中とある。
 六地蔵は西側の門前に横一列に並ぶ。台石には尊名がみられない。右端から順に持物を示すと、数珠の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵・合掌の地蔵・宝珠と施無畏印の地蔵・柄香炉の地蔵である。これまで片手拝みをみているが、施無畏印は初めてである。右端の地蔵の台石右側面に「平成元年九月吉日/施主水村一郎/当山□信春光代」の銘を刻む。青梅選出の都議を勤めた水村さんが、幼くして亡くした長男を憶ってこの六地蔵を建立したと、かつて聞いたことがある。
 境内に入ると、色々な石佛に出会う。水子地蔵は丸彫りの立像(像高123cm)、昭和57年の造立である。右手に宝珠を執り、左手で1児(像高32cm)を抱く。足元には、しゃがむ児(像高29cm)と立っている児(像高42cm)を厚肉彫りする。
 近くに「百観音霊場巡拝結願記念」の丸彫り聖観音立像(像高93cm)があり、左手に未敷蓮華を立て持ち、右手を下げて与願印を結ぶ。平成12年7月の造立である。これまで気付かなかった石塔としては、上部に日月を陰刻し、その下に「大日如来」と「薬師如来」と2行に彫る年不明の自然石塔(72×30cm)がみられる。
 この寺にはもう1組の六地蔵があるのを覚えていたので探すと、西側の墓地入口の木祠があって中に一列に並んで6体が並ぶ。これも門前の六地蔵と同様に尊名がない。右端から柄香炉の地蔵・両手の掌を重ねる地蔵・合掌の地蔵・蓮華を持つ地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵の順である。合掌の地蔵の台石正面(23×19×19cm)に「武州新町邑/念佛講中/安永七戊戌十月」の銘を刻む。
 この六地蔵は赤い毛糸の帽子をかぶり、白地に小さな柄が入った前掛けをしている。前掛けを上げて持物を確認する。細かく持物をみると、通常とは柄香炉を逆に持っていたり、弥陀定印のようにもみえるように両手の掌を重ねている。他にも蓮華も先が枝分かれして開敷蓮華と未敷蓮華をつけている。六地蔵の右にも、宝珠と錫杖を執る丸彫り立像の地蔵が2体が安置されている。
 東禅寺から2番目の藤橋の福伝寺へ向かう。いつもは逆方向の七日市場方面から来ているので、初めて新町方面から行くので戸惑う。ともかく、勘に頼って藤橋2丁目の福伝寺に出る。
 境内には、弘化2年の徳本6字名号塔を始めとして、寛政8年の石橋供養塔や3面6手の馬頭観音坐像や立像など色々な石佛がみられる。
 参道に面した木祠の中には、六地蔵が横一列に並ぶ。右端から天蓋の地蔵・柄香炉の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・宝珠と下に掌を向ける地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵の順である。左手を下げて宝珠を持ち、右手を上にして掌を下に向ける地蔵は初めてである。よくみかけるタイプの地蔵に、こうした変わった地蔵が混じっている。
 宝珠と錫杖の地蔵の台石正面(18×34×31cm)に、次の銘文が読み取れる。
   武州三田領/藤橋村男女/爲講中地蔵/□二世安樂/奉建立是者也
   願主權右衛門/寛延二己巳年/三月吉日
 これまでのところ、この六地蔵が青梅市内で最も古い年銘を有する。
 この寺の東側に庚申塔があったはずと探すと、以前は境内の外に置かれた青面金剛が墓地の東端に通りを背にして取り込まれている。前に「庚申塚」の木札が立てられている。塔の上に小さな覆屋根が作られている。庚申塔は次の通りである。
  2 宝永2 笠付型 日月・青面金剛              60×31×20
 2は合掌6手立像(像高38cm)、上方手に宝輪と矛を執るが、下方手は何も持たない変則的な浮彫り像である。像の右に「宝永二年乙酉」、左に「八月廾日」の年銘を刻む。右側面に「武州玉郡三田領/藤橋村願主一峯直生/敬白」、左側面に「同行十二人」とある。
 3番目に訪ねたのが同じ藤橋2丁目の宝泉寺(真言宗)、杣保葛神社の裏手にある。本堂の西側には、背が高い六字名号塔などと並び、コンクリート塀の前に次の庚申塔がある。
   3 寛政5 柱状型 「大青面金剛」              91×37×37
 3は正面に「大青面金剛」の文字塔、右側面に「寛政五丑三月吉日」の年銘、右側面に「石橋7ケ所建立/供養」と彫る。
 庚申塔の右横には、青梅市指定の有形文化財である板碑2基が立つ。右が上部に蓮台に乗る胎蔵界大日如来の一尊種子、下に梵字の光明真言を刻む建武4年板碑である。左は上部に「キリーク ササク」の弥陀三尊種子を彫る応安7年板碑である。
 墓地入口にある木祠の中には、文化3年の六地蔵単制石幢(総高136cm)がみられる。以前は露座であった。正面に向いているのが合掌の地蔵(像高24cm)、右へ数珠の地蔵・幡幢の地蔵、左へ柄行路の地蔵・不明の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵である。台石込みの総高は136cmである。文化3年造立。
宝泉寺から今井・七日市場の正福寺へ向かう途中、藤橋2丁目の伊藤クリーニング店の前と道の反対側に葉付きの竹が立ち、縄と四手がついている。本来ならば道の両側に竹を立て、縄を張って4手を下げるのであろう。現在では交通の妨げになるので、道の両側に竹を立て、綱を張らずに4手をつけて丸めて下げている。
 今井2丁目七日市場の正福寺(時宗)は、門前に笠部を失った六地蔵単制石幢(65×31×25cm)がある。1面の幅が16cm、各面に地蔵立像(像高37cm)を浮彫りする。正面には掌を上と下に向けた地蔵、右へ手飼いの地蔵・鉄鉢の地蔵、左へ宝珠と錫杖の地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵の順である。
 地蔵石幢の横には、1面6手の馬頭観音立像(像高39cm)を浮彫りする光背型塔(54×32cm)がある。中央手が合掌し、上方手に宝輪と矛を持つが、下方手は数珠と斧を持つ。上方手や中央手は同じであるが、下方手の持物が青面金剛と異なる。右側に「馬頭觀世音」、左側に「明和三戌三月吉祥日/施主駒林重左エ門」の銘を彫る。
 この馬頭観音を初めてみた時は、まだ青面金剛に詳しくない頃である。てっきり青面金剛かと思って記録したが、右側の「馬頭觀世音」をみて間違いに気付いた思い出のある刻像塔である。この失敗談は『多摩のあゆみ』第6号(多摩中央信用金庫 昭和52年刊)に掲載された「多摩の石仏(3)馬と牛と馬頭さん」の中で書いたことがある。
 境内の木祠の中には、天女形で左手に天扇を執り、右手を与願印の丸彫り摩利支天立像が安置されている。これは『摩利支天経』で説かれる形像で石佛として数少なく、通常石佛にみられる摩利支天は猪に乗る形像である。
 墓地入口の木祠には、光背型塔に浮彫りした六地蔵立像(像高34cm)が並んでいる。右端から順に幡幢の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・数珠の地蔵・柄香炉の地蔵・合掌の地蔵・宝珠と片手拝みの地蔵である。通常は柄の上に香炉が付くが、ここの浮彫り像では柄の下に香炉が下がっている。
 『青梅市史』(青梅市 平成9年刊)の調査の時に、浮彫り地蔵の造立年代を聞いたところ、平成4年であった。台石(35×21×16cm)は、以前の六地蔵の台石を使用している。数珠の地蔵の台石に「天保十一年/七月十四日」の年銘が刻まれていることからもわかる。
 市史の時には古い六地蔵を追求しなかったが、今回は墓地の中を探したところ、墓地の外れにある無縁塔の中に7体の丸彫り地蔵立像がみつかった。前列に宝珠と錫杖の地蔵(像高50cm)と幡幢の地蔵、後列に柄香炉の地蔵・天蓋の地蔵・数珠の地蔵・合掌の地蔵・合掌の地蔵(後向き)である。古い頃の写真は『青梅市の石仏』123頁に載っている。
 正福寺の次は今井1丁目の薬王寺を目指し、途中で浮島神社へ寄る。石佛はなかったけれども、右側に「疱瘡神社」、左側に「蚕蔭神社」と記す木札がある木祠がみられる。祠の上部に4手を下げた縄が張られてもっともらしいが、中は古いお札や人形など雑多な物が入っていて、とても神社の体をなすものではない。
 薬王寺(真言宗)では、先ず門前にある次の庚申塔をみる。
  4 文化10 板石型 「庚 申」               138×34
 4は表面に「庚申」の主銘、裏面に「文化十癸酉年十一月/今井村中」の銘がある。
 墓地の入口にある木祠内には、右端から宝珠と錫杖の「禪林地蔵菩薩」、棒の「無二地蔵菩薩」、数珠の「諸龍地蔵菩薩」、合掌の「諸龍地蔵菩薩」、柄香炉の「伏勝地蔵菩薩」、宝珠と片手拝みの「伏息地蔵菩薩」である。尊名は台石ではなく、横に立つ石柱(30×6×6cm)の前面に記され、右側面に施主銘が刻まれている。造立年代はみられないが、木札に「寄贈六地蔵屋舎建立」、以下に寄贈した11人の氏名が並び、最後に「平成四年秋彼岸」と記されているから、平成4年の造立と考えられる。
 次いで無縁墓地にある「将軍地蔵尊」の文字塔2基をみる。1基は柱状型塔(62×23×16cm)の正面に「カ 将軍地蔵尊」、右側面に「大正十辛酉三月中旬/薬王寺第十八世/古田□全」、右側面に「総代人/指田音次郎(等5人に氏名)」の銘がみられる。他の1基は柱状型塔(67×25×14cm)の正面に「カ 将軍地蔵尊」の主銘だけで、両横の石塔との間は狭くて銘文は全く読めない。
 山を登って七国山の不動堂へ出る。境内にある倶梨迦羅不動(像高89cm)を浮彫りする年不明の柱状型塔(134×40×27cm)を撮ってから、弁才天の木祠をのぞくと小さな狛犬(像高21cm)がみられる。社殿の床に腰を下ろして昼食にする。
 薬王寺から谷野の真浄寺へ向かう途中、木野下1丁目の木野下神社前の次の庚申塔をみる。
  5 元禄10 光背型 日月・青面金剛・3猿           85×34
 5は合掌6手立像(像高36cm)、像の右に「奉造立庚申像一基」、左に「元禄十丁丑年十月吉日/武州多摩郡目之内村」の銘が読める。下部の正向型3猿(像高12cm)の下には「石井次郎□□(等17人の氏名)、の施主銘が記されている。
 山根通りの裏通りを進むと、谷野の閻魔堂がある。中には中央に閻魔大王の坐像、右に司命と司録の立像、左に人頭幢が並んでいる。いずれも彩色された木像である。
 次に訪ねた谷野の十王堂の境内には、次の庚申塔がある。
   6 天保11 自然石 「庚 申」               101×97
 6は表面に「庚申」の主銘、右横に「維時天保十一年/庚子夏四月吉辰」の年銘を刻む。台石正面に右横書きで「谷野村」とある。
 谷野の真浄寺(真言宗)は、先ず墓地に行って入口にある横長柱状型塔(76×89×37cm)に浮彫りされた1石六地蔵立像(像高31cm 円光背を含めると36cm)をみる。右から柄香炉の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵・天蓋の地蔵・数珠の地蔵の順である。尊名はみられない。右側面に「文政十丁子七月樹之」、左側面に「過去現在/有縁無縁/同證菩提」の銘文を刻む。
 後回しになっが門前には、木祠の中に丸彫り六地蔵立像(像高103cm)が安置される。右から数珠の「地持地蔵」、幡幢の「法性地蔵」、宝珠と施無畏印の「陀羅尼地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、柄香炉の「寳印地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」の順に並ぶ。ここにある地蔵の持物でユニークなものがある。幡幢が長い葉のような形をし、柄香炉の部分が短い幡幢とも受け取れるような角形、しかも柄が曲がっている。
 前に置かれた花立て(68×21×21cm)の左側面には、次の銘文が彫られている。
   秋渓院精道秀覚居士故里見秀夫(李必久)
     一周忌菩提ノ為之ヲ建立ス
   一九九一年八月吉日
   施主 里見とし子(孫魯味)  三女 李 福 恵
   長女 李 洋 子       四女 李 真須美
   次女 李 玲 子
 六地蔵に西暦年号が刻まれる例は、青梅市内でもこの1例だけである。
 六地蔵を調べてから、奥にある木祠内に7夜待本尊とされる7菩薩が並び、1体1体ずつ写真をを撮る。いずれも丸彫りの立像(勢至菩薩の像高67cm)である。聖観音は寛政12年の造立、台石正面に「奉読誦普門品・・」の銘文を彫る。他の6体は遅れて文化11年の造像で、台石正面に例えば勢至菩薩の場合は「サク 得大勢至菩薩」のように、種子と尊名を記す。
 真浄寺から塩船の塩船寺へ向かう。これ以降はすでに3月29日に廻った場所の再訪である。塩船寺の六地蔵(像高77cm)は、墓地入口の木祠の中に並ぶ。右から合掌の「禪林地蔵」、宝珠と片手拝みの「無二地蔵」、数珠の「護讃地蔵」、柄香炉の「諸龍地蔵」、幡幢の「伏勝地蔵」、宝珠と金属製錫杖の「伏息地蔵」である。台石正面には、各地蔵の種子と尊名が刻まれている。
 次に大門1丁目の大門会館を訪ねる。木祠の中には、六地蔵単制石幢(61×32×31cm)が安置されている。塔身の6面に地蔵立像(像高20cm)が浮彫りされる。正面に宝珠の地蔵、右奥に数珠の地蔵と合掌の地蔵、左奥に宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵・柄香炉の順である。通常、幡幢は下に垂れているが、この石幢の場合は頭上で閃いている。台石に「享和2年」の年銘を彫る。
 続いて再訪の師岡町1丁目妙光院(曹洞宗)へ行く。、境内にある木祠の中には、丸彫り六地蔵立像(像高47cm)が一列に並ぶ。台石の正面に記す尊名に従い、右から順に「法性地蔵」「宝陵地蔵」「地持地蔵」「鶏兜地蔵」「陀羅尼地蔵」「寳印地蔵」である。
 前回は宝珠と錫杖とみた「鶏兜地蔵」は、前掛けを外してみると、宝珠ではなく片手拝みをいしている。しかも、片手拝みの手に数珠が掛かっている。それぞれの地蔵の衣にも模様が彩色されているし、持物の1部が着色されている。。
 最後に東青梅6丁目の光明寺(曹洞宗)を再訪する。六地蔵は露天で墓地入口に並ぶ。円光背(光背を含め像高さ60cm)を付ける丸彫り立像(像高55cm)である。右から順に「鶏兜地蔵」「陀羅尼地蔵」「法性地蔵」「地持地蔵」「寳性地蔵」「宝印地蔵」である。持物に彩色がされている。左端の宝印地蔵の台石左側面に「昭和四十三年三月建立」年銘を刻む。ここの六地蔵には、前掛けがないので、妙光院のような見落としはない。
 今回は8時間半、24600歩である。(平成19・4・5記)
             〔初出〕『石佛雑記ノート6』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅市内六地蔵巡り7

 平成19年4月14日(土曜日)は青梅市内六地蔵巡りの7回目、これで一応、市内の六地蔵(1部の石幢を除く)を訪ねたことになる。今回は、先に1部歩いたことがある沢井地区の寺を廻る。JR青梅線青梅駅午前9時33分発の奥多摩行きに乗車、沢井駅で下車する。最初に訪ねる沢井2丁目の雲慶院は駅から近い。
 最初は雲慶院(曹洞宗)に直行する。参道の右にある如意輪観音丸彫像(像高57cm)があり、台石の「御月待供養」の銘を調べるが、どう探しても見当たらない。諦めて境内に入る。本堂西側の墓地入口には、木祠があって中に六地蔵立像(像高41cm)が並んでいる。台石には、施主銘や法名が記されて尊名がみられない。右端から順に持物を示すと、幡幢・合掌・宝珠と錫杖・宝珠・数珠・柄香炉の順である。
 六地蔵の台石正面には「小澤太兵衛」などの施主銘がみられるだけで、尊名も年銘も記されていない。六地蔵の中央に鉄鉢を執る地蔵坐像(像高28cm)があり、台石(64×22×10cm)の正面に「塚瀬大平□□念佛女講中」、左側面に「安政五午年十一月日」の年銘を刻む。この坐像と六地蔵が同じ頃に造立されたと思われる。
 前回、多摩石仏の会5月見学会の下見の時に見逃した、沢井2丁目・塚瀬路傍にある地蔵丸彫立像(像高75cm)を調べる。蓮台下の台石に「結夏念佛/諸願成就/奉造立之地蔵/菩薩像一尊」の銘文を刻む。享保8年7月の造立。「寒念佛」は各所でみられるが、この「夏念佛」は珍しい。
 次は軍畑(沢井1丁目)の東光寺(曹洞宗)、道を間違えて大回りする。寺の入口の左側にある木祠の中に六地蔵立像(像高45cm)が安置されている。右から鉄鉢・合掌・宝珠と錫杖・幡幢・天蓋・宝珠の順に並ぶ。台石などには尊名が見当たらず、六地蔵上屋の寄付者の名を記しているが、末尾の年銘は風雨のために文字がわからない。これがわかると、少なくともその年代まで遡れる。
 横の木祠には、天明7年の十一面観音丸彫坐像(像高52cm)がみられる。六角形の台石正面に「奉造立十一面觀世音菩薩」と彫る。右面に「天明七丁未年三月日」の年銘、左面に「軍畑中施主/願主与四郎」の施主銘を記す。
 軍畑から平溝(二俣尾5丁目)に入り、奥沢橋の入口にある庚申塔をみる。自然石(98×81cm)の表面中央に「庚申」の2字、右脇に「天保五年歳/次甲午夏六月吉日」の年銘を刻む。以前は道路の西側の岩の下にあったが、道路拡幅工事のために反対側の現在地に移されている。
 その先の道路東側に2つの木祠が並び、手前の木祠に不動明王3尊、奥の木祠に地蔵と青面金剛を安置する。青面金剛は合掌6手立像(像高29cm)、下部の3猿(像高12cm)と共に光背型塔(91×28cm)に浮彫りされている。台石に「明治三十九年二月再建 発願人 谷合彦太郎 伊藤磯吉」の銘があるが、現在は読めないに等しい。木祠は平成5年に作られている。
 3番目の慶徳寺(曹洞宗)は、坂を登った左側に木祠があり、他の石佛と共に六地蔵坐像(像高48cm)がみられる。青梅市内で唯一の六地蔵坐像である。右から順に柄香炉・幡幢・天蓋・合掌・宝珠と錫杖・数珠である。台石(57×26×18cm)には、施主銘はあるものの尊名も年銘も見当たらない。右端にある柄香炉の地蔵台石の右側面に「天下泰平國土安穏」、左端にある数珠の地蔵台石の左側面に「爲講中先祖代々菩提」の銘を彫る。
 次は前に訪ねた二俣尾4丁目の長泉院(曹洞宗)、墓地の入口に露座の六地蔵と六地蔵単制石幢がある。丸彫立像(像高48cm)は、台石正面に尊名を記す。右から宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、合掌の「法性地蔵」、数珠の「地持地蔵」、柄香炉の「寳性地蔵」、幡幢の「法印地蔵」である。法印地蔵の台石(29×18×18cm)には、左側面に「平成九年七月/寄贈吉川石材店」と記す。なお鶏兜地蔵の錫杖は石ではなく、金属製(長さ67cm)である。
 横にある単制の六地蔵石幢(69×30×31cm)、1面の幅が15cmに立像(像高36cm)を浮彫りする。明治23年の造立である。尊名はなく、宝珠と錫杖の地蔵を正面に、右奥へ合掌・幡幢、左奥へ柄香炉・宝珠と片手拝み・数珠の順である。
 長泉院から海禅寺へ向かう。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)の126頁は、「丸彫六地蔵(その5)」の「24 年不明 二俣尾4丁目・海禅寺」の写真が載っている。今回この六地蔵を探したが見当たらない。次の「25 年不明 二俣尾4丁目・長泉院」も、現在の六地蔵と異なる古い六地蔵、このの行方を見逃す。
 途中、陽の具合が前回よりもよいので、3月13日に訪ねた二俣尾2丁目・泉蔵院(真言宗)を再訪する。朝だと本堂の蔭で光線状態が悪いが、午後になると閻魔大王石佛に陽が当たる。まだ斜光状態であったが、前回の比べる良くなっている。時間的にはもう少し後の石像全体に光が当たる方がよいかもしれない。
 中宿薬師堂で1息入れ、二俣尾1丁目路傍にある庚申塔2基を写す。最後の六地蔵がある日向和田2丁目の明白院(曹洞宗)を目指す。
 明白院の本堂の裏手、墓地の入口にある木祠の中に六地蔵が並んでいる。丸彫立像で尊名を示さない。、右から合掌(像高52cm)・数珠・拱手・宝珠と錫杖(像高59cm)・天蓋・宝珠の順である。先の『青梅市の石仏』の122頁の「丸彫六地蔵(その1)」には、「3 安永6年 日向和田・明白院」と記載されている。どうやら台石に刻まれた年銘を見落としたと思う.
 風邪気味で体調がありよくないのに出掛けためか、弁当や水筒を家に置き忘れるし、銘文の読みがいま一である。ザックに入っていた飴玉で元気をつけ、何とか家まで辿り着く。歩数計は2万歩を越えていた。        〔初出〕『石佛雑記ノート6』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
青梅の六地蔵を追って

 今年2月4日(土曜日)の節分の日に、本年最初の第158回の石仏談話室が開催された。この日に行われた講演で、鳥沢隆憲さんの「六地蔵について」は非常に興味があった。特に参考になったのは、宗派によって六地蔵の名称の違いがはっきり示されたことである。また、天台宗系では片手に持物を執って片手で印を結ぶの対して、禅宗系統は両手で持物を採るという点である。ともかく六地蔵の尊名や持物、出典などが明らかになったのは収穫である。
 江戸時代の信仰を知る上では、石工が参考にしていた『佛像図彙』が六地蔵を理解するのに利用しやすい。ただ、これは簡潔にまとめられている点で優れているが、各宗派の呼称や出典などが入り交じっているから注意が必要である。
 『佛像図彙』では、2種の図像が示されており、次の3種の名称がみられる。
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   ┃宗派 ┃六地蔵の名称                 ┃備考    ┃
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   ┃天台系┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃      ┃
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   ┃禅宗系┃地 持│陀羅尼│宝 性│鶏 亀│法 性│法 印┃      ┃
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   ┃真言系┃護 讃│辯 尼│破 勝│延 命│不休息│讃 龍┃      ┃
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 続いて『佛像図彙』による、それら3系統の六地蔵の尊名別に持物・印相の違いを示すと、次の通りである。「天台系」といっても、『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』の記載による。
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   ┃佛像図彙 天台系        ┃佛像図彙 禅宗系 ┃佛像図彙 真言系 ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃尊  名 │両 手┃尊  名 │両 手┃
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   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地持地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃
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   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃陀羅尼地蔵│鉢・印┃辨尼地蔵 │鉢・印┃
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   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃寳性地蔵 │合 掌┃破勝地蔵 │合 掌┃
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   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃鶏亀地蔵 │珠・杖┃延命地蔵 │珠・杖┃
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   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃法性地蔵 │柄香炉┃不休息地蔵│柄香炉┃
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   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃法印地蔵 │幡 幢┃護龍地蔵 │幡 幢┃
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 前記の表は『佛像図彙』に記す六地蔵の持物と印相で、次表に臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』(禅宗系)による尊名と持物を示すと、次の表の通りである。『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』系統の六地蔵と異なり、片手で印を結ばずに両手で持物を執る。参考までに、下段に『佛像図彙』(禅宗系)の尊名と持物を『江湖法式梵唄抄』と対象比較できるように順序を変えて示す。
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   ┃尊   名│持  物│六道配当 ┃尊   名│持 物┃備 考┃
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   ┃法性地蔵 │手持香炉│地獄道教主┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃
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   ┃陀羅尼地蔵│手持宝珠│餓鬼道教主┃陀羅尼地蔵│鉄 鉢┃注 記┃
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   ┃宝陵地蔵 │合  掌│畜生道教主┃宝性地蔵 │合 掌┃   ┃
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   ┃宝印地蔵 │手持旌旗│修羅道教主┃鶏亀地蔵 │錫 杖┃   ┃
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   ┃鶏兜地蔵 │手持錫杖│人道道教主┃法性地蔵 │柄香炉┃   ┃
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   ┃地持地蔵 │手持念珠│天道道教主┃法印地蔵 │金剛幡┃   ┃
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    〔注記〕 この陀羅尼地蔵に限り、左手に鉄鉢を持ち、右手で施無畏印を結ぶ。他の地蔵は
         両手で持物を執る。
 3月13日(火)に青梅市二俣尾・長泉院(曹洞宗)、柚木町・即清寺(真言宗)、梅郷・大聖院(真言宗)の3か寺の六地蔵を廻った。各寺にある六地蔵を記録したので比較のために1表にまとめると、次の通りである。
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   ┃長泉院(曹洞宗)  ┃即清寺(真言宗)  ┃大聖院(真言宗)  ┃
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   ┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃
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   ┃鶴亀地蔵 │宝珠錫杖┃護讃地蔵 │数  珠┃放光王地蔵│宝珠錫杖┃
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   ┃陀羅尼地蔵│印/宝珠┃無二地蔵 │棒(幡)┃金剛宝地蔵│宝珠/印┃
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   ┃法性地蔵 │合  掌┃禅林地蔵 │宝珠錫杖┃金剛悲地蔵│錫杖/印┃
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   ┃地持地蔵 │数  珠┃伏息地蔵 │印/宝珠┃地持地蔵 │柄香炉 ┃
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   ┃宝性地蔵 │柄香炉 ┃伏勝地蔵 │柄香炉 ┃法性地蔵 │数  珠┃
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   ┃法印地蔵 │幡  幢┃諸龍地蔵 │合  掌┃宝性地蔵 │合  掌┃
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 この中で特に興味を持ったのは、梅郷・大聖院(真言宗)の六地蔵である。台石に刻まれた尊名が3体が密教系でり、他の3体が禅宗系だったからである。ともかく、青梅市内の状況はどのようであるか、を知りたく市内各地の六地蔵を訪ねた。
 3月20日(火)は、第1回目の市内六地蔵巡りとして青梅地区(旧・青梅町)と千ケ瀬(旧・調布村)の六地蔵を巡った。住江町・延命寺(臨済宗)、千ケ瀬・宗建寺(臨済宗)、千ケ瀬・聚徳院(臨済宗)、西分町・宗徳寺(臨済宗)、仲町・梅岸寺(真言宗)、天ケ瀬町・金剛寺(真言宗)、大柳町・清宝院(真言宗)、滝の上町・常保寺(臨済宗)の8か寺である。
 翌21日(水)の春分の日は、長渕地区(旧調布村)を重点的に友田町・花蔵院(真言宗)、河辺町・東円寺(真言宗)、長渕・玉泉寺(臨済宗)、駒木町・寿香寺(曹洞宗)、畑中・地蔵院(臨済宗)の5か寺を訪ねた。
 続く23日(金)の3回目は、小曽木地区(旧・小曽木村)を中心に黒沢・聞修院(曹洞宗)、小曽木・福昌寺(真言宗)、小曽木・高徳寺(曹洞宗)、小曽木・石倉寺(曹洞宗)、富岡・常福寺(曹洞宗)、富岡・常秀院(曹洞宗)、成木・安楽寺(真言宗)の7か寺である。
 4回目の27日(日)は、成木地区の次の寺を廻る。成木・新福寺(曹洞宗)、成木・慈福寺(曹洞宗)、成木・高岩寺(曹洞宗)、成木・長蔵寺(曹洞宗)、成木・長全寺(曹洞宗)である。
 1日置いた29日(木)の第5回は、大門地区(旧・霞村)を重点地域とする。前回見逃した成木・正沢寺(曹洞宗)から始め、根ケ布・天寧寺(曹洞宗)、東青梅・光明寺(曹洞宗)、師岡町・妙光院(曹洞宗)、吹上・宗泉寺(曹洞宗)、塩船・塩船寺(真言宗)、大門・大門墓地、今寺・報恩寺(天台宗)の6か寺と共同墓地1か所である。
 月が変わった4月5日(木)は、6回目の青梅市内六地蔵巡りで大門地区(旧・霞村)の続きである。新町・東禅寺(臨済宗)、藤橋・福伝寺、今井・正福寺(時宗)、今井・薬王寺(真言宗)、谷野・真浄寺(真言宗)を廻り、塩船・塩船寺(真言宗)、師岡町・妙光院(曹洞宗)、東青梅・光明寺(曹洞宗)を再訪する。
 少し間を置いて14日(土)は六地蔵巡りの7回目、これで残った沢井地区(旧・三田村)の寺を廻った。一応、市内の六地蔵を訪ねたことになる。この日は沢井・雲慶院(曹洞宗)、沢井・東光寺(曹洞宗)、二俣尾・慶徳寺(曹洞宗)、二俣尾・長泉院(曹洞宗)、日向和田・明白院(曹洞宗)の5か寺である。
 7回にわたる調査の結果を宗派別にし、造立年代順に配列すると、後記のようになる。ここでは六地蔵の尊名が台石や木札などで示されずに不明なものは除外した。
 先ず、真言宗寺院の場合は、明治22年の大聖院から平成13年の清宝院までの12か寺を1覧すると、幾つかの注目点がみられる。
 大門・大門共同墓地の平成12年六地蔵は、他の多石六地蔵と区別するために表中に(※)を付した唯一の一石六地蔵である。尊名が真言宗系であるので、真言宗寺院の中に加えた。表中の「珠・杖」は「宝珠と錫杖」、「珠・印」は「宝珠と印相」、「杖・印」は「錫杖と印相」、「珠・拝」は「宝珠と片手拝み」の略である。他の宗派の場合も同じである。
 注目点の第1は梅郷・大聖院の明治22年六地蔵の場合は、天台系の3体の尊名(放光王地蔵・金剛宝地蔵・金剛悲地蔵)と禅宗系の3体(地持地蔵・法性地蔵・宝性地蔵)という、他にみられない尊名を使用している。
 第2に谷野・真浄寺の平成3年六地蔵の場合は、禅宗系の尊名を用いている。これは奉納者が寺に相談なしに発注し、奉納したためである。
 第3に大柳町・清宝院の平成12年六地蔵では、『佛像図彙』の真言系とされる護讃・辯尼・破勝・延命・不休息・讃龍に近い用例である。他に『伝授録』の禅味・牟尼・観讃・諸救・伏勝・不休息に似た名称である。真言宗でも醍醐派(当山修験)の属しているから、市内の真言宗は大半が豊山派に属するから禅林・無二・護讃・諸龍・伏勝・伏息であるが、清宝院では諸龍・辨尼・護讃・不休息・破勝・延命)と、諸龍・護讃を除く4尊名の違う尊名を使う。
 真言宗の場合は、禅宗系と違って尊名の上に「カ」などの種子を用いている。梅岸寺や金剛寺、戦後の六地蔵でも花蔵院や東円寺などにみられる。
 例えば仲町・梅岸寺の昭和4年六地蔵と天ケ瀬町・金剛寺の昭和10年六地蔵のように、尊名も配列も持物も同一の場合もあるが、持物に限っては必ずしも尊名に結びついていない。。
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   ┃梅郷・大聖院   ┃仲町・梅岸寺   ┃天ケ瀬町・金剛寺 ┃小曽木・福昌寺  ┃
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   ┃真言宗  明治22年┃真言宗  昭和4年┃真言宗  昭和10年┃真言宗  昭和43年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃放光王地蔵│珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃
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   ┃金剛宝地蔵│珠・印┃無二地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │珠・拝┃
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   ┃金剛悲地蔵│杖・印┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃
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   ┃地持地蔵 │柄香炉┃諸龍地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │合 掌┃
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   ┃法性地蔵 │数 珠┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃宝性地蔵 │合 掌┃伏息地蔵 │天 蓋┃伏息地蔵 │天 蓋┃伏息地蔵 │幡 幢┃
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   ┃柚木町・即清寺  ┃友田町・花蔵院  ┃谷野・真浄寺   ┃塩船・塩船寺   ┃
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   ┃真言宗  昭和59年┃真言宗  昭和62年┃真言宗  平成3年┃真言宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃禪林地蔵 │珠・杖┃禪林地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │数 珠┃禪林地蔵 │合 掌┃
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   ┃無二地蔵 │珠・拝┃無二地蔵 │柄香炉┃法性地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │珠・拝┃
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   ┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃羅尼地蔵 │珠・印┃護讃地蔵 │数 珠┃
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   ┃諸竜地蔵 │合 掌┃諸竜地蔵 │合 掌┃宝陵地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │柄香炉┃
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   ┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │宝 珠┃寳印地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │幡 幢┃
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   ┃伏息地蔵 │幡 幢┃伏息地蔵 │幡 幢┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃伏息地蔵 │珠・杖┃
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   ┃今井・薬王寺    ┃河辺町・東円寺  ┃大門・大門墓地※┃大柳町・清宝院   ┃
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   ┃真言宗   平成4年┃真言宗  平成9年┃真言系 平成12年┃真言宗   平成13年┃
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   ┃尊    名│左 手┃尊   名│持 物┃尊  名│持 物┃尊    名│左 手┃
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   ┃禪林地蔵菩薩│珠・杖┃禪林地蔵 │珠・杖┃護讃地蔵│数 珠┃諸龍地蔵尊 │幡 幢┃
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   ┃無二地蔵菩薩│棒  ┃無二地蔵 │珠・拝┃護讃地蔵│幡 幢┃辨尼地蔵尊 │珠・拝┃
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   ┃護讃地蔵菩薩│数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃無二地蔵│宝 珠┃護讃地蔵尊 │数 珠┃
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   ┃諸龍地蔵菩薩│合 掌┃諸竜地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵│合 掌┃不休息地蔵尊│柄香炉┃
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   ┃伏勝地蔵菩薩│柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵│柄香炉┃破勝地蔵尊 │合 掌┃
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   ┃伏息地蔵菩薩│珠・拝┃伏息地蔵 │幡 幢┃禪林地蔵│珠・拝┃延命地蔵尊 │珠・杖┃
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 次に臨済宗の寺院にある6組の六地蔵を表にまとめると、下記の通りである。
 臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』(禅宗系)には、地獄道の「法性地蔵」(香炉)、餓鬼道の陀羅尼地蔵(宝珠)、畜生道の「宝陵地蔵」(合掌)、修羅道の「宝印地蔵」(旌旗)、人道の「鶏兜地蔵」(錫杖)、天道の「地持地蔵」(念珠)と尊名と持物を示している。『佛像図彙』にも、ほぼ同様な尊名と持物が掲げられている。
 千ケ瀬町・宗建寺の寛政10年六地蔵に「葆勝地蔵」と「瑞陵地蔵」、滝の上町・常保寺の明治17年六地蔵の「寳勝地蔵」のように、『江湖法式梵唄抄』にみられない尊名があるが、おおむね同様な尊名を用いている。
 しかし、持物となると各寺を比較対照すると一定していない。『江湖法式梵唄抄』に記載されていない、「片手拝み」や「天蓋」があらわれる。
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   ┃千ケ瀬町・宗建寺 ┃住江町・延命寺  ┃滝の上町・常保寺 ┃
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   ┃臨済宗  寛政10年┃臨済宗  文政3年┃臨済宗  明治17年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃
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   ┃葆勝地蔵 │柄香炉┃陀羅尼地蔵│宝 珠┃鶏兜地蔵 │珠・拝┃
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   ┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃寳陵地蔵 │珠・錫┃
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   ┃瑞陵地蔵 │合 掌┃寳印地蔵 │幡 幢┃寳印地蔵 │合 掌┃
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   ┃寳印地蔵 │天 蓋┃地持地蔵 │数・拝┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃
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   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃宝陵地蔵 │合 掌┃寳勝地蔵 │天 蓋┃
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   ┃地持地蔵 │数・珠┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵 │柄香炉┃
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   ┃畑中・地蔵院   ┃西分町・宗徳寺  ┃千ケ瀬町・聚徳院 ┃
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   ┃臨済宗  昭和51年┃臨済宗  昭和55年┃臨済宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃法性地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │数 珠┃法性地蔵 │柄香炉┃
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   ┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵 │数 珠┃
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   ┃宝陵地蔵 │幡 幢┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃宝陵地蔵 │合 掌┃
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   ┃宝印地蔵 │合 掌┃宝陵地蔵 │合 掌┃宝印地蔵 │幡 幢┃
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   ┃鶏兜地蔵 │数 珠┃寳印地蔵 │幡 幢┃陀羅尼地蔵│数・拝┃
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   ┃地持地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃
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 同じ禅宗系でも、曹洞宗寺院の場合はどうであろうか。
 『曹洞宗行持規範』では、尊名が法性地蔵王菩薩・陀羅尼地蔵王菩薩・宝陵地蔵王菩薩・宝印地蔵王菩薩・鶏兜地蔵王菩薩・地持地蔵王菩薩と「王菩薩」がつく。
 成木・長蔵寺の寛政6年六地蔵は、例外的な存在で後でふれる。曹洞宗の場合は、小曽木・高徳寺の「寶積地蔵尊」がみられるが、ほぼ先記の臨済宗と同じ尊名が使用される。高徳寺や小曽木・石倉寺、富岡・常秀院では「尊」、富岡・常福寺では「王菩薩」を下につけている。
 黒沢・聞修院の昭和61年六地蔵では、例えば「地獄 大定智悲地蔵菩薩」のように、以下、餓鬼
 大清浄地蔵菩薩・畜生 大光明地蔵菩薩・修羅 清浄無垢地蔵菩薩・人道 大清浄地蔵菩薩・天道
 大堅固地蔵菩薩の尊名の上に六道の配当を記している。
 持物は師岡町・妙光院の昭和2年六地蔵にみられるように、柄香炉・合掌・宝珠・宝珠と錫杖・幡幢・天蓋、あるいは天蓋でえはなく数珠の場合がある。中には東青梅・光明寺の拂子、小曽木・高徳寺や成木・新福寺などの宝珠と片手拝みの場合がみられる。
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   ┃成木・長蔵寺   ┃師岡町・妙光院  ┃吹上・宗泉寺   ┃小曽木・高徳寺   ┃
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   ┃曹洞宗  寛政6年┃曹洞宗  昭和2年┃曹洞宗  昭和33年┃曹洞宗   昭和43年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊    名│持 物┃
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   ┃放光王地蔵│合 掌┃法性地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃陀羅尼地蔵尊│数 珠┃
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   ┃預天賀地蔵│数 珠┃宝陵地蔵 │合 掌┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃法性地蔵尊 │合 掌┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂──────┼───┨
   ┃金剛宝地蔵│幡 幢┃預地持地蔵│宝 珠┃寳陵地蔵 │数 珠┃寶積地蔵尊 │幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂──────┼───┨
   ┃金剛悲地蔵│天 蓋┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │拂 子┃宝印地蔵尊 │珠・拝┃
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   ┃金剛願地蔵│珠・杖┃羅尼地蔵 │幡 幢┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵尊 │天 蓋┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂──────┼───┨
   ┃金剛幢地蔵│珠・拝┃寳印地蔵 │天 蓋┃寳印地蔵 │天 蓋┃鶏兜地蔵尊 │柄香炉┃
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   ┏━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┓
   ┃東青梅・光明寺  ┃成木・新福寺   ┃黒沢・聞修院    ┃富岡・常福寺   ┃
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   ┃曹洞宗  昭和43年┃曹洞宗  昭和58年┃曹洞宗   昭和61年┃曹洞宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊    名│持 物┃尊   名│持 物┃
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   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃法性地蔵 │柄香炉┃大智悲地蔵 │珠・杖┃地持地蔵王│柄香炉┃
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   ┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃大清浄地蔵 │合 掌┃鶏兜地蔵王│数 珠┃
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   ┃法性地蔵 │宝 珠┃宝陵地蔵 │合 掌┃大光明地蔵 │幡 幢┃宝印地蔵王│合 掌┃
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   ┃地持地蔵 │拂 子┃宝印地蔵 │幡 幢┃清浄無垢地蔵│柄香炉┃宝陵地蔵王│幡 幢┃
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   ┃寳性地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃大清浄地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃
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   ┃宝印地蔵 │天 蓋┃地持地蔵 │数 珠┃大堅固地蔵 │宝 珠┃法性地蔵王│珠・杖┃
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   ┃小曽木・石倉寺   ┃成木・正沢寺   ┃駒木町・寿香寺  ┃富岡・常秀院   ┃
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   ┃曹洞宗   平成6年┃曹洞宗  平成6年┃曹洞宗  平成8年┃曹洞宗  平成8年┃
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   ┃尊   名 │持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃法性地蔵尊 │柄香炉┃法性地蔵 │珠・杖┃法性地蔵 │柄香炉┃法性地蔵尊│合 掌┃
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   ┃陀羅尼地蔵尊│合 掌┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃地持地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│数 珠┃
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   ┃寶陵地蔵尊 │数 珠┃宝陵地蔵 │幡 幢┃宝陵地蔵 │合 掌┃寶陵地蔵尊│幡 幢┃
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   ┃寶印地蔵尊 │珠・拝┃宝印地蔵 │合 掌┃宝印地蔵 │幡 幢┃寶印地蔵尊│珠・杖┃
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   ┃鶏兜地蔵尊 │幡 幢┃鶏兜地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│宝 珠┃鶏兜地蔵尊│珠・拝┃
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   ┃地持地蔵尊 │珠・杖┃地持地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃地持地蔵尊│柄香炉┃
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   ┃二俣尾・長泉院  ┃成木・長蔵寺   ┃   ┃今寺・報恩寺   ┃
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   ┃曹洞宗  平成9年┃曹洞宗  寛政6年┃   ┃天台宗 昭和35年頃┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃   ┃尊   名│持 物┃
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   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃放光王地蔵│合 掌┃   ┃預天賀地蔵│珠・杖┃
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   ┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃預天賀地蔵│数 珠┃   ┃放光王地蔵│幡 幢┃
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   ┃法性地蔵 │合 掌┃金剛宝地蔵│幡 幢┃   ┃金剛幢地蔵│蓮 華┃
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   ┃地持地蔵 │数 珠┃金剛悲地蔵│天 蓋┃   ┃金剛悲地蔵│合 掌┃
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   ┃寳性地蔵 │柄香炉┃金剛願地蔵│珠・杖┃   ┃金剛宝地蔵│数 珠┃
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   ┃法印地蔵 │幡 幢┃金剛幢地蔵│珠・拝┃   ┃金剛願地蔵│柄香炉┃
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 天台宗の寺は市内に今寺・報恩寺の1か寺である。ここの尊名は、『天台宗常用法儀集』に示されている預天賀・放光王・金剛願・金剛宝・金剛幡・金剛悲の地蔵である。尊名の配列からいうと、後で示す『地蔵十王経』と同じであるが、片手で印を結ばずに持物を両手で執る点と持物が異なる点で差異がある。『天台宗常用法儀集』と尊名が同じなものに『六地蔵和讃』や『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称の『地蔵十王経』で知らる)がある。この2種の持物を示すと、次の通りである。
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   ┃六地蔵和讃           ┃地蔵十王経           ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃六道│尊   名│左 手│右 手┃
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   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃
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   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃
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   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃
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   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛旗│施無畏┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃
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   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃
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   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃
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 天台宗の六地蔵が禅宗系と大きく違うのは、左手に持物を執り、右手で印を結ぶ点にある。他方の禅宗系では、印を結ばずに両手で持物を持つ。しかし、尊名は『天台宗常用法儀集』通りであるが、持物を宝珠と錫杖など両手で持ち、禅宗系の持物との差がみられない。
 1般的にみて、例外があるものの尊名については宗派が意識されている。しかし、持物は宗派を問わずバラバラといっていいくらいに尊名と持物の結び付きは薄い。
 今回、市内の六地蔵を廻って何組かの六地蔵の姿がみえなかった。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)に記載される西分町・宗徳寺の天保15年六地蔵、二俣尾・海禅寺の年不明六地蔵は見当たらず、今井・正福寺の天保11年六地蔵は無縁塔に仲間入りしていた。現在の六地蔵をみると、昭和から平成に作られたものが多いのが藻ウメの特徴である。
 各寺にある六地蔵には宗派色、特に真言宗と禅宗(臨済宗と曹洞宗)には尊名の違いがみられる。持物に関していえば、宗派色はなくて尊名と持物の関係に1定のルールはみられない。これが市内六地蔵を巡った結論である。(平成19・4・17記)
              〔初出〕『石佛雑記ノート6』(多摩野佛研究会 平成19年刊)所収
あとがき
     
      本書では「目次」でわかるように、『石佛雑記ノート5』と『石佛雑記ノート6』に掲
     載した「青梅市内六地蔵巡り」関係を1書にまとめたものである。
      今年2月4日(土)に池袋で行われた石仏談話室に出席し、鳥沢隆憲さんの講演「六地
     蔵について」を聞いたのに触発された。多摩石仏の会の5月例会の下見に沢井・梅郷地区
     の石佛を廻っり、それがきっかけになって青梅市内の六地蔵を廻った。
      今年4月に発行された『石佛雑記ノート5』と『石佛雑記ノート6』の内、青梅の六地
     蔵に関係したものを集めた。2冊に別れいるよりは、1冊に収録されてあれば利用に便利
     である。
      『6』の「あとがき」にも書いたように、長渕・玉泉寺の明和3年六地蔵は、1体毎に
     10枚程の前掛けが掛けられ、春分の日に当たっていたので、墓参の方々が多くて前掛け
     を外して調べてはいられない。また、1部の六地蔵石幢を除いては、調査していない。
      最初の「青梅の六地蔵の一様相」に記した、特に大聖院の六地蔵に興味を持って始めた
     が、それほど面白い六地蔵に出会うことはなく巡り終えた。しかし、それなりの結論が得
     られたので充分とはいえないまでも、納得できた。
      文末になるが、調査にご協力いただいた各寺の方々にお礼申し上げたい。本書が六地蔵
     を調査・研究される方に多少でも参考になれば幸いである。
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                             青梅の六地蔵を追う
                               発行日 平成19年5月15日
                               発行日 平成19年9月22日
                               著 者 石  川  博  司
                               発行者 多摩野佛研究会
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