石川博司著     石佛雑記ノート 4     発行 多摩野佛研究会 
目次    ◎ 沢井・梅郷石佛散歩   
        ◎ 『石仏散歩 悠真』19号   ◎ 『石仏散歩 悠真』20号 ◎ 『石仏散歩 悠真』        
        ◎ 『石佛月報』2月号 ◎ 東吾妻町の石佛写真  ◎ 多摩市石佛散歩  ◎ 二俣尾・梅郷石佛散歩        
                                                        あとがき
沢井・梅郷石佛散歩

 平成19年2月21日(水曜日)は、青梅市沢井と梅郷の石佛を散歩する。多摩石仏の会の写真展出品作品の撮影と5月の例会案内の下見を兼ねる。午前9時31分青梅発の奥多摩行きのJR青梅線電車に乗り、御岳駅で下車する。
 最初に訪ねたのは、駅の北側にある御岳本町1丁目の慈恩寺(真言宗豊山派)である。寺の入口にある庚申塔と笠付型「千部供養塔」(81×35×28cm)をみる。庚申塔は次の通り。
   1 文化11 自然石 「庚申塔」               138×58
 1の主銘の隷書体であるが、特に「申」が踊ってような感じ印象的である。主銘の右に「文化十一年甲戌三月日」の年銘、左下に「横尾講中」の施主銘刻む。
 入口の庚申塔の反対側には、布袋和尚坐像と金剛界大日如来立像がある。本堂前の石段横に六地蔵石幢と安政2年の丸彫り地蔵立像がみられる。本堂の西側の奥に多摩新四国19番、手前に恵比須・大黒の丸彫り坐像がある。
 青梅線沿いに東進して沢井3丁目に入り、右折して坂を下る。坂の途中、青梅街道の手前の石垣に窪みがある。以前はここに勝軍地蔵があったが、現在は街道沿いの祠の中に移動している。勝軍地蔵(像高88cm)の頭上に毛糸の赤頭巾をかぶり、布のケープを羽織っているので一見して勝軍地蔵とみえない。台石に享保8年の年銘が刻まれている。

 青梅街道をさらに東進すると、沢井3丁目路傍に宝暦11年の地蔵がみられる。その先を左折し、坂を登って青梅線沿いの通りに出る。沢井駅前を通り、雲慶院踏切を渡って沢井2丁目の雲慶院に出る。本堂西側にある六地蔵と新四国71番をみてから、円通閣へ向かい境内にある弥勒菩薩(像高110cm)を撮る。宝塔を奉持する立像である。
 寺に入るのに駐車場から入り、出る時は参道を通る。参道に丸彫りの如意輪観音があるが、無視してチャックもしなかった。家に帰ってきて『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)を調べてみると、304頁に
    お寺の入口にある梅の木の下に、頬に手をあてた如意輪観音がみられる。台石の「御月待供
   養」の銘文から、その造立の由来がわかる。と載っており、銘文に当たらなかったのはうっかりミスである。

 ガード下を東へ向かうと、やがて右手の路傍に木祠がある。中に光背型塔(88×27cm)に浮彫りされた地蔵立像(像高56cm)が安置されている。像の右に「奉供養廾三夜待」、左に「宝暦七丁丑天六月日 村中」の銘がある。
 二十三夜地蔵の先、左手の石段の横に地蔵と聖観音の石佛が並んでいる。未敷蓮華を両手で持つ聖観音立像(像高54cm)は、光背型塔(71×36cm)に浮彫りされ、像の右に「日待供養」、左に「元禄八乙亥年七月吉日」の年銘を刻む。
 今回、雲慶院の如意輪観音と同じようにうっかり隣の地蔵を見落としたが、観音と同じ年の造立されたもので、台石に「結夏念佛諸願成就 奉造立之地蔵菩薩像一尊」の銘がある。この辺りでは「寒念佛」の石佛は見受けるが、「夏念佛」の銘があるものは見当たらない。

 次に訪ねたのが塚瀬にある黒地蔵(沢井2丁目)、平成4年11月5日以来の地蔵堂内の対面である。その後に1度だけ地蔵堂が壊されて黒地蔵が奥多摩へ一時引越した、平成12年9月2日(土)の時に出会っている。14年7月28日(日)に獅子舞連中について近くまできていながら黒地蔵を確認しなかった。
 以前の暗い木造堂内は一変し、明るいコンクリート造りに変わっている。ガラス越しに覗けるが、久し振りなので直接みたい。隣の根岸さん(家名 たたみや)を訪ねて聞くと、お堂の鍵を預かっているというので借り、戸を開けて中に入る。以前、堂内にあった大絵馬も壁に飾られている。
 黒地蔵は6石を積み上げて地蔵菩薩の形をなす、珍しい造りである。像高は164cm、手に金属製の錫杖を持つ。この地蔵については『日本の石仏』第92号(日本石仏協会 平成11年刊)の「青梅市沢井の黒地蔵」に書き、最近の第119号(平成18年刊)に発表した「青梅市友田町・方砂の大日石仏」の中でふれている。
 黒地蔵から道を戻り、根岸佐官の3叉路を左に下り、青梅街道へ出て西へ向かう。ままごと屋の前を通り、多摩川に架かる楓橋を渡る。右手に入って石段を登れば寒山寺、石段途中に板石型石碑(178×78cm)があり、下部の左に箒を持つ寒山(像高65cm)、右に拾得(像高58cm)を陰刻する。
 寒山寺から吉野街道へ出て東へ進む。途中で左折して鎌倉街道旧道にあった6種子庚申塔を探したが、どうしても見つからない。諦めて八幡神社(柚木町2丁目)へ向かう。
 神社入口にある自然石塔(89×54cm)が気になる。石塔の上部に「阿遮羅尊」、下に「稲荷明神/八幡大神」の2行がある。右側面に「子安普賢」、左側面に「水國 不動明王」、裏面に「金比羅大権現」と彫る。1石に6種の神佛を刻むのは何なのであろう。
 社殿の横にある木祠の中に丸彫りの勝軍地蔵(像高42cm)が安置されている。写真を撮るのに気をとられ、背面の「文政三辰三月吉日 柚木邑 十八人」を無視する。沢井の路傍でみた勝軍地蔵と比べると、大きさといい、彫刻といい貧弱である。
 次に近くにある月待板碑を訪ねる。目的の板碑(91×26cm)は木祠の中央にある。上部に日月と天蓋を陰刻し、下の蓮台が付く直径10cmの円の中に首尊「タラーク」、下に直径6cmの円の中6佛ずつの種子を刻し、最下段に蓮台がある。中央に「文明二年十月廾三日」、右に「月待供養」、左に「一結衆敬白」の銘がある。
 月待板碑の横には、宝筐印塔・五輪塔・板碑がみられる。右端にある自然石塔は、正面中央に「アーンク 奉納大乗妙典日本廻国供養」の主銘を彫る。文化9年11月24日の造立である。
 吉野街道沿いにある慶安3年の六地蔵石幢を省略し、裏道を東に向かい、奥多摩橋からの道を右折して街道へ出る。吉川英治記念館前を通り、柚木町1丁目の即清寺(真言宗豊山派)へ出る。境内には多くの石佛がみられる。
 先日、高知の岡村庄造さんか送られた「拓影カード」にあった七九供養塔(110×46×46cm)があり、改めて計測する。正面上部に阿弥陀立像(像高14cm)、両横に直径12cmの円があり、上下に直径3cmに円が3個ずつ陰刻される。中央に子供を抱く薬師如来(像高32cm)、右側面に不動明王(像高32cm)・矜羯羅童子(像高19cm)・制〓迦童子(像高15cm)の三尊、左側面に龍上の妙見菩薩(像高46cm)を浮彫りする。
 隣にある慶応元年造立の「山内新四国八十八箇所霊場」塔(103×46×46cm)は、左側面に「青面金剛」と「山王權現」と2行の尊名を記し、その下にそれぞれの陰刻像がある。青面金剛は立像(像高20cm)、山王権現は坐像(像高15cm)である。
 それらの石塔よりも上の段に地蔵が並んでいるが、その中に次の青面金剛がある。
  2 正徳2 光背型 日月・青面金剛・3猿           67×33
 2は合掌6手立像(像高38cm)、像の右に「奉造立青面金剛日待供養 柚木村」、左に「正徳二壬辰天九月吉祥日 講中」の銘がある。下部に内向型3猿(像高11cm)を浮彫りする。
 「馬頭尊」の文字馬頭と並んで次の庚申塔がある。
   3 万延1 自然石 「百庚申」               115×50
 3は表面に「百庚申」、裏面に「維時萬延紀元龍集行進肇秋穀旦/玉河崖柚木邨 願主 野村勘兵衛」と記す。多摩地方の「百庚申」には、町田市小山町・宝泉寺の文化元年塔と武蔵村山市本町・青梅街道路傍の万延2年塔がある。
 境内には、数多くのいろいろな石佛がみられる。十佛の文明5年板碑(106×34cm)、「十二面観世音」(80×50cm)、昭和58年の水子地蔵(像高152cm)など、他にも裏山を含めて新四国石佛が散在する。
 即清寺を出て近くにある梅郷6丁目の大聖院(真言宗豊山派)を訪ねる。地蔵堂の前に石幢の龕部がみられ、角に地蔵が陽刻されている。この龕部の地蔵と地蔵の間には直径7cmの円に日烏、直径8cmの円内に月兎が浮彫りされている。前に次の庚申塔がある。
   4 年不明 笠付型 日月・青面金剛・2鶏           73×32×30
 4は合掌6手立像(像高42cm)、銘文は全く読めない。
 大聖院の次は吉野街道沿いにある梅郷4丁目の中郷庚申堂に向かう。堂内には次の庚申塔がある。
   5 明治32 笠付型 日月・青面金剛・2鬼・3猿        98×35×28
 5は合掌6手立像(像高48cm)、2鬼の上に立つ。右側面に「在昔後水尾天皇御宇云々」の由来に関する長い銘文を刻み、左側面は「明治三十二年年仲秋大縁日再建之」の年銘である。正向型3猿(像高17cm)は台石正面に陽刻する。この塔の後にある木宮には、石佛の断片が入っている。火災に遭った旧塔と思われる。
 現在の堂宇は平成11年6月に建築されたもので、金属製の額に15万円から5000円までの奉納者の名前が列記されている。「庚申様」の説明板もみられる。
 次が同じ梅郷4丁目の天沢院(曹洞宗)、続いて梅郷2丁目の竹林寺(曹洞宗)を廻り、和田2丁目の吉野街道より少し引き込んだ場所にある元禄6年の地蔵をみる。次いで徳昌寺墓地にある次の庚申塔を訪ねる。
   6 元禄14 光背型 日月・青面金剛・3猿        65×34
 6は上部が欠けたもので、合掌6手立像(像高28cm)と内向型3猿(像高7cm)を浮彫りする。像の右に「元禄十四辛巳玄冬念日」、左に「□□□□日影和田村」の銘がある。
 吉野街道から墓地へ入る角の高みにある木祠には、大きな地蔵坐像(像高95cm)が安置されている。膝の上に幼児が抱きついている。
 畑中2丁目の地蔵院(臨済宗建長寺派)に寄り、境内を一巡してから畑中三叉路に出る。吉野街道と地蔵院に向かう道との交点には石佛があり、中の次の庚申塔を撮る。
   7 元禄  雑 型 日月・青面金剛・2鶏・3猿        98×40
 7は塔形分類がしにくいので「雑型」としたが、これと同形のものが奥多摩町川井・浄光院にみられる。合掌6手立像(像高45cm)、下部に正向型3猿(像高12cm)を浮彫りする。
 かなり疲れがあるので大柳町の清宝院(大柳不動 当山修験)と滝の上町の常保寺(臨済宗建長寺派)を省略して帰宅する。青梅線の駅の間隔は狭いが、御岳駅から沢井駅・軍畑駅・二俣尾駅・石神前駅・日向和田駅・宮の平駅・青梅駅までの8駅を歩いたことになる。21844歩の沢井・梅郷の石佛散歩である。
 御岳駅を起点に梅郷の石佛を巡ったコースは、『新多摩石仏散歩』(たましん地域文化財団 平成5年刊)の「青梅市 吉野街道をあるく 御岳から日向和田まで」(252〜263頁)に掲載されている。また前記の『青梅市の石仏』の「高水山コース」の後半で黒地蔵から雲慶院のコースを扱っている。沢井3丁目の勝軍地蔵と宝暦の地蔵を除けば、今回のコースは両書のミックスである。
 今回の下見の結果、多摩石仏の会5月例会は沢井駅を出発点にし、沢井の旧道の石佛を廻る。軍畑大橋を渡って柚木町へ入り、吉野街道沿いの慶安六地蔵石幢を加え、中郷の庚申堂を最後に神代橋経由で日向和田駅に出るコースに決める。
『石仏散歩 悠真』19号

 平成19年2月23日(金曜日)、多摩石仏の会の多田治昭さんから『石仏散歩 悠真』第19号と第20号の2冊が届く。第19号は「地蔵菩薩3」、第20号は「栃木県の石仏7」の特集である。ここでは第19号の「地蔵菩薩3」特集を取り上げる。
 これまでに『石仏散歩 悠真』では、地蔵の特集を第15号(平成18年12月刊)と第17号(平成18年1月刊)と2回組んでいる。
 第15号は「六地蔵」を扱い、『佛像図彙』から六地蔵2種の図像を引用している。普通にみられる個別の地蔵6体の他に、1石六地蔵や2石六地蔵、六地蔵石幢、文字六地蔵と各種の六地蔵を写真で紹介している。
 今月4日(土曜日)の節分に、本年最初の石仏談話室が東京芸術劇場6階小会議室で開催され、鳥沢隆憲さんの「六地蔵について」の講演があった。その時のレジメに示された出典と六地蔵の名称を『佛像図彙』と対比し、宗派別の系統にグルーピングして示すと、次の表の通りである。
   出典と六地蔵の名称
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   ┃出典      ┃ 六地蔵の名称                ┃注記 ┃
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   ┃『佛像図彙』1 ┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃天台系┃
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   ┃天台宗常用法儀集┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃   ┃
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   ┃六地蔵和讃   ┃金剛願│金剛宝│金剛悲│金剛幡│放光王│預天賀┃   ┃
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   ┃地蔵十王経   ┃預天賀│放光王│金剛幡│金剛悲│金剛宝│金剛願┃注 1┃
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   ┃『佛像図彙』2横┃地 持│陀羅尼│宝 性│鶏 亀│法 性│法 印┃禅宗系┃
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   ┃曹洞宗行持規範 ┃法 性│陀羅尼│宝 陵│宝 印│鶏 兜│地 持┃注 2┃
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   ┃江湖法式梵唄抄 ┃法 性│陀羅尼│宝 陵│宝 印│鶏 兜│地 持┃   ┃
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   ┃『佛像図彙』2縦┃護 讃│辯 尼│破 勝│延 命│不休息│讃 龍┃真言系┃
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   ┃天台常用法儀集 ┃禅 林│無 2│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃1般例┃
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   ┃高野山真言宗系 ┃禅 林│無 2│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃   ┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃伝授録(真言宗)┃禅 味│牟 尼│観 讃│諸 救│伏 勝│不休息┃   ┃
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   (注1) 字数の関係で「佛説地蔵菩薩発心因縁十王経」の略称で示した。
   (注2) 『曹洞宗行持規範』では「地蔵王菩薩」を省略した名称で示した。
   (注3) 『佛像図彙』1は前頁を示し、『佛像図彙』2横は図上に名称を横書きしたもの、
        同縦は図像の横に縦書きした名称である。
   (注4) 『佛像図彙』2縦の「延命」は「光味」の別名があり、「真言系」は天台宗の1部
        で用いられている。
   (注5) 『佛像図彙』の各項目では種子や印相などが記されているが省略、名称も「地蔵」
        を略している。
 『六地蔵和讃』と『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』の出典による六地蔵と持物と印相の違いを示すと、次の通りである。
   六地蔵の持物と印相
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   ┃六地蔵和讃           ┃地蔵十王経           ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃六道│尊   名│左 手│右 手┃
   ┣━━┿━━━━━┿━━━┿━━━╋━━┿━━━━━┿━━━┿━━━┫
   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃
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   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛旗│施無畏┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃
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 前記の表は天台宗系統の六地蔵の持物と印相であるが、次表は臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』による尊名と持物を表示すると、次の通りである。天台宗や真言宗系統の六地蔵と異なり、片手で印を結ばずに両手で持物を執る。参考までに下段に『佛像図彙』を示す。
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   ┃尊   名│持  物│六道配当 ┃尊   名│持 物┃備 考┃
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   ┃法性地蔵 │手持香炉│地獄道教主┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃
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   ┃陀羅尼地蔵│手持宝珠│餓鬼道教主┃陀羅尼地蔵│鉄 鉢┃注 記┃
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   ┃宝陵地蔵 │合  掌│畜生道教主┃宝性地蔵 │合 掌┃   ┃
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   ┃宝印地蔵 │手持旌旗│修羅道教主┃鶏亀地蔵 │錫 杖┃   ┃
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   ┃鶏兜地蔵 │手持錫杖│人道道教主┃法性地蔵 │柄香炉┃   ┃
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   ┃地持地蔵 │手持念珠│天道道教主┃法印地蔵 │金剛幡┃   ┃
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   〔注 記〕 この陀羅尼地蔵に限り、左手に鉄鉢を持ち、右手で施無畏印を結ぶ。他の地蔵は
         両手で持物を執る。
 これまで宗派によって六地蔵の名称が異なることは知っていたが、具体的には出典の存在や印相の違いまで関心がなかった。鳥沢隆憲さんの講演「六地蔵について」によって、これからは六地蔵を注意深く観察する必要を感じた。
 第17号の「地蔵菩薩2」の特集は、地蔵の持物を取り上げている。この号については、すでに『石佛雑記ノート2』の『石仏散歩 悠真』で扱っているので省略する。
 今回の第19号の「地蔵菩薩2」の特集は、各種の供養塔の本尊とされた例やいろいろな地蔵にふれている。最初は庚申塔の本尊としての地蔵である。次の3基を挙げている。
   1 寛文10 光背型 地蔵菩薩・3猿    埼玉県越谷市七左町 地蔵堂
   2 万治2 光背型 地蔵菩薩       埼玉県越谷市西新井 西教院
   3 寛文10 光背型 地蔵菩薩・3猿    千葉県松戸市古ヶ崎 円勝寺
 1昨日の21日(水曜日)は青梅市沢井・柚木町・梅郷などの石佛散歩を行った。その時に沢井2丁目の路傍で「奉供養廾3夜待」と刻む宝暦7年の地蔵をみている。
 次は念佛供養塔の4基を示している。3は百堂念佛塔、4は寒念佛塔である。
   1 延宝2 光背型 地蔵菩薩       東京都世田谷区上北沢 長泉寺
   2 寛文8 光背型 地蔵菩薩       千葉県松戸市南花島 栄末寺
   3 享保8 光背型 地蔵菩薩       埼玉県吉川市三輪野江 定勝寺
   4 正徳4 光背型 地蔵菩薩(合掌)   福島県西郷村小田倉 観音堂
 1昨日はうっかり見逃したが、その二十三夜地蔵の先にある「日待供養」の聖観音と並んで、台石に「結夏念佛諸願成就 奉造立之地蔵菩薩像一尊」の銘がある地蔵がある。
 供養塔の主尊としての地蔵菩薩の次に取り上げられたのは、各地にある「勝軍地蔵」で22基の写真が並んでいる。一昨日は青梅市の沢井と柚木町で2基の勝軍地蔵をみた。その中の1基は柚木町2丁目・八幡神社にある文政3年の丸彫り像(像高42cm)、第19号に写真が載っている。
 他の1基は、青梅街道の沢井3丁目路傍にある祠の中にに安置された勝軍地蔵立像(像高88cm)、頭上に毛糸の赤頭巾をかぶり、布のケープを羽織ったもので、一見して勝軍地蔵とは思えない。台石に享保8年の年銘が刻まれている。
 勝軍地蔵の次は愛宕山権現、宝珠と錫杖を執る立像3基と勝軍地蔵騎乗像1基の4基の写真が掲載されている。この種の地蔵は、奥多摩町坂本・普門寺で寛保2年、瑞穂町石畑・配水所前で元禄11年造立の立像をみている。詳しくは『新多摩石仏散歩』(たましん地域文化財団 平成5年刊)246頁と270頁に載っている。
 次いで「見返り地蔵」、平成11年3月に行われた多摩石仏の会の見学会でみた東松山市岩殿・阿弥陀堂の元文2年立像を始め、埼玉・群馬にある6基の写真を掲げている。
 多田さんが早くから関心があった「五輪地蔵」が続く。あきる野市油平・福徳寺の安永7年5輪六地蔵をトップに、単独の五輪地蔵10基の写真を載せている。
 その後は「六手地蔵」2基・「六つ指地蔵」1基・「岩舟地蔵」2基・「笠地蔵」2基・「舟乗り地蔵」3基の写真を並べ、最後は「しばられ地蔵」「切られ地蔵」「日限地蔵」「目病地蔵」「おこり地蔵」「身代り地蔵」の各1基の写真で終わる。(平成19・2・23記)
『石仏散歩 悠真』20号

 多田治昭さんから『石仏散歩 悠真』第19号と1緒に送られてきた第20号は、特集「栃木県の石仏7」である。つまり、これまでに栃木県の特集が6回発行されたことを意味する。この6号の号数と刊行年月、調査市町を示すと次の通りである。
   第3号 栃木県の石仏調査1 平成18年6月刊 栃木市・足尾町・壬生町・小山市
   第5号 栃木県の石仏2 平成18年7月刊 鹿沼市・都賀町・宇都宮市・粟野町・西方町・壬
                       生町・栃木市・大宮町・佐野市・大平町・小山市
   第6号 栃木県の石仏3 平成18年8月刊 野木町・喜連川町・上河内町・今市市・日光市・
                       鹿沼市・粟野町・栃木市・小山市
   第11号 栃木県の石仏4 平成18年10月刊 藤岡町・宇都宮市・真岡市・益子町・二宮町・南
                       河内町・都賀町・大平町・藤岡町・佐野市・日光
                       市・鹿沼市・二宮町
   第14号 栃木県の石仏5 平成18年11月刊 粟野町・鹿沼市・今市市・日光市
   第16号 栃木県の石仏6 平成18年12月刊 日光市・都賀町・芳賀町
 今回の第20号は、今年1月19日と2月5・6日の3日間に廻った小山市・藤岡町・野木町・鹿沼市・佐野市で調査した結果を扱っている。掲載順に示すと、次の通りである。
   1 寛文10 板駒型 「南無阿弥陀佛」2猿       小山市大本・谷新田
   2 延宝1 板碑型 日月・2猿「奉刻立石塔庚申待」  小山市大本・岡坪 地蔵様
   3 正徳4 光背型 日月・青面金剛・1鬼・3猿    小山市上初田 星宮神社
   4 元禄2 板駒型 「奉造立庚申供養」3猿      小山市上初田 星宮神社
   5 万延1 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿    小山市上初田 星宮神社
   6 元文5 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿    小山市荻島 田神神社
   7 延宝5 光背型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿 藤岡町石川
   8 寛文9 板碑型 日月「・・庚申待大願・・」3猿  小山市網戸 本宿公民館
   9 延宝8 光背型 日月・青面金剛・1鬼・3猿    野木町野木 つかさ工業角
   10 寛延3 柱状型 「ウーン 青面金剛」3猿     野木町野木 つかさ工業角
   11 延宝3 光背型 青面金剛・1鬼・2鶏・3猿    藤岡町甲新井本郷 浄光院
   12(延宝8)板駒型 青面金剛・1鬼・3猿       小山市生良 水神社
   13 平成6 柱状型 「猿田彦大神」          小山市平和199
   14 宝暦2 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿 小山市平和 薬師堂
   15 延宝8 丸 彫 阿弥陀如来「申得惣結衆欽白」   小山市出井 薬師堂
  参考 平成14 柱状型 「十九夜観音塔」         小山市出井 薬師堂
  参考 享和4 自然石 「□□供養塔」          鹿沼市引田1070
   16 延宝2 板駒型 日月「奉待庚申供養」2猿     鹿沼市草久
   17 万延1 *   日月・4手線刻青面金剛・1鬼   佐野市戸奈良・篭山
   18 万延1 柱状型 「百庚申塔」(百「庚申」文字)  佐野市戸奈良・篭山
 ともかく1月が297・5km、2月が269・6km、3日間の走行距離が計567.1kmである。楽しみも多いが、庚申塔ドライブも大変である。(平成19・2・23記)
『石仏散歩 悠真』

 この『石佛雑記ノート4』でも取り上げているたが、多摩石仏の会の多田治昭さんが発行している『石仏散歩 悠真』は、第1号が平成18年5月21日に発行されて以来、現在手許にあるのは18年2月18日の第20号まで続いている。これらを発行順に示すと次の通りである。
    号数 特集        発行日      掲載都県
    1号 血盆経の石仏    平成18年5月21日 埼玉・群馬・栃木
    2号 庚申塔の蛇     平成18年6月15日 東京・埼玉・栃木・神奈川・千葉・群馬・
                          茨城
    3号 栃木県の石仏調査1 平成18年6月17日 栃木
    4号 三十三観音     平成18年7月10日 埼玉・神奈川・青森・東京・山梨・群馬・
                          栃木
    5号 栃木県の石仏2   平成18年7月15日 栃木
    6号 栃木県の石仏3   平成18年8月15日 栃木
    7号 四十九院の石仏   平成18年8月18日 埼玉・栃木・群馬・茨城・神奈川
    8号 釈迦如来と十大弟子 平成18年9月5日 東京・神奈川・埼玉・栃木・山形・千葉
    9号 千葉県の石仏1   平成18年9月10日 千葉
    10号 関東地方の宝筐印塔庚申塔 平成18年10月6日 東京・神奈川・埼玉・千葉・群馬・
                          茨城
    11号 栃木県の石仏4   平成18年10月10日 栃木
    12号 関東地方の如来申塔1平成18年11月20日 千葉・群馬・東京・埼玉・神奈川・茨城
    13号 神奈川の石仏1   平成18年11月23日 神奈川
    14号 栃木県の石仏5   平成18年11月24日 栃木
    15号 地蔵菩薩1     平成18年12月14日 青森・埼玉・宮城・東京・群馬・山梨・静
                          岡・神奈川
   ※16号 栃木県の石仏6   平成18年12月17日 栃木
   ※17号 地蔵菩薩2     平成18年1月15日 埼玉・栃木・千葉・埼玉・東京・群馬・神
                          奈川・茨城・青森
   ※18号 神奈川の石仏2   平成18年1月22日 神奈川
   ※19号 地蔵菩薩3     平成18年2月15日 埼玉・千葉・東京・福島・群馬・茨城・栃
                          木・神奈川
   ※20号 栃木県の石仏7   平成18年2月18日 栃木
   〔注 記〕 号数上の「※」印はこれまでに『石佛雑記ノート』で取り上げたことを示す。
        16号は「1」、17号と18号は「2」、19号と20号は「4」に収録している。
 栃木や千葉、神奈川という特定の県の調査報告号を除くと、他の特集は広い範囲の都県に及ぶ石佛が掲載されているのがわかる。1応の目標は関東地方に置いているが、旅行先で撮影・調査され写真を載せている。各地の傾向がうかがわれて参考になる。
 多田さんが『野仏』第30集(平成11年刊)以降に連載している「庚申塔ファイル」は、第37集の現在も続いている。これが『石仏散歩 悠真』の原点である。その延長上に『石仏散歩 悠真』誕生の前段階として、これまでに発行された次の冊子がある。
   冊子名                刊行年月日
   『平成の庚申塔』〔注記 1〕     平成14年7月頃刊
   『千葉県の童子・夜叉付青面金剛塔』  平成14年9月6日刊
『烏八臼の庚申塔』          平成15年1月13日刊
   『東京都の童子・夜叉付青面金剛塔』  平成15年3月2日刊
   『三十三観音』            平成15年4月20日刊
   『埼玉県の童子・夜叉付青面金剛塔』  平成15年7月6日刊
   『神奈川県三浦市の庚申塔』      平成15年8月17日刊
   『神奈川県津久井郡の庚申塔』     平成15年9月28日刊
   『神奈川県の童子・夜叉付青面金剛塔』 平成15年10月5日刊
   『鳥居のある庚申塔』         平成16年2月8日刊
   『群馬県・栃木県・茨城県の童子・夜叉付青面金剛塔』 平成16年2月8日刊
   『仰向けの邪鬼』           平成16年3月10日刊
  『関東地方の童子・夜叉付青面金剛塔』 平成16年5月16日刊
  『関東の猿田彦像』          平成16年10月15日刊
   『髑髏のある庚申塔』         平成17年2月25日刊
   『如意輪観音の庚申塔』        平成17年3月13日刊
   『群馬県高崎市の庚申石祠』      平成17年9月25日刊
   『改定 烏八臼の庚申塔』       平成17年12月10日刊
   〔注記 1〕 この『平成の庚申塔』には発行年月日び記入がない。これを平成14年7月1
         1日に受け取っているので、その頃に刊行された推定する。
 多田さんの一連の流れは、こうした足跡からうかがえる。(平成19・3・1記)
『石佛月報』2月号

 平成19年3月2日(金曜日)は、都立多摩図書館から帰ると、瀧澤龍雄さんから封書が届いている。それを開けようとしている時に、瀧澤さんから電話がある。後で聞いたら午前に1度電話があった、というから2度目の電話である。4月の藤岡町見学会に関してである。
 封筒の中身は「最近の溜めてしまった碑塔類」を特集した『石佛月報』2月号、次のような項目から構成されている。
   番 表題            年銘    所在地
  表紙 「薬師堂の碑塔群」     (各種)  小山市平和 薬師堂
   1 「これでも家畜塔か?」   年不明   栃木市寄居町 星宮神社
   2 「愛宕山供養塔」      正徳5年  小山市松沼 東割出公民館
   3 「霞翁揮毫の庚申塔」    万延1年  小山市塚崎 薬師堂
   4 「十九夜梵字真言塔」    明和6年  小山市大本・岡坪 お地蔵様
   5 「万庚申塔」        明治2年  佐野市戸奈良 籠山山頂
   6 「冨士講造立の石塔」    慶応4年  小山市網戸・藤塚 浅間神社
   7 「馬匹徴發戦勝観世音」塔  明治38年  小山市荒川 八龍神社から北西へ行った角地
   8 「百堂念佛供養塔」     元禄6年  小山市立木 安養寺(無住)
   9 「悩んだ阿弥陀様庚申塔」  延宝8年  小山市出井 小山環状線沿い 薬師堂裏
   10 「年号欠けの庚申年塔」   延宝8年  小山市生良 水神社
   11 「栃木市の野に立つ板碑」  永仁6年  栃木市寄居町 徳仙共同墓地角地
   12 「田沼町の仰向け邪鬼」   万延1年  佐野市本町 愛宕山 頂上碑塔群
   13 「男体山碑に遭遇!」    慶応1年  栃木市大塚町上区 薬師堂
   14 「正統十九夜念佛供養塔」  延宝3年  小山市梁・下梁 不動院跡
 これに次号用の「県内最大の昭和庚申年塔」が同封されている。これは、下野市仁良川・愛宕神社西側道路沿いにある昭和55年造立の庚申塔を扱っている。高さが142cmで幅が65・5cm、奥行きが5cmである。瀧澤さんの調査では 昭和庚申年塔は159基あると文中に記されている。この塔数は、長野や新潟に続く第3位である。現在の調査塔数から推測して、栃木県内には175基程度が分布しているのではなかろうか。
 話が2月号から逸れたので本題に戻して、表紙は小山市平和の薬師堂境内に並ぶ石佛4基を写している。十九夜塔・延命観世音塔・宝筐印塔・供養塔の4基である。
 1は自然石に「サ」+「馬」+蓮台を刻む年不明塔、何とも理解に苦しむ文字塔である。聖観音の種子「サ」を使い、「馬」と結びつけると、どうしても馬頭観音しか思い浮かばない。民間信仰の自由奔放な発想としかいいようがない。
 2は地蔵立像が主尊の刻像塔、先日いただいた多田治昭さんから『石仏散歩 悠真』第19号の「地蔵菩薩3」でも「愛宕地蔵」を取り上げている。
 3は万延庚申年造立の庚申塔、霞翁が「庚申塔」揮毫した塔である。台石の「不見/不聞/不言」に3猿の文字化がみられる。
 4は如意輪観音を主尊とする十九夜念佛塔、右端に如意輪観音の梵字真言を刻む。瀧澤さんの十九夜塔2903基中、梵字真言がみられるのはこの塔ただ1基という。東京には十九夜塔がないせいもあり、まだ梵字真言を刻む塔をみたことがない。
 5は数庚塔の1種、多摩地方では「百庚申」塔が僅かに3基で「千庚申」、まして「万庚申」は望めない。「千庚申」までは埼玉でみられるが、「万庚申」とてもではない。
   「冨士講造立の石塔」    慶応4年  小山市網戸・藤塚 浅間神社
 6は上部に日月と瑞雲を浮彫りし、下に山形があって中央に「御頂上藥師瑠璃光如来」の銘を刻む塔である。話は変わるが『日本の石仏』第120号(日本石仏協会 平成18年刊)の口絵のトップに石田年子さんが茨城県坂東市菅生沼西岸で撮影した享保2年の「浅間大菩薩」がある。上部に弥陀三尊像を浮彫りし、下部に山形に「浅間大菩薩」と彫る。小山市のように、富士山と薬師如来が結びつくにのは珍しい。
 7は馬頭観音の延長上の文字塔、主銘の「馬匹徴發戦勝観世音」の上に「日露/戦役」の銘がみられる。私も『日本の石仏』第82号(日本石仏協会 平成9年刊)に発表した「東京都青梅の昭和馬頭を読む」の中で「軍馬の供養」として取り上げたことがある。
 8は、小山市にある聖観音を主尊とした百堂念佛供養塔を取り上げている。「百堂」と聞くと、横田甲1さんが熱心に調査し、それを中山正義さんが受け継ぎ、一時期、故・高橋肇さんが調査したのを思い出す。中山さんは平成5年に改訂版の『百堂供養塔』を発行、135基を収録している。内訳は茨城県が68基、埼玉県が45基、千葉県が18基、栃木県が3基、群馬県が1基である。参考までに「県別彫像1覧表」を加工して塔数の多い順に記載すると、次の通りである。
   ┏━━━━━┳━━━┯━━━┯━━━┳━━━┓
   ┃主   尊┃茨城県│埼玉県│千葉県┃総 計┃
   ┣━━━━━╋━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃地蔵菩薩 ┃ 16│ 12│  3┃ 31┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃阿弥陀如来┃  9│  4│  2┃ 15┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃聖 観 音┃  6│  3│  1┃ 10┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃如意輪観音┃  0│  4│  2┃  6┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃金剛界大日┃  4│  0│  1┃  5┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃胎蔵界大日┃  2│  0│  1┃  3┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃薬師如来 ┃  1│  0│  0┃  1┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃六 地 蔵┃  1│  0│  0┃  1┃
   ┠─────╂───┼───┼───╂───┨
   ┃不   明┃  2│  0│  0┃  2┃
   ┣━━━━━╋━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃総   計┃ 41│ 23│ 10┃ 74┃
   ┗━━━━━┻━━━┷━━━┷━━━┻━━━┛
 9は『栃木県小山市 江戸前期迄の庚申塔まとめ』に記載された首が欠失し、全体的に傷がある来迎印を結ぶ阿弥陀如来立像である。その注記に庚申塔とした理由と年号確定の理由が書かれている。
 10も『栃木県小山市 江戸前期迄の庚申塔まとめ』にみられる年号が欠失した青面金剛である。青面金剛の刻像傾向から、欠けた部分を「延宝8」と推測している。
 11は「キリーク」一尊種子を薬研彫りし、下に蓮台を置く板碑である。蓮台の剥離が進んでいるのが気にかかる。板碑の背後に畑が広がっている。
 12の仰向け邪鬼の写真をみると、多田治昭さんの『仰向けの邪鬼』(私家版 平成16年刊)を思い出す。これに関しては、すでに『石佛雑記ノート3』の「『石佛月報』1月号」に記したから省略する。これには、瀧澤さん撮影の真岡市下籠谷の正徳5年塔の邪鬼が載っている。栃木には3基あるのいうから、真岡市と1月号の小山市上初田・愛宕神社の万延1年塔と12の3基である。
 13は瀧澤さんが関心が深い「男体山」碑、確かホームページにもこの文字塔の一覧表が載っていたと思う。自然石に隷書体の「男体山」を刻む。
 14は延宝3年の笠付型塔、弥陀三尊種子の下に「奉納拾九夜待一坐成就并安全攸」の主銘がある。瀧澤さんが「正統」と呼ぶのは、頭に書かれた次の考えによる。
    江戸前期迄の「十九夜」信仰塔で、像容がない文字塔というのが意外と少ないのは、それだ
   け当時の人々は信仰心が厚く、加えてそれを導いた僧侶の力が大きく影響し、その信仰対象と
   する本尊の姿を表現したかったからだと思う。
   「正統十九夜念佛供養塔」  延宝3   小山市梁・下梁 不動院跡
 4と併せて「十九夜」は、とかく単純に「月待」と分類される。古い十九夜塔をみると「十九夜念佛」と「念佛」が加わっている。このことは「月待」の「二十三夜」塔と比較して考えると、「十九夜」の場合は特定の日取りを示す「念佛」、この「念佛」が主体とはいえないであろうか。
                                   (平成19・3・2記)
東吾妻町の石佛写真

 平成19年3月3日(土曜日)、足立区にお住まいの笹川義明さんから封書が届く。笹川さんは先月25日(日曜日)の午後から群馬県吾妻郡東吾妻町・菅原神社例大祭の太々神楽を鑑賞した。神楽が始まるまでの午前中は吾妻川左岸コースを散策して石佛巡りを行った、という。その節に撮られた石佛写真が16葉と木造仁王の写真2葉が手紙に同封されている。
 お手紙には石佛巡りを行った順に書かれている。同封のガイドをみると、JR吾妻線岩島駅から矢倉駅までの逆コースである。写真から判断すると、矢倉駅まで行かずに途中の応永寺から菅原神社へ引き返している。
   番 図 写真
   1 P 交通安全道祖神
   2 M 唐沢窪観音(馬頭観音・如意輪観音・馬頭観音)
   3 L 松中道祖神
   4 K 松下(上)道祖神・宝筐印塔
   5 J 二十三夜塔
   6 R 久々戸沢石佛群(地蔵・十一面観音・合掌観音)
   7 H 漆見戸道祖神
   8 G 姉山(上)道祖神
   9 E 姉山(下)道祖神
   10 C 応永寺(勝軍地蔵・木造仁王阿像・同吽像)
 1の「交通安全道祖神」は男神が盃、女神が徳利を持つ双体道祖神、写真からみて現代作と推測される。3の「松中道祖神」は1と同じ祝言像らしい。4の「松下(上)道祖神」は男神が両手で飾り物、女神が盃と徳利を持つ。7の「漆見戸道祖神」は両神が握手する。8の「姉山(上)道祖神」と9の「姉山(下)道祖神」も7と同様に握手像である。以上の6基の双体道祖神は光背型塔に男女2神を浮彫りする。
 この地域の双体道祖神を扱った文献には、次の2書がある。
   1 丸橋 祐男 『吾妻町の道祖神─双体道祖神』 吾妻町教育委員会 昭和51年刊
   2 若林 栄一 『吾妻郡の双体道祖神』     私家版    昭和51年刊
 2の文献から双体道祖神のデータを1覧表にまとめると、次の通りである。
   ┏━━━━━━━━┳━┯━━━━━━━━┯━━┯━━┯━━━━━┯━━┓
   ┃名      称┃番│年      銘│干支│像高│塔高×塔幅│頁数┃
   ┣━━━━━━━━╋━┿━━━━━━━━┿━━┿━━┿━━━━━┿━━┫
   ┃松中道祖神   ┃3│寛延3年11月吉日│庚午│30│50×35│69┃
   ┠────────╂─┼────────┼──┼──┼─────┼──┨
   ┃松下(上)道祖神┃4│寛保3年 月吉日│癸亥│39│69×38│69┃
   ┠────────╂─┼────────┼──┼──┼─────┼──┨
   ┃漆見戸道祖神  ┃6│元文5年 月吉日│庚申│36│58×36│70┃
   ┠────────╂─┼────────┼──┼──┼─────┼──┨
   ┃姉山(上)道祖神┃24│宝暦12年 月吉日│壬午│37│48×34│77┃
   ┠────────╂─┼────────┼──┼──┼─────┼──┨
   ┃姉山(下)道祖神┃8│年不明     │──│40│60×35│71┃
   ┗━━━━━━━━┻━┷━━━━━━━━┷━━┷━━┷━━━━━┷━━┛
 「交通安全道祖神」は両書に記述がないところをみると、昭和51年以降の造立とわかる。
 2の「唐沢窪観音」にある如意輪観音は、光背型塔に2手輪王座の像を浮彫りする。同所の馬頭観音は、光背型塔に2手合掌立像を浮彫りする。1基は「寛政九天/巳十九月日田村氏」の銘が読み取れる。6の「久々戸沢石佛群」には、十一面観音丸彫坐像と頭上に化佛をいただく合掌観音丸彫坐像がみられる。同所には、右手に錫杖を執る地蔵菩薩丸彫坐像がある。
 興味があるのは5の二十三夜塔、上部の円内に勢至菩薩坐像を浮彫りし、「二十三夜塔」の主銘を記す。台石正面に「雨宮孫兵衛」など3人の氏名を刻む。この塔の主尊部分を接写した写真がある。通常の勢至菩薩は来迎相の合掌を結ぶが、他に蓮華を執る像が造られる。この勢至菩薩は、雲上に座し胸前の2手が合掌ではなく、指を伸ばして胸に向けている珍しい印相である。
 もう1基興味があったのは、応永寺にある光背型塔に馬上の勝軍地蔵を浮彫りした石佛である。勝軍地蔵は厚肉彫りで、それ以上に馬を丸彫り近くに彫り出している。先月21日(水曜日)に青梅市沢井と柚木町で勝軍地蔵2基をみていたから、よけいに対照してみてしまう。
 以上の他に松下上の宝筐印塔と応永寺の木造仁王阿像と吽像の写真がある。(平成19・3・3記)
 
多摩市石佛散歩

 平成19年3月8日(木曜日)は、多摩市の石佛散歩を行う。多摩石仏の会2月例会で喜井晢夫さんさんから呼び掛けられ、3月2日に受け取ったお手紙には、3月8日午前10時に京王線聖蹟桜ヶ丘駅に集合、駅前から10時10分のバスに乗る予定が記されていた。
 聖蹟桜ヶ丘駅に着いたのが午前9時40分、すでに参加メンバーの犬飼康祐さん・加地勝さん・喜井晢夫さんの3人が揃っている。出発の予定を早めて駅前発9時50分の永山駅行きの京王バスに乗り、中部団地入口で下車する。
 第1の見学場所は「光地蔵尊」(連光寺6−2)、木祠の中には中央に安永7年の丸彫り地蔵立像(像高100cm)を置き、右に明治12年の柱状型百番塔(70×27×19cm)、左に文化14年の柱状型百番塔(57×24×14cm)と文政5年の柱状型馬頭観音(52×24×16cm)がある。馬頭観音は浮彫りの立像(像高35cm)である。
 次に訪ねたのが「成願寺」(真宗大谷派 連光寺4−20)、目ぼしい石佛は見当たらず、墓地に3木鶏郎の墓がみられる。
 3番目が「聖蹟記念館」の交差点近くの「拓魂」碑がある公園の一角、道路に面して昭和17年の文字馬頭(と並び、次の庚申塔がある。
   1 文政12 柱状型 日月・青面金剛              58×27×25
 1は剣人6手立像(像高47cm)、右側面に「武州多摩郡連光寺村/舟郷講中」の地銘と施主銘、左側面に「文政十二己丑九月吉日」の造立年代を彫る。
 道を間違えて旧多摩聖蹟記念館の敷地に入り、落ち葉を敷く道を下って予定していた道に出る。4番目が春日神社の末社である山王社と明神社、2基共に流造型の石祠、台石に文政9年の造立年代が刻まれている。
 連光寺小学校の横を通り、5番目の昭和15年の柱状型「馬頭觀世塔」(連光寺2−30)に向かう。通常、文字馬頭では「観世音」か「観音」で「塔」が付くのは少ない。
 6番目が連光寺2−29の路傍にある地蔵と次の庚申塔2基を調べる。
   2 寛政4 柱状型 「庚申供養塔」(台石)3猿        65×30×22
   3 享保16 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿     98×38×24
 2は「庚申供養塔」の主銘、右側面に「寛政4己子歳十一月吉日」の年銘、左側面に「武州多摩郡/連光寺村講中」の施主銘を刻む。台石正面に正向型3猿(像高12cm)を浮彫りする。
 3は標準的な剣人6手像(像高53cm)が鬼上に立ち、下部に内向型3猿(像高13cm)を陽刻する。右側面に祈願銘「奉造立庚申爲2世安樂也」、左側面の中央に「享保十六辛亥天十一月吉祥日」、右に「武州多摩郡連光寺村」、左に「講中十七人施主善男子」と記す。
 7番目に高西寺(曹洞宗 連光寺2−24)を訪ねる。門前は石段や敷石などの工事中、たまたま昼休みの時間であったので、中に入って柱状型妙典千部塔や柱状型光明真言塔、木祠の中の丸彫り地蔵をみてから境内に入る。参道に面している丸彫り地蔵坐像は、白御影の台石と違和感がある。台石の銘文で経緯がわかる。
 8番目は「連光寺本村 坂上」と記録や石垣の前に置かれた写真が残る大正9年の道標、歩道橋の辺りであったという。範囲を拡げて付近を探すが見当たらない。春日神社移転されいるかもしれないと、境内にもない。諦めて次へ向かう。
 9番目に行ったのが連光寺1−4の路傍に立つ、次の庚申塔と天保7年の柱状型文字馬頭(72×29×29cm)である。「馬頭観音」の主銘は、見事な草書体で書かれている。
    4 元禄13 光背型 日月・青面金剛・3猿           57×34
 4は通常みられる合掌6手立像(像高25cm)、像の右に「庚申 連光寺村」、左に「元禄十三庚辰十月朔日」の銘がある。正向型3猿(像高8cm)の下に「嶋崎助左衛門」など7人の施主銘が並ぶ。
 10番目が同番の近くの路傍にある柱状型道標(58×13×14cm)、4面それぞれに「東いなか道/南連光寺/西八王子/北府中」の道標銘を刻む。
 午後2時を過ぎて午前の調査を終え、聖蹟桜ヶ丘駅まで戻る。京王百貨店7階のレストランで遅い昼食、喜井さんにご馳走になる。
 外に出ると小雨である。午後の1番は予定を変更して「観蔵院」(曹洞宗 東寺方1−3)を訪ねる。山門前に立つ大型の丸彫りの仁王石像が迎えてくれる。境内には等身大の七福神の丸彫り像がみられる。一石六地蔵の背後には、平成13年6月造立の童子形六地蔵が並ぶ。台石に左から「天上」「人間」「修羅」「畜生」「餓鬼」「地獄」の順である。
 先月4日(土曜日)の石仏談話室では、鳥沢隆憲さんが「六地蔵について」を講演した。その時に示された『佛像図彙』と『曹洞宗行持規範』には、六地蔵の各々が次の名称である。『佛像図彙』には、ここに示したとは別の天台系六地蔵が描かれている。
   ┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓
   ┃出典      ┃ 六地蔵の名称                ┃備考 ┃
   ┣━━━━━━━━╋━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━╋━━━┫
   ┃『佛像図彙』  ┃地 持│陀羅尼│宝 性│鶏 亀│法 性│法 印┃禅宗系┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃曹洞宗行持規範 ┃法 性│陀羅尼│宝 陵│宝 印│鶏 兜│地 持┃   ┃
   ┗━━━━━━━━┻━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┻━━━┛
 ここでは、それぞれの「地蔵王菩薩」の名称を省略した。例えば、「法性」の場合は「法性地蔵王菩薩」となり、他の5体の地蔵も同様である。ただこの寺の六地蔵には、6道の配当はわかるが、尊名が示されいないのが残念である。
 そこで尊名と持物と6道の配当を曹洞宗と同じ禅宗系統の臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』を上段に、『佛像図彙』を下段によると持物を表示すると、次の通りである。
   ┏━━━━━┯━━━━┯━━━━━┳━━━━━┯━━━┳━━━┓
   ┃尊   名│持  物│6道配当 ┃尊   名│持 物┃備 考┃
   ┣━━━━━┿━━━━┿━━━━━╋━━━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃法性地蔵 │手持香炉│地獄道教主┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃陀羅尼地蔵│手持宝珠│餓鬼道教主┃陀羅尼地蔵│鉄 鉢┃注 記┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃宝陵地蔵 │合  掌│畜生道教主┃宝性地蔵 │合 掌┃   ┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃宝印地蔵 │手持旌旗│修羅道教主┃鶏亀地蔵 │錫 杖┃   ┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃鶏兜地蔵 │手持錫杖│人道道教主┃法性地蔵 │柄香炉┃   ┃
   ┠─────┼────┼─────╂─────┼───╂───┨
   ┃地持地蔵 │手持念珠│天道道教主┃法印地蔵 │金剛幡┃   ┃
   ┗━━━━━┷━━━━┷━━━━━┻━━━━━┷━━━┻━━━┛
   〔注 記〕 下段の陀羅尼地蔵に限って左手に鉄鉢を持ち、右手で施無畏印を結ぶ形像である
         が、他の地蔵は合掌を含めて両手で持物を執る。
 次いで道幅の狭い路傍に面している庚申木祠(1ノ宮3−4)に行き、中に安置されている庚申塔2基を外に出して調べる。
  5 宝暦9 柱状型 日月・青面金剛(3折)          48×21×15
   6 明治9 板石型 「庚申塔」                42×17
5の主尊は万歳型の合掌6手立像(像高37cm)、右側面には「奉納造立(庚)申供養」、左側面には「宝□九己卯年(以下不明)」の銘文がみられる。干支の「己卯」を手掛かりに調べると、寛永16年・元禄12年・宝暦9年・文政2年・明治12年が該当する。「宝」と「九己卯年」からも断定できるし、万歳型像からみても「宝暦九年」と推定するのが妥当と考えられる。銘文の「九」は「元」と読めたが、干支からみると「九」が正当であろう。
 6は「庚申塔」が主銘、右下に「明治九丙子/十月吉(日)」の年銘、左下に「有山」の銘が刻まれている。
 3番目が路傍(一ノ宮3−4)にある木祠、中に光背型地蔵立像(像高48cm)と柱状型廻国塔が安置されている。
 4番目に柱状型の「文字馬頭」をみてから、5番目に「真明寺」(真言宗智山派 一ノ宮1−38−1)を訪ねる。先ず、境内にある平成元年11月造立の丸彫六地蔵(像高106cm)をみる。
 この寺の場合は、曹洞宗の観蔵院と異なり、各々の地蔵に禅宗系と違う尊名がみられる。また観蔵院と6道の配当も配列が逆に右端の「天道」から始まり、左端の「地獄道」に並んでいる。参考のために、次に出典と名称を示す。
   ┏━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━┓
   ┃出典      ┃ 六地蔵の名称                ┃注記 ┃
   ┣━━━━━━━━╋━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━╋━━━┫
   ┃『佛像図彙』  ┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃天台系┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃高野山真言宗系 ┃禅 林│無 2│護 讃│諸 龍│伏 勝│伏 息┃   ┃
   ┠────────╂───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃伝授録(真言宗)┃禅 味│牟 尼│観 讃│諸 救│伏 勝│不休息┃   ┃
   ┗━━━━━━━━┻━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┻━━━┛
 『六地蔵和讃』と『地蔵十王経』から6道の配当・尊名・左手の持物・右手の印相を示すと、次の通りである。この系統の特徴は、左手に持物を執り、右手で印を結ぶ。
   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   ┃六地蔵和讃           ┃地蔵十王経           ┃
   ┣━━┯━━━━━┯━━━┯━━━╋━━┯━━━━━┯━━━┯━━━┫
   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃六道│尊   名│左 手│右 手┃
   ┣━━┿━━━━━┿━━━┿━━━╋━━┿━━━━━┿━━━┿━━━┫
   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛旗│施無畏┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃
   ┗━━┷━━━━━┷━━━┷━━━┻━━┷━━━━━┷━━━┷━━━┛
 真明寺の六地蔵は、次に記すように『佛像図彙』に示された天台系の六道の配当と名称が受け継がれているが、左手の持物と右手の印は守られていない。
   右端の「天道/預天賀地蔵」は、右手で片手拝みをし、左手に宝珠を持つ。
   2番目の「人間道/放光王地蔵」は、両手で柄香炉を持つ。
   3番目の「修羅道/金剛幡地蔵」は、両手で合掌する。
   4番目の「畜生道/金剛悲地蔵」は、両手で数珠を持つ。
   5番目の「餓鬼道/金剛宝地蔵」は、両手で幡幢を持ってる。
   左端の「地獄道/金剛願地蔵」は、右手に錫杖を執り、左手に宝珠を持つ。
 最後に廻ったのが小野神社に近い路傍にある庚申木祠(1ノ宮)、祠の軒に4手を下げる縄が張られている。祠内に安置されている次の庚申塔をみる。
   7 寛延4 柱状型 日月・青面金剛(下部剥落)        54×25×15
 7は破損された合掌6手立像(像高39cm)、特に下半身が酷い。剥落がみられる右側面に「寛/奉造立庚/辛未十月」、左側面に「武州多摩郡一宮村」の銘が読み取れる。
 木祠内の右側に「庚申塔戦座覆殿/建築奉納者」の「永井太兵ヱ」などの氏名が7名2段に記されてた木額が掛かる。塔の背後には、この庚申塔の由来を記す次の説明板がみられる。
   「庚申塔」の由来
    此の庚申塔は、庚申信仰に由来して/江戸時代の中頃の寛延四年(1751年)に造立され
   た石塔です。
    村へ悪疫や災難が入ってこないよう/にとの願を込めて、旧一ノ宮一番地先(現一ノ宮1丁
   目28番地9号先)に/建てられていたが、都道府中四谷橋関連道路の新設により当地にお遷
   し申し/上げお祀りする。
   ┌───────────────┐
   │正 面 像浮彫り       │
   │右側面 寛延四年       │
   │    奉造立庚申供□□   │
   │左側面 武州多摩郡一之宮村  │
   └───────────────┘
     平成十二年二月吉日/小野神社役員/地域有志一同
 ここを最後に聖蹟桜ヶ丘駅へ向かう途中、渡しみの入口にある太鼓台の石造物をみる。駅で下り電車に乗る3人と別れ、1人新宿行き準特急電車に乗る。分倍河原駅でJR南武線で立川に出て、立川フロム中武6階で開催されているフォトクラブ多摩の写真展「4季めぐりあい」に寄る。伊勢丹や高島屋を廻り、青梅線で帰宅する。
   〔付 記〕
    多摩市つながりで翌9日(金曜日)に、たまたま取り上げた『多摩市の民俗(信仰・年中行
   事)』(多摩市 平成5年刊)に気になる記事をみつける。
     無 縁 仏
      諏訪社の安置されている南東に5基の5輪塔があり、脇の塔婆には「宝塔為関戸合戦士
     有縁無縁1切諸霊成3菩薩」と書かれている。(32頁)
    何故これが気になるかといえば、一ノ宮3−4のに路傍ある木祠の中に地蔵立像があり、像
   の右に「一切」の銘文以外読めそうで読めない。恐らく「有縁無縁一切諸霊成三菩薩」が銘文
   ではなかろうか、と気になったわけである。また1の庚申塔に関し、つぎの記述がみられる。
     庚 申 塔
      現在は、満州開拓慰霊碑の入口の脇に安置されているが、以前は現米軍弾薬庫場内にあ
     ったという。(47頁)
    午後に訪ねた路傍に面している庚申木祠(一ノ宮3−4)に安置されている5と6)の庚申
   塔2基(宝暦9年塔と明治9年塔)に関しては、次のように記されている。
                 庚 申 社
      有山コウジュウ全体で祀っていたのが、庚申社でお庚申様と呼ばれている。4月の申の
     日にオヒマチを行い、お神酒・果物・手作りのご馳走をお供えし、コウジュウのもので食
     べるのである。参加するのは、旧住民であるフルイエ(古家)十軒ほどである。
      戦後一時期、祭りを中断していたところ、若い七人ほどが次々に死し、未亡人になる人
     が多く、どうもお庚申様を雨ざらしにし、オコモリしないために祟りが生じたのではない
     か、、ということになり昭和三十年頃から再び祭りをおこなうようになった。神主は来な
     いが、コウジュウ2軒づつで世話をやく。蚕日待は一軒眼在では千円ほどであるが、かつ
     ては米と金を集めていた。この当番は一年ごとの輪番制である。
      今日、いつ行っても通りに面した祠は、きれいに清掃がなされ、果物や花が供えられ、
     賽銭があげられている。(109頁) (平成19・3・9記)
二俣尾・梅郷石佛散歩

 平成19年3月13日(火曜日)は、青梅市二俣尾と梅郷地区の石佛を散歩する。JR青梅線青梅駅を午前9時31分発奥多摩行きの電車で石神前駅まで乗る。
最初は正明院(真言宗豊山派 二俣尾2−488)、ここには「御月待供養」銘の元禄15年の地蔵菩薩があったので訪ねる。以前に廻った頃の面影が失われ、住職の墓地も整備されている。その中に地蔵菩薩立像(像高42cm)が光背型塔(57×29cm)に浮彫りされている。像の右に「元禄十五年壬午八月日 願主法印栄信」、右に「御月待供養 施主三十4人」の銘を刻む。
 次は泉蔵院(真言宗豊山派 二俣尾 −785)に行く。昨年6月2日(金曜日)の『西の風』第865号1面にこの寺の本堂落慶の記事を載せ、その文中に「庭には重さ約7・の『閻魔大王』の像も置かれた」とあり、閻魔の写真が掲載されていた。
 この記事が頭にあったので、この閻魔石佛をみることが今回の目的の1つである。写真からはそれほど大きく感じなかったが、記事に約7・とあるように、実物は実に大きい。白御影石(184×167cm)の中央を深く窪め、冠をかぶって道服をつけ、憤怒相で右手に笏を執る閻魔坐像(像高116cm)を肉彫りする。
 大閻魔像の隣には、次の銘文を刻む板石型白御影塔(111×71cm)がある。
   泉蔵院 閻魔大王  縁起
    この王、人類史上初の死者なり、よっておの世の大王となる。他に9人の
   王たちを従え、死者を裁く権限を有する。私たちは死んでのち35日目には
   この王の前に立ち、生前についた数々の嘘を調べられる。
    この場において凝りもせずに言すれば、ただちに舌を根こそぎ抜かれる。なぜ
   嘘が見抜けるかといえば、この王、死者の生前の善行悪行がもれなく記載されて
   いる「閻魔帳」を持つがゆえである。
    嘘をついても恥とも思わず、否それを正当化しようとする昨今の風潮にいたく
   立腹され、このたび憤怒(ふんぬ)の姿をここ二俣尾の地にあらわされた。
    心からの反省懺悔(ざんげ)の念をもって、この王に水をかけ、願うべし。
   どうか私のついた嘘を水にくださいと・・・
      爲 先祖代々成3菩薩 並 仏果増進 寺門興隆 他
         願主 金剛寺総代世話人1同  築山 永子
       平成十八年五月二十七日  泉蔵院 第十世 崇俊 代
 泉蔵院から3番目に向かったのは海禅寺(曹洞宗 二俣尾4−962)、寺の下にあるトイレへ入ったところ縦が25cmで幅が8cmのお札に「奉修烏枢沙摩明王諸願成就御守護」と記し、中央に丸い朱印が押してある。お札はボール紙に貼られている。どこで発行されたものかは不明である。
 第2の目的は、この海禅寺にある血盆經銘の如意輪観音をみることである。犬飼康祐さんが『野仏』第35集(多摩石仏の会 平成16年刊)に「血盆經銘の如意輪観音 東京都青梅市」(40〜41頁)を発表されているが、現物をみていなかった。
 主尊は2手如意輪観音丸彫像(像高56cm)、上段台石(24×50×42cm)の前面に次の銘文を記す。
   奉納血盆經/現當弐世/觀音菩薩尊/像奉造立者也/
   武州多麻郡長渕/郷二又尾村澤井/善女人/敬白
下の台石の前面には、次の年銘などを刻む。
   維時延宝/二甲寅年/□穐吉日/教主道眞等
 本堂には新たに造られた五百羅漢木像が並び、寄進を呼びかけている。山門には古い羅漢354体(『青梅市仏像資料調査概報・』青梅市教育委員会 平成6年刊)があり、今回150体の新羅漢を加え、名実共に5百羅漢するのが目的である。
 境内には、竿石(72×36×32cm)の表面に「勢至燈」と刻む石燈籠がみられる。裏面には「明治二十年五月廾三日建之」の年銘が記されている。
 次は同じ宗派の長泉院(曹洞宗 二俣尾4−1066)、ここには十一面観音丸彫坐像(像高35cm)がみられる。また明治23年造立の六地蔵単制石幢(69×31×28cm)があり、6面の1面(幅16cm)に1体ずつ地蔵菩薩立像(像高36cm)を浮彫りする。
 この寺も長らく訪れていないので、平成9年造立の六地蔵丸彫立像(像高48cm)を初めてみる。右から鉄製錫杖と宝珠の鶴亀地蔵、施無畏印を結び宝珠(鉄鉢)の陀羅尼地蔵、合掌の法性地蔵、数珠の地持地蔵、柄香炉の宝性地蔵、幡幢の法印地蔵である。
 長泉院から二俣尾駅の跨線橋で青梅街道へ出て、奥多摩橋を渡って柚木町に入る。
 先月21日(水曜日)の多摩石仏の会例会の下見の時に、鎌倉旧道(柚木町3丁目)にある庚申塔が見つからなかった。この塔を探すのが第3の目的である。先日とは逆コースをとり、1旦は通り過ぎてしまったが、折り返し探すと目的の次の塔がみつかる。
   1 宝永6 板駒型 「バン□タラークキリークアクウーン」3猿    50×27
 1は破損が酷い。中央に「バン」などの6種子、右に「宝永六天 三田領」、左に「丑五月日 柚木村」の銘を刻む、下部に正向型3猿(像高7cm)を陽刻する。台石正面に「施主/忠堂印/河村長三郎/市川彦左門」の施主銘を記す。
 6番目は青木宅(柚木町3−534)、龕部(33×38×44cm)に定印弥陀らしい坐像(像高19cm)の中尊を置き、3面に2体ずつの地蔵菩薩立像を配する。竿石には長文の銘を刻んでいる。銘文中に「爲廾三夜供養」があり、多摩地方で最古の二十三夜塔である。
 その隣に地蔵菩薩丸彫立像(像高75cm)があり、台石正面に「明和四丁亥念/四月吉日」、右側面に「武州多摩郡」、左側面に「柚木村/月待講中」ほ彫る。「月待」は「日待」とも受け取れるが、柚木町にある他の月待塔からみても「月待」と考えられる。
 7番目は前回も訪ねた八幡神社(柚木町2丁目)、ここで昼食にする。
 食後はこれも前回行った木下宅裏(柚木町2−440)の月待板碑をみてから、吉川英治記念館(柚木町1−101−1)前を通過し、即清寺(真言宗豊山派 柚木町1−4−1)に向かう。ここにある次の2基も前回みたものである。
   2 正徳2 光背型 日月・青面金剛・3猿           67×33
   3 万延1 自然石 「百庚申」               115×50
 今回は山門前にある六地蔵(像高61cm)に注目する。昭和59年の秋彼岸の造立。右手前から数珠の護讃地蔵、棒(幡幢の省略か)の無2地蔵、錫杖と宝珠の禅林地蔵、左奥から印と宝珠の伏息地蔵、柄香炉の伏勝地蔵、合掌の諸龍地蔵である。尊名の上に各々の種子を刻む。
 次の大聖院(真言宗豊山派 梅郷6−1542)も前回廻っているので、今回は地蔵堂に安置された六地蔵をみる。右から錫杖と宝珠の放光王地蔵、印(片手拝み)と宝珠の金剛寳地蔵、錫杖と印の金剛幡地蔵、間に願王尊があって柄香炉の地持地蔵、数珠の法性地蔵、合掌の宝性地蔵の順に並んでいる。右が天台系の尊名、左が禅宗系の尊名で両系折衷の尊名である。
 願王尊は明治22年の造立で錫杖と宝珠を執る坐像、台石左側面に吉野村の村名の由来を記す。この時に六地蔵が造られたとすれば、村内の真言宗と禅宗系の臨済宗と曹洞宗の寺があるから、それらの寺を考慮したかもしれない。
 地蔵堂の前にある次の庚申塔は調べなかったので、前回のデータを記しておく。
   4 年不明 笠付型 日月・合掌6手青面金剛・2鶏       73×32×30
 裏通りから吉野街道へ出て東進し、うっかり中郷庚申堂(梅郷4丁目)を通りすぎて梅郷出張所まで行ってしまう。間違えに気付いて庚申堂へ戻る。ここも前回のデータを記しておく。
   5 明治32 笠付型 日月・合掌6手青面金剛・2鬼・3猿    98×35×28
 神代橋を渡り、青梅街道の突き当たると左折して西(石神前方面)へ進むと、右側の横尾路傍(二俣尾1丁目)に覆屋根があり、下に石佛群がみられる。多くが馬頭観音であるが、次の2基の庚申塔が混じっている。
   6 宝永1 光背型 日月・青面金剛・3猿           62×30
   7 文政6 柱状型 「庚申塔」                79×28×30
 6は合掌6手立像(像高39cm)、宝輪と矛であるが、下方手は索と蛇を持つ。像の右に「庚申供養爲菩提刻之 横尾村」、左に「宝永元甲申閏4月吉日 願主十三人」、下部には正向型3猿(像高10cm)を浮彫りする。
 7は円柱に隷書体で「庚申塔」、残念ながら「塔」の部分は剥落が進んでいる。右に「文政6癸羊歳冬十月吉辰」、左に「武州多摩郡二俣尾講中」の銘がある。
 横尾から引き返し、青梅街道と並行する裏通りへ東へ進む。「日向和田3丁目」交差点の手前、左手の斜面(日向和田2丁目)に地蔵菩薩がみえる。上がって行くと、ブロック祠の中に昭和40年の地蔵菩薩丸彫立像(像高55cm)と「七面山弁財天」自然石塔(63×42cm)が並んでいる。
 交差点先の裏通りを行くと、明白院(曹洞宗 日向和田2丁目)裏にある墓地入口に出る。ここに次の庚申塔2基がある。今年1月5日(金曜日)の青梅多摩7福神巡りの時にノーチェックだったので、寄ったわけである。
   8 文化1 自然石 「庚申塔」                80×42
   9 宝暦12 笠付型 日月・青面金剛・3猿           53×25×20
 8は「庚申塔」の主銘、右に「文化元甲子歳」、左に「九月吉祥日」、左横に「武州多摩群日向和田邑/願主世話人庄(兵衛)/善女(講中)」の銘を記す。現在は括弧内の文字がセメントで埋まっていて読めない。
 9は合掌6手立像(像高26cm)、下部に正向型3猿(像高10cm)を浮彫りする。右側面は剥落して銘文の有無がわからないが、以前は「奉造」の2字が読めた。左側面は「宝暦十二壬午天四月吉日」の年銘である。
 ここから裏通りを宮の平駅まで行き、青梅街道を横切って神明橋通り入り、西へ天ケ瀬通りから滝の上町経由で帰宅する。歩数計は22729歩を指している。(平成19・3・13記)
あとがき
     
      この『石佛雑記ノート4』は、大きく2つの流れがある。1つは一連の「『石仏散歩
     悠真』」と「『石佛月報』2月号」・「東吾妻町の石佛写真」を扱い、資料や写真に寄り
     掛かった5編である。多田治昭さん・瀧澤龍雄さん・笹川義明さんの3人のお陰である。
      各人の視点の違いを私がどう受け止め、どう利用するかを考えると、いろいろの問題点
     が浮き上がってくる。今後の調査の発想にもつながってくる。
      もう1つの流れは、自分の足で廻った石佛巡りに関する「沢井・梅郷石佛散歩」・「多
     摩市石佛散歩」・「二俣尾・梅郷石佛散歩」の3編である。「多摩市石佛散歩」は、多摩
     石仏の会の有志3人と共に多摩市内を歩いた記録である。
      「沢井・梅郷石佛散歩」と「二俣尾・梅郷石佛散歩」は、多摩石仏の会5月例会を担当
     するための下見を兼ねて青梅市内を歩いた。当日のコースは、『新多摩石仏散歩』の「吉
     野街道を歩く」の中心部を考えている。出発点をJR青梅線御岳駅から沢井駅に換えて雲
     慶院から黒地蔵経由で柚木町に入り、続いて梅郷を歩く予定である。
      吉野街道のコースは、平成5年10月11日に『新多摩石仏散歩』の発刊を記念してた
     ましん地域文化財団と共催した見学会で歩いている。もう14年が経っているのかと思う
     。月日の流れるのが早く感じられる。
      次の『石佛雑記ノート5』は、どのような形になるのか予想できないが、新たな試みを
     加えられるとよいのだが。足元をみつめて考えてみたい。

                            ─────────────────
                             石佛雑記ノート4
                               発行日 平成19年3月25日
                               TXT 平成19年9月21日
                               著 者 石  川  博  司
                               発行者 多摩野佛研究会
                            ─────────────────
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