石川博司著  石佛雑記ノート 6   発行 多摩野佛研究会 
 目次    ◎ 青梅市内六地蔵巡り5  ◎ 青梅市内六地蔵巡り6   ◎ 青梅市内六地蔵巡り7  
          ◎ 青梅の六地蔵を追って  ◎ 大作『佐久の庚申塔』               あとがき
青梅市内六地蔵巡り5

 平成19年3月29日(木曜日)は、青梅市内六地蔵巡りの第5回である。今回は霞地区を重点地域にするが、前回(27日)の時に見逃した成木8丁目正沢の正沢寺(曹洞宗)を含め、天気が良いので成木7丁目松ノ木峠の猿田彦大神の撮影に再挑戦する。
 青梅駅前から北小曽木廻り上成木行きの都バスに乗り、前回の「北小曽木」下車と異なり、終点1つ手前の「大指」で降りる。先ずは多摩石仏の会写真展に出品予定の松ノ木峠にある猿田彦大神の撮影を目指す。
 前回道を間違えてので、今回は気をつけて無事に松ノ木峠に到達し、撮影まではよかった。ところが撮影後に成木8丁目側に出ようとしたのが間違いのもとで、1部の尾根道は歩き易かったが、急斜面の上り下りを行う。30分ほど歩いたけれども、とても簡単には抜けられる見通しがない。これ以上進んでも、もう1つ急斜面のピークを越えなければならない。諦めて松ノ木峠の石佛群まで戻る。70分位の時間ロスである。
 なまじ平成7年11月12日に多摩石仏の会で案内した時に、道を誤って松ノ木トンネルの南側に出た経験があるだけに今回の失敗である。12年前の当時からみれば、体力も気力も衰えている。歳は取りたくないものである。途中で道から1mほど落ちるアクシデントがあったが、ともかく前回とは大指に出て逆に松ノ木トンネルを抜ける。
 六地蔵の第1番は、前回見逃した成木8丁目正沢の正沢寺(曹洞宗)、寺入口の参道沿いに露天の丸彫り立像(像高45cm)が並んでいる。各地蔵の前には、尊名を記す石プレート(8×31×4cm)が並び、線香立て(30×40×15cm)の左側面には「平成六年」の年銘と寄贈した石材店の名前がみられる。
 六地蔵は右から順に宝珠と錫杖の「法性地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、幡幢の「宝陵地蔵」、合掌の「宝印地蔵」、数珠の「鶏兜地蔵」、柄香炉の「地持地蔵」の順である。境内にある木祠には、弥陀1尊種子の板碑が3基みられる。
 正沢寺から蜆沢の蜆沢院(曹洞宗)を経て、成木8丁目の新吹上トンネルの手前にある木祠に安置される次の庚申塔をみる。
   1 文化3 駒 型 日月・青面金剛・1鬼・2鶏・3猿     66×28×20
 1は青面金剛立像(像高48cm)、下部に内向型3猿(像高8cm)を浮彫りする。右側面に「文化三丙寅十一月吉日」、左側面に「願主/木崎喜八」の銘がある。以前は交差点付近の路傍にあったが、道路の拡幅工事のため現在地に移された。
 数分の差で都バスに乗り損なったが、坂下のバス停から直ぐに来た遠回りになる小曽木経由で「根ケ布」へ出る。2番目は根ケ布の天寧寺(曹洞宗)、先ず山門の前の六地蔵とは反対側にある次の庚申塔をみる。
   2 慶応2 板石型 「庚申塔」               104×123
 2は表面には隷書体の文字で「庚申塔」の主銘、裏面には「慶應2龍次丙寅/十一月最勝日」の年銘を刻む。
 六地蔵が円光背(光背を含め像高63cm)がある丸彫り立像(像高56cm)、中央に丸彫り薬師如来立像(像高65cm)が木祠内に安置される。台石正面には「乃至法界平等利益」や「爲先祖太々菩提」などの銘文を刻み、尊名は記さない。右から柄香炉の地蔵、合掌の地蔵、宝珠の地蔵、間に薬師如来を置き、天蓋の地蔵、宝珠と錫杖の地蔵、宝珠と片手拝みの地蔵の順に並ぶ。木祠には地蔵の背後には「六地蔵尊改修寄付」の木札がみられ、末尾に「大正十一年五月一日」の年銘を記す。
 3番目に東青梅6丁目の光明寺(曹洞宗)を訪ね、通りに面して立つ庚申塔をみる。
   3 天保5 自然石 「庚 申」                78×41
 3は表面に「庚申」の主銘、裏面に「天保五年歳在/甲午十二月中漸/化主當山珍叟/現住十八世代」の銘を記す。
 六地蔵は墓地入口の露天にみられ、円光背(光背を含め像高さ60cm)を付ける丸彫り立像(像高55cm)である。持物に彩色が施されている。右から宝珠と錫杖を執る「鶏兜地蔵」、幡幢を執る「陀羅尼地蔵」、宝珠を執る「法性地蔵」、拂子を執る「地持地蔵」、柄香炉を執る「寳性地蔵」、天蓋を執る「宝印地蔵」である。左端の宝印地蔵の台石左側面に「昭和四十三年三月建/当所/施主 吉川重蔵/仝正一」の銘文がある。六地蔵の前には花立て台があり、右は正面に「天下泰平」、右側面に「明治百年」、左は「交通安全」、左側面に「昭和四十三年三月建立/吉川重蔵」と刻む。
 続いて4番目は師岡町1丁目の妙光院(曹洞宗)、境内にある木祠の中に丸彫り六地蔵立像(像高47cm)が1列に並ぶ。右から柄香炉の「法性地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、宝珠の「地持地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、幡幢の「陀羅尼地蔵」、天蓋の「寳印地蔵」の順である。左端にある寳印地蔵の左側面に「當院十8世高井達3/昭和2年9月如意日/建」と年銘がみられる。
 5番目の吹上の宗泉寺へ向かう路傍に、石塔(90×60cm)に厚肉彫りされた3面6手の馬頭観音坐像(像高73cm)がみられる。台石正面に「馬頭観世音」、左側面に「平成十年六月建立/施主 野村清一/妻トモ」とある。
 宗泉寺(曹洞宗)の石段脇に木祠があり、中に丸彫り六地蔵立像(像高53cm 円光背を含めると59cm)が安置されている。右から宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、幡幢の「陀羅尼地蔵」、数珠の「寳陵地蔵」、拂子の「地持地蔵」、柄香炉の「法性地蔵」、天蓋の「寳印地蔵」の順に1列に並んでいる。地蔵には年銘がみられないが、「六地蔵尊改修寄付」と刻む板石型塔に「昭和三十三年」の年銘が記されている。
 境内に入るとベニシダレが満開である。墓地の入口にある3界万霊塔の左横に青梅市内で最も古い「青面金剛」銘を刻む次の庚申塔がある。
   4 延宝8 板駒型 日月「青面金剛」3猿           64×30
 4は上部に日月、中央に主銘の「イ 青面金剛」、下部に正向型3猿(像高15cm)を浮彫りする。通常の庚申塔に刻まれた種子は「ウーン」、このような「イ」は珍しい。
 宗泉寺から6番目の塩船の塩船寺(真言宗)へ向かう。山門の前に笠付型「疱瘡神」塔がある。丸彫り六地蔵立像は(像高77cm)は、墓地入口の木祠の中に並ぶ。右から合掌の「禪林地蔵」、宝珠と片手拝みの「無二地蔵」、数珠の「護讃地蔵」、柄香炉の「諸龍地蔵」、幡幢の「伏勝地蔵」、宝珠と金属製錫杖の「伏息地蔵」である。各地蔵の尊名の上に種子が刻まれている。
 塩船から大門に入り、大門1丁目の大門会館を訪ねる。敷地内には次の庚申塔がある。
   5 寛政6 柱状型 「庚申塔」桃木              61×32×31
 5は枠の中に「庚申塔」の主銘、右側面に「精進恭敬降福禧/易止世福菩提可期」とある。左側面には「毘盧神變加持方便/現金剛身稱青面維時寛政6年甲寅之冬十一月吉辰建篶/武州多麻郡大門村/惣講中 敬白」の長文を記す。
 庚申塔と反対側にある木祠の中には、六地蔵単制石幢(61×32×31cm)が安置去れている。塔身の6面に地蔵立像(像高20cm)が浮彫りされる。台石に「享和2年」の年銘を彫る。
 7番目は大門1丁目の大門墓地にある1石六地蔵(113×120×44cm)、円光背付きの浮彫り立像(像高46cm 円光背を含めると51cm)が並び、下に尊名を刻む。右から数珠の「護讃地蔵」、幡幢の「護讃地蔵」、宝珠の「無二地蔵」、合掌の「諸龍地蔵」、柄香炉の「伏勝地蔵」、宝珠と片手拝みの「禪林地蔵」の順である。左側面に「平成十二年三月吉日/大門墓地管理委員会」と記す。
 最後は今寺1丁目の報恩寺(天台宗)、墓地入口にある木祠内に丸彫り六地蔵立像(像高59cm)が並ぶ。右から宝珠と錫杖の「預天賀地蔵尊」、幡幢の「放光王地蔵尊」、蓮華の「金剛幢地蔵尊」、合掌の「金剛悲地蔵尊」、数珠の「金剛宝地蔵尊」、柄香炉の「金剛願地蔵」である。中でも金剛幢地蔵が執る蓮華の持物が珍しいし、放光王地蔵尊が幡幢を前に下げているのも変わっている。
 『青梅市の石仏』では、この六地蔵が年不明になっている(125頁)。年銘が見当たらないので、庫裏を訪ねて奥さんに造立年代ついて尋ねる。住職と連絡を取った結果、昭和35、6年頃ではないかとの答えがある。この地蔵は石屋さんから贈られたともいった。左側にある花立て台(36×14×14cm)の正面に「献華」とあり、左側面に「贈 吉川石材」と刻むから、六地蔵も東青梅の吉川石材が納めたものと思われる。
 この寺には、次の庚申塔が2基みられる。
   6 享保7 笠付型 日月・青面金剛・3猿           56×26×21
 6は合掌6手立像(像高30cm)が主尊、下部に正向型3猿(像高9cm)を陽刻する。右側面に「庚申待供養塔」、左側面に「享保七壬寅十月吉日/今寺村/講中廾二人」の銘文がみられる。
   7 天保3 柱状型 「庚申塔」               125×45×45
 7は正面に隷書体で「庚申塔」、右側面には「天下泰平國土安穏/日月清明五穀豊穣」、左側面に「天保三壬辰歳秋九月建之/武州多摩郡今寺邑/惣講中」の銘を刻む。台石左側面に「新側崖/石工佐藤太平治」の石工銘がみえる。
 報恩寺を最後に1部都バスを利用して帰宅する。今回の歩数は24073歩であるが、中1日で山道の悪戦苦闘が祟る。歩数以上に脚がパンパンになり、段々にペースが落ちる。塩船ではウォーキングの女性2人に抜かれ、最後には超スローペースの歩きになる。(平成19・3・29記)
青梅市内六地蔵巡り6

 平成19年4月5日(木曜日)は青梅市内六地蔵巡りの6回目、今回は先月29日(木曜日)に歩けなかった大門地区の残りの寺を廻る。青梅駅前から都バスで「霞町新町」下車、最初に訪ねる新町2丁目の東禅寺はバス停から近い。
 東禅寺(臨済宗建長寺派)の東側の門前には、次の庚申塔がある。
   1 天保15 柱状型 「庚申塔」                86×31×30
 1は「庚申塔」が主銘の文字塔、右側面に「天保十五載集甲辰秋八月如意珠日」の年銘を記す。台石正面に右横書きで「講中とある。
 六地蔵は西側の門前に横1列に並ぶ。台石には尊名がみられない。右端から順に持物を示すと、数珠の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵・合掌の地蔵・宝珠と施無畏印の地蔵・柄香炉の地蔵である。これまで片手拝みをみているが、施無畏印は初めてである。右端の地蔵の台石右側面に「平成元年9月吉日/施主水村一郎/当山□信春光代」の銘を刻む。青梅選出の都議を勤めた水村さんが、幼くして亡くした長男を憶ってこの六地蔵を建立したと、かつて聞いたことがある。
 境内に入ると、色々な石佛に出会う。水子地蔵は丸彫りの立像(像高123cm)、昭和57年の造立である。右手に宝珠を執り、左手で1児(像高32cm)を抱く。足元には、しゃがむ児(像高29cm)と立っている児(像高42cm)を厚肉彫りする。
 近くに「百観音霊場巡拝結願記念」の丸彫り聖観音立像(像高93cm)があり、左手に未敷蓮華を立て持ち、右手を下げて与願印を結ぶ。平成12年7月の造立である。これまで気付かなかった石塔としては、上部に日月を陰刻し、その下に「大日如来」と「薬師如来」と2行に彫る年不明の自然石塔(72×30cm)がみられる。
 この寺にはもう1組の六地蔵があるのを覚えていたので探すと、西側の墓地入口の木祠があって中に1列に並んで6体が並ぶ。これも門前の六地蔵と同様に尊名がない。右端から柄香炉の地蔵・両手の掌を重ねる地蔵・合掌の地蔵・蓮華を持つ地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵の順である。合掌の地蔵の台石正面(23×19×19cm)に「武州新町邑/念佛講中/安永七戊戌十月」の銘を刻む。
 この六地蔵は赤い毛糸の帽子をかぶり、白地に小さな柄が入った前掛けをしている。前掛けを上げて持物を確認する。細かく持物をみると、通常とは柄香炉を逆に持っていたり、弥陀定印のようにもみえるように両手の掌を重ねている。他にも蓮華も先が枝分かれして開敷蓮華と未敷蓮華をつけている。六地蔵の右にも、宝珠と錫杖を執る丸彫り立像の地蔵が2体が安置されている。
 東禅寺から2番目の藤橋の福伝寺へ向かう。いつもは逆方向の七日市場方面から来ているので、初めて新町方面から行くので戸惑う。ともかく、勘に頼って藤橋2丁目の福伝寺に出る。
 境内には、弘化2年の徳本六字名号塔を始めとして、寛政8年の石橋供養塔や3面6手の馬頭観音坐像や立像など色々な石佛がみられる。
 参道に面した木祠の中には、六地蔵が横一列に並ぶ。右端から天蓋の地蔵・柄香炉の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・宝珠と下に掌を向ける地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵の順である。左手を下げて宝珠を持ち、右手を上にして掌を下に向ける地蔵は初めてである。よくみかけるタイプの地蔵に、こうした変わった地蔵が混じっている。
 宝珠と錫杖の地蔵の台石正面(18×34×31cm)に、次の銘文が読み取れる。
   武州三田領/藤橋村男女/爲講中地蔵/□二世安樂/奉建立是者也
   願主權右衛門/寛延二己巳年/三月吉日
 これまでのところ、この六地蔵が青梅市内で最も古い年銘を有する。
 この寺の東側に庚申塔があったはずと探すと、以前は境内の外に置かれた青面金剛が墓地の東端に通りを背にして取り込まれている。前に「庚申塚」の木札が立てられている。塔の上に小さな覆屋根が作られている。庚申塔は次の通りである。
  2 宝永2 笠付型 日月・青面金剛              60×31×20
 2は合掌6手立像(像高38cm)、上方手に宝輪と矛を執るが、下方手は何も持たない変則的な浮彫り像である。像の右に「宝永二年乙酉」、左に「八月廾日」の年銘を刻む。右側面に「武州玉郡三田領/藤橋村願主一峯直生/敬白」、左側面に「同行十二人」とある。
 3番目に訪ねたのが同じ藤橋2丁目の宝泉寺(真言宗)、杣保葛神社の裏手にある。本堂の西側には、背が高い6字名号塔などと並び、コンクリート塀の前に次の庚申塔がある。
   3 寛政5 柱状型 「大青面金剛」              91×37×37
 3は正面に「大青面金剛」の文字塔、右側面に「寛政五丑三月吉日」の年銘、右側面に「石橋七ケ所建立/供養」と彫る。
 庚申塔の右横には、青梅市指定の有形文化財である板碑2基が立つ。右が上部に蓮台に乗る胎蔵界大日如来の一尊種子、下に梵字の光明真言を刻む建武4年板碑である。左は上部に「キリーク ササク」の弥陀三尊種子を彫る応安7年板碑である。
 墓地入口にある木祠の中には、文化3年の六地蔵単制石幢(総高136cm)がみられる。以前は露座であった。正面に向いているのが合掌の地蔵(像高24cm)、右へ数珠の地蔵・幡幢の地蔵、左へ柄行路の地蔵・不明の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵である。台石込みの総高は136cmである。文化3年造立。
宝泉寺から今井・7日市場の正福寺へ向かう途中、藤橋2丁目の伊藤クリーニング店の前と道の反対側に葉付きの竹が立ち、縄と4手がついている。本来ならば道の両側に竹を立て、縄を張って4手を下げるのであろう。現在では交通の妨げになるので、道の両側に竹を立て、綱を張らずに4手をつけて丸めて下げている。
 今井2丁目七日市場の正福寺(時宗)は、門前に笠部を失った六地蔵単制石幢(65×31×25cm)がある。1面の幅が16cm、各面に地蔵立像(像高37cm)を浮彫りする。正面には掌を上と下に向けた地蔵、右へ手飼いの地蔵・鉄鉢の地蔵、左へ宝珠と錫杖の地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵の順である。
 地蔵石幢の横には、1面6手の馬頭観音立像(像高39cm)を浮彫りする光背型塔(54×32cm)がある。中央手が合掌し、上方手に宝輪と矛を持つが、下方手は数珠と斧を持つ。上方手や中央手は同じであるが、下方手の持物が青面金剛と異なる。右側に「馬頭觀世音」、左側に「明和三戌三月吉祥日/施主駒林重左エ門」の銘を彫る。
 この馬頭観音を初めてみた時は、まだ青面金剛に詳しくない頃である。てっきり青面金剛かと思って記録したが、右側の「馬頭觀世音」をみて間違いに気付いた思い出のある刻像塔である。この失敗談は『多摩のあゆみ』第6号(多摩中央信用金庫 昭和52年刊)に掲載された「多摩の石仏(3)馬と牛と馬頭さん」の中で書いたことがある。
 境内の木祠の中には、天女形で左手に天扇を執り、右手を与願印の丸彫り摩利支天立像が安置されている。これは『摩利支天経』で説かれる形像で石佛として数少なく、通常石佛にみられる摩利支天は猪に乗る形像である。
 墓地入口の木祠には、光背型塔に浮彫りした六地蔵立像(像高34cm)が並んでいる。右端から順に幡幢の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・数珠の地蔵・柄香炉の地蔵・合掌の地蔵・宝珠と片手拝みの地蔵である。通常は柄の上に香炉が付くが、ここの浮彫り像では柄の下に香炉が下がっている。
 『青梅市史』(青梅市 平成9年刊)の調査の時に、浮彫り地蔵の造立年代を聞いたところ、平成4年であった。台石(35×21×16cm)は、以前の六地蔵の台石を使用している。数珠の地蔵の台石に「天保十一年/七月十四日」の年銘が刻まれていることからもわかる。
 市史の時には古い六地蔵を追求しなかったが、今回は墓地の中を探したところ、墓地の外れにある無縁塔の中に7体の丸彫り地蔵立像がみつかった。前列に宝珠と錫杖の地蔵(像高50cm)と幡幢の地蔵、後列に柄香炉の地蔵・天蓋の地蔵・数珠の地蔵・合掌の地蔵・合掌の地蔵(後向き)である。古い頃の写真は『青梅市の石仏』123頁に載っている。
 正福寺の次は今井1丁目の薬王寺を目指し、途中で浮島神社へ寄る。石佛はなかったけれども、右側に「疱瘡神社」、左側に「蚕蔭神社」と記す木札がある木祠がみられる。祠の上部に4手を下げた縄が張られてもっともらしいが、中は古いお札や人形など雑多な物が入っていて、とても神社の体をなすものではない。
 薬王寺(真言宗)では、先ず門前にある次の庚申塔をみる。
  4 文化10 板石型 「庚 申」               138×34
 4は表面に「庚申」の主銘、裏面に「文化十癸酉年十一月/今井村中」の銘がある。
 墓地の入口にある木祠内には、右端から宝珠と錫杖の「禪林地蔵菩薩」、棒の「無二地蔵菩薩」、数珠の「諸龍地蔵菩薩」、合掌の「諸龍地蔵菩薩」、柄香炉の「伏勝地蔵菩薩」、宝珠と片手拝みの「伏息地蔵菩薩」である。尊名は台石ではなく、横に立つ石柱(30×6×6cm)の前面に記され、右側面に施主銘が刻まれている。造立年代はみられないが、木札に「寄贈六地蔵屋舎建立」、以下に寄贈した11人の氏名が並び、最後に「平成四年秋彼岸」と記されているから、平成4年の造立と考えられる。
 次いで無縁墓地にある「将軍地蔵尊」の文字塔2基をみる。1基は柱状型塔(62×23×16cm)の正面に「カ 将軍地蔵尊」、右側面に「大正十辛酉三月中旬/薬王寺第十八世/古田□全」、右側面に「総代人/指田音次郎(等5人に氏名)」の銘がみられる。他の1基は柱状型塔(67×25×14cm)の正面に「カ 将軍地蔵尊」の主銘だけで、両横の石塔との間は狭くて銘文は全く読めない。
 山を登って七国山の不動堂へ出る。境内にある倶梨迦羅不動(像高89cm)を浮彫りする年不明の柱状型塔(134×40×27cm)を撮ってから、弁才天の木祠をのぞくと小さな狛犬(像高21cm)がみられる。社殿の床に腰を下ろして昼食にする。
 薬王寺から谷野の真浄寺へ向かう途中、木野下1丁目の木野下神社前の次の庚申塔をみる。
  5 元禄10 光背型 日月・青面金剛・3猿           85×34
 5は合掌6手立像(像高36cm)、像の右に「奉造立庚申像一基」、左に「元禄十丁丑年十月吉日/武州多摩郡目之内村」の銘が読める。下部の正向型3猿(像高12cm)の下には「石井次郎□□(等17人の氏名)、の施主銘が記されている。
 山根通りの裏通りを進むと、谷野の閻魔堂がある。中には中央に閻魔大王の坐像、右に司命と司録の立像、左に人頭幢が並んでいる。いずれも彩色された木像である。
 次に訪ねた谷野の十王堂の境内には、次の庚申塔がある。
   6 天保11 自然石 「庚 申」               101×97
 6は表面に「庚申」の主銘、右横に「維時天保十一年/庚子夏四月吉辰」の年銘を刻む。台石正面に右横書きで「谷野村」とある。
 谷野の真浄寺(真言宗)は、先ず墓地に行って入口にある横長柱状型塔(76×89×37cm)に浮彫りされた一石六地蔵立像(像高31cm 円光背を含めると36cm)をみる。右から柄香炉の地蔵・宝珠と錫杖の地蔵・合掌の地蔵・幡幢の地蔵・天蓋の地蔵・数珠の地蔵の順である。尊名はみられない。右側面に「文政十丁子七月樹之」、左側面に「過去現在/有縁無縁/同證菩提」の銘文を刻む。
 後回しになっが門前には、木祠の中に丸彫り六地蔵立像(像高103cm)が安置される。右から数珠の「地持地蔵」、幡幢の「法性地蔵」、宝珠と施無畏印の「陀羅尼地蔵」、合掌の「宝陵地蔵」、柄香炉の「寳印地蔵」、宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」の順に並ぶ。ここにある地蔵の持物でユニークなものがある。幡幢が長い葉のような形をし、柄香炉の部分が短い幡幢とも受け取れるような角形、しかも柄が曲がっている。
 前に置かれた花立て(68×21×21cm)の左側面には、次の銘文が彫られている。
   秋渓院精道秀覚居士故里見秀夫(李必久)
     一周忌菩提ノ為之ヲ建立ス
   一九九一年八月吉日
   施主 里見とし子(孫魯味)  三女 李 福 恵
   長女 李 洋 子       四女 李 真須美
   次女 李 玲 子
 六地蔵に西暦年号が刻まれる例は、青梅市内でもこの1例だけである。
 六地蔵を調べてから、奥にある木祠内に七夜待本尊とされる7菩薩が並び、1体1体ずつ写真をを撮る。いずれも丸彫りの立像(勢至菩薩の像高67cm)である。聖観音は寛政12年の造立、台石正面に「奉読誦普門品・・」の銘文を彫る。他の6体は遅れて文化十一年の造像で、台石正面に例えば勢至菩薩の場合は「サク 得大勢至菩薩」のように、種子と尊名を記す。
 真浄寺から塩船の塩船寺へ向かう。これ以降はすでに3月29日に廻った場所の再訪である。塩船寺の六地蔵(像高77cm)は、墓地入口の木祠の中に並ぶ。右から合掌の「禪林地蔵」、宝珠と片手拝みの「無二地蔵」、数珠の「護讃地蔵」、柄香炉の「諸龍地蔵」、幡幢の「伏勝地蔵」、宝珠と金属製錫杖の「伏息地蔵」である。台石正面には、各地蔵の種子と尊名が刻まれている。
 次に大門1丁目の大門会館を訪ねる。木祠の中には、六地蔵単制石幢(61×32×31cm)が安置されている。塔身の6面に地蔵立像(像高20cm)が浮彫りされる。正面に宝珠の地蔵、右奥に数珠の地蔵と合掌の地蔵、左奥に宝珠と錫杖の地蔵・幡幢の地蔵・柄香炉の順である。通常、幡幢は下に垂れているが、この石幢の場合は頭上で閃いている。台石に「享和二年」の年銘を彫る。
 続いて再訪の師岡町1丁目妙光院(曹洞宗)へ行く。、境内にある木祠の中には、丸彫り六地蔵立像(像高47cm)が1列に並ぶ。台石の正面に記す尊名に従い、右から順に「法性地蔵」「宝陵地蔵」「地持地蔵」「鶏兜地蔵」「陀羅尼地蔵」「寳印地蔵」である。
 前回は宝珠と錫杖とみた「鶏兜地蔵」は、前掛けを外してみると、宝珠ではなく片手拝みをいしている。しかも、片手拝みの手に数珠が掛かっている。それぞれの地蔵の衣にも模様が彩色されているし、持物の1部が着色されている。。
 最後に東青梅6丁目の光明寺(曹洞宗)を再訪する。六地蔵は露天で墓地入口に並ぶ。円光背(光背を含め像高さ60cm)を付ける丸彫り立像(像高55cm)である。右から順に「鶏兜地蔵」「陀羅尼地蔵」「法性地蔵」「地持地蔵」「寳性地蔵」「宝印地蔵」である。持物に彩色がされている。左端の宝印地蔵の台石左側面に「昭和四十三年三月建立」年銘を刻む。ここの六地蔵には、前掛けがないので、妙光院のような見落としはない。
 今回は8時間半、24600歩である。(平成19・4・5記)
青梅市内六地蔵巡り7

 平成19年4月14日(土曜日)は青梅市内六地蔵巡りの7回目、これで一応市内の六地蔵(1部の石幢を除く)を訪ねたことになる。今回は、先に1部歩いたことがある沢井地区の寺を廻る。JR青梅線青梅駅午前9時33分発の奥多摩行きに乗車、沢井駅で下車する。最初に訪ねる沢井2丁目の雲慶院は駅から近い。
 最初は雲慶院(曹洞宗)に直行する。参道の右にある如意輪観音丸彫像(像高57cm)があり、台石の「御月待供養」の銘を調べるが、どう探しても見当たらない。諦めて境内に入る。本堂西側の墓地入口には、木祠があって中に六地蔵立像(像高41cm)が並んでいる。台石には、施主銘や法名が記されて尊名がみられない。右端から順に持物を示すと、幡幢・合掌・宝珠と錫杖・宝珠・数珠・柄香炉の順である。
 六地蔵の台石正面には「小澤太兵衛」などの施主銘がみられるだけで、尊名も年銘も記されていない。六地蔵の中央に鉄鉢を執る地蔵坐像(像高28cm)があり、台石(64×22×10cm)の正面に「塚瀬大平□□念佛女講中」、左側面に「安政五午年十一月日」の年銘を刻む。この坐像と六地蔵が同じ頃に造立されたと思われる。
 前回、多摩石仏の会5月見学会の下見の時に見逃した、沢井2丁目・塚瀬路傍にある地蔵丸彫立像(像高75cm)を調べる。蓮台下の台石に「結夏念佛/諸願成就/奉造立之地蔵/菩薩像一尊」の銘文を刻む。享保8年7月の造立。「寒念佛」は各所でみられるが、この「夏念佛」は珍しい。
 次は軍畑(沢井1丁目)の東光寺(曹洞宗)、道を間違えて大回りする。寺の入口の左側にある木祠の中に六地蔵立像(像高45cm)が安置されている。右から鉄鉢・合掌・宝珠と錫杖・幡幢・天蓋・宝珠の順に並ぶ。台石などには尊名が見当たらず、六地蔵上屋の寄付者の名を記しているが、末尾の年銘は風雨のために文字がわからない。これがわかると、少なくともその年代まで遡れる。
 横の木祠には、天明7年の十一面観音丸彫坐像(像高52cm)がみられる。六角形の台石正面に「奉造立十一面觀世音菩薩」と彫る。右面に「天明七丁未年三月日」の年銘、左面に「軍畑中施主/願主与4郎」の施主銘を記す。
 軍畑から平溝(二俣尾5丁目)に入り、奥沢橋の入口にある庚申塔をみる。自然石(98×81cm)の表面中央に「庚申」の2字、右脇に「天保五年歳/次甲午夏六月吉日」の年銘を刻む。以前は道路の西側の岩の下にあったが、道路拡幅工事のために反対側の現在地に移されている。
 その先の道路東側に2つの木祠が並び、手前の木祠に不動明王三尊、奥の木祠に地蔵と青面金剛を安置する。青面金剛は合掌6手立像(像高29cm)、下部の3猿(像高12cm)と共に光背型塔(91×28cm)に浮彫りされている。台石に「明治三十九年二月再建 発願人 谷合彦太郎 伊藤磯吉」の銘があるが、現在は読めないに等しい。木祠は平成5年に作られている。
 3番目の慶徳寺(曹洞宗)は、坂を登った左側に木祠があり、他の石佛と共に六地蔵坐像(像高48cm)がみられる。青梅市内で唯一の六地蔵坐像である。右から順に柄香炉・幡幢・天蓋・合掌・宝珠と錫杖・数珠である。台石(57×26×18cm)には、施主銘はあるものの尊名も年銘も見当たらない。右端にある柄香炉の地蔵台石の右側面に「天下泰平國土安穏」、左端にある数珠の地蔵台石の左側面に「爲講中先祖代々菩提」の銘を彫る。
 次は前に訪ねた二俣尾4丁目の長泉院(曹洞宗)、墓地の入口に露座の六地蔵と六地蔵単制石幢がある。丸彫立像(像高48cm)は、台石正面に尊名を記す。右から宝珠と錫杖の「鶏兜地蔵」、宝珠と片手拝みの「陀羅尼地蔵」、合掌の「法性地蔵」、数珠の「地持地蔵」、柄香炉の「寳性地蔵」、幡幢の「法印地蔵」である。法印地蔵の台石(29×18×18cm)には、左側面に「平成9年7月/寄贈吉川石材店」と記す。なお鶏兜地蔵の錫杖は石ではなく、金属製(長さ67cm)である。
 横にある単制の六地蔵石幢(69×30×31cm)、1面の幅が15cmに立像(像高36cm)を浮彫りする。明治23年の造立である。尊名はなく、宝珠と錫杖の地蔵を正面に、右奥へ合掌・幡幢、左奥へ柄香炉・宝珠と片手拝み・数珠の順である。
 長泉院から海禅寺へ向かう。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)の126頁には、「丸彫六地蔵(その5)」の「24 年不明 二俣尾4丁目・海禅寺」の写真が載っている。今回この六地蔵を探したが見当たらない。次の「25 年不明 二俣尾4丁目・長泉院」も、現在の六地蔵と異なる古い六地蔵、このの行方を見逃す。
 途中、陽の具合が前回よりもよいので、3月13日に訪ねた二俣尾2丁目・泉蔵院(真言宗)を再訪する。朝だと本堂の蔭で光線状態が悪いが、午後になると閻魔大王石佛に陽が当たる。まだ斜光状態であったが、前回の比べる良くなっている。時間的にはもう少し後の石像全体に光が当たる方がよいかもしれない。
 中宿薬師堂で一息入れ、二俣尾1丁目路傍にある庚申塔2基を写す。最後の六地蔵がある日向和田2丁目の明白院(曹洞宗)を目指す。
 明白院の本堂の裏手、墓地の入口にある木祠の中に六地蔵が並んでいる。丸彫立像で尊名を示さない。、右から合掌(像高52cm)・数珠・拱手・宝珠と錫杖(像高59cm)・天蓋・宝珠の順である。先の『青梅市の石仏』の122頁の「丸彫六地蔵(その1)」には、「3 安永六年 日向和田・明白院」と記載されている。どうやら台石に刻まれた年銘を見落としたと思う.
 風邪気味で体調がありよくないのに出掛けためか、弁当や水筒を家に置き忘れるし、銘文の読みがいま一である。ザックに入っていた飴玉で元気をつけ、何とか家まで辿り着く。歩数計は2万歩を越えていた。
青梅の六地蔵を追って

 今年2月4日(土曜日)の節分の日に、最初の第158回の石仏談話室が開催された。この日に行われた講演で、鳥沢隆憲さんの「六地蔵について」は非常に興味があった。特に参考になったのは、宗派によって六地蔵の名称の違いがはっきり示されたことである。また、真言宗や天台宗で片手に持物を執って片手で印を結ぶの対して、禅宗系統は両手で持物を採るという点である。ともかく六地蔵の尊名や持物、出典などが明らかになったのは収穫である。
 江戸時代の信仰を知る上では、石工が参考にしていた『佛像図彙』が六地蔵を理解するのに利用しやすい。ただ、これは簡潔にまとめられている点で優れているが、各宗派の呼称や出典などが入り交じっているから注意が必要である。
 『佛像図彙』では、2種の図像が示されており、次の3種の名称がみられる。
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   ┃宗派 ┃六地蔵の名称                 ┃備考    ┃
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   ┃天台系┃預天賀│放光王│金剛願│金剛宝│金剛幡│金剛悲┃      ┃
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   ┃禅宗系┃地 持│陀羅尼│宝 性│鶏 亀│法 性│法 印┃      ┃
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   ┃真言系┃護 讃│辯 尼│破 勝│延 命│不休息│讃 龍┃      ┃
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 続いて『佛像図彙』による、それら3系統の六地蔵の尊名別に持物・印相の違いを示すと、次の通りである。「天台系」といっても、『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』の記載による。
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   ┃佛像図彙 天台系        ┃佛像図彙 禅宗系 ┃佛像図彙 真言系 ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃尊  名 │両 手┃尊  名 │両 手┃
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   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地持地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃
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   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃陀羅尼地蔵│鉢・印┃辨尼地蔵 │鉢・印┃
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   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃寳性地蔵 │合 掌┃破勝地蔵 │合 掌┃
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   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃鶏亀地蔵 │珠・杖┃延命地蔵 │珠・杖┃
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   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃法性地蔵 │柄香炉┃不休息地蔵│柄香炉┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃法印地蔵 │幡 幢┃護龍地蔵 │幡 幢┃
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 前記の表は『佛像図彙』に記す六地蔵の持物と印相で、次表に臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』(禅宗系)による尊名と持物を示すと、次の表の通りである。『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』系統の六地蔵と異なり、片手で印を結ばずに両手で持物を執る。参考までに、下段に『佛像図彙』(禅宗系)の尊名と持物を『江湖法式梵唄抄』と対象比較できるように順序を変えて示す。
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   ┃尊   名│持  物│六道配当 ┃尊   名│持 物┃備 考┃
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   ┃法性地蔵 │手持香炉│地獄道教主┃法性地蔵 │柄香炉┃   ┃
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   ┃陀羅尼地蔵│手持宝珠│餓鬼道教主┃陀羅尼地蔵│鉄 鉢┃注 記┃
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   ┃宝陵地蔵 │合  掌│畜生道教主┃宝性地蔵 │合 掌┃   ┃
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   ┃宝印地蔵 │手持旌旗│修羅道教主┃法印地蔵 │金剛幡┃   ┃
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   ┃鶏兜地蔵 │手持錫杖│人道道教主┃鶏亀地蔵 │錫 杖┃   ┃
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   ┃地持地蔵 │手持念珠│天道道教主┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃
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    〔注記〕 この陀羅尼地蔵に限り、左手に鉄鉢を持ち、右手で施無畏印を結ぶ。他の地蔵は
         両手で持物を執る。
 3月13日(火)に青梅市二俣尾・長泉院(曹洞宗)、柚木町・即清寺(真言宗)、梅郷・大聖院(真言宗)の3か寺の六地蔵を廻った。各寺にある六地蔵を記録したので比較のために一表にまとめると、次の通りである。
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   ┃長泉院(曹洞宗)  ┃即清寺(真言宗)  ┃大聖院(真言宗)  ┃
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   ┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃尊   名│持  物┃
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   ┃鶴亀地蔵 │宝珠錫杖┃護讃地蔵 │数  珠┃放光王地蔵│宝珠錫杖┃
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   ┃陀羅尼地蔵│印/宝珠┃無二地蔵 │棒(幡)┃金剛宝地蔵│宝珠/印┃
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   ┃法性地蔵 │合  掌┃禅林地蔵 │宝珠錫杖┃金剛悲地蔵│錫杖/印┃
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   ┃地持地蔵 │数  珠┃伏息地蔵 │印/宝珠┃地持地蔵 │柄香炉 ┃
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   ┃宝性地蔵 │柄香炉 ┃伏勝地蔵 │柄香炉 ┃法性地蔵 │数  珠┃
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   ┃法印地蔵 │幡  幢┃諸龍地蔵 │合  掌┃宝性地蔵 │合  掌┃
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 この中で特に興味を持ったのは、梅郷・大聖院(真言宗)の六地蔵である。台石に刻まれた尊名が3体が密教系でり、他の3体が禅宗系だったからである。ともかく、青梅市内の状況はどのようであるか、を知りたく市内各地の六地蔵を訪ねた。
 3月20日(火)は、第1回目の市内六地蔵巡りとして青梅地区(旧・青梅町)と千ケ瀬(旧・調布村)の六地蔵を巡った。住江町・延命寺(臨済宗)、千ケ瀬・宗建寺(臨済宗)、千ケ瀬・聚徳院(臨済宗)、西分町・宗徳寺(臨済宗)、仲町・梅岸寺(真言宗)、天ケ瀬町・金剛寺(真言宗)、大柳町・清宝院(真言宗)、滝の上町・常保寺(臨済宗)の8か寺を廻った。
 翌21日(水)の春分の日は、長渕地区(旧調布村)の友田町・花蔵院(真言宗)、河辺町・東円寺(真言宗)、長渕・玉泉寺(臨済宗)、駒木町・寿香寺(曹洞宗)、畑中・地蔵院(臨済宗)の5か寺を訪ねた。
 続く23日(金)の3回目は、小曽木地区(旧・小曽木村)を中心に黒沢・聞修院(曹洞宗)、小曽木・福昌寺(真言宗)、小曽木・高徳寺(曹洞宗)、小曽木・石倉寺(曹洞宗)、富岡・常福寺(曹洞宗)、富岡・常秀院(曹洞宗)、成木・安楽寺(真言宗)の7か寺である。
 4回目の27日(日)は、成木地区の次の寺を廻る。成木・新福寺(曹洞宗)、成木・慈福寺(曹洞宗)、成木・高岩寺(曹洞宗)、成木・長蔵寺(曹洞宗)、成木・長全寺(曹洞宗)である。
 1日置いた29日(木)の第5回は、大門地区(旧・霞村)を重点地域にする。前回見逃した成木・正沢寺(曹洞宗)から始め、根ケ布・天寧寺(曹洞宗)、東青梅・光明寺(曹洞宗)、師岡町・妙光院(曹洞宗)、吹上・宗泉寺(曹洞宗)、塩船・塩船寺(真言宗)、大門・大門墓地、今寺・報恩寺(天台宗)の6か寺と共同墓地1か所である。
 月が変わった4月5日(木)は、6回目の青梅市内六地蔵巡りで大門地区(旧・霞村)の続きである。新町・東禅寺(臨済宗)、藤橋・福伝寺、今井・正福寺(時宗)、今井・薬王寺(真言宗)、谷野・真浄寺(真言宗)を廻り、塩船・塩船寺(真言宗)、師岡町・妙光院(曹洞宗)、東青梅・光明寺(曹洞宗)を再訪する。
 少し間を置いて14日(土)は六地蔵巡りの7回目、これで残った沢井地区(旧・三田村)の寺を廻った。一応、市内の六地蔵を訪ねたことになる。この日は沢井・雲慶院(曹洞宗)、沢井・東光寺(曹洞宗)、二俣尾・慶徳寺(曹洞宗)、二俣尾・長泉院(曹洞宗)、日向和田・明白院(曹洞宗)の5か寺である。
 7回にわたる調査の結果を宗派別にし、造立年代順に配列すると、後記のようになる。ここでは六地蔵の尊名が台石や木札などで示されずに不明なものは除外した。
 先ず、真言宗寺院の場合は、明治22年の大聖院から平成13年の清宝院までの12か寺を一覧すると、幾つかの注目点がみられる。
 大門・大門共同墓地の平成12年六地蔵は、他の多石六地蔵と区別するため表中に(※)を付した唯1の1石六地蔵である。尊名が真言宗系であるので、真言宗寺院の中に加えた。表中の「珠・杖」は「宝珠と錫杖」、「珠・印」は「宝珠と印相」、「杖・印」は「錫杖と印相」、「珠・拝」は「宝珠と片手拝み」の略である。他の宗派の場合も同じである。
 注目点の第1は梅郷・大聖院の明治22年六地蔵が場合は、天台系の3体の尊名(放光王地蔵・金剛宝地蔵・金剛悲地蔵)と禅宗系の3体(地持地蔵・法性地蔵・宝性地蔵)という、他にみられない尊名を使用している。
 第2に谷野・真浄寺の平成3年六地蔵の場合は、禅宗系の尊名を用いている。これは奉納者が寺に相談なしに発注し、寺に奉納たためである。
 第3に大柳町・清宝院の平成12年六地蔵では、『佛像図彙』の真言系とされる護讃・辯尼・破勝・延命・不休息・讃龍に近い用例である。他に『伝授録』の禅味・牟尼・観讃・諸救・伏勝・不休息に似た名称である。真言宗でも醍醐派(当山修験)の属しているから、市内の真言宗は大半が豊山派に属するから禅林・無二・護讃・諸龍・伏勝・伏息であるが、清宝院では諸龍・辨尼・護讃・不休息・破勝・延命)と、諸龍・護讃を除く4尊名の違う尊名を使う。
 真言宗の場合は、禅宗系と違って尊名の上に「カ」などの種子を用いている。梅岸寺や金剛寺、戦後の六地蔵でも花蔵院や東円寺などにみられる。
 例えば仲町・梅岸寺の昭和4年六地蔵と天ケ瀬町・金剛寺の昭和10年六地蔵のように、尊名も配列も持物も同一の場合もあるが、持物に限っては必ずしも尊名に結びついていない。。
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   ┃梅郷・大聖院   ┃仲町・梅岸寺   ┃天ケ瀬町・金剛寺 ┃小曽木・福昌寺  ┃
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   ┃真言宗  明治22年┃真言宗  昭和4年┃真言宗  昭和10年┃真言宗  昭和43年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃放光王地蔵│珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃禅林地蔵 │珠・杖┃
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   ┃金剛宝地蔵│珠・印┃無二地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │珠・拝┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃金剛悲地蔵│杖・印┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃地持地蔵 │柄香炉┃諸龍地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │合 掌┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃法性地蔵 │数 珠┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃宝性地蔵 │合 掌┃伏息地蔵 │天 蓋┃伏息地蔵 │天 蓋┃伏息地蔵 │幡 幢┃
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   ┃柚木町・即清寺  ┃友田町・花蔵院  ┃谷野・真浄寺   ┃塩船・塩船寺   ┃
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   ┃真言宗  昭和59年┃真言宗  昭和62年┃真言宗  平成3年┃真言宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃禪林地蔵 │珠・杖┃禪林地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │数 珠┃禪林地蔵 │合 掌┃
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   ┃無二地蔵 │珠・拝┃無二地蔵 │柄香炉┃法性地蔵 │幡 幢┃無二地蔵 │珠・拝┃
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   ┃護讃地蔵 │数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃羅尼地蔵 │珠・印┃護讃地蔵 │数 珠┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃諸竜地蔵 │合 掌┃諸竜地蔵 │合 掌┃宝陵地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵 │柄香炉┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │宝 珠┃寳印地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵 │幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃伏息地蔵 │幡 幢┃伏息地蔵 │幡 幢┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃伏息地蔵 │珠・杖┃
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   ┃今井・薬王寺    ┃河辺町・東円寺  ┃大門・大門墓地※┃大柳町・清宝院   ┃
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   ┃真言宗   平成4年┃真言宗  平成9年┃真言系 平成12年┃真言宗   平成13年┃
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   ┃尊    名│左 手┃尊   名│持 物┃尊  名│持 物┃尊    名│左 手┃
   ┣━━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━╋━━━━┿━━━╋━━━━━━┿━━━┫
   ┃禪林地蔵菩薩│珠・杖┃禪林地蔵 │珠・杖┃護讃地蔵│数 珠┃諸龍地蔵尊 │幡 幢┃
   ┠──────┼───╂─────┼───╂────┼───╂──────┼───┨
   ┃無二地蔵菩薩│棒  ┃無二地蔵 │珠・拝┃護讃地蔵│幡 幢┃辨尼地蔵尊 │珠・拝┃
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   ┃護讃地蔵菩薩│数 珠┃護讃地蔵 │数 珠┃無二地蔵│宝 珠┃護讃地蔵尊 │数 珠┃
   ┠──────┼───╂─────┼───╂────┼───╂──────┼───┨
   ┃諸龍地蔵菩薩│合 掌┃諸竜地蔵 │合 掌┃諸龍地蔵│合 掌┃不休息地蔵尊│柄香炉┃
   ┠──────┼───╂─────┼───╂────┼───╂──────┼───┨
   ┃伏勝地蔵菩薩│柄香炉┃伏勝地蔵 │柄香炉┃伏勝地蔵│柄香炉┃破勝地蔵尊 │合 掌┃
   ┠──────┼───╂─────┼───╂────┼───╂──────┼───┨
   ┃伏息地蔵菩薩│珠・拝┃伏息地蔵 │幡 幢┃禪林地蔵│珠・拝┃延命地蔵尊 │珠・杖┃
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 次に臨済宗の寺院にある6組の六地蔵を表にまとめると、下記の通りである。
 臨済宗十七派の『江湖法式梵唄抄』(禅宗系)には、地獄道の「法性地蔵」(香炉)、餓鬼道の陀羅尼地蔵(宝珠)、畜生道の「宝陵地蔵」(合掌)、修羅道の「宝印地蔵」(旌旗)、人道の「鶏兜地蔵」(錫杖)、天道の「地持地蔵」(念珠)と尊名と持物を示している。『佛像図彙』にも、ほぼ同様な尊名と持物が掲げられている。
 千ケ瀬町・宗建寺の寛政10年六地蔵に「葆勝地蔵」と「瑞陵地蔵」、滝の上町・常保寺の明治17年六地蔵の「寳勝地蔵」のように、『江湖法式梵唄抄』にみられない尊名があるが、おおむね同様な尊名を用いている。
 しかし、持物となると各寺を比較対照すると一定していない。『江湖法式梵唄抄』に記載されていない、「片手拝み」や「天蓋」があらわれる。
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   ┃千ケ瀬町・宗建寺 ┃住江町・延命寺  ┃滝の上町・常保寺 ┃
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   ┃臨済宗  寛政10年┃臨済宗  文政3年┃臨済宗  明治17年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃
   ┣━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━┫
   ┃葆勝地蔵 │柄香炉┃陀羅尼地蔵│宝 珠┃鶏兜地蔵 │珠・拝┃
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   ┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃寳陵地蔵 │珠・錫┃
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   ┃瑞陵地蔵 │合 掌┃寳印地蔵 │幡 幢┃寳印地蔵 │合 掌┃
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   ┃寳印地蔵 │天 蓋┃地持地蔵 │数・拝┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃宝陵地蔵 │合 掌┃寳勝地蔵 │天 蓋┃
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   ┃地持地蔵 │数・珠┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵 │柄香炉┃
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   ┃畑中・地蔵院   ┃西分町・宗徳寺  ┃千ケ瀬町・聚徳院 ┃
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   ┃臨済宗  昭和51年┃臨済宗  昭和55年┃臨済宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃法性地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │数 珠┃法性地蔵 │柄香炉┃
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   ┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵 │数 珠┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃宝陵地蔵 │幡 幢┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃宝陵地蔵 │合 掌┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃宝印地蔵 │合 掌┃宝陵地蔵 │合 掌┃宝印地蔵 │幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃鶏兜地蔵 │数 珠┃寳印地蔵 │幡 幢┃陀羅尼地蔵│数・拝┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃地持地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃
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 同じ禅宗系でも、曹洞宗寺院の場合はどうであろうか。
 『曹洞宗行持規範』では、尊名が法性地蔵王菩薩・陀羅尼地蔵王菩薩・宝陵地蔵王菩薩・宝印地蔵王菩薩・鶏兜地蔵王菩薩・地持地蔵王菩薩と「王菩薩」がつく。
 成木・長蔵寺の寛政6年六地蔵は、例外的な存在で後でふれる。曹洞宗の場合は、小曽木・高徳寺の「寶積地蔵尊」がみられるが、ほぼ先記の臨済宗と同じ尊名が使用される。高徳寺や小曽木・石倉寺、富岡・常秀院では「尊」、富岡・常福寺では「王菩薩」を下につけている。
 黒沢・聞修院の昭和61年六地蔵では、例えば「地獄 大定智悲地蔵菩薩」のように、以下、餓鬼
 大清浄地蔵菩薩・畜生 大光明地蔵菩薩・修羅 清浄無垢地蔵菩薩・人道 大清浄地蔵菩薩・天道
 大堅固地蔵菩薩の尊名の上に六道の配当を記している。
 持物は師岡町・妙光院の昭和2年六地蔵にみられるように、柄香炉・合掌・宝珠・宝珠と錫杖・幡幢・天蓋、あるいは天蓋でえはなく数珠の場合がある。中には東青梅・光明寺の拂子、小曽木・高徳寺や成木・新福寺などの宝珠と片手拝みの場合がみられる。
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   ┃成木・長蔵寺   ┃師岡町・妙光院  ┃吹上・宗泉寺   ┃小曽木・高徳寺  ┃
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   ┃曹洞宗  寛政6年┃曹洞宗  昭和2年┃曹洞宗  昭和33年┃曹洞宗  昭和43年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃
   ┣━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━╋━━━━━┿━━━┫
   ┃放光王地蔵│合 掌┃法性地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃陀羅尼地蔵│数 珠┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃預天賀地蔵│数 珠┃宝陵地蔵 │合 掌┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃法性地蔵尊│合 掌┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃金剛宝地蔵│幡 幢┃預地持地蔵│宝 珠┃寳陵地蔵 │数 珠┃寶積地蔵尊│幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃金剛悲地蔵│天 蓋┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃地持地蔵 │拂 子┃宝印地蔵尊│珠・拝┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃金剛願地蔵│珠・杖┃羅尼地蔵 │幡 幢┃法性地蔵 │柄香炉┃地持地蔵尊│天 蓋┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂─────┼───╂─────┼───┨
   ┃金剛幢地蔵│珠・拝┃寳印地蔵 │天 蓋┃寳印地蔵 │天 蓋┃鶏兜地蔵 │柄香炉┃
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   ┏━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┓
   ┃東青梅・光明寺  ┃成木・新福寺   ┃黒沢・聞修院    ┃富岡・常福寺   ┃
   ┣━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┫
   ┃曹洞宗  昭和43年┃曹洞宗  昭和58年┃曹洞宗   昭和61年┃曹洞宗  平成4年┃
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   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊    名│持 物┃尊   名│持 物┃
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   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃法性地蔵 │柄香炉┃大智悲地蔵 │珠・杖┃地持地蔵王│柄香炉┃
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   ┃陀羅尼地蔵│幡 幢┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃大清浄地蔵 │合 掌┃鶏兜地蔵王│数 珠┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂──────┼───╂─────┼───┨
   ┃法性地蔵 │宝 珠┃宝陵地蔵 │合 掌┃大光明地蔵 │幡 幢┃宝印地蔵王│合 掌┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂──────┼───╂─────┼───┨
   ┃地持地蔵 │拂 子┃宝印地蔵 │幡 幢┃清浄無垢地蔵│柄香炉┃宝陵地蔵王│幡 幢┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂──────┼───╂─────┼───┨
   ┃寳性地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃大清浄地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃
   ┠─────┼───╂─────┼───╂──────┼───╂─────┼───┨
   ┃宝印地蔵 │天 蓋┃地持地蔵 │数 珠┃大堅固地蔵 │宝 珠┃法性地蔵王│珠・杖┃
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   ┏━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━┓
   ┃小曽木・石倉寺  ┃成木・正沢寺   ┃駒木町・寿香寺  ┃富岡・常秀院   ┃
   ┣━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┫
   ┃曹洞宗  平成6年┃曹洞宗  平成6年┃曹洞宗  平成8年┃曹洞宗  平成8年┃
   ┣━━━━━┯━━━╋━━━━━┯━━━╋━━━━━┯━━━╋━━━━━┯━━━┫
   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃尊   名│左 手┃
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   ┃法性地蔵尊│柄香炉┃法性地蔵 │珠・杖┃法性地蔵 │柄香炉┃法性地蔵尊│合 掌┃
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   ┃陀羅尼地蔵│合 掌┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃地持地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│数 珠┃
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   ┃寶陵地蔵尊│数 珠┃宝陵地蔵 │幡 幢┃宝陵地蔵 │合 掌┃寶陵地蔵尊│幡 幢┃
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   ┃寶印地蔵尊│珠・拝┃宝印地蔵 │合 掌┃宝印地蔵 │幡 幢┃寶印地蔵尊│珠・杖┃
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   ┃鶏兜地蔵尊│幡 幢┃鶏兜地蔵 │数 珠┃陀羅尼地蔵│宝 珠┃鶏兜地蔵尊│珠・拝┃
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   ┃地持地蔵尊│珠・杖┃地持地蔵 │柄香炉┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃地持地蔵尊│柄香炉┃
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   ┃二俣尾・長泉院  ┃   ┃今寺・報恩寺   ┃成木・長蔵寺   ┃
   ┣━━━━━━━━━┫   ┣━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━┫
   ┃曹洞宗  平成9年┃   ┃天台宗 昭和35年頃┃曹洞宗  寛政6年┃
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   ┃尊   名│持 物┃   ┃尊   名│持 物┃尊   名│持 物┃
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   ┃鶏兜地蔵 │珠・杖┃   ┃預天賀地蔵│珠・杖┃放光王地蔵│合 掌┃
   ┠─────┼───┨   ┠─────┼───╂─────┼───┨
   ┃陀羅尼地蔵│珠・拝┃   ┃放光王地蔵│幡 幢┃預天賀地蔵│数 珠┃
   ┠─────┼───┨   ┠─────┼───╂─────┼───┨
   ┃法性地蔵 │合 掌┃   ┃金剛幢地蔵│蓮 華┃金剛宝地蔵│幡 幢┃
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   ┃地持地蔵 │数 珠┃   ┃金剛悲地蔵│合 掌┃金剛悲地蔵│天 蓋┃
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   ┃寳性地蔵 │柄香炉┃   ┃金剛宝地蔵│数 珠┃金剛願地蔵│珠・杖┃
   ┠─────┼───┨   ┠─────┼───╂─────┼───┨
   ┃法印地蔵 │幡 幢┃   ┃金剛願地蔵│柄香炉┃金剛幢地蔵│珠・拝┃
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 天台宗の寺は市内に今寺・報恩寺の1か寺である。ここの尊名は、『天台宗常用法儀集』に示されている預天賀・放光王・金剛願・金剛宝・金剛幡・金剛悲の地蔵である。尊名が同じなものに『六地蔵和讃』や『佛説地蔵菩薩発心因縁十王経』(略称の『地蔵十王経』で知らる)がある。この2種の持物を示すと、次の通りである。
   ┏━━━━━━━━━━━━━━━━┳━━━━━━━━━━━━━━━━┓
   ┃六地蔵和讃           ┃地蔵十王経           ┃
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   ┃六道│尊   名│左 手│右 手┃六道│尊   名│左 手│右 手┃
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   ┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃修羅│金剛幡地蔵│金剛幡│施無畏┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃修羅│金剛幡地蔵│金剛旗│施無畏┃畜生│金剛悲地蔵│錫 杖│引接印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃人間│放光王地蔵│錫 杖│与願印┃餓鬼│金剛宝地蔵│宝 珠│甘露印┃
   ┠──┼─────┼───┼───╂──┼─────┼───┼───┨
   ┃天人│預天賀地蔵│如意珠│説法印┃地獄│金剛願地蔵│炎魔幡│成弁印┃
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 天台宗の六地蔵が禅宗系と大きく違うのは、左手に持物を執り、右手で印を結ぶ点にある。他方の禅宗系では、印を結ばずに両手で持物を持つ。しかし、尊名は『天台宗常用法儀集』通りであるが、持物を宝珠と錫杖など両手で持ち、禅宗系の持物との差がみられない。
 1般的にみて、例外があるものの尊名については宗派が意識されている。しかし、持物は宗派を問わずバラバラといっていいくらいに尊名と持物の結び付きは薄い。
 今回、市内の六地蔵を廻って何組かの六地蔵の姿がみえなかった。『青梅市の石仏』(青梅市郷土博物館 昭和49年刊)に記載される西分町・宗徳寺の天保15年六地蔵、二俣尾・海禅寺の年不明六地蔵は見当たらず、今井・正福寺の天保11年六地蔵は無縁塔に仲間入りしていた。現在の六地蔵をみると、昭和から平成に作られたものが多いのが藻ウメの特徴である。
 各寺にある六地蔵には宗派色、特に真言宗と禅宗(臨済宗と曹洞宗)には尊名の違いがみられる。持物に関していえば、宗派色はなくて尊名と持物の関係に一定のルールはみられない。これが市内六地蔵を巡った結論である。(平成19・4・17記)
大作『佐久の庚申塔』

 平成19年3月29日(木曜日)は、青梅市内の六地蔵巡りを行った。家に帰ると、小諸の岡村知彦さんから小包が届いている。小包の中には岡村さんが調査された庚申塔の調査票に加え、画像とエクセルの表が入力されたCDが同封されている労作『佐久の庚申塔』が入っている。
 岡村さんの『佐久の庚申塔』は「野帳公開にあたって」から始まり、「凡例」「地図」「目次」、32頁に及ぶ部主な庚申塔の写真、佐久地方の庚申塔分布地図と続く。その後は各市町村毎の地図とデータが記入された調査票である。ともかく563頁に及ぶ大作である。
 各市町村の調査票は1基につき1枚宛で、所在地・塔形・寸法・刻像などの記入欄があり、下半分にスケッチと銘文が書き込めるようになっている。添付されたCDと対照できるよう「エクセルNo」が示されている。
 嬉しいことに、これらの調査データ(調査票)がパイプ・ファイルに収納されているので、個々のデータ(調査票)を取り外して自由に分類や組み合わせができる。アナログ的な使用には非常に便利である。同封のCDにはエクセルの1覧表があるから、パソコンで自由な検索がしやすい。しかもCDには庚申塔全基の写真が収納されているから、特定の庚申塔を画面1杯の大きさでみることも可能である。調査票には塔のスケッチが入っているけども、写真によって調査票で詳細にうかがえない部分も明らかになる。
 限定6部発行の労作『佐久の庚申塔』が手許にあるから、今後、このデータを充分に消化して活用したい。まだ先になるが、とりあえずは『野仏』第37集(多摩石仏の会 平成18年刊)に発表した「佐久地方の庚申塔」の増補改定から始める積もりである。
 岡村さんは書中の「佐久の初期石祠庚申塔」で、佐久市西耕地の寛永8年石祠から小諸市荒堀の寛文4年石祠までの6基、それに初期(寛永〜寛文)造立とみられる年不明石祠3基を挙げている。こうした佐久地方に分布する庚申石祠の存在が明らかになったので、これまでに作成した「庚申石祠年表」の改定を必要がある。
 上方手に日月を捧げる合掌6手青面金剛を私たちは「万歳型」と呼んでいる。多摩地方では、この形式の青面金剛が八王子を中心として主に南多摩地方に分布している。私が済む青梅市内には僅か1基がみられるに過ぎない。この万歳型が佐久地方にも存在することは、先に岡村さんからいただいた資料から知っていた。今回お送りいただいたCDの中に画像が取り込まれているので、視覚的にも現地でみるような感覚になる。この方面の分析も多摩地方と比較して行いたい。
 これまで私も数々の庚申塔調査を行ってきたが、とても岡村さんの調査票のようにはまとめていない。調査現場で書いたものを文章化してワープロに入力するだけで、きちっとした調査票作成までには至っていない。今年3月に発行したた『江東区の庚申塔』(庚申資料刊行会)にしても、過去の調査を集約した庚申塔データベースを参照しながら、現場で記したメモを基にして写真と対照してまとめいる。とても調査データは公開できるものではない。先日の六地蔵巡りでも、地蔵の像高を計測しなかったり、写真を撮るの忘れたりで散々である。1度で済むところが2度手間になってしまう。
 いずれにしても、岡村さんのご労作『佐久の庚申塔』を消化、活用するように心掛けたい。そうしないと、折角のご好意を無にしてしまう。(平成19・3・31記)
 
あとがき
     
      本書では「目次」でわかるように、ほとんどが「青梅市内六地蔵巡り」関係で埋められ
     て、僅かに「大作『佐久の庚申塔』」の1編が加わっている。
      前書『石佛雑記ノート5』には、「青梅の六地蔵の1様相」と「青梅市内六地蔵巡り」
     の1から4までを載せた。本書はその続きの「青梅市内六地蔵巡り」5から7、それらの
     まとめとしての「青梅の六地蔵を追って」を収録した。
      六地蔵石幢は対象外として、1部の石幢だけを調べたがまとめではふれていない。。独
     立の六地蔵の中でも、長渕・玉泉寺の明和3年六地蔵は、1体毎に10枚程の前掛けが掛
     けられ、春分の日に当たっていたので、墓参の方々が多くて前掛けを外して調べてはいら
     れない。従って持物を調査できなったが、大勢は大きな影響がないと思う。
      「大作『佐久の庚申塔』」は小諸の岡村知彦さんから贈られたご労作『佐久の庚申塔』
     について書いた。『佐久の庚申塔』には各市町村の調査票データが公開され、他にも同封
     のCDに1基1基の写真が入力されている。
      6部限定の発行の1部を頂いたのだから、活用しないことには申し訳ない。文中に記し
     たように、まだ先になるが、とりあえず『野仏』第37集(多摩石仏の会 平成18年刊)
     に発表した「佐久地方の庚申塔」の増補改定から始めたい。
      佐久地方の庚申石祠も魅力的だし、数は少ないが万歳型の青面金剛も分布している。こ
     の辺のところを分析するのも、興味があるテーマである。いつの日か、岡村さんに恩返し
     できる佐久地方の分析ができればよい、と考えている。
                            ─────────────────
                             石佛雑記ノート6
                               発行日 平成19年4月30日
                               ー行日 平成19年4月30日
                               著 者 石  川  博  司
                               発行者 多摩野佛研究会
                            ─────────────────
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