石 川 博 司  著 
横浜の獅子舞を訪ねる 
       目次
鉄の獅子舞1     鉄の獅子舞2      鉄獅子舞文献目録
牛込の獅子舞1    牛込の獅子舞2     牛込獅子舞文献目録
箕輪獅子舞文献目録  あとがき
 鉄の獅子舞1
 平成9年10月5日は10月第1日曜日、横浜市若葉区鉄町・鉄神社例大祭で鉄古典獅子舞保存会の獅子舞が奉納される。かつて獅子舞は、10月9日に行われていた。10月第1日曜日のこの日は川崎市宮前区菅生2丁目・菅生神社の例大祭で初山獅子舞保存会の獅子舞がみられる。この獅子舞は昨年見学したので、今年は鉄の獅子舞にしたわけである。

 初山といえば神奈川県『県のたより』平成9年10月号の「なんてよむの 地名ハテナ」(8頁)の欄で取り上げられ
    ここは、北は生田緑地に接し、ゴルフ場をつつみ込んでいます。
    現在、1、2丁目に分かれていますが、1丁目はかつて字滝沢といわれていた地域です。こ
   こにあった八幡社には、獅子舞が伝えられ、合祀された現在の菅生神社の祭礼で奉納されてい
   ます。これが、市の重要習俗技芸に指定されている「初山の獅子舞」です。2丁目がかっての
   字初山にあたります。
    正月に山に入って樹木を切り、山の神に供物を捧げる儀式を「初山入り」と呼びますが、こ
   れが地名の由来かといわれています。     (協力 川崎市教育委員会「地名資料室」)
とある。これには、川崎市提供の「初山の獅子舞」の写真を添えている。

 話が初山にそれたが、鉄の獅子舞の当日、朝寝坊したので気になっていたものの、バスを「桐陰学園入口」の停留所で降りると、獅子舞連中が道行するところだった。何とか時間に間に合った。8月9日に行われた津久井町鳥屋・諏訪神社の獅子舞でお会した鳥屋の荒井俊明さんが鉄の獅子舞に来ていて、鉄では昨年が午前11時だったが、今年は午後0時からに変更になったといっていた。昨年通りの時刻だったら遅刻である。

 午後0時10分にバス停近くから鉄神社に向けて道行が始まる。金棒2人が先頭にたち、次いで法螺貝2人、以下万灯2基(ここでは「花籠」と呼んでいる)・ヒョットコ・天狗・剣獅子・ネジリンボウ・女獅子・笛方4人・ササラ摺り4人の順に並ぶ。
 金棒と法螺貝、万灯は紺の腹掛けに紺の股引きをつけ、揃いのハンテンをはおり、黒足袋に黒緒の草履をはく。ハンテンは紗綾形の模様で、両襟に白地で「くろがね」、背中に赤地の丸に「はやし」の名入りである。金棒は、高さ163cmである。
 ヒョットコは手拭いを頬被りしてヒョットコ面をつける。模様の上衣に揃いのタッツケをつけ、赤の綿入りのタスキをかける。縁取りのある手甲をつけ、白足袋にワラジをはく。右手に軍配をもち、腰に瓢箪や盃をさげる。
 天狗は黒のシャグマをつけて天狗面をかぶって長い白鉢巻きをしめ、ヒョットコと同様な衣装である。右手に剱、左手に御幣をもち、腰に瓢箪や盃、煙草入れをさげる
 獅子は金色の剣角2本をつける剣獅子と黒のネジレ角2本のネジリンボウの2匹の男獅子、宝珠の女獅子の3匹で構成される。獅子頭はいずれも黒塗りで、女獅子のはお歯黒である。緑地に白の唐草模様の水引幕をつける。獅子は、絣の上衣に柄のタッツケで縁取りのある手甲をつけ、白足袋にワラジをはく。腹に黒の三つ巴紋を描く太鼓(直径35cm、幅12cm)をつけ、手にバチ(直径2・5cm長さ15cm)をもつ。
 ササラ摺りは4人の婦人が担当、揃いのユカタに各自の帯びを結び、白足袋に藁草履をはく。頭にかぶる花笠(直径39cm)でピンクの無地の水引幕をさげる。手にするササラは、1方が刻みのある木製で、他方が先割れの竹で作られている。いずれも直径が2cm、長さが31cmである。
 笛方は4人、鳥追笠をかぶって紺の腹掛けと股引きに揃いハンテンをはおり、黒足袋に黒緒の草履をはく。笛は6つ孔の5本調子である。唄方2人は、法螺貝を兼ねる。

 獅子舞連中の道行は、午後0時10分の「桐陰学園入口」のバス停付近を出発して、17分かけて鉄神社についた。神社側に向かって右に剣獅子(前)とネジリンボウ(後)、左に天狗(前)女獅子(後)がならび、神社側に唄方と笛方、ササラ摺りが一列にたつ。舞は30分から始まる。5の唄(後述)の後で40分に舞場の中央にゴザ2枚がしかれ、天狗・剣獅子・ネジリンボウ・女獅子の順にすわる。41分に休憩となる。
 この獅子の休んでいる間を利用し、金子町内会長から挨拶と獅子舞の解説がある。解説によると、17世紀に鉄に悪病がはやり、その悪魔払いに獅子舞を舞ったのが始まりであるという。獅子舞の伝播は不明であるが、川崎市多摩区菅や府中市是政、あるいは埼玉県の高麗川(現在の日高市)から伝えたとの伝承が残っている。獅子舞の特徴を話した後で構成を説明しながら、それぞれの役を紹介する。

 午後0時51分から6の唄で獅子舞が再開される。8の唄の後で天狗が小さな紙片をまき、9の唄の後で天狗と獅子がたってゴザをしまう。女獅子隠しの場面に移り、女獅子をめぐって男獅子の争いがあって8で元の状態に戻って舞う。11の唄では天狗と獅子が中央に集まってバチ打ちがみられる。13の唄の後で一舞して1時12分に演技を終えて道行となるから、休憩を除いて演技時間が32分である。

 獅子舞は、次の通りである。上部の数字は、唄の開始時刻と番数(丸数字)を示す。なお傍線の部分は、繰り返して歌う。
   12:32 1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる       1
   12:33 2 京から下る唐絵の屏風 十六さらりとひき申さいな       2
   12:35 3 この宮は何たる番匠が建てたやら 四方四面に楔一つで─────3
   12:37 4 あまり高さが建ち過ぎて 落ちる木の葉が軒に止まらぬ     │
   12:38 5 このお背戸の枝垂れ柳 一枝たぐめて腰を休める────────┘
   12:51 6 白鷺が金をくわえて八つ連れて これのお背戸のみくらきに棲む─4
   12:53 7 十六の花に黄金が成り下がり これのお背戸は名所なるもの   │
   12:54 8 みくらきの枝は幾つと眺むれば 枝は九つ花は十六───────┘
   12:56 9 鎌倉の由比ケ浜の浜千鳥 波にゆられて羽音たてた       5
   1:58 10 思いもよらぬ朝霧が降りてな そこで女獅子が隠されたよな   6
   1:01 11 なんぼ女獅子が隠れても いつか一度は廻り合うよな      7
   1:03 12 嬉しやな風に霞を吹き上げて 女獅子男獅子が肩を並べた    8
   1:04 13 奥山の松にからまる蔦の根も 縁が尽きればほろりほごれる   9
   1:05 14 山雀が山に離れて里へ出て これのお庭に羽を休める      10
   1:07 15 こつ竹に今年小次郎がういまれだれて 今は若竹で節が揃わぬ  11
   1:09 16 鹿島から切り節習えと状が来て 習い申すよ鹿島切り節     12
   1:10 17 日は暮れる道の根笹に露がいる お暇申していざ帰ろうかな   ・
 獅子舞唄は笛を止めて歌うが、9のみ笛の伴奏がつく。ここでは、3から5と6から8の唄をセットとみて1番とし、13番の唄(唄の最後の番号)としている。

 唄の細部に多少の違いがみられるが、他の獅子舞、例えば奥多摩町川井や同町境の「弓掛り」の場合では
   1 白鷺が白鷺が金の掛箸くわよとみえて これの踊りはみくらきなるもの
   2 みくらきが枝は幾つとおおよそながら 枝は九つ葉は十五六
   3 十五六も黄金の花が咲くならば これのお背戸は名誉なるものであり、稲城市東長沼の場合は
   ○ 十七が今年初めてものつくる 粟でとれかし八穂で八石
   1 誠かや八穂で八石とれるなら これのお背戸のみくらきに棲む
   2 みくらきの幹は幾つと眺むれば 枝は九つ花は十六
   3 十六の花に黄金がなるならば 諸神諸佛が重ね重ねのように1の「みくらき」と2の「十(五)六」が尻取り形式になっているのだから、1・2・3の順(鉄の場合は6・8・7)で歌われるのが普通であるが、今回の鉄で聞いたところでは何故か6の後で7(川井や東長沼の3)・8(同2)の順で歌われている。

 獅子舞唄といえば、町内会長の解説に9月12日に近い休日(昨年は9月16日)に川崎市多摩区菅北浦4丁目・菅薬師堂で行われる菅の獅子舞から伝わったという話があったので、参考までに菅の獅子舞唄を示すと、次の通りである。
   1 お庭の拍子お庭の拍子 九つ拍子十の拍子よな
   2 島の馬場の村々雀 羽先を揃えて切り返しよな
   3 廻れや車廻れや車 連れて廻れや水車よな
   4 七つ拍子に八つ拍子よな これのお庭の枝垂れ柳 一枝止めて腰を休める
   5 鳴りを鎮めてお聞きやれ 森も林も鶯の
       これのお庭に参り来て 黄金小草が足にからまる
   6 あらおらん四国西国巡り来て 旅の疲れで拍子揃わん
   7 山雀が山を離れて八つ連れて これのお庭で羽根を休める
   8 白鷺が羽をくわえて八つづれば これのお背戸のみいらぎに棲む
   9 十七が二十四五まで親があり これが憂とて走り出をする
   10 月も日も加美も仏もお聞きやれ 思う妻とてきのないもの
   11 磯村のヤドの娘に目がくれて 立つに立たれぬ磯村の宿
   23 沖のとなかのひよこどり 波にゆられてばんと立ちそよな 七つ拍子に八つ拍子よな
   23 思いもよらぬに朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな
   24 奥山の洞の陰なる 女獅子がそこで男獅子が必ず来るよな
   25 うれしや風が霞を吹きあけて 女獅子男獅子が肩を並べる
   26 天竺の天の河原の果てにこそ しゆぐこしや結びの神の祟りか
       誠にもしゆこしや結びの神なれば 女獅子男獅子を結び合わせる
   27 奥山の松にからまる蔦さえも 縁が尽きればほろりほごれる
   28 向かい通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た清十郎の笠に
       お伊勢詣りはみな清十郎清十郎 与作差したたる長脇差は
       鞘が三寸目さげ緒が二寸目 中は檜の粗削り粗削り
   29 武蔵野で荻とススキが恋をしたら 荻はそよめくススキからまる
   20 我が里で雨が降るげで雲が立つ いざやれ友だち花の都へと、共通する唄(多少歌詞に違いがあるが、傍線のもの)がみられるけども、最初と最後の唄をみても異なっている。現在、府中市是政には獅子舞が残っていないから、これとは比較ができない。
 高麗川関係では『日高町史 民俗編』(日高町 平成1年刊)によると、市内の1武幡横手神社、2諏訪神社、3高麗神社、4野々宮神社、5女影の5か所の獅子舞が報告されている。横手の1武幡横手神社の獅子舞では
   1 この宮は角の柱で白金で 社壇黄金で宮が輝く
   2 千早ふる神の御末に夢さめて 阿吽の二字聞くぞ喜ぶ
   3 この町はたてが十五里よこ七里 入りはよく見て出はに迷うな
   4 この町は諸国の人のお立会い おどりながらも心はずかし
   5 日は暮るる 道の根笹に露もちて いとま申すぞ いざや獅子どのの5番であり、栗坪の2諏訪神社の獅子舞では
   1 この街は 縦が十五里 横七里 入端はよく見よ 出端に迷うな
   2 この寺は 九間八ツ棟 檜肌葺 落つる木の葉は 棟に止まらむの2番が挙げられている。新掘の3高麗神社の獅子舞では、1と同じ
   1 この宮は 角の柱で 白金で 社壇黄金で 宮が輝く
   2 千早振る 神の御末に夢さめて 阿吽の二字聞くぞ喜ぶ
   3 この町は 縦が十五里 横七里 入りはよく見て 出はに迷うな
   4 この町は 諸国の人のお立会い おどりながらも心恥かし
   5 日は暮るる 道の根笹に露もちて いとま申すぞ いざや獅子どのの5番で、野々宮の4野々宮神社の獅子舞では
   1 このまちは たてが十五里 横七里 入りはよく見て 出はに迷うな
   2 この宮は かくの柱に しらかねで さざん黄金で宮が輝く
   3 この獅子は 花の心に うちほれて 獅子の心は いつも宮花
   4 この仲立ちは 京の生まれの 伊勢育ち 腰にさしたは 伊勢のおはらい
   5 日は暮れる 道の根笹に 露ふれて いとま申していざや帰らん
   6 巡り来て これのお座敷 眺れば みがきそろえし 槍が五千本
   7 この槍を かついで 出た時は 安房も上総も 皆これのご知行の7番を歌う。女影の5女影の獅子舞では、女獅子隠しに唄が入る。

 獅子舞唄からみると違いが大きいが、獅子頭についているタテガミに細い紙を用いている点では、2 諏訪神社・3 高麗神社・4 野々宮神社の獅子頭と共通するするし、1 武幡横手神社や5女影の獅子頭も切り込みが入った細い紙をつけている。この点は、鉄の獅子舞と共通する。

 ただ青梅市沢井の獅子舞を伝播した山梨県北都留郡丹波山村丹波の獅子舞は、沢井との唄を比較すると大きな違いがみられる。長い年月にわたる伝承で周囲の獅子舞の影響を受けたり、口伝えで歌詞の変化がみられたり、中には歌われなくなった唄もあって唄に違いが出てきている。したがって単純に獅子舞唄のみでは、出自を明らかにはできないが、1つの目安になるかもしれない。
             〔初出〕『平成9年の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成9年刊)所収
◎ 鉄の獅子舞2
 10月第1日曜日は、神奈川県横浜市若葉区鉄町・鉄神社例大祭で鉄古典獅子舞保存会の獅子舞が奉納される。かつては、祭礼が10月9日に行われていた。
 この獅子は江戸時代初期に鉄で悪病がはやり、その悪魔払いに獅子舞を舞ったのが始まりという。獅子舞の伝播は不明であるが、東京都府中市是政(廃絶)、あるいは川崎市多摩区菅か埼玉県の高麗川(現在の日高市)から伝えたとの伝承が残っている。

 獅子舞連中の道行は、午後「桐陰学園入口」のバス停付近を出発して、20分はどかけて鉄神社につく。金棒2人が先頭にたち、次いで法螺貝2人、以下万灯2基(ここでは「花籠」と呼んでいる)・ヒョットコ・天狗・剣獅子・ネジリンボウ・女獅子・笛方4人・ササラ摺り4人の順に並ぶ。
 獅子は、金色の剣角2本をつける剣獅子と黒のネジレ角2本のネジリンボウの2匹の男獅子宝珠の女獅子の3匹で構成される。獅子頭はいずれも黒塗りで女獅子はお歯黒である。頭には緑地に白の唐草模様の水引幕をつける。
 獅子は、絣の上衣に柄のタッツケで縁取りのある手甲をつけ白足袋にワラジをはく。腹に黒の三つ巴紋を描く太鼓をつけ、手にバチをもつ。

 ササラ摺りは4人の婦人が担当、揃いのユカタに各自の帯びを結んで、白足袋に藁草履をはく。頭にかぶる花笠でピンクの無地の水引幕をさげる。手にするササラは、1方が刻みのある木製で、他方が先割れの竹で作られている。
 天狗は黒のシャグマをつけて天狗面をかぶって長い白鉢巻きをしめ、ヒョットコと同様な衣装である。右手に剣、左手に御幣をもち、腰に瓢箪や盃、煙草入れをさげる。
 ヒョットコは手拭いを頬被りしてヒョットコ面をつける。模様の上衣に揃いのタッツケをつけ、赤の綿入りのタスキをかける。縁取りのある手甲をつけ白足袋にワラジをはく。右手に軍配をもち、腰に瓢箪や盃をさげる。

 笛方は、鳥追笠をかぶって紺の腹掛けと股引きに揃いハンテンをはおり、黒足袋に黒緒の草履をはく。笛は、6つ孔の5本調子である。唄方は、法螺貝を兼ねる。
 金棒と法螺貝、万灯は紺の腹掛けに紺の股引きをつけ、揃いのハンテンをはおり、黒足袋に黒緒の草履をはく。ハンテンは紗綾形の模様で、両襟には白地で「くろがね」、背中には赤地の丸に「はやし」の名入りである。

 神社についた獅子舞連中は右側に剣獅子とネジリンボウ、左側に天狗女獅子が並び、外側に唄方と笛方、ササラ摺りが一列にたつ。獅子舞は、前半と後半の2部からなり、中間で休みをとる。後半には女獅子隠しの場面があって、女獅子をめぐって男獅子の争いがある。演技が終わると道行に移る。

 獅子舞唄は13番があり、最初の唄が「これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる」、途中に「思いもよらぬ朝霧が降りてな そこで女獅子が隠されたよな」や「なんぼ女獅子が隠れてもいつか一度は廻り合うよな」「嬉しやな風に霞を吹き上げて 女獅子男獅子が肩を並べた」の女獅子隠しの唄が歌われ、最後が「日は暮れる道の根笹に露がいる お暇申していざ帰ろうかな」である。

            〔初出〕『まつり通信』第452号(まつり同好会 平成10年刊)所収
◎ 鉄獅子舞文献目録
中村 亮雄「鉄の獅子舞」『郷土よこはま』第7号14〜15頁 横浜市図書館郷土資料室 昭和33
     年刊志村 富次『鉄の獅子舞』 同人 昭和35年刊戸倉英太郎『権現堂山』181・183〜185・191〜211頁 さつき 昭和36年刊永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』293〜295頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊小林 梅次「鉄の獅子舞──横浜市港北区鉄町上鉄」『民俗』28号 相模民俗学会 昭和 年刊小林 梅次「鉄の獅子舞」相模民俗学会編『神奈川の民俗』272〜277頁 有隣堂 昭和43年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能案内』10・19頁 神奈川県教育委員会 昭和
     46年刊横浜市教育委員会『港北ニュータウン地域内文化財調査報告』105頁 同会 昭和47年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』76・100〜10
     1頁 神奈川県教育委員会 昭和48年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県の民俗芸能案内』10・19頁 神奈川県教育委員会 昭和
     51年刊熊谷 肇他「再成するか 鉄の三匹獅子『かながわの民俗芸能』第20号30〜31頁 神奈川県民
     俗芸能保存協会 昭和52年刊神奈川県県史編集室『神奈川県史 各論編5 民俗』872頁 神奈川県 昭和52年刊吉田 智1『獅子の平野 民俗写真集 フォークロアの眼5』122〜123頁 国書刊行会 昭和
     52年刊横浜市教育委員会文化財課『横浜の文化財 横浜の民俗芸能』49頁 同会 昭和61年刊横浜市教育委員会「横浜の民俗芸能」『横浜の文化財』 同会 昭和61年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・311・335〜337頁 錦正社昭和62
     年刊神奈川県祭礼研究会『祭礼事典 神奈川県』概説・52〜53頁 桜楓社 平成4年刊吉村 俊介『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』59〜67・113・115・
     121頁 宮の橋社 平成4年刊荒井 俊明『鳥屋の獅子舞──一人立三頭獅子舞』64・65頁 同人 平成5年刊港北ニュータウン郷土誌編纂委員会『都筑の民俗』698〜702頁 同会 平成5年刊石川 博司『平成九年の獅子舞巡り』102〜109頁 多摩獅子の会 平成9年刊峰岸三喜蔵『獅子の詩−日本の三匹獅子舞』170頁 けやき出版 平成10年刊石川 博司「鉄の獅子舞」『まつり通信』第452号2頁 まつり同好会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』53〜60・81〜82頁 多摩獅子の会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り・』1〜5頁 多摩獅子の会 平成12年刊神奈川県立歴史博物館『かながわの獅子舞 獅子頭の世界』8・9・55・69頁 同館 平成17年
                『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追録
 牛込の獅子舞1
 10月10日は体育の日、この日が横浜市青葉区新石川1丁目・驚神社の例大祭で牛込獅子保存会の獅子舞が奉納される。前日の9日午後には、同区あざみ野1丁目にある牛込の谷戸宮・神明社の祭礼でみられる。この牛込の獅子舞は、平成3年11月1日に横浜市無形民俗文化財に指定された。

 江戸時代には、神明社(あざみ野1丁目30番3号)の祭礼が7月15日(旧暦)であったといわれる。明治初年に新暦が採用されてから9月14日の宵宮、15日の本祭りに変わった。大正2年に驚神社が石川の鎮守となり、その祭礼が10月9日に決まったことを受けて、神明社の祭礼も驚神社の宵宮に当たる10月8日に変更された。牛込の獅子舞は、神明社以外ではそれまで舞われなかったが、これを機に驚神社に初めて奉納された。さらに昭和49年からは、神明社が10月9日、驚神社が10月10日(体育の日)と現行の日取りになった。

 平成9年10月10日(金曜日)は、牛込の獅子舞の見学に驚神社(新石川1丁目24番9号)を訪ねる。神社についたのは午前11時32分、境内には次のような市指定の獅子舞の説明板がみられ
   る。横浜市指定無形民俗文化財
    牛込獅子舞       
               平成三年十一月一日指定/保存団体 牛込獅子保存会
               行われる時期 十月九日 緑区あざみ野一丁目三〇番三号 神明社
               及び場所   十月十日 緑区新石川一丁目二四番九号  驚神社
    牛込獅子舞は、関東・東北・信越地方に分布する一人立ち三頭獅子舞の横浜における代表的
   存在です。約三〇〇年前、元禄年間の悪疫流行の際に始まると伝えられています。丘陵を隔て
   た川崎市高津区初山の獅子舞と芸態や歌詞が酷似しており、十八世紀中頃に移入されたものと
   推定されます。
    獅子頭は三個で、剣角と巻角を持つ雄獅子二個と宝珠を頂く雌獅子一個とからなり、鶏の毛
   で飾り、赤い布を垂れます。武蔵野一帯に分布する頭と同系に属します。
    舞3人は裁著・白足袋・草履ばきで、締太鼓を胸につけ、バチを打ちながら舞います。その
   他に、はい追い(幣負い)、ササラ子、万灯持、小万灯持の各役が加わります。
    以上の役につくものは牛込地区で生まれた成年までの男子に限られ、獅子役の三人とはい追
   いは長男の役とされています。この他にホラ貝三人、笛数人、歌上げ数人は大人で、牛込地区
   の古老があたります。
    当日は獅子宿で支度をして、道行の曲に合わせて神社まで練って行き、神前に祭詞を述べて
   から、曲に合わせて3角形になったり、一列になったり、また円形になって舞います。わが国
   で、わが国で、雨が降るげで、雲が立つ、おいとま申していざ帰られる。と祭神に舞い終りの
   挨拶をします。                           横浜市教育委員会

 5日に行われた鉄の獅子舞で牛込の獅子舞連中に出会い、その折りに尋ねたところ10日は正午ごろから道行と聞いていた。神社の隣にある宮元自治会館の受付で牛込の獅子舞の支度をしている場所を尋ねたら、それは宮元ではなくて牛込自治会館で、その道順を教えていただいた。

 さっそく牛込自治会館(美しが丘5丁目31番14号)にむかう。正午少し前に自治会館につくと先日、鉄神社でお会いした時には名前を存じあげなかった吉村俊介さんがでて自己紹介をされた。吉村さんは、『獅子の里を訪ねて』(宮の橋社 平成4年刊)の著者である。まさかこの場所でお逢いできるとも考えていなかったし、獅子舞連中の1員として笛方だったとは予想もしていなかった。
 吉村さんから、この獅子舞の指導部長(師匠に当たる)を務める吉村春美さんを紹介された。その上に、保存会発足25周年記念誌『牛込の獅子舞』(牛込獅子保存会 平成9年刊)と『横浜の民俗音楽──牛込の獅子舞』(横浜市教育委員会 平成9年刊)のCDをいただく。地元資料なので参考になる。

 自治会館前では、午後0時7分にホラ貝がふかれ、3分間の短い舞(岡崎2回)が舞われる。17分には保木の太鼓連の太鼓台が自治会館前を通過する。この後には平川の屋台と神輿、荏子田の子供神輿と屋台、船頭の屋台、下谷の子供神輿、宮元の屋台と神輿が続いている。
 保木の太鼓台の後に牛込の獅子舞連中が並び、驚神社にむけて自治会館前を0時30分に出発する。会館から道なりにすすみ、西勝寺北側交差点を右折、その先の西勝寺西側交差点を左折して西勝寺や山内小学校の前を通過し、驚神社の手前で一休みする。
 獅子舞連中の行列は、白幣をさげた榊の枝をもってお祓いをする保存会長の平野一雄さんを先頭にし、幣負い・大万灯・ササラ摺り・小万灯・ササラ摺り・小万灯・獅子の剱角・雌獅子・巻角、この後を笛方多数がつづく。小万灯は子供の役であるが、道行では重い万灯が大人の手で運ばれる。
 獅子は、剱角2本の「剱角」とネジレ角2本の「巻角」の男獅子2匹と、宝珠の「雌獅子」の3匹である。獅子頭はいずれも黒塗り、雌獅子はお歯黒である。獅子頭には、赤無地の水引幕(地元では「のれん」とよぶ)をさげる。この水引幕は、顔の下からスリットがはいり、両横にもスリットがある。幕の正面にスリットがあるのは珍しい。獅子は、柄の上衣に柄のタッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。このワラジは、魔除として玄関脇に飾られるという。タッツケと共生地の手甲(赤の縁取り)をつけ、2本の御幣(「幣しん」とよぶ)をX字形に結んで背にさす。腹に太鼓(直径35cm、15cm幅が1個と14cm幅が2個)をつけ、手にバチ(直径2・5cm、長さ12cm)をもつ。

 ササラ摺りは2人、小学生の女装である。昭和56年から3年間は女生徒が務めた。柄の着物(元禄袖)に柄の帯をしめ、白足袋に白緒の草履をはく。着物の襟は黒のビロードで、その上にローヅ色の手拭いを折ってかける。頭に花笠をのせ、手にササラをもつ。花笠は、円形の笠が2つを間をおいて2段になっている。水引幕は長さ17cmの赤無地の布をたらす。下の笠(白)の直径が46cm、上の笠(赤)の直径が28cmで、笠の総高が61cmである。2つの笠の間に藤、上の笠の上に桜、さらにその上にボタンの作り花をつける。ササラは、刻みのはいった木製(直径2cm、長さ33cm)と先割れの竹製(直径2cm、長さ33cm)である。木製のもう1本は、直径が2.5cmである。
 幣負いは頭に茶色のシャグマをかぶり、柄の尻切りハンテンに獅子と同じタッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。獅子と同じ手甲をつけ、綿入りの赤タスキをかけ、手に小さな軍配をもつ。背には幣しんをさす。

 笛方は十数人と多く、唄方を兼ねるから全ての唄の時に笛の伴奏がない。服装は洋服に靴で、濃紺の無地の揃いのハンテンをはおる。両襟には、紺地に白抜きで「牛込獅子保存会」の名入りである。笛は、6つ孔の5本調子である。
 大万灯持ちは1人、ローズ色の手拭いを前結びの鉢巻にし、尻切りの柄のハンテンを同じ生地の紐を結び、柄の脚絆、白足袋にワラジをはく。ハンテンは、ササラ摺りと同じ生地をつかい、黒ビロードの襟で、裾を赤で縁取りする。大万灯は、直径6尺の傘に60本の桜の造花をつけている。2.5mの重さという。

 小万灯持ちは2人、頭にローヅの手拭いを前結びにしめ、黒ビロードの襟の元禄袖の着物を共生地の紐でとめ、白足袋に白緒の草履をはく。着物の生地と柄は、ササラ摺りの着物・大万灯の尻切りハンテン・獅子の背衣と共通である。小万灯は、花差し棒と灯明箱に桜40本とボタン7本の造花をさし、灯明箱の四面に「御祭禮」「五穀成就」「牛込谷子供 連中」「天下泰平」の文字、箱下の正面に「小学國語読本 巻一」の金色の本と「小学國語読本 巻二」の銀色の本をつける。5kgの重さという。

 幣負いは、道行でかついでいた榊の小枝をさした朱の酒樽2個を先端につけた竹を再びかついで、午後1時19分に指導部長と古老1人共に神社にむかう。3人が酒樽を神前に供えてから28分に戻って、獅子舞連中の支度もできていて行列に加わって、神社にむかう道行が30分から始まる。
 獅子舞連中が神社に到着したのが1時39分、40分に獅子舞の岡崎の笛が始まると、社殿の前で幣負いと大万灯が所作をしてから、大万灯が「鎮守再拝再拝 雄名も高き驚大明神本日御祭礼に相渡り 五殻成就かかる泰平の御世 殊に天晴なる天気にて 氏子共恐悦奉る 氏子繁盛と感応敬って申す」の口上(祭詞奏上)となるが、獅子の写真を撮るのに気をとられていて口上に気付かなかった。

 獅子舞は、岡崎・入庭・御舞(5笛跳)・舞つめの順に舞って中入り(休憩)となる。この間12分の演技である。この休憩の間に舞い手の記念撮影がある。舞場の中央に花ゴザを2枚敷いて幣負いと雌獅子、剱角と巻角が向かいあって座り、2時26分から獅子舞が再開される。こうれい・ヒーヒャリコ・二の宮の・ヒーヒャリコ・おしかもが・ヒーヒャリコ・三笛跳・思いも寄らぬ・トートーヒーホ・三笛跳・あらいいわれぬ・トートーヒーホ・三笛跳・うれしやな・トートーヒーホ・奥山の・トートーヒーホ・一笛跳・わが国で・トートーヒーホ・舞さがりの順に舞って獅子舞を終わる。獅子舞が終わったのが3時18分、後半の演技時間は52分、前半と合わせて64分である。19分にホラ貝がふかれ、舞場から宮元自治会館前までの道行となる。

 獅子舞唄は、中入りまでの前半には歌われず、後半の冒頭から次の順に歌われる。なお唄の上部の数字は歌い始める時刻、丸数字は順番をしめす。
   2:26 1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる
   2:27 2 2の宮のおそめ河原の岸にこそ しくせの結びの神のたたりよ
   2:31 3 おし鴨が海のとなかへ巣をかけて 波にゆられてばんと立ちそよ
   2:43 4 思いもよらぬ思いもよらぬ これのお庭へ朝霧が降りて
           そこで雌獅子が隠されたよな そこで雌獅子が隠されたとな
   2:53 5 あらいいわれの雌獅子殿 岩の間に巣をかけて
           岩を砕いて雌獅子を尋ねる 岩を砕いて雌獅子を尋ねる
   3:04 6 嬉しやな嬉しやな 風に霞を吹き上げて
           雌獅子雄獅子が肩を並べる 雌獅子雄獅子が肩を並べる
   3:07 7 奥山の松山の松にからまる蔦の実も
         縁が尽きればほろりほごれる 縁が尽きればほろりほごれる
   3:13 8 我が国で我が国で 雨が降るげで雲が立つ
           お暇申していざ帰られる お暇申していざ帰られる

 牛込では、元禄年間に八王子方面から獅子舞を伝承したという言い伝えがある。八王子には現在、美山・小津・原・狭間・田守・今熊・四谷・石川の8か所で獅子舞が伝承されている。その中で牛込の獅子舞唄に近い狭間の唄をみると
   1 これのお庭に来てみれば 小金小草が足にからまる(牛込の1)
   2 山がらが山に離れてやつづれて これのお庭に羽根を休めた
   3 この獅子は悪魔を祓う獅子なれば 腰にさしたは伊勢のお祓い
  4 思いもよらぬ朝霧がおりて そこで女獅子が1寸隠された(牛込の4)
      天竺のあいの染川のはたにこそ しうくせ結びの神のたゝりだ(牛込の2)
   5 しうくせ結びの神なれば 女獅子男獅子を結び合わせろ
   6 嬉しやな風に霞を吹き上げて 女獅子男獅子が肩を並べた(牛込の6)
  7 なりを静めてようお聞きやれ 森も林も鶯の声
  8 奥山の松にからまる蔦の実も 年が尽きればほろりほごれる(牛込の7)
   9 わが里は雨が降るげに雲がたつ ささら早めて引きなかけろ(牛込の8)の9番である。狭間から伝授された原も、一部順序が異なるが同じ唄である。

 この狭間や原の唄よりも神社の説明板や地元の吉村俊介さんが指摘しているように、10月第1日曜日に行われる菅生神社(川崎市宮前区菅生2丁目)の例大祭で奉納される初山の獅子舞で歌われる
   1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる
   2 この宮のあそめ河原の岸にこそ しくす結びの神のたたりよ
   3 鴛鴦、鴨が沖のとなかへ巣をかけて 波にゆられてばんと立ち
   4 思いもよらぬ思いもよらぬ これのお庭へ朝霧が降りて
       そこで女獅子が隠されたとな そこで女獅子が隠されたとな
   5 あらがゆわれの男獅子殿が 岩の間に巣をかけて
       岩を砕いて女獅子を尋ねる 岩を砕いて女獅子を尋ねる
   6 嬉しやな嬉しやな 風に霞を吹き上げて
       女獅子男獅子が肩を並べる 女獅子男獅子が肩を並べる
   7 奥山の松山の 松にからまる蔦の木も
       縁が尽きればほろりほごれる 縁が尽きればほろりほごれる
   8 我が国に我が国に 雨の降るきに雲が立つ
       お暇申していざ帰らしょな お暇申していざ帰らしょなの8番の獅子舞唄が共通している。牛込と初山の唄を比較してみると、たとえば2の「2の宮」が「この宮」、8の「帰られる」と「帰らしょな」のように細部に違いがみられるが、根本は同じ唄である。この違いは口伝えで歌われている間に生じたものであろう。

 牛込も初山も、共に獅子舞が前半と後半の二部構成になっている。初山の場合には後半の舞の初めの部分(1から3の唄まで)で蠅追(天狗)が獅子を巻き込んでサイコロ博打をやるシーンがある。その時に多くの観客からオヒネリが投げ込まれ、これを元手に丁半が始まる。この辺に両所の演出の違いがみられる。また女獅子を争う場面でも違いがある。さらに初山では、菅生神社の舞場が土俵を設けてその上で舞う。

 牛込と初山では詞を重ねている獅子舞唄が3つみられるが、たとえば奥多摩町の大丹波の獅子舞唄(青梅市高水山や埼玉県名栗村下名栗も同じ)をみると、同じ唄を
   思いもよらぬに朝霧が降りて そこで女獅子が隠された(牛込の4)
   我が国は雨が降りそで雲が立つ お暇申していざや友達(牛込の8)と歌っているし、奥多摩町氷川・大氷川の場合は
   うれし山霧と霞をかきわけて 男獅子女獅子が肩をならべた
   思いもよらぬ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されましたと歌い、同町氷川・小留浦でもほぼ同じ唄である。
ついでながら牛込の3を小留浦では
   海のとなかの浜千鳥 波にゆられてぽいとたちそろ(大氷川も同じ)である。この唄を奥多摩町氷川・栃久保では
   海の沖の浜千鳥 波にゆられて1寸立ちそろと歌う。
他の唄の場合も同じであるが、同じ内容の唄が各所で歌い方の細部に違いがみられる。奥多摩町の川井(同町境も同じ)の場合は
   白鷺が白鷺が金のかけ橋くわい出て これのおせどの みくらぎに住む
   みくらぎがみくらぎが枝は幾つと申そうならば 枝は九つ 葉は十五、六
   十五、六が十五、六が花に黄金が咲くならば これのおせどは 名所なるもの
   立つ鷺が立つ鷺が跡をはずして水をまく お庭ならさで立て友達
   影と霞と影と霞と影も霞も巻き上げて 女獅子男獅子がぱっと立ちそろ
   切りを切りをと攻められて 今の拍子を切り返さいな 又も切るのは三拍子よな
   隠す隠すと思えども ついに一度は尋ね合うもの
   嬉しやな嬉しやな霧も霞も巻き上げて 女獅子男獅子が肩を並べる(牛込の6)と比較的に詞を重ねているが、大丹波と同様に次の2番は
   思いもよらぬ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな(牛込の4)
   我が国で雨が降りそで雲が立つ お暇申していざ帰えらいな(牛込の8)と詞を重ねずに歌っている。
 牛込の場合も女獅子隠しがテーマであるので、西多摩地方の「女獅子隠し」の中から2つどのような獅子舞唄が歌われているかをしめそう。
青梅市長淵の鹿舞では、小組の「女獅子隠し」、中組の「花踊り」、大組の「竿掛り」の3つの演目があり、その中の「女獅子隠し」では
   1 京から下りた唐絵の屏風 一重にさらりと引きまわさいな
   2 廻れや車水車 遅く廻りて関に止りな
   3 一つ跳ねろやきりぎりす 続いて跳ねろや秋のはおたれ
   4 思いもかけぬに朝霧がおりて そこで女鹿が隠されたよな(牛込の4参照)
   5 霧に女鹿が隠されて 岩を砕いて女鹿尋ねろ(牛込の5参照)
   6 天竺天のあいそめ河原のはたにこそ しゅくせ結びの神立たれよ
       まことのしゅくせの神ならば 女鹿男鹿を結び合せろ(牛込の2参照)
   7 鹿島のお浜は群がる雀 羽先を揃えて切り返さえな
   8 立つ鷺も跡を惜しめば立ちかねる 水をならさで立つか白鷺
   9 日が暮れる道の小芝に露が浮く お暇申していざ帰いらいなの9番を歌う。
長淵の4と6は奥多摩町海沢の獅子舞でも歌う。
 また、あきる野市山田の獅子舞では、「藤掛り」「三拍子」「花掛り」「女獅子隠し」「竿掛り」があり、「女獅子隠し」では
   1 廻れや車廻れや車 車の如くに引きまわさよな
   2 まいり来て是の御庭を見もうせば 黄金小草が裾にからまる
   3 思ひもよらぬに朝霧がおりて そこで女獅子が隠されたよな(牛込の4参照)
   4 嬉しやの風が霞を吹き上げて 女獅子男獅子の肩をならせろ(牛込の6参照)
   5 日も暮れる獅子の女笹に露がおりる お暇申していざかいらいなの4番を歌っている。

 獅子舞に参加するには、獅子舞連によっていろいろな制約がある。牛込の場合には、獅子舞は牛込生まれの青年男子に限られ、獅子と幣負いは長男の役目であるという。他の場所でも、かつては長男に限るという制約があったが、獅子舞の希望者が減るにおよんで、多くの所でこうした制約がなくなる傾向である。
   〔参考文献〕
   牛込の獅子舞編集委員会編『牛込の獅子舞──保存会発足二十五周年記念誌』 牛込獅子保存
             会発行 平成9年刊
             〔初出〕『平成9年の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成9年刊)所収
◎ 牛込の獅子舞2
 平成12年10月7日(土曜日)は、横浜市緑区の牛込の獅子舞を訪ねる。このは、日高市野々宮の獅子舞を見学する予定であったが、本祭りの8日(日曜日)に野々宮神社で獅子舞が行われることを確認したが、前日の宵宮の獅子舞についてはあやふやであった。そうした時に、豊島区の斉藤醇さんからご連絡をいただいて、牛込の獅子舞が7日に神明社(あざみ野1丁目30番3号)、8日に驚神社(新石川1丁目24番9号)で行われることを知って急遽、予定を変更して神明社を訪ねる。

 この牛込の獅子舞は、平成9年10月10日(金曜日)の体育の日に見学している。しかし前日の9日(木曜日)に行われた神明社の舞はみていなかった。そうした訳で、あざみ野に出掛けたのである。今年は、体育の日が10月10日から10月第2月曜日に変更になったために、それに伴って体育の日にこれまで行われていた獅子舞が祝日前日の日曜日と日取りとなった。この牛込の獅子舞もその1例で、青梅市内でも野上と大蔵野の2か所が10日から日曜日に変わった。

 斉藤さんのご連絡によると午後4時から5時とあった。時間の余裕をみて家を出たので神明社についたのが午後2時50分、鳥居前に立てかけられた看板には3時から公開とある。これならすぐに獅子舞が始まるものと思っていたところ、実際に獅子舞が始まったのは3時30分を廻っていた。
 3時20分頃に鳥居のところに行くと、笛の音が聞こえてくる。獅子宿では、出発前の岡崎(3分間の短い舞)が舞われているのだろう。獅子舞連中は、獅子宿の牛込自治会館(美しが丘5丁目31番14号)から出発すると聞いたので、会館を目指して進む。25分には、会館を出たばかりの獅子舞の1行に出会う。牛込の獅子舞を示したトラックは、道行の先頭で囃子を録音したテープを流しながら連中を先導する。

 獅子舞連中の行列はトラックの後を白幣をさげた榊の枝をもつ方を先頭にし、幣負い・大万灯・ササラ摺り4人・小万灯・獅子3人(剱角・雌獅子・巻角の順)が続き、この後に笛方多数がつく。道行は、神社の手前約100mのところで一旦止まり、幣負いが一行を待たせて朱の酒樽2個をかついで古老と共に神社にむかう。幣負いは、神前に酒樽を供えてから行列に戻って、獅子舞連中の道行が再開される。
 獅子は剣角2本の「剣角」とネジレ角2本の「巻角」の男獅子2匹、それに宝珠をいただく「雌獅子」が加わり3匹である。獅子頭はいずれも黒塗りで、雌獅子はお歯黒である。獅子頭には、地元で「のれん」と呼んでいる赤無地の水引幕をさげる。この幕は、前面と両横の3か所にスリットがはいる珍しいもので、背衣(後述)の上に後ろで結び合わせる。頭に続くタテガミの部分に背衣(セゴロモ)という布がつく。縦に唐草の模様と鳳凰かボタンの花柄が交互に染められたもので、この生地と柄がササラ摺りの着物や幣負いや万灯のハンテンと共通する。この柄の生地は、特注で1回に3反まとめて作るそうである。獅子は横に丸の連続する柄の上衣に横波を感じさせる柄のタッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。赤で縁取りしたタッツケと共生地の手甲をつけ、「幣しん」と呼ぶ御幣2本を組んで背にさす。腹には太鼓をつけ、手にはバチをもつ。

 ササラ摺りは2人、小学生の女装である。前記の柄の着物(元禄袖)に柄の帯をしめ、白足袋に白緒の草履をはく。着物の襟は黒のビロードで、その上にローズ色無地の手拭いを折ってかける。円い笠が間をおいて2段になる花笠を頭にのせ、手にササラをもつ。2つの笠の間に藤、上の笠の上に桜さらにその上にボタンの飾り花をつける。笠には赤無地の水引幕をつける。ササラは、刻みのはいった木製と先割れの竹製である。
 幣負いは頭に茶色のシャグマをかぶり、前記の柄の尻切りハンテンに獅子と同じ上衣とタッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。獅子と同じ手甲をつけて綿入りの赤タスキをかけ、手には表裏に日天と月天を配する小さな軍配をもつ。背には幣しんをさす。道行では、榊の小枝をさした朱の酒樽2個を先端につけた竹をかついぐ。
 笛方は十数人と多く、全員が唄方を兼ねるから全ての唄の時に笛の伴奏がない。服装は洋服に靴で濃紺無地の揃いのハンテンをはおる。揃いといっても細かくみると、生地が紬と平織りとがある。両襟には、紺地に白抜きで「牛込獅子保存会」の名入りである。笛は、6つ孔の5本調子である。

 大万灯(笠鉾)持ちは1人、ローズ色の手拭いを前結びの鉢巻にし、膝上の長さのハンテンを同じ生地の紐を結び、獅子のタッツケと同じ横柄の脚絆、白足袋にワラジをはく。ハンテンは、ササラ摺りと同じ生地をつかい、黒ビロードの襟で、裾を赤で縁取りする。大万灯は、直径6尺の傘に桜の造花をつけている。
 小万灯持ちは2人、頭にローヅ色無地の手拭いを前結びにしめ、黒ビロードの襟がついたササラ摺りと同じ元禄袖の着物を共生地の紐でとめ、白足袋に白緒の草履をはく。小万灯は、花差し棒と灯明箱に桜とボタンの造花をさし、灯明箱の四面に「御祭禮」「五穀成就」「牛込 子供 連中」「天下泰平」の文字、箱下の正面に「小学國語読本 巻一」の金色の本と「小学國語読本 巻二」の銀色の本をつける。

 獅子舞連中が神社に到着したのが3時30分、35分に岡崎の笛が始まると、社殿前では、幣負いと大万灯が所作をする。その後で大万灯が「鎮守再拝再拝、雄名も高き神明社本日御祭礼を相渡り、5殻成就かかる泰平の御世殊に天晴なる天気にて、氏子共恐悦奉る、氏子繁盛と感応敬って申す」の口上(祭詞奏上)を述べる。
 神明社の舞場は、拝殿の前に横が4mで縦が3mほどのセメント製の平場である。獅子舞は、3時40分から15分間が前半のの演技で、岡崎・入庭・御舞(五笛跳)・舞つめの順に舞って休憩(中入り)となる。舞場には、ゴザが敷かれて獅子頭や花笠などが飾られ、役者たちの記念撮影がある。役者たちは、この休憩の時間を利用して配られた菓子やジュースを飲食する。

 中入りの後は、舞場の中央に敷れたゴザ2枚に幣負いと雌獅子、剣角と巻角が向かいあって座り、4時25分から獅子舞が獅子舞唄と共に再開される。こうれい・ヒーヒャリコ・二の宮の・ヒーヒャリコ・おしかもが・ヒーヒャリコ・三笛跳・思いも寄らぬ・トートーヒーホ・三笛跳・あらいいわれぬ・トートーヒーホ・三笛跳・うれしやな・トートーヒーホ・奥山の・トートーヒーホ・一笛跳・わが国で・トートーヒーホ・舞さがりの順に舞う。獅子舞が終わったのが5時24分、後半の演技時間は59分、前半と合わせて74分である。25分にホラ貝がふかれ、舞場から牛込自治会館までの道行となる。

 獅子舞唄は中入りまでの前半には歌われず、後半の開始から次の順に8番の唄が歌われる。なお唄の上部の数字は歌い始める時刻、数字は順番をしめす。
   4:25 1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる
   4:27 2 二の宮のおそめ河原の岸にこそ しくせの結びの神のたたりよ
   4:30 3 おし鴨が海のとなかへ巣をかけて 波にゆられてばんと立ちそよ
   4:44 4 思いもよらぬ思いもよらぬ これのお庭へ朝霧が降りて
            そこで雌獅子が隠されたとな そこで雌獅子が隠されたとな
   4:54 5 あらいいわれの雌獅子殿 岩の間に巣をかけて
            岩を砕いて雌獅子を尋ねる 岩を砕いて雌獅子を尋ねる
   5:08 6 嬉しやな嬉しやな 風に霞を吹き上げて
            雌獅子雄獅子が肩を並べる 雌獅子雄獅子が肩を並べる
   5:12 7 奥山の松山の松にからまる蔦の実も
            縁が尽きればほろりほごれる 縁が尽きればほろりほごれる
   5:18 8 我が国で我が国で 雨が降るげで雲が立つ
            お暇申していざ帰られる お暇申していざ帰られる

 前回見学した驚神社の歌い始めの時刻と比べると、驚神社が2時26分から始まり、今回が4時25分と2時間のずれがあるにしても、1から5まではほぼ1分前後の違いである。それが6では3分、7では4分、8では5分と差が開いている。

 この獅子舞は、翌8日に驚神社で舞われる。今年は、当日に飯能市長沢・阿寺の獅子舞を予定しているので、残念ながら見学できない。夕暮れの道をあざみ野駅に向かう。
             〔初出〕『神奈川の獅子舞巡り2』(多摩獅子の会 平成12年刊)所収
◎ 牛込獅子舞文献目録
横 浜 市「驚神社の祭禮」『横浜市報』第651号 同市 昭和14年刊永田 衡吉「神奈川県の無形文化財総覧」『神奈川県文化財調査報告書 第21集』308頁 神奈
     川県教育庁社会教育課 昭和29年刊戸倉英太郎「石川の獅子舞」『都築の丘に拾う』 戸倉未放 昭和30年刊永田 衡吉「無形文化財集録(2)」『神奈川県文化財調査報告書 第23集』253・285〜2
     86頁 神奈川県教育庁社会教育課 昭和32年刊戸倉英太郎『権現堂山』176〜191・194・203・206〜207・209頁 さつき 昭
     和36年刊吉村  勲『元石川町牛込の獅子舞』頁 昭和36年刊永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』290〜293頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能案内』10・19頁 神奈川県教育委員会 昭和
     46年刊横浜市教育委員会『港北ニュータウン地域内文化財調査報告』104〜105頁 同会 昭和47年刊相原  純『写真集 神奈川のまつり』111・138頁 萬葉堂書店 昭和47年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』76・99〜100
     頁 神奈川県教育委員会 昭和48年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県の民俗芸能案内』10・19頁 神奈川県教育委員会 昭和
     51年刊神奈川県県史編集室『神奈川県史 各論編5 民俗』871〜872頁 神奈川県 昭和52年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能50選』15頁 神奈川県教育委員会 昭和52年刊永田 衡吉『かながわの祭と芸能』116頁 神奈川合同出版 昭和52年刊横浜市文化財現況調査団『横浜の文化財──横浜市文化財綜合調査報告概報(2)』144・163
     頁 同団 昭和53年刊横溝  潔「山内の歩み」『たまプラーザ新聞縮刷版・』 たまジャーナル社 昭和53年刊緑区役所社会教育係『緑区を訪ねて』27〜28頁 同係 昭和56年刊神奈川県教育庁文化財保護課『ふるさとの文化財(民俗文化財編)』59頁 神奈川県教育委員会
     昭和58年刊横浜市教育委員会文化財課『横浜の文化財 横浜の民俗芸能』口絵・48〜49・107頁同会 昭
     和61年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・311・332〜335頁 錦正社 昭和
     62年刊川 崎 市『川崎市史 別編 民俗』 同市 平成3年刊相沢 雅雄「新石川の驚神社と獅子舞」『横浜・緑区 歴史の舞台を歩く』26〜27頁 昭和書院
     平成3年刊平野 正一『牛込獅子舞保存会のあゆみ』頁 牛込獅子舞保存会 平成3年刊高橋秀雄・須藤功『祭礼行事 神奈川県』148頁 桜楓社 平成3年刊神奈川県祭礼研究会『祭礼事典 神奈川県』概説・27〜28・209・210頁 桜楓社 平成4
     年刊吉村 俊介『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』69〜79・113・115・
     121頁 宮の橋社 平成4年刊横浜市教育委員会文化財課『横濱の文化財 第2集 横浜市指定・登録文化財』 同会 平成4年度
     刊緑区史編集委員会『緑区史 通史編』口絵 同刊行会 平成5年刊荒井 俊明『鳥屋の獅子舞──一人立三頭獅子舞』61・65頁 同人 平成5年刊港北ニュータウン郷土誌編纂委員会『都筑の民俗』698頁 同会 平成5年刊牛込の獅子舞編集委員会編 『牛込の獅子舞──保存会発足二十五周年記念誌』 牛込獅子保存会発
     行 平成9年刊石川 博司『平成九年の獅子舞巡り』110〜120頁 多摩獅子の会 平成9年刊峰岸三喜蔵『獅子の詩−日本の三匹獅子舞』170頁 けやき出版 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』61〜71・83〜85・110〜112頁 多摩獅子の会 平
     成10年刊石川 博司「鉄の獅子舞」『まつり通信』第452号2頁 まつり同好会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り2』1〜5頁 多摩獅子の会 平成12年刊神奈川県立歴史博物館『かながわの獅子舞 獅子頭の世界』8・9・55・69頁 同館 平成17年
                『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追録
◎ 箕輪獅子舞文献目録     
永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』295頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊横浜市教育委員会『港北ニュータウン地域内文化財調査報告』105頁 同会 昭和47年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・337〜338頁 錦正社 昭和62年刊港北ニュータウン郷土誌編纂委員会『都筑の民俗』698頁 同会 平成5年刊神田より子「関東の獅子舞」『まつり』第42号50頁 まつり同好会 昭和55年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』86頁 多摩獅子の会 平成10年神奈川県立歴史博物館『かながわの獅子舞 獅子頭の世界』10・13頁 同館 平成17年刊9
                 『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追録
◎ あとがき
      初めて石佛調査で横浜市内を訪ねたのは昭和52年8月28日、港北区、現在の緑区で
     ある。始めから横浜市内を意識したわけではなく、川崎市や相模原市と同様に、町田市内
     の調査が越境したことから生じている。これ以後に昭和50年代に7回、60年代に1回
     平成に入っても調査が続いている。
      石佛調査に比べて獅子舞が遅いのは神奈川県内の他の獅子舞と同じで、多摩地方に重点
     をおき、東京区部を優先したためである。その結果、平成9年10月に鉄と牛込を訪ねた
     のが最初である。牛込には同12年に1度訪ねたのが、その後はご無沙汰である。今年は
     鉄の獅子舞が川崎市初山の日取りと同じ、牛込も青梅市成木・大蔵野の獅子舞と重なって
     いるので断念する。来年以降に再訪を考えている。
      本書に掲載したのはこれまでに発表したもの、それぞれ文末に初出誌を示している。な
     お鉄・牛込・箕輪の3か所の「獅子舞文献目録」は『神奈川の獅子舞巡り』の収録分にそ
     の後に発表された文献を追録して現状に合わせた。出来るだけ補った積もりであるが、こ
     こに洩れた文献がある。ご存じの方はご教示をお願いしたい。
      ともかく牛込獅子舞の吉村俊介さんを始め、鉄や牛込の獅子舞保存会の方々など多くの
     方々にいろいろとお世話になった。末筆ながらお礼申し上げたい。本書が少しでもお役に
     たてば幸いである。
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                            横浜の獅子舞を訪ねる
                            発行日 平成17年8月10日
                            TXT 平成17年10月11日
                            著 者 石  川  博  司
                            発行者 多 摩 獅 子 の 会
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