石 川 博 司  著    
川崎の獅子舞を訪ねる 
   目次
小向の獅子舞       小向の獅子舞を訪ねる  小向獅子舞文献目録
菅の獅子舞        菅の獅子舞を訪ねる   菅薬師堂の獅子舞
菅獅子舞文献目録     
初山の獅子舞      初山の獅子舞を訪ねる   初山獅子舞文献目録    
日本民家園の獅子舞   
あとがき
◎ 小向の獅子舞
 平成9年8月10日は8月第2日曜日、神奈川県川崎市幸区小向西町3丁目・八幡神社で小向の獅子舞が奉納される。昔は小向が一つであったが、現在では人口も増して小向町・小向西町・小向仲野町の3つの町会に分かれている。それぞれの町会が祭礼行事を行っているが、獅子舞は小向町が担当し、舞う場所は神社のある小向西町である。

 東芝の小向工場に面した大通りには祭り提灯もなくて、お祭りの雰囲気がまったく感じられない。今日も日取りを間違えたのかなと一瞬思った。大通りから横町を入ったところで神社の方角からお神楽の囃子が聞こえ、どうやらお祭りの感じがしてきた。獅子舞は午後からだろうと、小向西町の八幡神社についたのが午後0時30分であった。

 神社の境内は静かで、テープの神楽囃子が流れるだけである。ちょうど社務所から出てきた婦人に獅子舞は何時からですかと尋ねたところ、獅子舞は午前9時からでもう終わりましたという。折角ここまできて収穫もなく帰るのかと思っていると、その辺を察したのか婦人が夜の9時に小向会館で獅子舞をやりますよ、と助け舟をだしてくれた。神社での獅子舞は、来年まで待たなければならないとしても、小向の獅子舞がみられるならば夜の獅子舞に付き合うこととして、とりあえず教えられた通りの道順に従って小向町の小向会館にむかう。
 小向会館の前には広場があって、中央には盆踊りの櫓が組んである。櫓を中心に周囲には7つか8つのテントが張られ、中に大人神輿・飲み物販売・獅子頭が飾られているお仮屋・子供神輿がおかれている。寄付した人と金額を張り出す花場が入口と奥の2か所に作られている。

 お仮屋には「八幡大神」の掛軸がさげられ、その前に3匹の獅子頭が飾られている。そこで獅子舞を知っている地元の荒井さんにお話をうかがう。お祭りは、かつては9月15日に行われていたが、8月14日に変更し、さらに20年ほど前から現在の8月第2日曜日になった。獅子舞は、獅子頭が戦災で消失したために中止していたが、昭和26年に獅子頭を新造して復活した。地元の伝承では、当地の出身である顕妙院日義聖人が諸国行脚中に獅子舞を習得して、享保年間にこの小向に伝えたという。この聖人のお墓が、近くの日蓮宗・妙光寺(小向町21番)にある。

 夜の獅子舞まで時間があるので、荒井さんのお話にでた妙光寺にある日義聖人のお墓を訪ねた。本堂の横にある住職の墓地に日義聖人のお墓がみられる。墓石は山角塔(高さ46cm・幅20cm・奥行14cm)で、正面に「顕妙院日義聖人」、右側面に「宝暦八(1758)戊寅正月四日 春教法山」、左側面に「松方長松山松昌寺十五世 赤岩妙法山蓮源寺廾九世」の銘が刻まれている。

 墓の後ろには、「南無妙法蓮華経為顕妙院日義聖人 増円妙道位隣大□矣 小向獅子舞委員会」などの9本の塔婆が立っている。裏面には「随順是師學 得見性沙佛 平成九年一月十五日」と記されている。塔婆は、小向獅子舞委員会の3本、高橋貞次氏の3本、高橋正康氏の3本、いずれも平成7年から9年の3年間のもので、日付が1月15日となっている。後で聞いたところによると、この日は妙光寺の初題目だという。

 八幡神社に戻って境内をみると、次の説明板が立っている。
   小向獅子舞と八幡大神
    小向獅子舞は、享保年間(1716〜1735)に日義という僧により伝えられたといわれ
   ています。現在では、毎年八月第2日曜日に小向獅子舞保存会によって八幡大神境内で舞われ
   ます。
    この獅子舞は、二頭の牡獅子と一頭の牝獅子、軍配と御幣を持つ素面の仲立、笛、大太鼓、
   ささらなど、子供を含めた老若男女によって舞われます。前夜、出演者全員が行列で町内を一
   巡する「練込み」に始まり、当日は牝獅子をめぐって牡獅子が争うという、いわゆる牝獅子隠
   しの形式で舞われます。
    川崎市教育委員会は、この小向獅子舞を昭和三十七年三月二日、川崎市重要習俗技芸に指定
   しました。   昭和五十八年十月           川 崎 市 教 育 委 員 会
これには、演技中の「獅子舞の一場面」の写真が添えられている。

 夜は、7時から演芸があって、9時から獅子舞である。時間を見計らって8時に小向会館の広場に入る。会館の舞台は広場に面しており、地元で顔なじみの人たちが日舞・洋舞・民謡・フォークダンスなどを演ずる。演芸の時間配分もよく、午後9時に町内会長で祭典委員長の高橋さんの挨拶があって、9時4分から獅子舞が始まる。
 獅子は、大獅子と中獅子の男獅子2匹と玉獅子の女獅子1匹である。大獅子は黒毛で剣角がある黒塗りの頭で、紺の水引き幕をつける。中獅子は、黒毛で巻角がある黒塗りのの水引き幕をつける。男獅子の水引き幕は、獅子毛紋を白抜きにする。獅子の衣装は、浴衣に下部を黒で縁取りした縦縞の袴をはき、紺の手甲をつけ、白襷をかける。白足袋はだしで舞う。腹に太鼓をつけて手にバチをもつ。腰には白幣をさす。
 ササラ摺りは、小学校4年生から6年生の女子で、揃いの浴衣に帯をしめ、白足袋に紅緒の草履をはく。帯は赤と黄色が主体で、もう1色ある。舞台では草履ははかない。ピンクの襷をして、首には黄色の布(手拭い大で折り畳む)をかける。手にはササラ(長さ60cm、直径6cm・長さ43cm、直径3cm)をもつ。ここで使っているササラは、太い竹をもちい、表面に15ほど刻みをいれただけのものである。

 仲立は小学生の役目で袋頭巾をかぶり、模様の襦袢にピンクの襷をかけ、白足袋はだしである。手には、左手に御幣、右手に軍配をもつ。
 笛方と唄方は共に揃いの浴衣に角帯をしめ、白足袋に黒緒の草履をはく。ここでは、囃子方に大太鼓をうつ2人が加わるが、笛方や唄方と同様な服装である。

 獅子舞は、大獅子と中獅子とが女獅子を争う女獅子隠しがテーマである。男獅子2匹が争う場面では、女獅子は立ったままでササラ摺りが囲うようなことはなく、定位置でササラをする。獅子舞が終わったのが9時29分だから、25分の演技である。
 今回歌われた獅子舞唄は次の通りである。上部の数字は唄の開始時刻を示す。
 9:06 1 廻れよ車水車 つれて廻れよ水車
   9:07 2 詣り来て神のお庭に摺るササラ 神をいさめて氏子喜ぶ (八幡様)
   9:12 3 山雀が山にはぐれて八ツ連れて 神のお庭に羽を休める (同返し)
   9:13 4 中は香具山冨士の山 花を散らして遊ぶ友達
   9:14 5 天竺天のあいそめ河原のふちにこそ すこしや結びの神が立たれた
   9:15 6 薬師の御利生は恐ろしや 宝珠の女獅子が見える嬉しや
   9:20 7 白銀の剣の造りに刃をすげて 男獅子子獅子の愛を取る
            愛を取る あとふみ隠せ 花の友達
   9:24 8 よしきりが葦の三つ葉に巣をかけて 葦を刈られてよしをうらみる
   9:26 9 姫こだちササラを見たくばみたどをだされ みたどの上にも三拍子の拍子
   9:27 10 鹿島からきれよきれよとせめが来て 習い申そう鹿島みつぎり
   9:28 11 雨が降るやら雲は立つ お暇申していざ帰りましょ以上の他にも、ここには次の獅子舞唄がある。
   12 立つ鷺が後をあじろで立ちかねて 後を濁さで立つ白鷺
   13 思いもよらずに朝霧が降りて 宝珠の女獅子が隠された
   14 南無薬師宝珠の女獅子に会わせてたもれ 錦のみとちよをかけまいらしょ
   15 兎兎何見て跳ねる 小池の小鮒を見て跳ねる
   16 鹿島からひほし習えとせめが来て 習い申そう鹿島きりぼし
   17 山雀が刺子の中でもんどりうつ 見様見真似でいざもんどりうとうな
   18 燕のトンボ返り お暇申していざ裏山へ
   19 詣り来てこれのお堂を見申せば 何たる番匠が建てたやら
        四方締めたる楔一つ                  (お寺様)
   20 詣り来てこれのお寺を見申せば お談義あるとは夢知らず    (同返し)
        遅う詣りて後生の妨げ
   21 廻り来てこのやお家を見申せば 九間八ツ棟檜はだ葺き
        檜はだの上に生えた唐松                (名主様)
   22 この松が千年経った松ならば このやお家はめでた唐松     (同返し)
   23 廻り来てこのやお庭を見申せば 黄金真砂で足はやられぬ    (百姓代)
   24 仲立ちの腰にさしたる枝垂れ柳 枝折りたぐめていざやねまいらしょ
 2は「八幡様」の唄、3は八幡様の「返し」の唄である。同様に19と20が寺の唄と返しの唄、21と22は名主の唄と返し唄、23が百姓代の唄、24が仲立ちの唄である。ここで挙げた2〜3と19〜24は長唄、他は小唄の別がある。いずれも唄を歌う最中に笛を続けるが、長唄と小唄とでは笛が異なる。

 ここの獅子舞の特徴は、獅子も太鼓をうつが、主として2人が大太鼓を中に向かい合ってすわり、両手にバチをもって太鼓の両面をうったり、縁をうつ。またササラ摺りも、ただササラを摺るだけでなく、場面によってはササラをうっている。

 立川からJR南武線沿線には、谷保(国立市)・東長沼(稲城市)・矢野口(同)・菅(川崎市多摩区)・初山(川崎市宮前区)の順に獅子舞がみられ、土俵を舞場として舞を誘導する天狗(幣負い)がでる。もっとも、今回みたのは小向会館の舞台であるから、土俵の有無はわからないが、永田衡吉氏の『神奈川県民俗芸能誌』(昭和43年刊)によると、327頁に「境内に四本柱の土俵を作られる」とあるから、土俵を舞場とする点では共通性がある。ただ吉村俊介氏の『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』(平成4年刊)の写真(83頁)をみる限りでは4本柱は立っているが、舞場を掃き清めれてはいるもの、土俵という感じはない。小向の仲立ちが素顔である点や獅子へのかかわり方などから考えて、前記の南武線沿いの獅子舞とは伝播の系統が異なる。

 今回は歌われなかったが、「兎兎何見て跳ねる 小池の小鮒を見て跳ねる」の唄は、大田区六郷の獅子舞で歌われる「山家の兎はなに見てはねる小池の子フナを見てはねるさような」に通ずる。
 ここの獅子舞は、神社の説明板にもあるように、前日(8月第2土曜日)は夜6時から小向町の町内を獅子舞連中が「練り込み」し、9時から小向会館の舞台で舞う。翌日(第2日曜日)は、小向西町の八幡神社で午前9時から奉納舞をすませ、午後9時から再び小向会館の舞台で舞う。
             〔初出〕『平成九年の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成9年刊)所収
◎ 小向の獅子舞を訪ねる
 平成16年8月8日(日曜日)は小向の獅子舞を川崎市幸区小向西町3丁目の八幡神社に訪ねる。
川崎駅前東口のバス乗り場から市民ミュージアム行きの東急バスで「東芝前」のバス停で下車、先の横町を左折して進めば、右側に八幡神社がある。
 平成9年8月10日(日曜日)の獅子舞の当日、獅子舞は午後からだろうと八幡神社についたのが午後0時30分、獅子舞は午前9時からですでに終わっていた。道理でテープの神楽囃子が流れるだけで神社の境内は静かだった。そうした先年の失敗があったから、9時の奉納舞に間に合うように家を出て、神社についたのが午前8時28分である。境内には藤沢の松岡敬介さんがきている。社務所で支度する獅子たちを撮る。

 昔は小向が一つであったが、現在は人口が増して小向町・小向西町・小向仲野町の3町会に別れた。現在はそれぞれの町会が祭礼行事を行っているが、獅子舞を担当するは小向町、舞う場所が八幡神社があるのが小向西町と地元の小向会館である。
 獅子舞が始まる前に使用する道具類の計測を行う。獅子が使う太鼓は直径が24cmで幅が34cm、バチは直径1cmで22cmの長さである。各獅子の太鼓の胴は獅子毛紋が白抜きされた水引幕と同じ色の布が巻かれる。

 ササラは切り込みが16ある波型が直径4cmで長さが58cm、先割れが直径3cmで長さが43cmといずれも太くて長い。仲立ちが右手に持つ軍配は柄を含めて総長が34cmで最大幅が16cm、左手に採る白幣は40cmの長さの篠竹につける。
 8時59分に笛が吹かれ、鳥居から前半の仲立ちを先頭にし、続いて後半の仲立ち・大獅子・玉獅子・中獅子の順に縦に一列になって舞場へ向かう。9時2分に連中が舞場へ入ると、前半の仲立ちが内側に、その周りを獅子3匹が囲んで舞いはじめる。笛方と唄方を兼ねた大太鼓の2人は神社側、ササラ摺りは笛方の横、道路の反対側に位置している。
 獅子舞のテーマは大獅子と中獅子の男獅子2匹が玉獅子を争うという、女獅子隠しである。他所では女獅子の周りをササラ摺りを集めて囲うが、男獅子が争う場面もそのようなことはなく、ササラ摺りは定位置のままである。獅子舞が終わったのが9時28分、26分間の演技である。

 獅子は、大獅子と中獅子の男獅子2匹と玉獅子の女獅子1匹である。大獅子は黒羽で先細角2本がある黒塗りの頭、濃紺の水引幕をつける。中獅子は黒羽でネジリ角2本がある黒塗りの頭、緑の水引幕をつける。玉獅子は茶髪で金の宝珠をいただく朱塗りの頭、薄いベージュの水引幕をつける。何れの水引幕も、左右に2つ、中央下部に1つの獅子毛紋を白抜きにする。玉獅子の水引幕は地が薄いので獅子毛紋がはっきりしない。
 獅子の衣装は揃いの浴衣に裾を黒布で縁取りした縦縞の袴をはき、白の縦線が入った紺の手甲をつけて男獅子は白、玉獅子はピンクの襷をかける。頭に獅子頭をかぶり、腹に太鼓をつけて手にバチを持ち、腰に白幣をさして白足袋はだしで舞う。
 ササラ摺りは、小学生から中学生までの女子で、4年生が3人・5年生が3人・6年生が1人・中学1年生が2人の9人、他に欠席の1人がいる。前列に5人、後列に4人が並ぶ。揃いの浴衣に帯をしめ、白足袋に紅緒の草履をはく。帯は赤系と黄色系が主体である。ピンクの襷をして、首に黄色の布(手拭い大で折り畳む)をかける。花笠はかぶらずに手に太い竹製のササラをもつ。

 仲立は小学2年生と4年生の2人、前半の仲立ちは赤系の地に模様の袋頭巾と襦袢をつけ、黒の綿入りの太紐をしめる。後半の仲立ちは黄系の地に模様が入った袋頭巾と襦袢をつけ、赤の綿入りの太紐をしめる。共にピンクの襷をかけ、白足袋はだしである。左手に御幣、右手に軍配をもつ。
 笛方6人と唄方3人(内2人は囃子方を兼ねる)は、共に揃いの浴衣(獅子とは異なる横柄である)に自前の角帯をしめ、白足袋に黒緒の草履をはく。唄方と囃子方を兼ねる2人は大太鼓を打つ。

 今回歌われた獅子舞唄は次の通りである。上部の数字は唄の開始時刻を示す。
 9:02 1 廻れよ車水車 つれて廻れよ水車
   9:04 2 詣り来て神のお庭に摺るササラ 神をいさめて氏子喜ぶ
   9:09 3 山雀が山にはぐれて八ツ連れて 神のお庭に羽を休める
   9:10 4 中は香具山冨士の山 花を散らして遊ぶ友達
   9:11 5 天竺天のあいそめ河原のふちにこそ すこしや結びの神が立たれた
   9:12 6 薬師の御利生は恐ろしや 宝珠の女獅子が見える嬉しや
   9:20 7 白銀の剣の造りに刃をすげて 男獅子子獅子の愛を取る
           愛を取る あとふみ隠せ 花の友達
   9:24 8 よしきりが葦の三つ葉に巣をかけて 葦を刈られてよしをうらみる
   9:26 9 姫こだちササラを見たくばみたどをだされ みたどの上にも三拍子の拍子
  9:26 10 立つ鷺が後をあじろで立ちかねて 後を濁さで立つ白鷺
  9:27 11 鹿島からきれよきれよとせめが来て 習い申そう鹿島みつぎり
   9:28 12 雨が降るやら雲は立つ お暇申していざ帰りましょ

 ここの獅子舞の特徴は獅子も太鼓を打つが、主として2人が大太鼓を中にして向かい合せて座り、両手のバチで太鼓の革面を打ったり、縁を叩いたりする。大太鼓ではないが、締太鼓1つを打つ例は岩槻市下間久里の獅子舞でみられる。ササラ摺りも、ただササラを摺るだけでなく、場面によっては先細の手元の部分でササラを打つ場面がある。

 獅子舞が終わると、アッという間に柱や貫が片づけられる。舞場に敷かれた砂の一辺の長さを測ると330cmである。2間四方の四隅に柱を立てて葉がついた篠竹をを巻き、上部に貫を廻して753縄を張る。舞場の砂や四本柱から、昔は土俵の上で獅子が舞っていたと思われる。南武線沿いの獅子舞に共通する傾向である。

 大太鼓を小向会館へトラックで運ぶところだったので、太鼓の計測を行う。太鼓の直径が64cmで幅が71cm、バチは直径が3cmで長さが48cmである。数人で男獅子の獅子頭を運ぶ後を松岡さんと追い、小向会館へ向かう。
 小向会館前の広場中央には盆踊りの櫓が組まれている。櫓を中心に周囲にテントが張られ、獅子頭が飾られているお仮屋がある。山車、といっても自動車の車体を利用した幅が1間、奥行き2間の太鼓山車である。前部にハンドルがあって、方向を変える。山車の出発が10時30分だから、出発まで待って写真を撮る。

 お仮屋に「八幡大神」の掛軸がさげられ、その前に中央に女獅子の頭を置いて3匹の獅子頭が飾られている。直ぐに写真を撮る。山車が出発してから松岡さんの聞き取りに加わり、獅子舞保存委員会の梶喜文・委員長からいろいろとお話をうかがう。獅子舞は獅子頭が戦災で消失したために中絶していたが、昭和26年に獅子頭を新造して復活した。
 現在獅子の廻り方などの獅子舞の注意事項を書いているそうで、笛の譜も○と●を使って作成するそうである。ジゴトもできらら文字化したい、という。こうした地元の方の資料の作成が望まれる。とこかく先ず基礎となる資料となるたたき台があれば、それを他の方が発展せることができる。

 小向の場合は朝と夜の獅子舞の演技時間を合わせても1時間足らず、待ち時間が10時から夜9時まで11時間、往復の時間が約4時間あると見学も考えてしまう。これは小向だけでなく神奈川の獅子舞にいえること、獅子舞をみている時間よりも往復の時間が何倍もかかるのが辛いところである。

 今回は前回見逃した朝の奉納舞がみられたし、夜の9時までとても前回のように幸区内の庚申塔を廻る元気がない。大田区の博物館へ行く松岡さんと別れて「小向」のバス停から帰途につく。
◎ 小向獅子舞文献目録
小向町獅子委員会『獅子舞の栞』 同会 昭和31年刊永田 衡吉「無形文化財集録(2)」『神奈川県文化財調査報告書 第23集』253・257頁神奈川県教育庁社会教育課 昭和32年刊川崎市教育委員会社会教育課『川崎市の文化財』口絵・16〜17・18〜19頁 同会 昭和37年
     刊角田 益信「多摩川流域の獅子唄」『高津郷土史料集』第4篇24〜25頁 川崎市立高津図書館
     昭和42年刊永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』283〜289頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊山口 正道「川崎市小向の獅子舞」『民俗』12号 相模民俗学会 昭和 年刊山口 正道「川崎市小向の獅子舞」相模民俗学会編『神奈川の民俗』278〜290頁 有隣堂 昭
     和43年刊高橋 正次『獅子舞の由来』 小向獅子舞保存委員会 昭和44年刊神奈川県民俗芸能保存協会事務局『かながわの民俗芸能』第2号10頁 同会 昭和45年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能案内』10・18・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和46年刊相原  純『写真集 神奈川のまつり』136頁 萬葉堂書店 昭和47年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』76・79・98〜
     99頁 神奈川県教育委員会 昭和48年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県の民俗芸能案内』10・18・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和51年刊神奈川県県史編集室『神奈川県史 各論編5 民俗』873頁 神奈川県 昭和52年刊吉田 智一『獅子の平野 民俗写真集 フォークロアの眼5』122〜123頁 国書刊行会 昭和
     52年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能50選』15〜16頁 神奈川県教育委員会 昭和
     52年刊永田 衡吉『かながわの祭と芸能』110・115頁 神奈川合同出版 昭和52年刊小林 昌人「小向の獅子舞」『川崎市文化財調査集録』第18集1〜17頁 川崎市教育委員会 昭
     和57年刊神奈川県教育庁文化財保護課『ふるさとの文化財(民俗文化財編)』63頁 神奈川県教育委員会
     昭和58年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・227・325〜331頁 錦正社 昭和
     62年刊加藤 隆志「相模原市下九沢の獅子舞について」『かながわの文化財』第85号31頁 神奈川県文
     化財協会 平成1年刊白井 禄郎「川崎市民俗芸能概観」『川崎市文化財調査集録』第25集11・13〜14頁 川崎市
     教育委員会 平成2年刊角田 益信『川崎の古民謡(下)』23〜27頁 同人 平成2年刊川 崎 市『川崎市史 別編 民俗』548・556〜560頁 同市 平成3年刊川崎市教育委員会文化課『かわさき文化財読本』44〜45頁 同会 平成3年刊高橋秀雄・須藤功『祭礼行事 神奈川県』85頁 桜楓社 平成3年刊川崎市教育委員会文化課『川崎市文化財図鑑』図版122・153〜154頁 同会 平成3年刊神奈川県祭礼研究会『祭礼事典 神奈川県』225頁 桜楓社 平成4年刊吉村 俊介『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』81〜89・113・115・
     121頁 宮の橋社 平成4年刊荒井 俊明『鳥屋の獅子舞 一人立三頭獅子舞』60・65頁 同人 平成5年刊石川 博司『平成九年の獅子舞巡り』46〜51頁 多摩獅子の会 平成9年刊峰岸3喜蔵『獅子の詩−日本の三匹獅子舞』118〜9・170頁 けやき出版 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』39〜44・87〜89頁 多摩獅子の会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り2』24・25・32〜37頁 多摩獅子の会 平成12年刊神奈川県立歴史博物館『かながわの三匹獅子舞 獅子頭の世界』8・9・53・69頁 同館 平成
     17年刊         『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追補
◎ 菅の獅子舞
 平成8年9月16日(月曜日)は、15日の敬老の日が日曜日だったので振替休日である。この日は、川崎市多摩区菅北浦4丁目16番2号にある菅薬師堂で獅子舞が奉納されるの出掛ける。前週の8日(日曜日)に「菅の獅子舞は九月第二日曜日に行われる」と聞いていたので、菅薬師堂に行ったが空振りであった。もっとも、行けば行ったで収穫があるもので、菅薬師堂を始め獅子の支度をする法泉寺(菅北浦3丁目4番)と前日獅子舞の揃いが行われる子ノ神社の所在地も確認できた。

 獅子舞本番の当日(16日)は、8日に見た張り紙で獅子舞連中が菅薬師堂までの道行を午後0時40分に多摩農協菅支店(菅2丁目1番)前を出発するのを知っていたので、現地には0時5分に着いた。0時15分になると、農協前の空き地に小学生を中心とする笛方が集まってきた。やがて氷菓子が配られる。37分には、笛方の道行の笛合わせが行われる。ここを40分の出発予定だが獅子が来ないので、さらに40分まで道行と横舞の笛を合わせる。さらに45分に笛合わせが行われる。ようやく0時50分に法泉寺で支度した獅子と天狗を乗せる車が到着した。0時59分にホラ貝が吹かれて、獅子舞連中の道行が始まる。露払い4人を先頭に、天狗・獅子3人(横に付添いが2人つく)・ホラ貝吹き3人・笛方約40人・役員などの7人が続く。

 道行は多摩農協前から京王駅前通りを東に進み、1時5分に右折して駅前中央通りを南下する。商店街のうちは、天狗と獅子は舞いながら進む。1時17分には、稲田堤駅前交差点を渡る。獅子は、ここから安藤宅(菅北浦2丁目7番19号)の手前までは舞わずに笛に合わせて太鼓を叩くだけで行く。1時26分に安藤宅の手前50mほどで再び獅子が舞いながら進み、1時28分に獅子舞連中が安藤宅に入る。ここで獅子は、頭を取って小休止する。
 獅子は剣角2本の男獅子(大獅子ともいう)、ネジレ角の臼獅子(中獅子とも子獅子ともいう)、宝珠の女獅子の3匹である。いずれも黒塗りの獅子頭である。男獅子と臼獅子の頭には、白の眉毛と髭がある。頭につけられた鶏の羽の下には、紺染めと染めない麻を交互に並べた「サゲオ」がつけられる。

 獅子の衣装は、白地に紺の龍を散らした揃いユカタに紺地に薄茶の唐草模様のタッツケをつけ、白足袋に白緒のワラジをはく。花柄の手甲をつけ、胸には太鼓(男獅子のは直径35cm、幅11cm、女獅子のは小さく直径35cm、幅11cm)を白の紐で固定し、手にはバチ(直径18cm、幅2・5cm)をもつ。腰には5色の御幣をさす。
 天狗は頭に白毛のシャグマ、顔に天狗面をつけ、黒の上衣に黒のタッツケで白足袋に白緒のワラジをはく。宝輪が入った胸当てをかけ、獅子と同じ花柄の手甲をつける。綿入れの太い小花柄の襷と帯をしめる。右手に瓢箪、左手に団扇をもつ。団扇は、周りを色紙で紙片で飾り、一面が緑の地で外に金の丸の中に銀の丸(内丸)でその中に「卍」、他の面が赤の地に銀の丸の中に「祭」の字である。腰には5色の御幣をさし、帯には朱の杯とサイコロをつける。

 笛方は小学5年生と6年生の30人に中学生や高校生などが11人加わる大人数である。小学4年生から笛を習い始め、5年生になって獅子舞に参加する。今回参加した中学生や高校生は、小学生時代以来の加わっている。小学生は、Tシャツに半パンかスパッツの普段着の上に揃いのハンテンを羽織り、ピンクの襷をして豆絞りの鉢巻きを前結びにしめる。揃いのハンテンは、紺地にレンガ積みを白抜きにし、襟に「菅薬師」「獅子舞」の名入り、背に白枠をつけた大きな赤字の「祭」がある。大部分は、鼻筋に白粉をつけ、母親の作った手甲と脚絆をする。白足袋に白緒の草履をはく。紅緒の草履をはく子も何人かいた。5年生は6本調子の7つ孔の笛1本であるが、6年生以上はおう1本、4本調子の7つ孔の笛の計2本をもつ。笛にはカラーテープを巻いている。道行と舞の前半には6本調子、後半に4本調子の笛を使う。

 露払いは、紋付きの羽織りに袴を着用し、白足袋に白緒の草履をはく。手には、上部に半紙を巻いて麻で止めた直径2・5cm、長さ1mの篠竹をもつ。
 天狗は、獅子舞連中より1足早く1時45分に安藤宅を出て薬師堂に向かう。4分ほどで薬師堂に着くと、第1回の「道中改め」、次いで1時57分から2回目、2時5分から3回目の道中改めを行う。第3回には紙片を撒く。その頃に合わせて獅子舞連中が薬師堂に到着し、天狗の先導で獅子は横舞で舞場の土俵に入場する。

 2時16分に獅子3匹が4本柱の土俵に上がったところで、天狗と獅子の紹介がある。それによると、元来は獅子舞連中は下菅の人たちであったが、現在の天狗と獅子の3人は野とろの人が加わっている。今年から、女獅子に新入りの高校1年生が参加している。
 紹介が終わり、2時18分から獅子舞が始まる。1時間を越える舞いだという。舞の途中で、天狗が酒盛りしたり、サイコロ博打をす場面がみられる。ここの獅子舞では、ササラ摺りの参加がないから、女獅子隠しの場面は臼獅子と天狗が女獅子の前後に立つ。土俵上で舞うことや、天狗の道中改めや酒盛り・博打などの振る舞いを見ても、隣接する稲城市の矢野口や東長沼の獅子舞と共通する。

 獅子舞唄は、次の通りに歌われた。上部の数字は、唄の開始時刻をしめす。
   2:20 1 お庭の拍子お庭の拍子 九つ拍子十の拍子よな
   2:22 2 島の馬場の村々雀 羽先を揃えて切り返しよな
   2:25 3 廻れや車廻れや車 連れて廻れや水車よな
   2:27 4 七つ拍子に八つ拍子よな これのお庭の枝垂れ柳 一枝止めて腰を休める
   (省略)5 鳴りを鎮めてお聞きやれ 森も林も鶯の これのお庭に参り来て
            黄金小草が足にからまる
   (省略)6 あらおらん四国西国巡り来て 旅の疲れで拍子揃わん
   2:29 7 山雀が山を離れて八つ連れて これのお庭で羽根を休める
   2:32 8 白鷺が羽をくわえて八つづれば これのお背戸のみいらぎに棲む
   2:40 9 十七が二十四五まで親があり これが憂とて走り出をする
   (省略)・ 月も日も加美も仏もお聞きやれ 思う妻とてきのないもの
   2:43 ・ 磯村のヤドの娘に目がくれて 立つに立たれぬ磯村の宿
   2:45 ・ 沖のとなかのひよこどり 波にゆられてばんと立ちそよな
            七つ拍子に八つ拍子よな
   2:50 ・ 思いもよらぬに朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな
   2:55 ・ 奥山の洞の陰なる 女獅子がそこで男獅子が必ず来るよな
   3:02 ・ うれしや風が霞を吹きあけて 女獅子男獅子が肩を並べる
   3:03 ・ 天竺の天の河原の果てにこそ しゆぐこしや結びの神の祟りか
            誠にもしゆこしや結びの神なれば 女獅子男獅子を結び合わせる
   3:06 ・ 奥山の松にからまる蔦さえも 縁が尽きればほろりほごれる
   3:07 ・ 向かい通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た清十郎の笠に
            お伊勢詣りはみな清十郎清十郎 与作差したたる長脇差は
            鞘が三寸目さげ緒が二寸目 中は檜の粗削り粗削り
   3:14 ・ 武蔵野で荻とススキが恋をしたら 荻はそよめくススキからまる
   3:15 ・ 我が里で雨が降るげで雲が立つ いざやれ友だち花の都へ
獅子舞唄については、昭和47年9月に作られた『獅子舞乃歌』があり、その後にもワープロの冊子が発行されている。

 ここの獅子舞は、昭和37年3月2日に川崎市重要習俗技芸に指定された。薬師堂境内にある説明板の「一口メモ」の中には「三年毎九月十二日に市重要習俗技芸に指定されている“菅の獅子舞”が舞われます」とあり、獅子舞の説明板に「九月第二日曜日」と記されている。この2つの説明板が立てられた時期によってこうした違いがあるのだろうが、いずれが正しいのか迷うところである。
 菅小学校と東菅小学校の両校の男女小学生が笛方として大勢が参加しているのは、今後の獅子舞の伝承に心強い味方である。獅子舞保存会の指導がよいからであろう。こうした地道な努力が獅子舞の伝承につながる。     
     〔初出〕『平成八年の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成8年刊)所収
◎ 菅の獅子舞を訪ねる
 平成16年9月19日(日曜日)は、川崎市多摩区の菅の獅子舞を訪ねる。初めてこの獅子舞を見学したのは平成8年9月16日(月)、当時は15日が敬老の日でこの日が日曜日と重なって振替休日であった。前週の8日(日)に「菅の獅子舞は九月第二日曜日に行われる」と聞いて出掛けて空振りだった思い出がある。今年と同様に鹿浜の獅子舞の翌日に訪ねている。前回から8年振りになる。

 もしも前回と同じようにJR南武線稲田堤駅と京王稲田堤駅の中間にあるJA(多摩農協菅支店菅2丁目1番)前から道行が始まると、獅子舞が菅薬師堂で午後2時開始といっても早めに家をでないと間に合わない。南武線の稲田堤駅についたのが正午前、先ずJAへ行ってみるが道行がある様子がない。後で聞いたら4、5年前からJAからの道行は止めたという。交通の問題があり、警察が難色を示しているし、強行するほどのメリットもないから止めた。

 直接、菅薬師堂を目指すが道を間違えて法泉寺(菅北浦3丁目4番)へ出る。着いたのが0時17分、寺を獅子舞連中が出はつするのが1時10分頃であるという。そこで前日に揃いが行われる子ノ神社の子神社を訪ね、次いで隣の福昌寺の境内を廻る。
 再び法泉寺に戻り、廊下に置かれた獅子頭を写す。余り新しい塗りなので近くにいた地元の方に訊ねると昨年、獅子頭と天狗面を京都で造った、という。支度ができた獅子の舞手の太鼓などの計測を行う。

 太鼓の直径は35cmで幅が11cmと狭い。バチは直径3cmで長さが20cmである。天狗と獅子3人は腰に5色の御幣をさす。長さが20cmに篠竹に御幣がついている。ワラジは府中から買っおり、幅が5cmで長さが25cmと小さい。
 天狗が持つサイコロは一辺5cmの四角、杯は直径11cmである。ついでに露払いが持つ竹杖を測ると、直径が3cmで長さが99cm、上部の12cmに和紙を巻き、中央が麻紐で止めてある。そうこうしている内に横浜の岩下敦郎さんがやってくる。
 0時55分にお神酒が配られる。1時7分にホラ貝が吹かれ、本堂前の参道で一舞し、道行は法泉寺から菅薬師堂に向かう。門前から露払い3人を先頭に、天狗・獅子3人(横に付添いが3人つく)・笛方4人・ホラ貝吹き2人・唄方などが続く。岩下さんと共に獅子舞連中について薬師堂へ行く。
 安藤宅(菅北浦2丁目7番19号)の手前まで舞わず、笛に合わせて太鼓を叩くだけで行く。前回の道順と異なるが、川沿いの道を進み、途中で前回と同じ道に出る。1時18分に安藤宅の手前から獅子が舞いながら進み、1時19分に獅子舞連中が安藤宅に入る。庭にテントが張られ、休めるように準備され、獅子舞連中の一同に冷たい飲み物が配られる。ここでは獅子が頭を取って小休止する。

 獅子は金色の剣角2本の大獅子、赤黒金のネジレ角の臼獅子(中獅子とも子獅子ともいう)の男獅子2匹に宝珠の女獅子の3匹である。3匹共に白の眉毛と髭がある黒塗りの獅子頭である。獅子頭につけられた鶏の羽の下に紺染めと染めない麻を交互に並べた「サゲオ」がつけられる。
 獅子の衣装は、小柄の上衣に紺地に鶴の柄を散らしたタッツケをつけ、白足袋に白緒のワラジをはく。上衣の上に間に豆絞りの手拭いでつないだ花柄の手甲をつけ、胸に太鼓を白の紐で固定し、手にバチをもつ。腰に5色の御幣をさす。
 天狗は頭に白毛のシャグマ、顔に天狗面をつけ、下部に絵柄がある紺の上衣に黒のタッツケ、白足袋に白緒のワラジをはく。金色の宝輪が入った胸当てをかけ、獅子と同じ花柄の手甲をつける。綿入れの太い小花柄の襷と帯を垂らしてしめる。右手に瓢箪、左手に団扇をもつ。団扇は周りを色紙の紙片で飾り、一面が緑の地で外に金の丸の中に銀の丸(内丸)でその中に「卍」、他の面が赤地に銀の丸の中に金色の「祭」の字である。腰には5色の御幣をさし、帯に朱の杯とサイコロをつける。。
 笛方は4人、内2人が女性である。普段着の上に揃いの半手を羽織る。ハンテンは紺地にレンガ積みを白抜きにし、黒襟に「菅薬師」「獅子舞」の名入り、背に白枠をつけた大きな赤字の「祭」がある。4本調子の7つ孔の笛を使う。

 唄方は13人、普段着に揃いのハンテンを羽織る。
 露払いは菅薬師奉賛会の正副会長3人が勤め、黒紋付きの羽織りに縦縞の袴を着用し、白足袋に白緒の草履をはく。手には、上部に半紙を巻いて麻で止めた竹の杖をもつ。

 獅子舞連中はまだ休んでいるが、天狗は1時44分に連中より1足先に出発して薬師堂に向かう。天狗は石段の所までは付き添いと共に普通に歩くが、石段下で両手を横に伸ばしてから舞いながら石段を登り、参道を通って舞場の土俵に上がる。
 今年8月17日に国立国会図書館から発行された『日本全国書誌』第30号には、99頁に佐保田五郎さんが著作・発行された『菅の獅子舞』が載っている。B5判96頁の本である。この佐保田さんが獅子舞の進行につれれて解説される。
 天狗は第1回の「道中改め」を行い、寺務所前まで戻って53分に2回目の土俵に上がって「道中改め」、57分に3回目を勤めるが3回目には紙片を撒く。その頃に合わせて獅子舞連中が薬師堂に到着する。天狗は3回の道中改めを済ませてから石段下へ行き、2時から獅子舞連中を先導して舞場へ向かう。

 露払い3人が土俵に立って観客に挨拶し、西側にある席の前に立って獅子を迎える。2時4分に天狗の先導で獅子が横舞で進み、6分に舞場の土俵へ入場する。舞の途中で天狗が酒盛りしたり、サイコロ博打をす場面がみられる。ここの獅子舞では、ササラ摺りの参加しないから、女獅子隠しの場面は臼獅子と天狗が女獅子の前後に立って女獅子を隠す。多摩地方ではササラ摺りが女獅子を囲んで隠す所が多いが、立川の獅子舞では棒使い2人が女獅子の後ろに立つ、9月1日にみた田名の獅子舞では前面にを立てるなどど、女獅子隠しにはバリエーションがみられる。
 土俵上で舞うことや、天狗の道中改めや酒盛り・博打などの振る舞いを見ても、隣接する稲城市の矢野口や東長沼の獅子舞と共通する。
 土俵に四本柱が立ち、上に格天井の屋根がついている。屋根の下に昭和45年に菅太子講が奉納した「五穀豊穣」と「天下泰平」と白抜きされた紫地の幕が下がる。四本柱にゴザが巻かれ、その上の中央に鹿と思われる皮が巻かれている。1本の柱には上部に「祭礼」、中央に巻かれた半紙に「上」と墨で記された御幣がついている。

 獅子舞唄は、次の通りに歌われた。上部の数字は、唄の開始時刻をしめす。
   2:13 1 お庭の拍子お庭の拍子 九つ拍子十の拍子よな
   2:16 2 鹿島の馬場の村々雀 羽先を揃えて切り返しよな
   2:17 3 廻れや車廻れや車 連れて廻れや水車よな
   2:18 4 七つ拍子に八つ拍子よな
   (省略)5 鳴りを鎮めてお聞きやれ 森も林も鶯の これのお庭に参り来て
            黄金小草が足にからまる
   (省略)6 あらおらん四国西国巡り来て 旅の疲れで拍子揃わん
   2:21 7 山雀が山を離れて八つ連れて これのお庭で羽根を休める
   2:23 8 白鷺が羽をくわえて八つづれば これのお背戸のみいらぎに棲む
   2:26 9 十七が二十四五まで親があり これが憂とて走り出をする
   (省略)10 月も日も加美も仏もお聞きやれ 思う妻とてきのないもの
   2:32 11 磯村のヤドの娘に目がくれて 立つに立たれぬ磯村の宿
   2:35 12 沖のとなかのひよこどり 波にゆられてばんと立ちそよな
            七つ拍子に八つ拍子よな
   2:38 13 思いもよらぬに朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたよな
   2:43 14 奥山の洞の陰なる 女獅子がそこで男獅子が必ず来るよな
   2:48 15 うれしや風が霞を吹きあけて 女獅子男獅子が肩を並べる
   2:49 16 天竺の天の河原の果てにこそ しゆぐこしや結びの神の祟りか
            誠にもしゆこしや結びの神なれば 女獅子男獅子を結び合わせる
   2:51 17 奥山の松にからまる蔦さえも 縁が尽きればほろりほごれる
   2:53 18 向かい通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た清十郎の笠に
   2:54      笠が似たとて清十郎なものか お伊勢詣りはみな清十郎みな清十郎
   2:55      与作差したたる長脇差は 鞘が三寸目さげ緒が二寸目
   2:56      中は檜の粗削り粗削り
   2:58 19 武蔵野で荻とススキが恋をしたら 荻はそよめくススキからまる
   2:59 20 我が里で雨が降るげで雲が立つ いざやれ友だち花の都へ

獅子舞唄については昭和47年9月に作られた『獅子舞乃歌』があり、その後にもワープロの冊子が発行さ、境内で配付去れているのは『菅獅子舞・笛と唄』の平成10年版である。黄色のA5判8頁にワープロ印刷コピーである。

 3時2分に獅子舞が終了し、4分から舞場の土俵上で獅子舞保存会長が天狗と獅子の3人を紹介する。4人共に24歳で、女獅子が3年前から、他の3人は7年前から舞っているという。天狗の小川君は広島から参加している。続いて女性2人を含む笛方4人の紹介がある。3時7分に拍手のうちに紹介を終わる。

 薬師堂の石段前に説明板が立ち、左手にこれでに使った獅子頭・天狗面2組を展示している。ガラスの反射が邪魔して写真を撮る気がしない。ここで岩下さんと別れ、各地の獅子舞や民俗芸能大会で顔を合わせる方と共に帰途につく。

 ここの獅子舞は昭和37年3月2日に川崎市重要習俗技芸に指定され、平成13年2月13日に神奈川県の無形民俗文化財に指定されている。境内にある説明板も県の指定の1項を書き加えている。
 前回は菅小学校と東菅小学校の両校の男女小学生が笛方として大勢が参加していたが、今回の獅子舞には4人の笛方で寂しい。天狗は昨年が大阪、今年は広島から駆けつけている。今後の後継者の育成が問題となる。
◎ 菅薬師堂の獅子舞
 神奈川県川崎市多摩区菅北浦には、菅薬師堂の獅子舞が伝承されている。この獅子舞は9月第2日曜日に行われるが、平成16年は1週間遅れの第3日曜日の9月19日であった。菅の獅子舞は昭和37年3月2日に川崎市重要習俗技芸に指定、平成13年2月13日に神奈川県の無形民俗文化財に指定されている。

 以前はJR南武線稲田堤駅と京王線稲田堤駅の中間にあるJA多摩農協菅支店(菅2丁目1番)の前から観音堂まで道行を行っていたが、交通問題もあって現在の道行は法泉寺(菅北浦3丁目4番)を出発して菅薬師堂に向かう。観音堂の獅子舞の前日、つまり土曜日は法泉寺の近くにある子ノ神社で総仕上げの「揃い」の獅子舞がある。
 現在使われている獅子頭や天狗面の1式は平成15年に京都で造っている。薬師堂の石段前には説明板が立ち、左手にこれまでに使った獅子頭・天狗面2組を展示してある。

 法泉寺で午後1時近くに獅子舞連中がお神酒をいただき、本堂の参道で一舞済ませてから寺を出て観音堂に向かう。一行は門前から露払い3人を先頭に、天狗・獅子3人(横に付添いが3人つく)・笛方4人・ホラ貝吹き2人・唄方などが続く。
 寺を舞いながら出るが、やがて舞を止めてしまう。途中にある安藤宅(菅北浦2丁目7番19号)の手前までは舞わずに笛に合わせて獅子が太鼓を叩くだけである。安藤宅近くになって舞い始め家の前まで舞う。庭に獅子舞連中が入り、小休止する。そこにテントが張られ、休めるように準備されており、1同に冷たい飲み物が配られる。ここでは獅子が頭を取って休む。

 連中がまだ休んでいる中、天狗は1足先に出発して薬師堂に向かう。天狗は石段の所までは付き添いと共に普通に歩くが、石段下で両手を横に伸ばしてから舞いながら石段を登り、参道を通って舞場の土俵に上がる。
 天狗は第1回の「道中改め」を行い、寺務所前まで戻って2回目の土俵に上がって「道中改め」、3回目を勤めるが3回目は紙片を撒く。その頃に合わせて獅子舞連中が薬師堂に到着する。天狗は3回の道中改めを済ませてから石段下へ行き、2時から獅子舞連中を先導して舞場へ向かう。

 獅子は金色の剣角2本の「大獅子」、赤黒金のネジレ角2本の「臼獅子」(中獅子とも子獅子ともいう)の男獅子2匹に宝珠の「女獅子」の3匹である。3匹共に白の眉毛と髭がある黒塗りの獅子頭である。頭につけられた鶏の羽の下に紺染めと染めない麻を交互に並べた「サゲオ」がつけられる。
 獅子の衣装は、小柄の上衣に紺地に鶴の柄を散らしたタッツケをつけ、白足袋に白緒のワラジをはく。ワラジは東京都府中市から買っおり、幅が5cmで長さが25cmと小さい。上衣の上に間に豆絞りの手拭いでつないだ花柄の手甲をつけ、胸に太鼓を白の紐で固定し、手にバチをもつ。腰に5色の御幣をさす。
 獅子が使う太鼓の直径は35cmで幅が11cmと狭い。バチは直径3cmで長さが20cm。天狗と獅子3人は腰に長さが20cmの篠竹についている5色の御幣をさす。

 天狗は頭に白毛のシャグマ、顔に天狗面をつけ、下部に絵柄がある紺の上衣に黒のタッツケ袴、白足袋に白緒のワラジをはく。金色の宝輪が入った胸当てをかけ、獅子と同じ花柄の手甲をつける。綿入れの太い小花柄の襷と帯を垂らしてしめる。右手に瓢箪、左手に団扇をもつ。団扇は周りを色紙の紙片で飾り1面が緑の地で外に金の丸の中に銀の丸(内丸)で、その中に「卍」、他面が赤地に銀の丸の中に金色の「祭」の字である。腰に5色の御幣をさし、帯に直径11cmの朱杯と1辺が5cmのサイコロをつける。
 笛方は4人、内2人が女性である。普段着の上に揃いの半手を羽織る。ハンテンは紺地にレンガ積みを白抜きにし、黒襟に「菅薬師」「獅子舞」の名入り、背に白枠をつけた大きな赤字の「祭」がある。4本調子の7つ孔の笛を使う。
唄方は13人、普段着に揃いのハンテンを羽織る。

 露払いは菅薬師奉賛会の正副会長3人が勤め、黒紋付きの羽織りに縦縞の袴を着用し、白足袋に白緒の草履をはく。手に直径が3cmで長さが99cm、上部に12cm幅の半紙を巻いて麻で止めた竹の杖をもつ。
 舞場は土俵である。先ず露払い3人が土俵に立って観客に挨拶し、西側にある席の前に立って獅子を迎える。天狗が先導して獅子が横舞で進み、舞場の土俵へ入場する。舞の途中で天狗が酒盛りしたり、サイコロ博打をす場面がみられる。
 ここの獅子舞はササラ摺りの参加がないから、女獅子隠しの場面は臼獅子と天狗が女獅子の前後に立って女獅子を隠す。東京都多摩地方はササラ摺りが女獅子を囲んで隠す所が多い中で、立川の獅子舞は棒使い2人が女獅子の後ろに立つ。9月1日に演じられる神奈川県相模原市田名の獅子舞では前面に笹垣を立てるなどど、女獅子隠しにはバリエーションがみられる。

 土俵上で舞うことや、天狗の道中改めや酒盛り・博打などの振る舞いを見ても、隣接する東京都稲城市の矢野口や東長沼の獅子舞と共通する。
 土俵には4本柱が立ち、上に格天井の屋根がついている。屋根の下に昭和45年に菅太子講が奉納した「五穀豊穣」と「天下泰平」と白抜きされた紫地の幕が下がる。四本柱にゴザが巻かれ、ゴザの上中央に鹿と思われる皮が巻かれている。1本の柱は上部に「祭礼」、中央に巻かれた半紙に「上」と墨で記された御幣がついている。

 獅子舞唄は最初の「お庭の拍子お庭の拍子 九つ拍子十の拍子よな」から始まり、次の「鹿島の馬場の村々雀 羽先を揃えて切り返しよな」など20番の唄があるが、現在は5番目の「鳴りを鎮めてお聞きやれ 森も林も鶯の これのお庭に参り来て 黄金小草が足にからまる」や6番目の「あらおらん4国西国巡り来て 旅の疲れで拍子揃わん」、10番目の「月も日も加美も仏もお聞きやれ 思う妻とてきのないもの」の3番が省略されている。最後は「我が里で雨が降るげで雲が立つ いざやれ友だち花の都へ」で終わる。
 獅子舞唄の中で特色があるのは歌い出しが「向かい通るは清十郎じゃないか」で始まり、以下「笠がよく似た清十郎の笠に 笠が似たとて清十郎なものか お伊勢詣りはみな清十郎みな清十郎 与作差したたる長脇差は 鞘が三寸目さげ緒が二寸目 中は檜の粗削り粗削り」の清十郎にまつわる歌詞である。他の獅子舞で聞かない獅子舞唄である。
獅子舞唄については昭和47年9月に作られた『獅子舞乃歌』があり、その後にもワープロの冊子が発行されている。境内で配付されているのは『菅獅子舞・笛と唄』の平成10年版、黄色のA5判8頁にワープロ印刷コピーである。

 昨16年の場合は獅子舞が終了してから、舞場の土俵上で獅子舞保存会長が天狗と獅子の3人を紹介した。4人共に24歳で、女獅子が3年前から、他の3人は7年前から舞っている。天狗の小川君は広島から参加している。続いて女性2人を含む笛方4人の紹介があり、拍手のうちに終わる。
            〔初出〕『まつり通信』第519号(まつり同好会 平成17年刊)所収
◎ 菅獅子舞文献目録
永田 衡吉「神奈川県の無形文化財総覧」『神奈川県文化財調査報告書 第21集』307〜308
     頁 神奈川県教育庁社会教育課 昭和29年刊永田 衡吉「無形文化財集録(2)」『神奈川県文化財調査報告書 第23集』253・257・2
     81〜283頁 神奈川県教育庁社会教育課 昭和32年刊戸倉英太郎『権現堂山』181〜17・189・194〜5・202〜203・206〜207頁
     さつき 昭和36年刊川崎市教育委員会社会教育課『川崎市の文化財』口絵・14〜15・17頁 同会 昭和37年刊永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』277〜280頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊角田 益信「多摩川流域の獅子唄」『高津郷土史料集』第4篇26〜27頁 川崎市立高津図書館
     昭和42年刊神奈川県民俗芸能保存協会事務局『かながわの民俗芸能』第2号10頁 同会 昭和45年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能案内』10・18・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和46年刊相原  純『写真集 神奈川のまつり』137頁 萬葉堂書店 昭和47年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』76・96〜97頁
     神奈川県教育委員会 昭和48年刊小林 昌人「菅薬師の獅子舞」『川崎市文化財調査集録 第8集』17〜42頁 川崎市教育委員会
     昭和48年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県の民俗芸能案内』10・18・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和51年刊神奈川県県史編集室『神奈川県史 各論編5 民俗』872〜873頁 神奈川県 昭和52年刊吉田 智一『獅子の平野 民俗写真集 フォークロアの眼5』98〜99・117・122〜123
     頁 国書刊行会 昭和52年刊永田 衡吉『かながわの祭と芸能』110・114頁 神奈川合同出版 昭和52年刊鈴木スイノ「菅薬師堂の獅子舞」『あゆたか』第14号47〜48 稲田郷土史会 昭和52年刊神奈川県教育庁文化財保護課『ふるさとの文化財(民俗文化財編)』62〜63頁 神奈川県教育委
     員会 昭和58年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・319〜322頁 錦正社 昭和62年刊菅薬師奉讃会・菅獅子舞保存会『菅薬師獅子舞について』 同会 昭和63年刊角田 益信『川崎の古民謡(下)』13〜19頁 同人 平成2年刊川 崎 市『川崎市史 別編 民俗』口絵・548・550〜554・558〜560頁 同市 平
     成3年刊川崎市教育委員会文化課『かわさき文化財読本』164〜165頁 同会 平成3年刊高橋秀雄・須藤功『祭礼行事 神奈川県』60〜61・72・84〜85・148頁 桜楓社 平成
     3年刊川崎市教育委員会文化課『川崎市文化財図鑑』図版124・155〜156頁 同会 平成3年刊神奈川県祭礼研究会『祭礼事典 神奈川県』225頁 桜楓社 平成4年刊白井 禄郎「川崎市民俗芸能概観」『川崎市文化財調査集録』第25集11・14〜15頁 川崎市
     教育委員会 平成4年刊吉村 俊介『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』103〜111・113・11
     5・121頁 宮の橋社 平成4年刊荒井 俊明『鳥屋の獅子舞 一人立三頭獅子舞』63・65頁 同人 平成5年刊萩坂  昇「菅の薬師の獅子舞由来」『文化かわさき』第15号20〜25頁 川崎市総合文化団体
     連絡会 平成5年刊加藤 善清「生きている祭り・菅薬師獅子舞」『文化かわさき』第15号25〜28頁 川崎市総合
     文化団体連絡会 平成5年刊石川 博司『平成八年の獅子舞巡り』105〜109頁 多摩獅子の会 平成8年刊峰岸三喜蔵『獅子の詩−日本の三匹獅子舞』170頁 けやき出版 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』39〜44・87〜89頁 多摩獅子の会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り2』14・25・26〜29・30・36〜37頁 多摩獅子の会
     平成12年刊佐保田五郎『菅獅子舞細見 改訂版』1〜167頁 菅散歩出版事務局 平成14年刊佐保田五郎『菅の獅子舞』1〜186頁 菅獅子舞保存会 平成14年刊佐保田五郎『菅の獅子舞(型)』1〜96頁 私家版 平成16年刊神奈川県立歴史博物館『かながわの三匹獅子舞 獅子頭の世界』8・9・52・69頁 同館 平成
     17年刊石川 博司「菅薬師堂の獅子舞」『まつり通信』第519号 6〜7頁 平成17年刊
                 『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追補
◎ 初山の獅子舞
 平成8年10月6日(日曜日)には、川崎市宮前区菅生2丁目8番にある菅生神社例大祭で初山の獅子舞が奉納される。以前は神社の例大祭が10月3日であるあったが、現在は10月第1日曜日に変わっている。この獅子舞は、終戦までの一時期に中絶していたが、昭和21年に復活し、昭和37年3月2日に川崎市重要習俗技芸の指定を受けている。ここには、古い頭1組や旧頭と同型の練習用頭1組、他にもヒョットコ面(破損)や外道面が残っているという。かつては「獅子は、家々の長男に限る」が守られていた。

 10月第1日曜日といえば、東京都中野区江古田・氷川神社でも獅子舞がみられるし、神奈川県下では横浜市青葉区鉄町・鉄神社の獅子舞がある。神奈川の獅子舞で、唯一10月第1日曜日の日取りが重なっているのがこのこの初山と鉄である。この日、菅生神社で会った津久井町鳥屋の荒井俊明さんは午前11時から行われた鉄神社の獅子舞をみてから、急いで菅生神社にきたという。

 初山の獅子舞が始まるのが午後2時だと聞いていたが、これまで川崎市内でも宮前区のこの辺りを歩いていないし、初めての場所であるので時間を早めて家を出た。JR青梅線・南武線・小田急線を乗り継いで向ケ丘遊園駅前からあずみ野駅行き小田急バスに乗り、一停留所(神社近くの「労働科学研究所前」)乗り過ごして「蔵敷」で下車する。電車やバスの連絡がよくて、菅生神社には正午前についた。
先ず境内にある
   初山の獅子舞
    毎年10月3日の菅生神社祭礼のとき舞われる獅子舞です。舞は角が剣になった剣獅子、捲い
   た角をもつ捲き獅子、宝珠を頭に戴いた玉獅子で、天狗の先頭で踊り狂うものです。川崎市重
   要習俗技芸指定です。                     高 津 観 光 協 会

の説明板をメモした。受付で1時半ごろ獅子舞連中が神社にくると聞いたので、昼食をすませて付近をぶらついて時間をつぶす。

 午後1時10分に神社に戻り、境内を1周してから鳥居の所にいった時に、獅子宿の初山自治会館(初山2丁目9番)で支度した獅子舞連中がやってきた。1時24分にホラ貝がなり、27分から神社前の道路から鳥居をくぐり、石段の手前30mまで金棒を先頭に蠅追・獅子・笛方の順に並んで道行がある。
 獅子は、剣角をもつ剣獅子とネジリ角の巻獅子の男獅子2匹、宝珠を戴く玉獅子の女獅子の3匹である。いずれも黒塗りの頭で、男獅子は黒毛、女獅子は白毛を生やす。タテガミは、未晒と茶色の麻を交ぜて用いている。頭の後方に、白・赤・黄・青の御幣を2本X形に結びつける。水引き幕は、獅子の膝くらいまでの長さの薄い友禅模様の生地を使い、前と両脇の3か所にスリットを入れ、青色の無地の布で縁取りしている。

 今年は獅子の切替えの年にあたり、小学5年生3人が務める。揃いのユカタに青灰色のタッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。タッツケを各自の幅広のベルトで止めているところが現代ッ子の顔が覗いている。赤と白の柄の手甲をつける。太鼓(直径30cm、幅12cm)を胸につけ、手にバチ(直径2・5cm、長さ17〜8cm)をもつ。
 蠅追(天狗)は、今年が獅子切替えにあたって小学6年生が務める。獅子と同じ柄の尻切れのユカタに同じ柄のタッツケをつけ、赤の三つ巴紋付がついた黒地に亀と鶴の金糸刺繍した胸当てをする。太い赤の襷かけ、白足袋にワラジをはく。頭に茶毛のシャグマをつけ、顔に天狗面をつける。獅子と同じ手甲をつけ、団扇を手にもち、腰には2本をX形に結ぶ御幣をさす。大きな木のサイコロと盃を帯に結ぶ。

 笛方は12人で、6つ孔の5本調子の笛を用いる。唄の時には、唄方を兼ねるために笛を止めて唄を歌う。揃いのユカタに揃いの角帯で、揃いのハンテンを羽織って首から豆絞りの手拭いをかける。揃いのユカタは、獅子や蠅追とは違う車輪の連続模様の入った柄である。揃いのハンテンは青地で、黒襟に「初山獅子舞保存会」の白字が入り、背は土俵の中に獅子頭を白抜きにする。黒足袋に黒緒か白緒の草履をはく。笛方には、今年から大人に混じって4年生と5年生の小学生2人が加わる。2人は、約50日の練習でどうにか吹けるようになったという。小学生2人のユカタは、大人と異なり、獅子や蠅追と同じ柄である。

 金棒は高校生で、昨年まで蠅追と獅子を務めた。獅子と同じ柄の揃いのユカタに白のパッチをはいて、笛方と同じ揃いの角帯をしめて尻はしょりする。赤の手甲(1人は獅子や蠅追と同じ赤と白の柄のもの)に紺の脚絆、白足袋にワラジをはく。手に紅白の紐のついた金棒(長さ164cm)をもち、背には花笠を背負う。
 道行を終えた獅子舞連中は、参道の露店の裏で獅子頭や天狗面をとって小休止する。15分位休んで支度を整え、1時48分に金棒2人と蠅追が獅子をおいたままで、境内に作られた15尺の土俵の舞場に向かう。
 舞場についた蠅追(天狗)は、大きな白幣(長さ168cm)で祓いながら2歩進んで1歩下がり、土俵を廻って清める所作をする。これを「空土俵」と呼んでいる。土俵の清めが終わると、御幣を上座(社殿側)に立てて獅子を迎えに帰る。

 2時2分にホラ貝が吹かれ、3分から道行の笛で金棒を先頭にして獅子舞連中が舞場に入場する。5分に蠅追と獅子が土俵に立ち、獅子舞が始まる。笛の曲が道行から岡崎、入羽、渡り笛、変わり笛の順で変わるのにつれて舞う。笛の変わり目で蠅追が「オーイ」と掛け声をかけて舞の変わるのを知らせる。12分に前半の舞が終わり、土俵にゴザを敷いて休む。

 後半の舞は、24分から始まる。舞の初めの部分では、蠅追が獅子を巻き込んでサイコロ博打をやるシーンがある。その時に多くの観客からオヒネリが投げ込まれ、これを元手に丁半博打が始まる。これは、あくまでも獅子舞の余興で、舞のテーマは「女獅子隠し」である。獅子舞連中は、51分に土俵を出る。

 前半には獅子舞唄が歌われなかったが、後半には
   2:24 1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる
   2:26 2 2の宮のあそめ河原の岸にこそ しくす結びの神のたたりよ
   2:29 3 鴛鴦、鴨が沖のとなかへ巣をかけて 波にゆられてばんと立ち
   2:34 4 思いもよらぬ思いもよらぬ これのお庭へ朝霧が降りて
           そこで女獅子が隠されたとな そこで女獅子が隠されたとな
   2:37 5 あらがゆわれの男獅子殿が 岩の間に巣をかけて
           岩を砕いて女獅子を尋ねる 岩を砕いて女獅子を尋ねる
   2:42 6 嬉しやな嬉しやな 風に霞を吹き上げて
           女獅子男獅子が肩を並べる 女獅子男獅子が肩を並べる
   2:44 7 奥山の松山の 松にからまる蔦の木も
           縁が尽きればほろりほごれる 縁が尽きればほろりほごれる
   2:47 8 我が国に我が国に 雨の降るきに雲が立つ
           お暇申していざ帰らしょな お暇申していざ帰らしょな
の8番の唄が続く。上部の数字は、唄の開始時刻を示す。

 初山の獅子舞は、土俵を舞場とする。このような舞場は、JR南武線沿線にみられるようで、昨年10月1日の稲城市東長沼・青渭神社、今年になって8月24日の立川市柴崎町・諏訪神社、同月25日の稲城市矢野口・穴沢天神社、9月16日の川崎市多摩区菅北浦・菅薬師堂、同月23日の国立市谷保・谷保天満宮の獅子舞でみられる。
 各獅子の呼び名と棒使いの有無を1表にまとめてみると
   ┏━━━┳━━━┳━━━┳━━━┯━━━┳━━━┯━━━┓
  ┃獅 子┃立 川┃谷 保┃東長沼│矢野口┃ 菅 │初 山┃
   ┣━━━╋━━━╋━━━╋━━━┿━━━╋━━━┿━━━┫
   ┃男獅子┃大 頭┃大 頭┃大獅子│大獅子┃男獅子│剣獅子┃
   ┠───╂───╂───╂───┼───╂───┼───┨
   ┃女獅子┃女獅子┃女獅子┃女獅子│女獅子┃女獅子│玉獅子┃
   ┠───╂───╂───╂───┼───╂───┼───┨
   ┃男獅子┃中 頭┃小 頭┃求獅子│求獅子┃臼獅子│巻獅子┃
   ┣━━━╋━━━╋━━━╋━━━┿━━━╋━━━┿━━━┫
   ┃棒使い┃4 人┃4 人┃な し│な し┃な し│な し┃
   ┗━━━┻━━━┻━━━┻━━━┷━━━┻━━━┷━━━┛

  (註)菅では男獅子を「大獅子」、臼獅子を「中獅子」とも「子獅子」ともいうとなる。菅の「男獅子」は「大獅子」とも呼ばれるし、「臼獅子」は、字が違うけれども音からいえば稲城の「求獅子」の音に通ずる。
 初山は、呼び名からみると立川・国立型と稲城・菅型とは違いがみられるが、「剣獅子・玉獅子・巻獅子」の呼び名は、神奈川県下では相模原市大島と下九沢、愛川町三増の3か所にみられ、横浜市青葉区鉄の「剣獅子・女獅子・巻獅子」や同区新石川・牛込の「剣角・女獅子・巻角」に近い。棒使いの面からいえば、初山は稲城・川崎型で立川・国立型と異なる。こうした各地間の差異は、伝承の時期や経路の違いから生じたものだろう。
             〔初出〕『平成八年の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成8年刊)所収
◎ 初山の獅子舞を訪ねる
 平成17年10月2日(日曜日)は川崎市宮前区・菅生神社(菅生2丁目8番)の例大祭を訪ねる。昔は例大祭が10月3日であっが、現在は10月第1日曜日に替わった。この日に初山の獅子舞が奉納される。終戦までの1時期は獅子舞が中絶していたが、戦後の昭和21年に復活する。

 この獅子舞を現地で初めて見学したのが平成8年10月6日(日曜日)、今回が2回目である。その間の平成12年11月3日(金曜日)には、多摩区枡形の日本民家園で催された「みのりの秋に獅子が舞う」で菅や小向の獅子舞と共に見学している。
 JR青梅線・南武線・小田急線を乗り継ぎ、向ケ丘遊園駅前からあずみ野駅行き小田急バスに乗車する。バス停「労働科学研究所前」で下車すると、目の前が菅生神社である。神社に着いたのは午後0時12分。獅子舞は2時頃から始まるという。

 前回は境内にみられる高津観光協会の簡単な
   初山の獅子舞
    毎年10月3日の菅生神社祭礼のとき舞われる獅子舞です。舞は角が剣になった剣獅子、捲い
   た角をもつ捲き獅子、宝珠を頭に戴いた玉獅子で、天狗の先頭で踊り狂うものです。川崎市重
   要習俗技芸指定です。                     高 津 観 光 協 会
の説明板だったが 今回は県の指定を受けたこともあって、石段の左に次の文章を記した説明板が立っている。汚れがひどいのが残念である。
   初山獅子舞と菅生神社
    初山獅子舞の由来は明らかではありませんが、初山獅子舞保存会で保有している三頭の獅子
   頭と仲立面が江戸時代初期のものと推定されますので、この頃から統治で舞われたものと考え
   られます。
    現在では毎年十月第一日曜日に保存会によって菅生神社替え医大で舞われています。
    舞は、天狗の面をつけたヘイオイと、剣獅子・玉獅子・巻獅子の四人で舞われますが、この
   ほかに金棒匹や笛の吹き手、唄い手が加わり演じられます。
    川崎市教育委員会は、江戸時代初期の獅子頭と仲立面を昭和三十六年九月十八日、川崎市重
   要郷土資料に、また初山獅子舞は、平成十三年二月十三日、神奈川県指定無形民俗文化財に指
   定されました。    平成十四年三月           川 崎 教 育 委 員 会

 すでに拝殿前の参道横に15尺の土俵が設けられ、舞場となる。この土俵は1日限りのもので、獅子舞が終われば壊され、普段は老人会のゲートボール場となる。土俵の舞場といえば、立川・谷保・東長沼(以上東京都)・菅・小向(以上神奈川県)、そてにこの初山とJR南武線沿いにみられる。

 境内でブラブラしていたが、時間があるので獅子舞連中が支度している初山会館(初山2丁目9番1号)を訪ねることにする。神社から蔵敷本面へ下ると、蔵敷交番の交差点近くで大太鼓の後を神輿が続いているのをみる。
 道を間違えて初山の交差点まで行き、戻って途中の家で初山会館の場所を訊ねて確認する。0時52分に会館近くでホラガイの音が聞こえ、会館を獅子舞連中が丁度出発するところである。会館の庭には獅子舞の練習に使われる土俵がみられる。道行の行列の順序は金棒2人を先頭に、天狗・剣獅子・玉獅子・巻獅子・笛方5人が続く。58分に笛が吹かれ、会館から1分間の道行で笛を止めて自由行動となる。

 菅生神社までの道行の間に諸道具の計測を行う。先ず獅子の太鼓は直径が30cmで幅が13cm、直径3cmで長さが20cmのバチを測る。次いで金棒の総長は165cm、天狗が持つ大きな白幣の丈が138cm、団扇は縦が18cmで横が23cm、柄を含めた総長が32cm。

 会館を出て西へ進み、25番の角を右折して北へ、サトウムセン前の交差点を左折してバス通りを進む。菅生小学校の入口から斜めに神社まで近道を通り、浄水場通りを横断して神社入口につく。

 道々、笛方の1人から獅子舞の話を聞く。今日は昼食を済ませ、午前11時30分に初山会館に集まり、支度をした。神社の獅子舞は午後2時から始まる予定、獅子舞連中は余裕をみて会館を出発する。昔は青年が舞子になったが、受験などの問題があり、小学高学年から中学生へ年齢が下がってきた。舞手は4年毎に1新し、今年が舞手が交代の時期に当たる。シンゲイコ(新入)は7月末から8月・9月の約70日間に50回位、夜に会館で練習する。天狗を含め3人の小学生が集まったが、1人だけ足らなかったので、先代の1人が加わっている。こうしたところにも少子化が影響している。

 1時23分にホラ貝の音、25分から神社入口の道路から一と二の鳥居をくぐり、参道を進み、金棒を先頭に蠅追・獅子・笛方の順に並んで道行がある。途中から参道を外れて露店の裏側を通って小休止する。
 獅子舞連中が休む間に初山の子供神輿2基が女坂を昇り、1時28分に拝殿前に到着する。拝礼後に神輿を担いだ子供たちは社殿と舞場の間に敷かれたゴザに座り、獅子舞の始まるのを待つ。
 石段の下で待っていた金棒と天狗が1時56分に道行を始め、石段を昇って土俵に到着する。土俵の舞場についた天狗は、大きな白幣で祓いながら2歩進んで1歩下がり、土俵を廻って清める所作をする。これを「空土俵」と呼んでいる。土俵の清めが済むと、土俵の外の社殿側に御幣を立て、石段下で待つ獅子を迎えに戻る。

 2時2分に笛が吹かれ、3分から道行の笛で金棒を先頭にして、天狗・剣獅子・玉獅子・巻獅子に順に土俵に入る。5分に蠅追と獅子が土俵に立ち、笛の曲が「道行」から「岡崎」へ変わり、獅子舞が始まる。6分に「入羽」、8分に「渡り笛」、9分に「変わり笛」と笛の順が変わるのに対応して舞う。11分に前半の舞が終わるが、前半の舞は前と内側を向いて舞う。
 前半の舞が終わると、土俵中央にゴザ2枚を敷いて舞子が休む。休憩の間に舞子と金棒の紹介がある。天狗は小学6年の橋本君、剣獅子は中学3年の新井君、巻獅子は小学6年の新井君、玉獅子は小学5年の植竹君である。金棒は2人共に高校1年の町田君と矢沢君が務める。

 後半のテーマは「女獅子隠し」であるが、先ず博打の場面から獅子舞が始まる。土俵中央のゴザの上に社殿側に天狗、反対の石段側に玉獅子が座る。社務所側に剣獅子、反対の神楽殿側に巻獅子が座って後半の獅子舞が2時24分から獅子舞が獅子舞唄で再開される。獅子舞唄の1から3の3番の間に天狗が賽銭をアピールすると、見物人からオヒネリが投げ込まれる。この賽銭で天狗が獅子を巻き込んでサイコロ博打を始め、最初は獅子が勝ち、2度目は天狗が勝つ。
 3の唄を合図に博打を止めて全員が立ち上がって舞う。その間に金棒がオヒネリをゴザに巻き込んで片付ける。4の唄で社務所側に剣獅子と玉獅子、神楽殿側に巻獅子と天狗が相対する。やがて5の唄で玉獅子をめぐって剣獅子と巻獅子の喧嘩が始まり、互いに1勝1負で6の唄で仲直りする。7の舞の後、8の唄で出羽の舞となり、2時51分に獅子舞を終える。続いて土俵を出て金棒の先導で天狗・剣獅子・玉獅子・巻獅子の順で道行に移り、52分に笛の音が止まる。

 前半には獅子舞唄が歌われなかったが、後半には
   2:24 1 これのお庭にきてみれば 黄金小草が足にからまる
   2:26 2 二の宮のあそめ河原の岸にこそ しくす結びの神のたたりよ
   2:29 3 鴛鴦、鴨が沖のとなかへ巣をかけて 波にゆられてばんと立ち
   2:34 4 思いもよらぬ これのお庭へ朝霧が降りて そこで女獅子が隠されたとな
   2:37 5 あらがゆ我の男獅子殿が 岩の間に巣をかけて 岩を砕いて女獅子を尋ねる
   2:42 6 嬉しやな嬉しやな 風に霞を吹き上げて 女獅子男獅子が肩を並べる
   2:44 7 奥山の松山の 松にからまる蔦の木も 縁が尽きればほろりほごれる
   2:47 8 我が国に我が国に 雨の降るきに雲が立つ お暇申していざ帰らしょな
の8番の唄が続く。いずれの唄も笛を止め、笛方が歌う。上部の数字は唄の開始時刻を示し、傍線の部分は唄を繰り返す。

 獅子は剣角2本をもつ剣獅子、ネジリ角2本の巻獅子の男獅子2匹に、宝珠を戴く玉獅子の女獅子の3匹である。いずれも黒塗りの頭、男獅子は黒毛、女獅子は白毛を生やす。獅子頭は旧頭と同型の練習用頭がある。他に破損したヒョットコ面と外道面がある。
 獅子のタテガミは未晒と茶色の麻を交ぜている。頭の後方に赤・黄・青を重ねたの御幣(28cm)を2本X形篠丈(30cm)に結びつける。水引幕は他所に比べると長く、薄い友禅模様の生地を用いる。前と両脇の3か所に切り込みを入れ、青色の無地の布で縁取りする。

 今年は獅子の切替え年に当たるが、3人揃わずに先代1人を加えている。揃いのユカタにサヤガタ模様の青灰色タッツケをつけ、白足袋にワラジをはく。ユカタは白地に紺の吉原ツナギに縄をからませた柄である。赤の絞り柄手甲をつける。頭に獅子頭をかぶり、太鼓を胸につけ、手にバチを持つ。
 天狗も今年が獅子切替えに当たり、小学6年生が務める。獅子と同じ柄のユカタを尻切れのように折って同じ柄のタッツケをつけ、黒地の胸当て中央に金糸で縁取りした赤の三つ巴紋をつけ、上下対角に亀と鶴の金糸刺繍したをする。太い綿入の赤襷かけ、白足袋にワラジをはく。頭に茶毛のシャグマをつけ、顔に天狗面をつける。獅子と同じ赤の手甲をつけ、団扇を手にもち、腰には2本をX形に結ぶ御幣をさす。帯に大きな木のサイコロと盃を結ぶ。

 笛方は7人全員が唄方を兼ねる。6つ穴の5本調子の笛を使うのが基本であるが、中には6本調子を使う方がいる。獅子唄の時は唄方を兼ねるために笛を止めて歌う。揃いのユカタに揃いの角帯、揃いのハンテンを羽織って首から豆絞りの手拭いをかける。揃いのユカタは獅子や天狗と異なり、傘の連続模様の入った柄である。揃いのハンテンは青地で、黒襟に「初山獅子舞保存会」の白字が入り、背は土俵の中に獅子頭を白抜きにする。黒足袋に黒緒か白緒の草履をはく。笛方で1番若いのは18歳、8歳から引退のない笛方を希望して続けている。

 金棒2人はは天狗や獅子を経験者した高校生である。唄方と同じ柄の揃いのユカタに白のパッチをはき、笛方と同じ揃いの角帯をしめて尻はしょりする。鶴の柄の赤手甲に紺の脚絆、白足袋にワラジをはく。手には紅白の紐のついた金棒を持ち、背に花笠を背負う。
 獅子舞が終わってから社殿をバックに役者の記念撮影が行われ、便乗して写真を撮る。獅子舞連中が神社前の通りを渡り切るのを見届け、近くのバス停から往路とは逆の順路で帰途につく。
◎ 初山獅子舞文献目録
永田 衡吉「神奈川県の無形文化財総覧」『神奈川県文化財調査報告書 第21集』308頁 神奈
     川県教育庁社会教育課 昭和29年刊永田 衡吉「無形文化財集録(2)」『神奈川県文化財調査報告書 第23集』253・257・2
     83・322頁 神奈川県教育庁社会教育課 昭和32年刊戸倉英太郎『権現堂山』178〜191・194・206〜207・209頁 さつき 昭和36年刊川崎市教育委員会社会教育課『川崎市の文化財』口絵・16〜17・18頁 同会 昭和37年刊永田 衡吉『神奈川県民俗芸能誌』281〜33頁 神奈川県教育委員会 昭和41年刊角田 益信「多摩川流域の獅子唄」『高津郷土史料集』第4篇25〜26頁 川崎市立高津図書館
     昭和42年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能案内』10・19・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和46年刊相原  純『写真集 神奈川のまつり』110・138頁 萬葉堂書店 昭和47年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県文化財図鑑 無形文化財・民俗資料篇』76・97頁 神奈
     川県教育委員会 昭和48年刊小林 昌人「初山の獅子舞」『川崎市文化財調査集録 第9集』16〜52頁 川崎市教育委員会
     昭和49年刊神奈川県教育庁文化財保護課『神奈川県の民俗芸能案内』10・19・105頁 神奈川県教育委員
     会 昭和51年刊神奈川県教育庁文化財保護課『かながわの民俗芸能50選』15頁 神奈川県教育委員会 昭和52年刊永田 衡吉『かながわの祭と芸能』114〜115頁 神奈川合同出版 昭和52年刊神奈川県教育庁文化財保護課『ふるさとの文化財(民俗文化財編)』63頁 神奈川県教育委員会
     昭和58年刊永田 衡吉『増補改訂版 神奈川県民俗芸能誌』198・321・323〜325頁 錦正社 昭和
     62年刊白井 禄郎「川崎市民俗芸能概観」『川崎市文化財調査集録』第25集11・14頁 川崎市教育委
     員会 平成4年刊初山獅子舞保存会『初山獅子舞のうた』 同会 平成2年刊角田 益信『川崎の古民謡(下)』20〜22頁 同人 平成2年刊川 崎 市『川崎市史 別編 民俗』口絵・548・554〜556・558〜560頁 同市 平
     成3年刊川崎市教育委員会文化課『かわさき文化財読本』124〜125頁 同会 平成3年刊高橋秀雄・須藤功『祭礼行事 神奈川県』85頁 桜楓社 平成3年刊川崎市教育委員会文化課『川崎市文化財図鑑』図版113・図版123・142〜143・154〜
     155頁 同会 平成3年刊神奈川県祭礼研究会『祭礼事典 神奈川県』225頁 桜楓社 平成4年刊吉村 俊介『獅子の里を訪ねて──神奈川県の一人立ち三頭獅子舞』91〜101・113・115
     ・121頁 宮の橋社 平成4年刊荒井 俊明『鳥屋の獅子舞 一人立三頭獅子舞』62・65頁 同人 平成5年刊石川 博司『平成八年の獅子舞巡り』125〜130頁 多摩獅子の会 平成8年刊三田村佳子「土俵という舞台──獅子舞と相撲の関連について──」『研究紀要』第13号20・2
     1頁 埼玉県立民俗文化センター 平成9年刊峰岸三喜蔵『獅子の詩−日本の3匹獅子舞』170頁 けやき出版 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り』27〜32・94〜6頁 多摩獅子の会 平成10年刊石川 博司『神奈川の獅子舞巡り2』24・25・26〜29・30・36〜37頁 多摩獅子の会
     平成12年刊神奈川県立歴史博物館『かながわの獅子舞−獅子頭の世界』8・9・13・50〜1・69頁 同館
     平成17年刊       『神奈川の獅子舞巡り』(多摩獅子の会 平成10年刊)を追録
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