石川博司 著   栃木の昭和庚申年塔         発行 庚申資料刊行会     栃木の庚申塔_目次に戻る
   目次
栃木県の昭和庚申年塔
栃木県昭和庚申年塔一覧表

「栃木市 野仏の風景」雑感
     1 栃木まつり      
     2 市内庚申塔概観
     3 庚申年造立の塔

「小山市 野仏の風景」雑感
     1 北斗七星の塔     
     2 市内庚申塔概観
     3 庚申年造立の塔    
     4 三猿の文字化
あとがき
栃木県の昭和庚申年塔

 平成7年7月4日(火曜日)、国立の関口渉さんが来青された際に、宇都宮の瀧澤龍雄さんが作成された「栃木県の昭和庚申年塔所在地」一覧表のコピーをいただいた。このリストは、私が『日本の石仏』第75号(平成7年6月刊)に発表した「続昭和庚申年の全国造塔数」を瀧澤さんがご覧になって、栃木県内で調査された庚申塔をまとめれ、石仏談話室で配付されたものである。

 先の「続昭和庚申年の全国造塔数」にも記したが、これを書くきっかは、栃木県今市市に昭和庚申年塔が65基あることが同市歴史民俗資料館編集・発行の『今市の庚申塔』(平成5年刊)に報告されていたからである。港区南麻布の都立中央図書館で『今市の庚申塔』をみるまで、これほど多量の昭和庚申年塔の存在に気付かなったのは、うかつというほかない。

 そこで、関口さんから瀧澤さんの住所をおききして、栃木県下の手持ちの資料でリストを作り、お手紙をさしあげた。そのご返事には、栃木の石仏ならば田村右品氏が最適任者とあったので、早速、田村氏にご連絡してご協力をあおいだ。快く提供していただいた瀧澤龍雄、田村右品両氏の調査資料に私の手持ちの資料を加えて、あらためて「昭和庚申年塔一覧表 栃木県」を作成して両氏にお送りした。瀧澤さんからは、その後、このリストに洩れた塔や所在地の誤り、ダブリなどのご指摘をいただいた。後に記載した一覧表は、両氏のご教示によるものである。

 表中の最後にかかげた小川町のものは、庚申塔ではなく、庚申塚である。『小川町の碑塔と野仏』には、「六十年に一回の庚申の年には、庚申の掛け軸や供物を地中にうずめて小さな塚『庚申塚』をつくっているところもあります」(23頁下段)や「昭和五十五年庚申の年には芳井、片平、三輪で庚申塚がつくられました」(24頁上段)と記されている。

 『日本の石仏』第75号(平成7年刊)には、7年12月2日(土曜日)に新宿区百人町で行われる第46回石仏談話室で瀧澤さんが「栃木県の石仏」を話をされる予告がのっていた。たまたま、当日は他に予定がなかったので、談話室に出席して初対面したわけである。その席で新たに湯津上村の昭和庚申年塔を教えていただいた。

 こうした経緯で栃木県の昭和庚申年塔がまとまったのでる。まだまだ県内にはこの一覧表に洩れた昭和庚申年塔があるかもしれないが、手元で温めておくよりも公表すれば、利用する方もあろう。何かの参考になれば幸いである。
 末筆になったが、あらためて瀧澤龍雄、田村右品両氏に感謝を申しあげる次第である。
                                   (平成8・1・20記)
栃木県昭和庚申年塔一覧表
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年月日  特徴                 塔形  所在地       報告者・文献
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〔宇都宮市〕
55 2吉 「庚申供養塔」「原石那田農家」    自然石 上小池町上小池     瀧澤・田村
55 2吉 「庚 申」「原組講中」        自然石 下小池町        田村右品
5511吉 「庚 申」「庚申講」         自然石 篠井・下小池      田村右品
5511吉 「庚 申」「前組北組講中建之」    自然石 下栗町2丁目大塚神社  瀧澤・田村
551213 「庚申塔」              自然石 細谷町 長良神社    瀧澤・田村
551213 「庚申塔」「外飯山庚申講」      自然石 飯山町万城路      田村右品
55 「庚申供養塔」「中篠井庚申講中」   自然石 篠井町中篠井      瀧澤・田村
55 「庚申塔」「屋板町庚申」       自然石 屋板本町 公民館    田村右品
55 「庚申塔」「西組講中」        自然石 下栗町1丁目 神社   瀧澤・田村
55  「庚申神」              角柱型 徳次郎町上町      瀧澤龍雄
55 「庚 申」「岩本講中」        角柱型 岩本町         瀧澤龍雄
55  「庚 申」「飯山町上組下組庚申講一同」自然石 飯山町         瀧澤龍雄
55 「庚 申」              自然石 長岡町 高お神社    田村右品

〔栃 木 市〕
551014 「庚申塔」「藤田老人クラブ建之」   自然石 藤田町 公民館前    清水・瀧澤

〔佐 野 市〕
551213 「庚申塔」「中組中」         柱状型 富士町 中組      田村右品
55 「庚申塔」「入組中」         自然石 富士町 5・6班    田村右品

〔鹿 沼 市〕
551213 「庚申塔」「参拝記念(氏名)     柱状型 富岡町つげし沢     田村右品

〔日 光 市〕
55 1  「庚 申」              自然石 上野 生岡神社     田村右品
55 2庚 「庚 申」「中居講中」        自然石 和泉・中居 磐裂神社  田村右品
55 214 「庚 申」「山口講中」        自然石 南小来川・山口     庚申・田村
55 2 「庚 申」              自然石 山久保・木曽 土手上  瀧澤龍雄
55 417 「(種子)庚申」「上原沢口講中」   自然石 南小来川・上原     庚・瀧・田
55 417 自然石 宮小来川・小沢     庚申・田村
55 417 「(種子)庚申」           自然石 宮小来川・小春     庚申・田村
55 417 「庚申塔」              自然石 東小来川・黒下 天王様 瀧澤龍雄
55 4吉 「(種子)庚申」「世話人(氏名)」  自然石 宮小来川・鍛冶屋    庚・瀧・田
55 4吉 「(種子)庚申」           自然石 中小来川・向原     庚申・田村
55 4 「庚申塔」              自然石 小来川・新谷      田村右品
55 6 「庚 申」「上坪講中」        自然石 所野中坪 磐裂神社   田村右品
55 7 「庚 申」              自然石 所野・善法入口     田村右品
551014 「(種子)庚申」           自然石 中小来川・滝ケ原    庚申・田村
5510 「庚 申」              自然石 山久保・木曽 1本松  田村右品
5512吉 「庚 申」              柱状型 上鉢石町 星の宮    清水・田村
55 「庚 申」              自然石 花石町 華石神社    清水長明
55 「猿田彦大神」                南小来川・長久保    庚申92
55 「(種子)庚申」           自然石 中小来川・水草沢    庚申・田村
55 「庚 申」              自然石 山久保・柏木      田村右品
55 「庚 申」「二橋講中」        自然石 七里・二橋       田村右品
55 「庚 申」              自然石 和泉・堀之内      田村右品

〔今 市 市〕
55 1吉 「庚申塔」              自然石 川室 籠岩旧道     今市の庚申塔
55 1吉 日月「庚申塔」            自然石 芹沼 高声寺南方    今市の庚申塔
55 1 「庚 申」              自然石 大渡 貴船神社裏    今市の庚申塔
55 1 日月「庚 申」            自然石 轟 曲沢        今市の庚申塔
55 1 2 日月「庚 申」            自然石 轟 高男荷渡神社前   今市の庚申塔
55 1 2 日月「庚 申」            自然石 芹沼 町谷境      今市の庚申塔
55 1 2 日月「庚 申」            自然石 芹沼 高男神社     今市の庚申塔
55 217 「下野国庚申山鎮座猿田彦神社 庚申」 自然石 瀬川 大谷川際     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 高百 薬師堂      今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 吉沢 磐裂神社     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 土沢 十文字先     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 土沢 新里街道沿い   今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 大桑町 高尾神社前   今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 川室 バイパス沿い   今市の庚申塔
55 217 日月「庚 申」            自然石 小百 木曽       今市の庚申塔
55 217 日月「庚 申」            自然石 小百 穴沢       今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 栗原 消防詰所前    今市の庚申塔
55 217 日月「庚申塔」            自然石 水無 しどみ原     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 森友 滝尾神社     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 荊沢 針貝境      今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 荊沢 大室境      今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 大村 矢野口境     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 薄井沢 集落入口    今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 上猪倉 堀ノ内     今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 木和田島 高内     今市の庚申塔
55 217 「下野国庚申山鎮座猿田彦神社 庚申」 自然石 塩野室町 杉の郷3   今市の庚申塔
55 217 「庚 申」              自然石 矢野口 大室境     今市の庚申塔
55 217 「下野国庚申山鎮座猿田彦神社 庚申」 自然石 沢又 下沢又      今市の庚申塔
55 217 「庚申塔」              自然石 小林 小林中の東側   今市の庚申塔
55 217 「庚申塔」              自然石 小林 2区公民館北側  今市の庚申塔
55 217 「庚申塔」              自然石 小林 農地記念碑    今市の庚申塔
55 217 「庚申塔」              自然石 小林 上河内境     今市の庚申塔
55 2庚 「庚 申」              自然石 豊田 愛宕神社     今市の庚申塔
55 2吉 「庚申塔」              自然石 長畑 遠入入口     今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 町谷 水道施設     今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 町谷          今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 町谷 関ノ沢      今市の庚申塔
55 2吉 日月「庚申塔」            自然石 芹沼 山中       今市の庚申塔
55 2吉 日月「庚申塔」            自然石 小百 石屋墓地     今市の庚申塔
55 2吉 日月「庚 申」            自然石 小百 滑川橋際     今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 小百 楢原       今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 原宿 板穴橋際     今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 佐下部 分譲地     今市の庚申塔
55 2吉 「庚 申」              自然石 中猪倉 柳戸      今市の庚申塔
55 2 「庚 申」              自然石 瀬川 大谷川際     今市の庚申塔
55 2 「庚 申」              自然石 瀬尾 第3保育所裏   今市の庚申塔
55 2 「庚 申」              自然石 町谷 観音堂      今市の庚申塔
55 2 日月「庚 申」            自然石 小百 宿観音堂     今市の庚申塔
55 2 日月「庚 申」            自然石 小百 下ノ沢      今市の庚申塔
55 2 日月「庚 申」            自然石 大室 高沼       今市の庚申塔
55 2 日月「庚 申」            自然石 針貝 東組入口     今市の庚申塔
55 6吉 「庚 申」              自然石 沓掛          今市の庚申塔
551014 日月「庚 申」            自然石 平ケ崎 琴平山     今市の庚申塔
551014 「庚 申」              自然石 栗原 消防詰所前    今市の庚申塔
551213 「庚申塔」              自然石 倉ケ崎 真光寺跡    今市の庚申塔
5512庚 「庚 申」              自然石 板橋 不動尊前     今市の庚申塔
5512吉 「庚 申」              自然石 小代 分譲地内     今市の庚申塔
5512吉 「庚申塔」              自然石 岩崎 うしろ田中    今市の庚申塔
5512吉 「庚 申」              自然石 中猪倉 松ノ木     今市の庚申塔
55 「庚 申」              自然石 手岡          今市の庚申塔
55 「庚 申」              自然石 高畑 観音堂      今市の庚申塔
55 「庚 申」              自然石 室瀬 行川峠      今市の庚申塔
55 「猿田彦大神」            自然石 長畑 下組観音堂裏   今市の庚申塔
55 「庚 申」              自然石 中猪倉 正京内     今市の庚申塔
55 「庚申塔」              自然石 小林 小林橋際     今市の庚申塔

〔小 山 市〕
55 2吉 「庚申塔」「小山市延島西豆口一同」  柱状型 延島・西豆口・天神橋北 瀧澤龍雄

〔大田原市〕
55 217 「庚申松」              柱状型 富池 神社       田村右品
55 6吉 「庚申塔」「田中坪講中」       自然石 大田原・南金丸・田中  田村右品
551213 「庚申塔」「講中一同建之」      自然石 大田原・高橋      田村右品
55 616 「庚申塔」(氏名)          自然石 鹿畑・西鹿畑 温泉神社 瀧澤龍雄

〔河 内 郡〕 上三川町
551125 「庚 申」「登上庚申講一同建之」   自然石 本郷・上郷・戸館    田村右品

〔上都賀郡〕 粟野町
55 「庚申塔」「新宿中」         自然石 粟野町 粟野神社    瀧澤龍雄
55 「猿田彦大神」(氏名)        自然石 粟野町粟野・叶・桑沢橋 瀧澤龍雄

〔芳 賀 郡〕 市貝町
55 516 「庚申塔」              自然石 田野辺・宿       瀧澤龍雄

〔下都賀郡〕 壬生町
5510吉 「庚申塔」「原宿」          柱状型 壬生・藤井・原宿    田村右品
〔下都賀郡〕 石橋町
55 「庚申塔」              柱状型 上古山 古山神社    瀧澤龍雄
55 「庚申塔」(氏名)          自然石 上古山 東神明社    瀧澤龍雄

〔塩 谷 郡〕 藤原町
5512吉 日月「庚申塔」「大原講中」      自然石 大原          瀧澤龍雄
〔塩 谷 郡〕 塩谷町
55 2吉 「庚 申」              自然石 田所・中組       田村右品
55 2吉 「庚 申」              自然石 鳥羽新田 公民館    田村右品
55 8吉 日月「庚申塔」            自然石 新谷          瀧澤・田村
5510吉 「庚 申」              自然石 大宮・宿 神社     田村右品
5510吉 「庚 申」              自然石 上平・宿        田村右品
5510吉 「庚 申」「諸杉講中」(氏名)    自然石 大宮・諸杉       瀧澤・田村
5512吉 「庚 申」              自然石 大宮 愛宕神社裏    瀧澤・田村
5512吉 「庚申塔」              自然石 船生・百目鬼 観音堂  田村右品
55 「庚 申」              自然石 沼倉 公民館      田村右品
〔塩 谷 郡〕 喜連川町
55 「庚申塔」(道標銘)         自然石 穂積 薬師堂      瀧澤龍雄

〔那 須 郡〕 南那須町
55 2 「庚申塔」              自然石 三箇下・生袋      瀧澤龍雄
55霜月 「庚申塔」「戸田坪講中建之」     自然石 三箇・生袋・戸田    瀧澤龍雄
551213 日月「庚申塔」「舟澤講中建之」(氏名)自然石 穂積 薬師堂      瀧澤龍雄
551213 「庚申塔」「六七班一同建之」     自然石 三箇 松原寺参道入口  瀧澤龍雄

〔塩 谷 郡〕 湯津上村
551213 「庚申之碑」             自然石 蛭田・新宿 観音堂   瀧澤龍雄

〔安 蘇 郡〕 田沼町
551123 「ウーン 庚申塔」          自然石 田沼町作原・栃久保   多田治昭

〔参考〕
〔那 須 郡〕 小川町
55 (猿田彦大神) 庚申塚 三輪       小川町の碑塔と野仏
55 (青面金剛) 庚申塚 片平       小川町の碑塔と野仏
55 (青面金剛) 庚申塚 芳井       小川町の碑塔と野仏
栃木市 野仏の風景」雑感

 これまで私と栃木県栃木市は無縁であった。ところが後でふれるように、平成8年11月15日(金曜日)、5年に1度行われる「栃木まつり」に曳かれる山車を見学に栃木市に出かけた。これで栃木市との繋がりできた。まさかこの祭りの山車見物で石仏など調べようとなどと思ってもいなかったけれど、たまたま泉町・雲龍寺の境内で丸彫りの青面金剛2体をみたり、栃木市立図書館の行き来によった旭町の定願寺と延命寺で庚申塔をみつけたりすると、市内の庚申塔が気になるくる。

 祭りの合間に行った図書館では、中島昭氏の著作『栃木市 野仏の風景』(私家版 平成4年刊)が書棚にあるのに気付いた。書棚には、この本と同氏の『小山市 野仏の風景』(私家版 平成7年刊)がみられ、両書を手にしたのがきっかけで、平成8年11月30日にその2冊を入手した。さっそく拝読して、先にみた塔以外の栃木市内にある庚申塔の状況がつかめてきた。

 中島氏の調査によると、栃木市内には298基の庚申塔が分布している。その内で私がみたものは次の項で記すように僅かに8基、比率にして2.7%に過ぎない。従って私は、市内の庚申塔をほとんど知らないといっていい。

 本稿では、まず栃木まつりの当日にみた庚申塔から話を始めて、中島氏の『栃木市 野仏の風景』の書中に記された庚申塔に関して感じたことを綴ってみたい。

1 栃木まつり

 栃木県栃木市で行われる「栃木まつり」は、5年に1度の祭りである。今年は、特に市制60周年記念を兼ねて平成8年11月15日(金曜日)から17日(日曜日)までの3日間にわたって盛大に行われると、雑誌『散歩の達人』で知ったので、初日の15日に栃木に出かけた。

 この栃木まつりへ行く気になったのは、この祭りで曳かれる山車の中に江戸・山王祭りで曳かれた静御前の山車があって、これが栃木に現存し、今回の祭りにも挽き出される聞いたからである。静御前の人形を載せた山車は、青梅市仲町にもみられる。かつてこの仲町の山車について

    『水神祭』(昭和31年 魚がし会発行)にカラー印刷版が折り込みされており、これに高
   欄上に静御前の人形を飾った山車が描かれていた。またその図の二層目の四面水引幕が赤地に
   白鶴が飛び交うもので、現在、仲町にあるものと同一の図柄である。こうした点からみると、
   仲町の人形と水引幕は、天保年間に赤坂山王の祭礼で用いられていた日本橋の瀬戸物町・小田
   原町・伊勢町(現在の中央区室町・日本橋)の三町のものである。

と書いたが、実はこの図の山車は栃木に渡ったものだ、と齋藤慎一さん(青梅市文化財保護審議委員)から聞いた。そこでその山車の実物を見るのが大きな目的であった。

 祭り見物といっても、お寺が見えると寄りたくなる。大通りを歩いていた時に、お寺が見えたので別に期待していったわけではなかったが、境内に泉町会館がある雲龍寺を訪ねた。ここには
 1 年不明 丸 彫 日月・青面金剛・1鬼・3猿      計測出来ず(註1)
  2 年不明 丸 彫 青面金剛・1鬼・3猿         計測出来ずが見られたの大きな収穫である。共に剣人6手像である。丸彫りで細かに彫られているだけに、腕が欠けているのが惜しまれる。この2基の横には、台石正面に「十九夜供養塔」と刻んだ文化9年の如意輪観音丸彫り像がある。

 午後3時過ぎに祭り見物が1段落したところで、栃木市立図書館に行こうと思った。図書館への途中、旭町の定願寺(天台宗)があったので寄ると
  3 年不明 板駒型 日月・青面金剛・2猿         142×55
  4 貞享3 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       131×55
  5 延宝3 板碑型 日月・三猿・蓮華            155×47の3基が並んでいる。3は合掌6手像(像高58cm)で、年銘を「□延□三亥年」と読んだが自信がない。二猿(像高12cm)が珍しい。4も合掌6手像(像高76cm)で、「奉造立青面金剛□年□庚申取□□」「一結等□」の銘文が刻まれている。こちらは、3と異なって三猿(像高20cm)である。この三猿は、5とちがって中央の猿が正面を向き、両脇の二猿が内側を向いている。5の塔面が荒れていて、僅かに「延寳三年」しか読めなかった。3と4は、猿が下部に浮彫りされているが、5の正面向きの三猿(像高20cm)は日月の下に浮彫りされている。

 図書館で見た『栃木市史(民俗編)』(栃木市 昭和54年刊)には、580頁に3基の庚申塔の写真が載っている。それぞれには「めずらしい二匹猿の庚申塔(塚町大日様)」「青面金剛(万町)」「猿田彦命の塔碑(平柳町1丁目星宮神社)」の説明文がついている。579頁には、「栃木市内の各地に青面金剛や庚申塔が建てられているのを見ても、その信仰が如何に盛んであったかをうかがわせる」とあり、581頁には

    庚申は仏教上では青面金剛である。だから青面金剛の像にも庚申供養と刻んでいる。栃木市
   地方の傾向として、元文年間(1736−1741)のものは、碑面に「青面金剛尊」を刻ん
   だものだけが目立つようになるが、享保10年(1725)以前の青面金剛塔は、忿怒の神が
   天の邪鬼をふんまえ、その下に見ざる、言わざる、聞かざるの三猿を彫り刻みさらに鶏などを
   刻んだ芸術性豊かなものがほとんどである。

と、市内の傾向がうかがえる。時間が余り割けないので、中島昭氏の『栃木市 野仏の風景』(平成4年刊)をさっとだけ見たら、先刻見てきた定願寺の塔の写真が載っていた。時間があれば、同氏の『小山市 野仏の風景』(平成7年刊)と共にじっくりと読みたかった本である。

 図書館を出るとお寺が見えたので、旭町の延命寺(天台宗)に寄ると
 6 元禄4 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       64×35
  7 元文5 自然石 「奉拜庚申供養塔」          130×55
  8 享保8 板駒型 日月・青面金剛・1鬼・3猿       85×32の3基がみられる。6と8は共に合掌6手像で、6の像高は36cm、8の像高は54cmである。6には「奉造立庚申供養」、8には「奉造立尊像講中安全所」の銘文が刻まれている。両塔共に、中央が正面向き、両横が向かい合う横向きの三猿である。

 かなり暗くなったいたが、再度、定願寺に訪れた。この寺の境内には、前記の3基以外にも、風化の激しい青面金剛らしい塔が2基(註2)あるの気がついた。この寺の門前には、仏像を浮彫りした珍しい板碑型塔(註3)がみられる。再び、山車見物に戻る。

  (註1) 庚申塔の前には木の柵があったので入らなかったので、計測も銘文の調査も省略した。
   『栃木市 野仏の風景』によると、両塔は共に「大正九年三月十三日」の年銘が刻まれた大正
   庚申年の造立である。
    後日に出来上がった写真をみると、1と2では主尊の青面金剛が剣人6手像で1致するが、
   頭部や顔など細かにみると両塔で違いがある。青面金剛の脚下にある鬼は、1では鬼が横向き
   で手足が刻まれているのに対し、2では鬼の正面向きの顔だけが浮彫りされている。
    1の塔の台石には、二鶏と三猿が浮彫りされている。二鶏は、三猿の上にみられ、向かって
   右に雄鶏、左に雌鶏が位置している。三猿は、3匹ともに狩衣をきて御幣をかついでいるが、
   向かって右の2匹は日の丸烏帽子をかぶっている。左端の1猿は、烏帽子なしで、右手に桃を
   もっている。
    2の台石には、左端に横向きの口を塞ぐ猿が浮彫りされ、右下に正面向きの猿らしい像がみ
   られるが、前記では三猿としたが、1猿のほうがよいだろう。祭りが気になっていたせいか、
   どうも庚申塔をみる目が甘かったようである。

 (註2) 2基の内の1基を撮った写真をみると、『栃木市 野仏の風景』34頁に載った塔(図
   55)で、合掌6手像の青面金剛の下には1猿1鶏が浮彫りされている。銘文はないようである
   (104頁)。他の1基は、写真を撮っていなかった。

 (註3) 写真をみると、塔の上部に天蓋が浮彫りされ、その下の両側に幢幡がさがっている。中
   央には光背の中に左手に蓮華をとる主尊の聖観音立像が浮彫りされている。観音の頭上には
   「サ」の種子、光背の両横には法名が刻まれている。


2 市内庚申塔概観

 まず『栃木市 野仏の風景』を開いてみたのが26頁から44頁に載っている「1 庚申塔」である。これには、項目の「庚申信仰」「青面金剛の庚申さま」「いろいろな庚申塔」「猿陽刻庚申塔」「庚申文字庚申塔」「青面金剛庚申塔」「猿田彦文字庚申塔」「梵字庚申塔」「百庚申塔」「古い庚申塔」「新しい庚申塔」がみられ、33葉の写真が添えられている。

 書中の写真の中には、先日の栃木まつりの時にみた旭町・定願寺の延宝3年塔(図56)と泉町・雲龍寺の丸彫り像2体(図58)が掲げてある。祭り当日治には、先の文中にあるように旭町・定願寺の1鶏1猿塔(図55)を詳しくみていない。

 96頁から20頁にかけては、番号・碑塔名・形態・寸法・建立年月日・所在地・特記事項が記された「栃木市の野仏一覧」が載っている。その後には208〜9頁に「分類別野仏集計表」があり、庚申塔が「日待塔」の下位分類で、「刻像塔」と「刻字塔」にわけられている。これは、さらに刻像塔が「青面金剛」「猿陽刻」「仏像」に、刻字塔(文字塔)が「庚申塔」「青面金剛」「その他(猿田彦・梵字)」に細分されている。210〜1頁にある「年代別集計表」には、庚申塔が1項目としてあげられ、それぞれの元号別の塔数が示されている。

 中島氏は、栃木市内の野仏1177基を調査されている。この中で庚申塔がどのような位置を占めるかをみると、庚申塔の塔数は十九夜塔の372基に次ぐ298基である。従って、野仏に占める割合が24・6%と、およそ4基に1基の割りである。

 市内の庚申塔の造立年代をみると、「古い庚申塔」(42〜3頁)と「新しい庚申塔」(44頁)に記されているように、片柳町1丁目墓地入口にある万治2年(1659)青面金剛像が最も古く、最新は藤田町の公民館にある昭和55年(1980)文字庚申塔である。庚申塔は、321年にわたって造塔がみられたことになる。

 造立年代が明らかな庚申塔をみると、刻像塔では、市内最古の片柳町・万治2年青面金剛像から大正9年(1920)の泉町・雲龍寺まで青面金剛の91基、猿陽刻の28基がみられる。文字塔では大塚町中区・東場の寛文11年(1671)塔から最新の藤田町・昭和55年塔まで179基が造立されている。

 片柳町の万治2年造立の青面金剛像については、庚申懇話会の清水長明さんが「青面金剛像と石像遺物」(町田市立博物館『青面金剛と庚申信仰』所収 平成7年刊)で

    栃木市片柳町1丁目墓地にある万治2年(1659)の青面金剛像は、既述の相模の承応・
   明暦の7基に続くものである。4手は右手=宝輪(上)・索(下)、左手=矛(上)・棒(下)
   と儀軌と同じ持物を持つ。棒と手首には蛇が巻きついている。上方には雲を配した日月、その
   下に左旋と右旋の卍が横に並ぶ。足元左側には御幣を捧げた1匹の猿、右側には鶏1羽が猿と
   向かいあっている。「万治二己亥年二月二日」の紀年が裏面に見える。(90頁)

と記している。なお同書の81頁には、写真が掲げられている。

 最新の藤田町にある文字庚申塔は、昭和55年の庚申年に造立されている。私が『日本の石仏』第74号(日本石仏協会 平成7年刊)に発表した「続昭和庚申年の全国造塔数」に漏れたものである。この塔については、次の項でふれたい。

3 庚申年造立の塔

 前項でもふれたように、栃木市最新の庚申塔が昭和庚申年の造塔である。中島氏は、書中で庚申年の造塔にほとんど書かれていないので、ここで庚申年造立の塔を分析して記しておこう。210〜1頁の「年代別集計表」をみると、延宝が14基、元文が18基、寛政が32基、安政が11基、万延が40基、大正が20基、昭和が2基と、昭和を除くと庚申年を含む元号の造立が多いのがわかる。

 無論、年数の多い元禄が16基、享保29基もあるが、1年当たりの造塔数をみれば、昭和庚申年以外、庚申年の造塔数にはおよばない。試みに庚申年以外の1年当たりの造塔数が多いのは、享保元年が7基で最も多く、続いて同5年の5基、明和元年の4基の順である。

 それぞれの庚申年の塔数を一覧表にまとめると、次のとおりである。
   ┏━━━━┯━━━━┯━━━┯━━━┳━━━┳━━━━━┓
   ┃元  号│西  暦│刻像塔│文字塔┃合 計┃比   率┃
   ┣━━━━┿━━━━┿━━━┿━━━╋━━━╋━━━━━┫
   ┃延宝8年│1690│  6│  2┃  8┃  6.5┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃元文5年│1740│  3│ 11┃ 14┃ 11.3┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃寛政12年│1800│   │ 31┃ 31┃ 25.0┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃万延1年│1860│   │ 50┃ 50┃ 40.3┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃大正9年│1920│  2│ 18┃ 20┃ 16.1┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃昭和55年│1980│   │  1┃  1┃  0.8┃
   ┣━━━━┷━━━━┿━━━┿━━━╋━━━╋━━━━━┫
   ┃ 合     計 │ 11│113┃124┃100.0┃
   ┗━━━━━━━━━┷━━━┷━━━┻━━━┻━━━━━┛
 なお安政7年は、年の途中で改元があって万延元年となるので、表では万延元年に含めた。

 栃木市内にある庚申塔は298基、この内の124基が庚申年の造立だから、庚申塔全体の41.6%である。298基の中には造立年代のわからない塔が55基は含まれているから、これを除外して比率を計算すると、6年間の造立数が51.0%と過半数を占めている。この数字からみても、栃木市の庚申塔の造立年代の傾向がうかがわれる。

 各庚申年の造塔傾向をみると、刻像塔では延宝8年の6基を最高に、次の元文5年では3基、大正9年が2基と減少傾向にある。刻像塔は、いずれも青面金剛を主尊としている。文字塔は、万延元年の50基(安政7年銘の11基を含む)を最高に、寛政12年の31基、大正9年の18基の順で、万延元年を頂点とするカーブである。辛うじて昭和55年に1基の造立がみられる。同じ栃木県でも、今市市の65基、日光市の13基に比べると、昭和庚申年の造塔が少ない。

 刻像塔が青面金剛1色であるに対して文字塔では、延宝8年の2基が「奉庚申供養2世安楽」と「庚申塔」で三猿を伴っている。次の元文5年の場合は、文字塔のみで青面金剛系の「青面金剛」(2基)・「青面金剛塔」(4基)・「青面金剛供養塔」の7基、庚申系の「奉拝庚申供養塚」「奉供養庚申」「奉造立庚申供養塔」「奉造立庚申供養」が各1基の計4基である。庚申系には三猿を伴う1基が含まれている。

 寛政12年の場合は、庚申系に属する「庚申塔」(26基)・「庚申供養塔」(2基)・「庚申」(1基)の合計29基、「青面金剛」1基である。その他には「梵字のみ」と記された吹上町細堀・西山麓の自然石塔(144頁)が1基ある。前回の庚申年と比べて、庚申系と青面金剛系の造塔数が逆転している。

 万延元年(安政7年を含む)は、延宝8年から元文5年、寛政12年と庚申年毎に塔数が増えて、頂点の50基となった。刻像塔はみられず、文字塔は庚申系の「庚申塔」(39基)・「庚申」(9基)の47基、青面金剛系がなくなった代わりに猿田彦系の「猿田彦太神」の1基である。その他に「文字塔」とだけ記された泉川町・稲荷神社の自然石(164頁)が1基ある。

 大正9年の場合は、塔数が前回の万延元年の40%に減った。元文5年、寛政12年、万延元年の庚申年3回連続でみられなっか刻像塔が丸彫り塔が2基造られ、青面金剛系が復活したのが注目される。文字塔は、庚申系の「庚申塔」(16基)・「庚申」(2基)の計18基である。

 昭和55年は、これまでの庚申年で最小の塔数で、大正9年より激減の1基である。この塔については、「新しい塔」(44頁)で

    大宮地区の藤田公民館には9基の野仏が存在するが、その2番目に板状の石碑が建っている。
   表面中央に「庚申塔」、その左側に「藤田老人クラブ建之」の文字を刻んだこの碑は、昭和5
   5年の造塔である。昭和55年という栃木市でも最新の庚申塔であるとともに、老人会がこう
   した信仰碑を建立することも珍しく、この地区の人々の結びつきと信仰心の強さを物語ってい
   るといえよう。(図74)

とあり、写真がみられる。

 各庚申年の塔形を一覧表にまとめると、次の通りになる。なお先にあげた「続昭和庚申年の全国造塔数」に載せた栃木県今市市・茨城県潮来町・長野県朝日村と比較できるように、『栃木市 野仏の風景』の塔形分類を変更する。具体的には、山角柱状型や平角柱状型、皿角柱状型、丸角柱状型などの各種の柱状型を「柱状型」とし、板状碑を「自然石」に含める。

   ┏━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┳━━━┓
   ┃種 別│塔 形│延宝8│元文5│寛政12│万延1│大正9│昭和55┃合 計┃
   ┣━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃刻像塔│笠付型│  3│   │   │   │   │   ┃  3┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │光背型│  2│   │   │   │   │   ┃  2┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │板駒型│   │  1│   │   │   │   ┃  1┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │駒 型│  1│  2│   │   │   │   ┃  3┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │丸 彫│   │   │   │   │  2│   ┃  2┃
   ┃   ┝━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃   │小 計│  6│  3│  0│  0│  2│  0┃ 11┃
   ┣━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃文字塔│光背型│   │   │  1│   │   │   ┃  1┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │板駒型│  1│   │   │   │   │   ┃  1┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │駒 型│  1│  1│  4│   │  1│   ┃  7┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │柱状型│   │  2│  3│ 14│  4│   ┃ 23┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │自然石│   │  8│ 22│ 36│ 13│  1┃ 80┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │不 明│   │   │  1│   │   │   ┃  1┃
   ┃   ┝━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃   │小 計│  2│ 11│ 31│ 50│ 18│  1┃113┃
   ┣━━━┷━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃合     計│  8│ 14│ 31│ 50│ 20│  1┃124┃
   ┗━━━━━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┻━━━┛
 文字塔では、自然石と柱状型が占める比率が高く、自然石が文字塔の70.8%、全体でも64.5%である。自然石と柱状型の両者で全体の83.0%を占める。

 ここでは、中島昭氏の『栃木市 野仏の風景』を拝読して、感じたままを書き連ねた。庚申塔だけでなく、数多くの石仏を対象に市内を調査され、一本にまとめあげられた中島氏のご労苦に感謝したい。このご労作を土台に多くの研究者の共有財産として活用することが、著者・中島昭氏に対する恩返しになるのではなかろうか。

 文中には、著者の中島氏に対して失礼な箇所が多々あろうかと思われるが、庚申塔研究発展のステップとしてお許しいただきたい。末筆ながら、中島氏のさらなるご調査とご研究の進展をお祈りしてペンをおく。(平成8・12・2記)
「小山市 野仏の風景」雑感

 平成8年11月15日(金曜日)、栃木県栃木市で5年に1度行われる「栃木まつり」の山車見学に行った。見物の間に訪れた栃木市立図書館で、書棚に中島昭氏の著書『栃木市 野仏の風景』(私家版 平成4年刊)と『小山市 野仏の風景』(私家版 平成7年刊)を見つけた。小山の本は、庚申塔の部分を眼をざっと通して昭和庚申年塔が載っていることを確認したにとどまった。

 後日、中島氏の住所を手掛かりにして電話帳で番号を調べ、直接、電話して両書を入手した。本を手にしたのは、平成8年11月30日のことで、さっそく拝読した。ここでは、書中の庚申塔に関して感じたことを綴ってみたい。

1 北斗七星の塔

 中島氏の『小山市 野仏の風景』を読んで1番に驚いたのは、図64の写真(38頁)である。小宅・八幡神社にある板碑型の塔で、延宝3年に造立された。塔の上部には日月、その下に上列4つと下列3つの計7つの丸、向かい合わせの2猿、正面向きの三猿を浮彫りし、下部に蓮華が陰刻されている。三猿の下に四角の枠があり、その中に「延宝三乙□暦」「霜月朔日」の年銘が、蓮華の横左右に「小宅村」「願主」の銘文が刻まれている。 中島氏は、この塔について38頁で

    豊田地区の大字小宅上坪に八幡神社があり、その裏手に辰庚申塔は、駒型の石碑の上部にま
   ず向き合った2匹の猿、そしてその下に正面を向いた三匹の見ザル・言わザル・聞かザルが彫
   られ合計5匹となっている。おもしろいのは、この碑のどこにも庚申の文字はなく、猿が庚申
   塔の象徴であることを知らなければ、庚申塔と気付くことはできない。延宝三年(1675)
   の造塔で、小山市内最古碑の一つである。(図64)

と記している。

 無論、5猿の塔であることも、この塔の注目点の1つである。日本石仏協会が昭和61年6月に発行した『日本の石仏』第38号に、私は「庚申塔入門」を発表した。その中で庚申塔の三猿以外の猿にふれて

    庚申塔に彫られている猿は、圧倒的に三猿が多いけれども、1猿・2猿・3猿・5猿・郡猿
   もみられる。1猿の場合には、主尊として登場するし、1鶏を伴って下部に刻まれることも多
   い。2猿は、通常、向い会わせた横向きで拝む姿が多く、この形式のものを「日光型」あるい
   は「下野型」とか呼んでいる。5猿のものは、東京都町田市広袴・天王山にある延宝5年塔に
   刻まれており、横向きの合掌2猿と三不形の三猿とが同居している。また岩手県水沢市の日高
   神社境内にある嘉永5年の自然石塔には、御幣を持った2猿と三不形の三猿の5猿が陰刻され
   ていると、同県花巻市の嶋二郎さんから報告があった。群猿のものは、神奈川県藤沢市江の島
   にある無年記の塔に浮彫りされており、各書に紹介されて有名である。

と書いた。ここに記したように、これまで知られている5猿塔には
   延宝7 光背型 日月・青面金剛・2鶏・5猿 町田市広袴町 天王社
   嘉永5 自然石 5猿            水沢市 日高神社境内の2基がある。中島氏の『栃木市 野仏の風景』には
   正徳3 駒 型 「奉造立庚申供養」5猿   栃木市沼和田町 東泉寺
   年不明 板碑型 5猿            栃木市惣社町内匠屋坪 墓地入口の2基がみられ、『小山市 野仏の風景』に先の塔が記載されている。

 5猿塔であることよりも、もっと興味があったのは7つの丸の浮彫りである。この7つの丸が何を意味するものか、に興味が集まる。私の結論をいうと、この丸は項目見出しにした「北斗七星」と考える。

 これまで知られる北斗七星の庚申塔には、清水長輝さんの『庚申塔の研究』(大日洞 昭和34年刊)に載った寛文7年塔がある。この塔を見ていないので、同書の233〜4頁)から引用すると

   静岡県駿東郡裾野町(現・裾野市)金沢 寛文7年(60図)
    反花の台石がある本式の笠付角柱で総高は約1メートル60センチ。書面上部に日月、大き
   な卍を中心として上に梵字「ボーロン」左右におのおの四星ずつマス形につなぎ、下に北斗七
   星を描き、北斗と卍の間にも二星がある。その下に「六拾□日□庚申日掛一念、奉待山王三世
   安楽後□万歳長久子孫盛所」とあり、下部に合掌2猿が向合っている。右側には中央に「(ウ
   ーン)直指人身見生成仏」左右にそれぞれ「富貴自□□見満足□意者也、寛文七年丁未三月拾
   □日」また左側面には「(キャ、カ、ラ、ヴァ、ア、キリーク、サ、サク)駿河国駿東郡鮎沢
   庄金沢村奥住人有善根功徳施主等」とある。さらに表面の中心に「(ヴァン、ウーン、タラー
   ク、キリーク、ア、ウーン)諸願敬白」右左に「3界万霊、頓証仏果」と記してあり、右左両
   側面の下部には「勝間田三郎」以下十二個の人名をきざむ。

と塔の説明がある。続けてこの塔に対する見解を

    この塔は真言宗のものと思われるが、造塔をおこなった仏家はなかなか博識である。密教で
   の北斗信仰が庚申と深い関係をもっているいることを知っていて、庚申の本尊としての山王を
   祭ると同時に、北斗や星辰もあわせて祈念するということをあらわしている。また梵字みると
   書面ボーロンは一字金輪、右側面のウーンはなんらかの明王部、左裏面の六種子は金剛五仏に
   明王部、左側面は空風火水地の5大と弥陀3尊である。青面金剛は寛文年間あの辺にそう普及
   しているとは思えないが、これだけのものを造ることができる知識なら、あるいはすでに青面
   金剛を意識していたかも知れない。そうなるとウーンが青面金剛ということになるので、塔の
   構成は、はなはだ盛りたくさんな対象をもつことになるわけである。

と記している。

 裾野の寛文7年塔と小山の延宝3年塔に共通している点は、陰刻と陽刻の違いがあるが日月がある点と浮彫りの向かい合わせの2猿である。北斗七星は、裾野のが陰刻で7つの丸が線で繋がっているに対して、小山のは上下2列に4と3の丸を浮彫りしている。

 北斗七星に関係するものでは、もう1基神奈川県鎌倉市大町2丁目・名腰大黒堂にある
  文化5 自然石 「北斗尊星 猿田彦大神 天鈿女尊」を思い浮かべる。同市西御門町1丁目13番にある天保3年の「妙見大菩薩」自然石塔には、主銘の上に北斗七星が刻まれている。

2 市内庚申塔概観

 庚申塔は、24頁から45頁に載っている。これは、項目としては「庚申信仰」「青面金剛を本尊とする庚申さま 青面金剛信仰」「庚申塔の分布と功徳」「猿田彦を本尊とする庚申さま」「いろいろな庚申塔」「青面金剛陽刻庚申塔」「青面金剛陽刻庚申塔の変化形」「青面金剛の手の数の変化」「猿の数の変化」「笠付の庚申塔」「ショケラを提げた庚申塔」「猿だけを陽刻した庚申塔」「文字庚申塔」「『庚申』文字塔」「『青面金剛』文字塔」「『猿田彦』文字塔」「その他の文字塔」「古い庚申塔」「新しい庚申塔」「百庚申・千庚申」「百庚申」「千庚申」がみられ、44葉の写真が添えられている。

 106頁から242頁にかけては「小山市内全野仏一覧表」が、その後に「小山市分類別野仏調査票」と「小山市野仏年代別集計表」の2表が添付されている。前者の票(244〜5頁)には、庚申塔が「日待塔」の下位分類で、「刻像塔」と「刻字塔」にわけられている。さらに刻像塔は「青面金剛」「猿陽刻」「仏像」に、刻字塔(文字塔)は「庚申塔」「青面金剛」「その他(猿田彦・梵字)」に細分されている。後者の集計表(246〜7頁)には、庚申塔が1項目にあげられ、元号別の塔数が示されている。

 中島氏は、小山市内の野仏1408基を調査されている。この中で庚申塔がどのような位置を占めるかをみると、塔数は十九夜塔の399基に次ぐ284基である。全野仏とに占める割合が16・6%である。

 市内の庚申塔の造立年代をみると、「古い庚申塔」(43頁)と「新しい庚申塔」(44頁)に記されているように、大本谷新田・大杉神社前にある寛文10年6字名号2猿塔が最も古く、最新は延島・西豆口・天神橋の北にある昭和55年文字庚申塔である。

 刻像塔では、市内最古の下河原田・延宝3年青面金剛像から万延元年の上初田・西坪・愛宕神社まで青面金剛の100基と猿陽刻の39基がみられる。文字塔では、大本・谷新田・大杉神社前の寛文10年6字名号塔から最新の延島・昭和55年庚申年塔まで145基がある。

 最新の延島の文字庚申塔は、昭和55年の庚申年の造立である。私が『日本の石仏』第74号(日本石仏協会 平成7年刊)に発表した「続昭和庚申年の全国造塔数」に漏れたものである。この塔については、次の項でふれたい。

3 庚申年造立の塔

 前項でもふれたように、小山市最新の庚申塔が昭和庚申年の造塔である。中島氏は、書中で庚申年の造塔にほとんど書かれていないので、ここで記しておく。

 246〜7頁の「小山市野仏年代別集計表」をみると、延宝が14基、元文が29基、寛政が30基、安政が8基、万延が49基、大正が2基、昭和が4基と、大正と昭和を除くと庚申年を含む元号の造立が多いのがわかる。

 無論、年数の多い元禄が23基、享保23基もあるが、他の元号では1桁台である。1年当たりの造塔数をみれば、大正と昭和の庚申年以外、庚申年の造塔数にはおよばない。試みに庚申年以外の1年当たりの造塔数が多いのは、享保元年が7基で最も多く、続いて宝永元年の6基、延宝3年・元禄5年・同16年・宝永7年の各4基の順である。

 それぞれの庚申年の塔数を一覧表にまとめると
   ┏━━━━┯━━━━┯━━━┯━━━┳━━━┳━━━━━┓
   ┃元  号│西  暦│刻像塔│文字塔┃合 計┃比   率┃
   ┣━━━━┿━━━━┿━━━┿━━━╋━━━╋━━━━━┫
   ┃延宝8年│1690│  5│  2┃  7┃  5.6┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃元文5年│1740│ 11│ 16┃ 27┃ 21.4┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃寛政12年│1800│  1│ 29┃ 30┃ 23.8┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃万延1年│1860│  1│ 57┃ 58┃ 46.0┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃大正9年│1920│   │  2┃  2┃  1.6┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃昭和55年│1980│   │  1┃  1┃  0.8┃
   ┠────┼────┼───┼───╂───╂─────┨
   ┃庚申年 │(不明)│  1│   ┃  1┃  0.8┃
   ┣━━━━┷━━━━┿━━━┿━━━╋━━━╋━━━━━┫
   ┃ 合     計 │ 19│107┃126┃100.0┃
   ┗━━━━━━━━━┷━━━┷━━━┻━━━┻━━━━━┛
     (註記)安政7年は、年の途中で改元があって万延元年となるので、万延元年に含める。

 小山市内にある庚申塔は284基、この内の126基(内1基は元号不明)が庚申年の造立だから、庚申年塔が全体の44.4%である。庚申塔284基の中には造立年代のわからない塔が39基は含まれているから、これを除外して比率を計算すると、6年間の造立数が51.4%と過半数を占めている。この数字からみても、小山市の庚申塔が庚申年を重視した造立年代の傾向がうかがわれる。

 各庚申年の造塔傾向をみると、刻像塔では延宝8年が5基、次の元文5年では11基で最高で、寛政12年と万延元年が各1基と激減傾向にある。この他に元号のわからない刻像塔が1基ある。刻像塔は、いずれも青面金剛を主尊としている。文字塔は、万延元年の57基(安政7年銘の8基を含む)を最高に、寛政12年の29基、元文5年の16基、延宝8年と大正9年の各2基、昭和55年の1基の順で、万延元年を頂点とするカーブである。同じ栃木県でも、今市市の65基、日光市の13基に比べると、昭和庚申年の造塔が少ない。

 刻像塔が青面金剛一色であるに対して文字塔では、延宝8年の2基が「奉供養庚申二世安楽所」と「奉造立□□□□」で、後者は三猿を伴っている。次の元文5年の場合は、青面金剛系の「青面金剛供養塔」が4基と「青面金剛」が3基の計7基、庚申系の「庚申供養」(3基)・「庚申供養塔」(2基)、「庚申」「庚申塔」「奉造立庚申供養」「奉造立庚申供養塔」が各1基の計9基である。三猿を伴う塔は、青面金剛系には4基、庚申系には3基が含まれている。

 寛政12年の場合は、庚申系の「庚申塔」(18基)・「庚申供養塔」(5基)・「庚申」「庚……」「庚申供養塔」が各1基の計26基、青面金剛系の「青面金剛」「青面金剛塔」「青面金剛供養塔」が各1基の計3基である。前回の庚申年と比べて、庚申系と青面金剛系の造塔数差が開いた。

 万延元年(安政7年を含む)は、延宝8年から元文5年、寛政12年と庚申年毎に塔数が増えて、頂点の58基となった。刻像塔はみられず、文字塔は庚申系の「庚申塔」(30基)・「庚申」(14基)・「庚申供養塔」(5基)・「かのゑ申」(2基)、「かのえさる庚申」「庚申供養」「百庚申」が各1基の計47基、青面金剛系の「青面金剛」が1基、新登場の猿田彦系の「猿田彦尊」と「猿田彦命」が各1基の計2基である。その他に日月・2鶏・三猿を伴う6字名号塔が1基みられる。

 大正9年の場合は、塔数が前回(万延元年)の57基から2基に激減した。延宝8年以来、元文5年・寛政12年・万延元年の各庚申年にみられた刻像塔がなくなった。文字塔は、庚申系の「庚申塔」と「庚申供養塔」の各1基の計2基である。

 昭和55年は、庚申年最小の塔数で、大正9年より減った1基である。この塔については、「新しい塔」(44頁)で次のように述べ、写真を添えている。

    絹地区の大字延島西豆口にある天神橋の北に、3基の庚申塔が建っているが、その右端が小
   山市内で最新の昭和55年の建立の庚申塔である。平角柱状型の石に「庚申塔」と刻んだ単純
   な碑だが、左端から安政・大正・昭和と建て続けられたもので、この地域の信仰心の深さを物
   語っている。(図76)

 各庚申年の塔形を一覧表にまとめると、次の通りになる。なお先にあげた「続昭和庚申年の全国造塔数」に載せた栃木県今市市・茨城県潮来町・長野県朝日村と比較できるように、『小山市 野仏の風景』の塔形分類を変更する。具体的には、山角型や皿角型、平角型などの各種の柱状型を「柱状型」とし、板状碑を「自然石」に含める。

  ┏━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┯━━━┳━━━┓
  ┃種 別│塔 形│延宝8│元文5│寛政12│万延1│大正9│昭和55┃合 計┃
   ┣━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃刻像塔│光背型│  3│  7│   │   │   │   ┃ 10┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │板駒型│  2│  3│   │   │   │   ┃  5┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │駒 型│   │  1│  1│  1│   │   ┃  3┃
   ┣━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃文字塔│笠付型│   │  2│   │   │   │   ┃  2┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │光背型│   │  2│   │   │   │   ┃  2┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │板駒型│  1│  1│   │   │   │   ┃  2┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │駒 型│   │  2│  7│  4│   │   ┃ 13┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │柱状型│  1│  9│ 15│ 29│  2│  1┃ 57┃
   ┃   ├───┼───┼───┼───┼───┼───┼───╂───┨
   ┃   │自然石│   │   │  7│ 24│   │   ┃ 31┃
   ┣━━━┷━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━┿━━━╋━━━┫
   ┃合     計│  7│ 27│ 30│ 58│  2│  1┃125┃
   ┗━━━━━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┷━━━┻━━━┛

 この表には他に庚申年元号不明塔の駒型が1基加わる。文字塔では自然石と柱状型が比率が高く、柱状型が文字塔の53.3%と過半数をこし、全体でも45.2%である。柱状型と自然石の両者で全体の69.3%を占める。

4 三猿の文字化

 東京都多摩地方を中心に先の「庚申塔入門」では、三猿の文字化にふれて

    庚申塔が刻像塔から文字塔に移行したように、三猿像の場合も、所によって短い時期である
   が、文字化がみられる。東京都日野市を中心とした地域の例をみると、三猿の刻像のかわりに
   「三匹猿」や「三疋猿」「参疋猿」あるいは「申申申」の文字を刻んでいる。東京都北区滝野
   川・寿徳寺の「三猴」や埼玉県和光市下新倉・吹上観音の中央を「不聞」とし、左右に「言」
   と「見」を配した例もみられる。三猿の刻像と併て、三猿の文字化も興味がある。

と記し、文字化した三猿に対する関心を呼びおこした。ここに漏れたものとして、茨城県土浦市中央1丁目・不動院にみられる寛政12年造立「青面金剛尊」柱状型塔の台石正面に猿を表す篆書体で「猿〓(猿の異体字)猴」を刻んでいる。

 中島氏は、書中の「猿だけを陽刻した庚申塔」の項目の中で

    次いで、三匹の猿そのものを彫刻するかわりに、その猿の姿態が見ざる・言わざる・聞かざ
   るの道徳的な教訓を文字で表現した、変わり種を紹介しよう。
    大谷地区の大字塚崎にある薬師堂前に、大きな自然石の文字庚申塔が建っている。その台石
   には三猿でなく、「不見・不聞・不言」の3語が刻まれ、その意味を物語っている。完全に文
   字塔化した典型であろう。万延元年(1860)の新しい塔である。(図65)

と書いている。この他にも、市内には三猿の文字化の例が次の6基にみられる。
   A 宝永3 笠付型 青面金剛・日月・1鬼・2鶏・三猿 間々田5丁目 浄光院
   B 天明4 山角型 「青面金剛」「不見不聞不言」   東黒田 須賀神社前墓地
   C 寛政12 山角型 「庚申塔」「不見不聞不言」    乙女 寒沢公民館
   D 寛政12 山角型 「庚申塔」「不見不聞不言」    鏡 南端丁字路
   E 嘉永1 山角型 「庚申塔」「不見耳聞吉見」    乙女 寒沢公民館
   F 安政7 山角型 「庚申供養塔」「不見不聞不言」  西黒田 中公民館
 地域的には、間々田地区が5基と集中している。Aは、銘文中に「聞申見申曰申」が刻まれ、塔にも三猿が彫られている。B以下の塔は、Eの「不見耳聞吉見」を除いて「不見不聞不言」の系統で、Aの路線を継承している。

 ついでに三猿の文字化と同時に、市内でみられる庚申塔の中には日月を文字化した塔がある。この種のものには
   A 安政7 山角型 「庚申供養塔」「日天月天」    南和泉 神明宮
   B 安政7 山角型 「庚申供養塔」「日天月天」    西黒田 中公民館
   C 万延1 自然石 「庚 申」「金鳥玉兎」      下生井 桃源寺の3基があげられる。この内でBは、「日天月天」と「不見不聞不言」が1つの文字塔に刻まれて、前の三猿の文字化であげたFと同1の塔である。

 「日天」と「月天」はわかりよいが、「金鳥」と「玉兎」はあまりみかけないので、何を意味するかわかりにくい。。庚申塔でないが、東京都青梅市梅郷5丁目・大聖院にある寛文10年の六地蔵石幢に刻まれた日輪に烏、月輪に兎が浮彫りされている。『青梅市の石仏』(青梅市教育委員会 昭和49年刊)に載った121頁の写真3ー1では、月輪の中の兎がはっきりとわかる。

 『小山市 野仏の風景』ではCが「金鳥玉兎」とあるが、「金烏」ではないかと思われる。「烏」と「鳥」は似ているので、誤植か読み誤りがあるのかもしれない。鈴木繁氏の『庚申研究』(上毛古文化協会 昭和42年刊)の116〜7頁には

    日月を「烏兎」という。「烏兎匆々」の慣用語がこれを説明している。烏兎は、金烏玉兎の
   略である。「光陰矢の如し」は日月の運行を指したものである。
    太陽の異名に金烏、陽烏、曜霊、鬱儀などがあり、月の異名に、大陰、玉兎、玉○○○など
   がある。大間々町光栄寺に「ウン字百番塔」の庚申塔がある。一連番号の最終塔である。これ
   に「安永八己亥秋九月一烏」の建日が記されている。この「烏」は「日」を現したものでこの
   場合の烏は三本足の陽鳥である。

と、群馬県山田郡大間々町の例をあげて記されている。

 庚申塔の流れとして、刻像塔から文字塔へと変遷していく中で、日月や三猿の文字化がみられる。過渡期に現れた現象であろう。それにしても、前に示した東京の場合に比較して、小山市では三猿の文字化にも地域差がみられるのが面白い。

 ここでは、中島氏の『小山市 野仏の風景』を拝読して、感じたままを書き綴った。この書は、庚申塔も含めた数多くの石仏を対象に小山市内を隈なく調査され、一本にまとめあげられて出版された。そのご努力に対して、著者に多大の感謝を捧げたい。

 多くの研究者は、この労作を共有財産として活用することが、著者の中島昭氏に対する恩返しになろう。東京都多摩地方を調査対象とする私にとって、三猿の文字化一つとっても地域的な差異がみられることを確認した。また日月の文字化という、これまで多摩地方ではみられなかった例を知ったことも収穫である。

 文中、中島氏に対して失礼な箇所が多々あろうかと思われるが、庚申塔研究のステップとしてお許し願いたい。最後になったが、中島氏の今後のご調査・ご研究の進展を祈念して筆をおさめる。(平成8・12・4記)

   (追記) この原稿を書きあげた後で、春日部の中山正義さんに多摩石仏の会12月例会の不
   参加の電話した時に、たまたま話が北斗七星に及んだ。茨城県猿島郡境町新吉町・吉祥院の境
   内には、寛政12年造立の角柱型「妙見塔」の上部に線で結ばれた北斗七星がみられるという
   報告を聞き、数日後に略図と銘文を記したメモを受け取った。庚申塔ではないが参考までに記
   しておく。
 
あとがき
    
     本書の題名にある「昭和庚申年塔」は、昭和55年の庚申年に造立された庚申塔を指して
    いる。『庚申』や『日本の石仏』には、これまで昭和庚申年塔について書いてきた。ここで
    は、栃木県内の昭和庚申年造立に関する「栃木県の昭和庚申年塔」に「『栃木市 野仏の風
    景』雑感」と「『小山市 野仏の風景』雑感」を加えてまとめた。

     なお、ここには載せなかったが、書中でもふれた『日本の石仏』第74号(日本石仏協会
     平成7年刊)に発表した「続昭和庚申年の全国造塔数」には、今市市の昭和庚申年塔に関
    する箇所がある。

     まだまだ県内の各地には調査洩れがあると思われるので、お気付きの昭和庚申年塔があっ
    ならば、ご教示をお願いしたい。

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