江漢広重東海道五十三次画集(その1)  目次へ 画集2へ 画集3へ 画集4へ
1.日本橋
初刻版   広重は魚屋しかいない早朝の日本橋に改変。
謎の人物群−インドネシア人?(大畠) 住吉踊り?(これまでの定説)

江漢が描いたインドネシア人を、広重が住吉踊りに改変した。
赤頭巾と赤の腰布はインドネシアの風習。広重は神社の御幣を描き加えた。
再刻版  賑やかな日本橋に描き直し
      再刻版の人物構成は江漢図によく似ている。
(A説) 広重が江漢図を参照して人数を増やした再刻版を作った。−−広重の手元に江漢図があったことになる。 大畠説
(B説) ニセ江漢が再刻版をモデルに、人物の一部を間引いて描いただけ。             馬頭町広重美術館館長 稲垣氏説
どちらが正しいかよく考えてみてください。
2.品川
初刻版
初刻版の大名行列が尻切れトンボだったので、再刻版では弓持ちの後ろに鉄砲持ち二人をはさんで行列を引き延ばした。
その結果、再刻版は江漢図と同じ次の構成になっている。

      弓弓−鉄砲二人−荷物持ち

広重は江漢図を参考に行列の人数を増やして修正したことになり、上の日本橋と同じケースである。

再刻版
3.川崎
初刻版
初刻版と再刻版の違いは、輪郭線なしの白抜き冨士、船頭のポーズ、イカダと船頭が消えた・・・・などである。
大した違いはなさそうなのに、何故手間と金を掛けてまで改訂したのか。広重東海道五十三次の基本的な謎の一つであった。

江漢図と見比べれば、答えは一目瞭然。
すべて江漢図通りに描き直した」・・・それだけである。
再刻版
日本橋と同様に、「ニセ江漢が再刻版をモデルに描いただけ」という説があると思うので、反論しておく。

この説では、
広重が何故再刻版を作ったのかという広重五十三次の基本的な謎が説明できていない
すなわち総合的な解答になっていない。

広重初刻        広重再刻版        江漢図
★広重初刻版の船頭の弓なりポーズは、北斎五十三次「川崎」(上左)のコピーであることが分かった。
  上図のように、弓なりの船頭は北斎の専売である。

広重は以前から大先輩の北斎を信奉しており、何かにつけて北斎をコピーしたがった。
一方版元の保永堂としては、広重五十三次はそれ以前の北斎五十三次を追い越すことが目標の企画であり、「これまでの北斎五十三次とはまるで違う」ことを売り物にしていることから、北斎コピーを嫌って、江漢原図通りに描き直しさせたのである。
4.神奈川
初刻版

★広重図の小舟の列および再刻版に描かれた棒杭は、広重五十三次刊行と同じ年の1833年に着工した岡野新田工事
小舟の列は工事の境界線(堤防の位置)である。

★この小舟の列は江漢図にはないから広重のオリジナルである。
  広重は現地で岡野新田工事を実見したのである。

  広重は東海道の一部を現地確認のために歩いている。
     ただし1832夏ではなく、1833初めの旅と思われる。

★江漢図(1813)に干拓工事(1833)の小舟がないのは当然だが、
  江漢図が広重図のコピーでないことを見事に証明している。
  再刻版
    初刻版と再刻版の違いは、屋根の形を変更しただけ。すなわち江漢図と同じ形のわら屋根描き直したもの。
          
5.保土ヶ谷
背景の丸い山は現地にはない。東海道名所図会(浅間社)からの借り物らしい。

鈴木重三氏の最近本に「権太坂?」とあるが、現地を知らない人の発言。権太坂は画面の右はるかに外れた方角である。
保土ヶ谷には再刻版はないが、江漢と広重の屋根の形の関係は神奈川と同じ。江漢図寄せ棟→広重図切妻→再刻版寄せ棟)

江漢図: 
橋を渡った後の左側の家並みが7−8軒で一旦切れている。
明治13年地形図と一致。
地図から、旧水路の跡なので、家並が建てられなかったらしいことも分かる。
6.戸塚
初刻版
大正時代の現地写真
再刻版
戸塚の4枚の絵を見比べると、初刻版は江漢図そっくり、再刻版は大正の写真にそっくり(茶屋の板壁、二叉の樹、川辺の藪)である。
この4枚から何が分かるだろうか。
 ★広重は江漢図通りに描いたが、刊行後、現地風景が変わっていることを指摘され、戸塚を再訪問して忠実に写生し直した。
  再刻版に改訂した主目的は、「馬から下りる人→馬に乗る人」ではなく、茶屋の板壁と格子窓の修正である。
★「後ろ向きに馬から飛び下りる人」のモデルは、北斎漫画(1825頃)であることが分かった。
          
北斎のモデルは馬の曲乗りの瞬間ポーズであり、普通の人には、後ろ向きに馬から飛び下りることは不可能である。
再刻版は、「正しい馬の下り方−(これも北斎漫画にモデルがある。)」に訂正したもので、これまで長い間「馬に飛び乗る人」といわれていたのは間違いであった。

 初刻/再刻版のどちらも「馬から下りる人」だったのである。
★江漢(1813)に北斎漫画(1825頃)のコピー出来るはずがなく、
 当然ながら江漢図では馬・・・の部分がブランクになっている。

  これも江漢図が広重図の単純コピーではないことの証明である。

★同じことが神奈川の干拓工事の小舟の列、川崎の船頭、
  赤坂、御油の北斎五十三次コピー、掛川の金草鞋人物・・・
  にも言える。
7.藤沢

広重図は間違いだらけ。また鳥居の遠近法が怪しい。
当時の遊行寺は1831年の大火の後で焼け跡同然だった。

江漢図には遊行寺の山門(黒門−冠木門)が小さく描かれており、
現地スケッチであることが分かる。

広重図は、江漢の枠(鳥居、橋)に、別に入手した遊行寺境内図をはめ込んだもの。広重図の鳥居の遠近法がおかしく歪んで見えるのはそのためである。
8.平塚
平塚宿を通り越すと、高麗山は馬の背状に変わる。 広重図は高麗山に隠れる瞬間の冨士(消え冨士)を描く。
●江漢図と広重図は、同じ高麗山をまったく違うアングルから写生している。広重図は高麗山の特徴を似顔絵漫画風によく捕らえており、写真鏡の図ではなく、実際の山を見て描いたものと思われる。広重は江漢図を手にして、平塚あたりまで「現地確認の旅」をしたらしい。
 
9.大磯

広重は大磯宿入り口(見付)の風景に場所を変えた。
江漢は宿場にこだわらず、広重は宿場にまとめようとしている。
注) 広重図に描かれた大磯宿入り口の松並木は、国道1号からはずれた東海道旧道に今でもそのままの形で残っている。
 
10. 小田原
江漢図の「小田原」は箱根山ではなく、実は大山だった。
広重「小田原」の再刻版は、広重五十三次の大きな謎の一つ。
何故山を描き直したのかは最大の難問で、老熟による画風の変化などと、もっともらしい議論されていた。・・・

初刻版  最初、広重は江漢図を信用して山のシルエットを生かして箱根山を描いたが・・・
 酒匂川(国道1号 酒匂大橋)から見た箱根連山の大パノラマ
 江戸/横浜から遠望できる箱根山もほぼ同じ姿で、現地へ行かなくても描ける。

  誰にも分かる箱根山の特徴は、両子山である。
  再刻版には両子山の姿がちゃんと描かれている。
再刻版 ・・出版後、箱根山と形が違うことが指摘されたので、
   箱根らしく描き直した。・・・それだけの話であった。
 
11.箱根

明治、大正以来、広重の箱根図の写生場所が誰にも見つからず、
結局、空想の産物−探しても徒労・・というのが定説になっていた。
一方、江漢図であれば写生場所は明らか。
恩賜箱根公園(塔ヶ島)展望台からの風景。右は駒ヶ岳山頂。
実景に、東海道分間絵図の塔ヶ島(右図)を重ねて合成したもの。
 
広重は江漢図を元に自由奔放にデザインしたため、写生場所が誰にも分からなくなったのである。。
 
12.三島

鳥居と灯籠の位置関係の違いが一時問題にされた。
しかし写真ではなく絵なので、制作時期を推定する決め手としては弱い。
 
13.沼津
広重「沼津」の副題は「黄昏図

★夕方、疲れ果てて宿にたどり着いた貧しい西国巡礼母娘と「金比羅詣り」の行者と解説されていた。前方に見える橋は狩野川支流の黄瀬川に架かる黄瀬川橋。
黄瀬川橋のたもとから足柄道が分かれる。
足柄道は箱根道が開ける以前の東海道。健脚8時間ほどで関本に達する。

関本には天狗寺で有名な大雄山道了尊がある。
江漢図の天狗男は白装束ではない・・・「金比羅詣り」ではない。
  また母娘が柄杓を持っていない・・・巡礼ではない。
★江漢図は道了尊に天狗の絵馬を奉納する裕福な商家の母娘と荷物運びの若者を描いたもの。
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現地を訪れた広重研究者によって、この絵の雰囲気は狩野川ではなく黄瀬川の情景であると言われていた。(S35 近藤市太郎氏 S37徳力富太郎氏)
この場合、描かれた道は東海道ではなく足柄道である。

「黄昏」にしては満月が西にあるのはおかしい」とも言われていた。
満月が西にあるのは、月光を利用した早朝早立ちであり、黄昏風景ではない。
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広重図では若者を白装束に変え金比羅詣りの行者とし、母娘には柄杓を持たせて貧しい西国巡礼に改変し、副題「黄昏図」を付け加えた。

広重図について、「黄瀬川橋の近くでは狩野川が東海道のとなりを流れていない」という矛盾が以前から指摘されていた。(地図参照)
江漢図には問題の「黄瀬川橋」は描かれてない。
黄瀬川橋
を描き加えたのも広重の改変の一部である。

広重が改変した理由は、@東海道五十三次なのに足柄道ではまずい。A「西国巡礼」「金比羅詣り」の方が東海道らしい。 
ということであろうか。

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